前
最近よく、家族について考える。家族とは、いったいなんなんだろう?
物心ついたとき、そばにいたのはじいさんとばあさんだけだった。近所の友達を見れば、その両の手を引くのはじいさんでもばあさんでもなく、もっと若いおじさんやおばさんだった。
「桃太郎や、ちょっとこっちおいで」
物思いにふけっていると、ばあさんから声がかかって、俺ははっとした。
桃太郎。そう、俺の名だ。この名前も、ふざけているとしか思えない。
一度、名の由来を尋ねたことがある。じいさんは笑って、こう言った。
「わしが柴刈りに行っているとき、ばあさんが川で大きな桃を拾った。それを真っ二つに断ち割ったら、中からお前が出てきたのだ」
ばかげている。素直に橋の下で拾った子だと言えばいいものを。万が一、それが本当に名の由来だとしても、『桃太郎』はあまりにも安直ではないのか。
この名前のおかげで、学校でもよくいじめられた。
『こっちくんなよ、変な名前のくせに!』
『お前の名前、なんかエロいんだよ!』
『おい、こいつケツ太郎って呼ぼうぜ!』
それでも、育ててくれた恩義を忘れ、じいさんやばあさんに苦言を吐くことなど、俺には出来なかった。決して。
家に入ると、囲炉裏を囲んでじいさんとばあさんが座っていた。じいさんは手にゴルフクラブを、ばあさんは何かのぎっしり詰まったビニール袋を持っている。
「ここに座りなさい」
なぜか二人の間の席を勧められた。すこし疑問を感じながらも、その不自然な位置に腰を下ろす。
「なんか用なの?学校ならちゃんと行ってるよ?」
「いや、そういうことじゃない」
じいさんは重々しく口を開いた。俺はちょっと警戒する。こういう話し方をするとき、それは大抵、なにか厄介なことが起こる前触れだ。
「実は、わしらは離婚することになった」
「ええ!?」
熟年離婚が問題になっているのは知っていたが、それが身近で起こると驚く。ばあさんも深くうなずいて続けた。
「本当はもっと前に決めてたことなんだけどね。あんたがいたからすぐにって訳には行かなくて」
「俺のせいなの?」
「しかし、お前ももう立派な大人だ。わしらも気兼ねなく、新しいパートナーを見つけることが出来る」
「見つける気なのかよ……。っていうか、俺、まだ12なんだけど」
「何を言う。そんなに大きく育って、まだ自分は子供だというのか。そんな態度でいるから、せっかく就職しても長続きしない若者が増えるんだ」
「いや、そういうことじゃなくて……。まあ、たしかに」
実をいえば、俺の体はちょっとおかしい。
年齢は確かに12だ。それは間違いない。ちゃんと数えていたから。
おかしいのは、身長が175センチ、体重が63キロで、握力、背筋力、50メートル走、幅跳び、反復横跳び等々、どれをとっても一流のアスリートに引けをとらない身体能力の高さなのだ。
たったの12歳で。
「体は大人だろうけど……。ほら、法律とかあるしさ」
「だまれ。話を聞け」
じいさんは強引に遮って続けた。
「離婚するに当たって、財産が欲しいのだ」
臆面もなく言い放つ。ばあさんもうんうんとうなずいていた。
「桃太郎、鬼が島へ行け」
「へ?」
「鬼が島に行き、鬼どもから宝を奪い取って来い。根こそぎだ」
「な、冗談じゃない。何で俺が」
鬼が島。時折町に現れては民を襲い、財宝を奪い取っては帰っていく化け物どもの巣窟。
「あんた、正気なのか!?」
俺は声を荒げた。これはさすがに命に関わる。強く言わざるを得なかった。
「だまれ。育ててやった恩を忘れたか」
「くっ……。だいたいあんたら、年金もらってるじゃねえか!」
「あんなはした金で、生きていけると思うか!」
じいさんの趣味は競艇とパチスロだった。年金の一か月分など、へたすれば一日で飛んでしまうことだろう。
「強盗なんかしたら、俺だって捕まるんだぞ!」
「そのへんは大丈夫だ」
じいさんは妙に強気に言う。
「帰ってきたら、警察への根回しの方法をレクチャーしてやる」
「……っていうか、その前に俺が殺されるんだって……」
落ち込む俺の肩に、そっと手が置かれた。ばあさんだ。
「大丈夫よ、桃太郎」
「ばあさん……」
「分け前はちゃんと、3等分するから。それだけあれば一人で生きていけるでしょう?」
どっちみち放り出すつもりらしい。
天使のような微笑と共に、ばあさんはこう付け加えた。
「行かないと、身包み剥いで放り出すわよ?」
そうと言われてしまえば、俺に拒否権はない。なにせまだ12歳、いくらからだが大人だとしても、一人では生きていけない。12歳では法律的にも雇ってもらえるはずはなく、自活するほどの経済力もない。
しぶしぶ承諾した俺に、じいさんとばあさんからそれぞれ一つずつ餞別が送られた。
じいさんからはボロボロの8番アイアン、ばあさんからはきびだんごの詰まったビニール袋。
「では、行け」
たったこれだけのものを渡されて、俺は家を追い出された。
夕暮れの街をとぼとぼと歩く。一人は寂しい。お腹もすいた。もらったきびだんごは特に味もなく、昼にもそもそ食べたら早くも残り半分になってしまった。
畑仕事を手伝っている子供たち。夕日と共に作業を終え、家路につくその両脇には両親の姿。
涙がにじんできた。俺はいったい、何をしているんだろう?何で俺は、こんなところを一人で歩いているんだろう?
涙でにじんだ視界の先、茜色に染まった道の行く手に、何かが見えた。
「……?」
犬だった。イギリス出身のビーグル犬。尻尾を振り、舌をへっへっとだしてじっと俺を見つめている。
かわいい。
「……よしよし、おいで」
しゃがみこんで手招きすると、犬は寄ってきた。頭をなでてやると、また涙が出てきた。
「よしよし……ううう」
そんな俺の頬を、そいつが舐めてくれる。肌をなでる感触はこそばゆく、どこまでも暖かい。やさしい暖かさだ。
「うう……。お前も、一人ぼっちなの?」
そう言って首の下をかいてやると、手が何かに触れた。
「……ん?」
よく見ると首輪をしていて、手が触れたところには金属のプレートが貼り付けてあった。
何かが書いてある。引っ張って読んでみた。
「……相沢……」
おそらく飼い主の名前と、住所がプリントしてあった。
「……」
全然一人ぼっちじゃなさそうだ。
呆けていると、犬は鼻を俺の懐に押し付けてきた。
「なんだ?」
「わう、わう」
がさごそと音がして、ビニール袋が引っ張り出される。
「ああ、コラ」
大事な食料だ。さすがにおいそれとは渡せない。ましてや犬なんかに。
相沢は行儀よくお座りして、俺を見上げる。
……やめてくれ。見るな。見るなよ。
「……」
気がついたら、犬の鼻面にだんごを突きつけていた。
「ほーら、やるぞ」
「わんわん!」
鼻をくんくんさせ、一気に俺の手からきびだんごを奪い取る。一個ぐらいなら、きっと大丈夫なはずだ。
もしゃもしゃと犬は団子を平らげた。
「どうだ?うまいか?んー」
頭をなでなでしながら、笑顔で語りかける。
「……マズ」
「!?」
いきなりのレスポンスに、俺は心底驚いた。
「な、なな!?」
「っていうか、よくこんなもん食えるな……。おめー、人間だろ?」
「い……犬が、しゃべった」
相沢はあくびを一つして、俺を振り返る。
「じゃ、行くぞ。桃ヤロー」
世間の理をすべて裏切ったその犬は、俺を先導するかのように歩き始めた。
夜になった。そこは森の中で、どうしてこんなところを通らなければいけないのか、俺自身さっぱり分からなかった。ただ、相沢が言うのだ。いいから来い、と。
さすがに今日はもう寝よう、と相沢が言うので、俺たちは野宿をして夜を越すことにした。初夏の森、凍え死ぬことはないが蚊が多くて気が狂いそうになった。
「ねえ、相沢」
「なんだ?呼び捨てかよ。クソガキのくせに」
「う……。す、すみません」
「だいたいだ。てめえには気迫が足りない。どうせこれまで、流れに任せて無責任に生きてきたんだろう?」
「な……。そ、そんなの、知らないですよ」
「逃げんじゃねえよ。どうなんだ」
「……だっておれ、まだ12歳ですよ。大人に逆らったってどうにもならないじゃないですか」
「……ダメだな」
相沢は首を横に振った。
「いいか、よく聞け。確かにお前はまだガキなのかも知れねえ。だがな、お前の生き方を決めるのは年齢なのか?今の現状をどうにかしようとしないで、この先のことがすべて何とかなるなんて思ってんのか?」
「……」
「自分の不幸をなにかのせいにするな。まずはあがいてみろ。死ぬまであがき続けることが出来れば、お前は少なくとも不幸にはならない」
「……相沢さん」
何で俺は犬に諭されねばならないのだ。というか、いったい何の話をしているんだろう?
「……ふ。すこし熱くなっちまったな。もう寝よう」
犬はその場に伏せ、俺も横になる。
「知ってるか?この森にはサルが出るんだ。団子を盗られねえよう、気をつけな」
「はい」
「じゃあ、おやすみ。ブラザー」
俺は目を閉じた。蚊が飛び回る音にもかかわらず、俺は涙を流した。人知れず、こっそりと。
帰りたい……。
その夜、相沢の言うとおりニホンザルが現れて、こっそりときびだんごを奪い取っていった。
俺は全く、それに気がつかなかった。
|