Battleship Nagato原爆に耐えし日本海軍の亡霊
1946年7月1日
ここマーシャル諸島のビキニ環礁に大小71隻もの艦船が集められた。
この艦船達が集められた理由はアメリカ合衆国の原子爆弾の実験であり、その中には旧日本海軍の戦艦長門や軽巡洋艦酒匂、ドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲン、アメリカ合衆国海軍の戦艦ネバダ、戦艦アーカンソー、戦艦ニューヨーク、戦艦ペンシルベニア、空母サラトガ、などか主な艦船だ。
そして今日7月1日に第一次実験の『エイブル』の実験日だ。
『私もここまで落ちぶれるとはね』
誰もいない無人の艦となった旧日本海軍の栄光時代の象徴であった、戦艦長門がふとつぶやいた。
『長門さん』
『あっ、酒匂どうしたの』
酒匂と呼ばれたのは、旧日本海軍の阿賀野型軽巡洋艦4番艦酒匂の艦魂である酒匂だ、酒匂は旧日本海軍が建造した最後の巡洋艦でそれまでの旧日本海軍の技術が詰められた巡洋艦である、そして彼女の姉は旧日本海軍の最後の海上作戦の旗艦大和の護衛の為ついて行った第二水雷戦隊旗艦矢矧である。
『その、少し不安になりまして』
今の酒匂には姉妹は一人もいない、1番艦の阿賀野は1944年2月16日 トラック島北方沖にて米潜水艦スケートの魚雷2本を受け炎上後、沈没した、
2番艦の能代は1944年10月26日 ミンドロ島南方にて空襲を受け魚雷2本、爆弾1発が命中。沈没した、
3番艦矢矧は1945年4月7日に戦艦大和、戦艦長門、戦艦榛名、航空戦艦伊勢、航空戦艦日向などの護衛の第二水雷戦隊旗艦として沖縄に向け航行中、敵機動部隊の攻撃をうけ魚雷7本爆弾12発をうけ大破航行不能、その後味方艦の魚雷により沈没した。
そして恐らくこの後の実験の事を思い長門の所に来たのであろう。
『酒匂、私たちはアメリカに接収されようが最後まで日本海軍の艦艇よ‼』
そして長門は酒匂に笑顔を見せこう付け加えた。
『だから、沈む事何てないわ、なんせ日本の建造技術は世界一なんだもの、例え他の国の艦が沈もうが私たちは絶対に沈まない…………そして、一緒に日本に戻ろうね』
『はい』
酒匂は一番の笑顔で答えた。
そして実験開始時間になった、上空でBー29スーパーホートレスが一つの爆弾を落とした……それは絶望の爆弾だった。
原子爆弾は上空で爆発そして辺り一面に熱い光をもたらした、その光は鉄を溶かし、そして上空にきのこ雲を作った。
そして長門は見てしまった酒匂が火だるまになる所を。
『酒匂ぁぁーーーー!‼』
長門の叫びが今や放射能の海となったビキニ環礁に響いた。
『うぅ、何て熱さ……なの』
長門は酒匂に転移しようと為るが原子爆弾の熱風のせいで出来なかった。
軽巡洋艦酒匂
『熱い、熱いよーー‼』
酒匂は現在全身のいたる所に火が付いており、火傷が広範囲に拡がっていた。
『矢矧お姉ちゃん、長門さん、助け……て』
酒匂はその後、艦橋より後ろの構造物をなぎ倒され、丸一日燃えた後、海に沈んで行った。
『……さ、酒匂………………』
長門は呆然としていた、これまでの長い時間生きてきたがこんな無茶苦茶な爆弾見たことがなかった。
『そ、そんな……酒匂ーーーー‼』
この第一次実験で沈没したのは
軽巡洋艦 酒匂(日本)7月2日沈没
駆逐艦 アンダーソン(アメリカ)
駆逐艦 ギリアム(アメリカ)
↑観測装置を付けていたが、貴重な実験結果がなくなってしまった。
駆逐艦 ラムソン(アメリカ)
駆逐艦 カーライル(アメリカ)
だ。
この時の戦艦長門の被害は爆発した側の装甲が少し溶けた程度だった、さすがはかつてビッグセブンと言われた艦だけはある、その身にまといし40センチ砲も耐える装甲は彼女の艦生を伸ばした。
そうして第一次実験、第二次実験が終わった時の長門はまるで幽霊船といった方が正しいと思う、
僅かに艦が傾いているが今だ水上に浮かび旧海軍の魂はずっと健在するとでも言いそうだった。
第二次実験では長門は他の艦より不利な条件での実験だった、艦首に穴を開けられ直ぐ浸水するようになっていた、それだけではなく艦の周りに機雷が多数置かれてもいた。
そして1946年7月29日戦艦長門は誰にも姿を見せずその身を沈みた……まるで誰にも見られずひっそりと沈みたかったかのように。
2020年11月25日
『新型護衛艦の名前は『ながと』です』
そのその瞬間周りは湧き上がった。
『この艦の特徴はこの主砲にあります、50口径41センチつまり16インチ砲4基8門を装備副砲にMk 45 5インチ砲4基4門を持ちさらにイージスシステムも持ちます‼全長260メートル、全幅35メートル、基準排水量は8万5000トン、最大速力は30ノットを誇る最新鋭艦です‼』
こうして長門は第二の人生に旅立った、再び日本を守るため。