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鎖状の楼閣
作:NAO



第三十五話・ビデオテープ


 僕と藍が、大学という多岐にわたる難易度と、分野、規模のある集合体の中で、同じ大学になったのは、何か因縁めいているように思えてならない。
 僕と藍が、隣近所に住んでいて、幼馴染で、という経緯は分かる。
 同地区だから、幼稚園、小学校、中学という進路もそうだ。
 大学進学を切に望む者なら、県内一の進学校へと、歩を進めるのにも合点がいく。ここまでは、半ば作られた道のような経路だった。途中の事情は考慮しても、同じ道をたどっている事には変わりはない。意識して合わせなくても、そうなってしまうからだ。
 では、高校時代の僕と藍は、どうであったか。僕は成績的には学校内では中程度、藍は上位大学進学組、という先生方に寵愛される部類だった。この高校は、先生方の生徒の見方が偏執的だった。成績上位の生徒は優、それ以下は劣。申し訳程度に、内申が加味される。だからまず、名前を覚えられるのは優秀な者だけだった。先生側にすれば、生徒とは数字であり、例えるなら競走馬であり、酷く言えば、育成ゲームなのだ。自らが育てた生徒が、どの大学へ進学を決めてくれるか。その結果を高校側が、我が校の誇り、と声高にまくし立て、評判へと変えていく。
 僕の言い方にも偏見がある。
 先生が皆そうであるわけではない。一部の先生だけがそうである。
 しかし、一部がそうであるならば全体もそうであろう、というのが世の中だ。一部の礼節をわきまえない愚劣な輩が、我が校の評判を失墜させている、とは、よく生徒指導部や、学年主任、校長が、数え切れないほど壇上で唾を飛ばした弁だ。この高校に在籍したものなら誰でも周知の名台詞だ。
 それを聞いて過ごした三年間は窮屈で、鬱屈したものだった。注意と恫喝に満ちた一週間。隣で激励を受ける者がいる。隣で見捨てられている者がいる。
 僕はその一方になりたくて勉強していたようなものだった。
 もちろん、モチベーションとなった春美の存在だけは、別格だった。大袈裟に言えば、神格化がなされたのかもしれない。あくまで、大げさに言えばだが。
 藍はその苦境の廊下で、スカートをなびかせながら、泰然と歩いていた。僕はそれをどこか気取っていると解釈していた。
 
 藍は、受験に失敗した。
 僕は、受験に成功した。
 
 明暗が分かれた。藍と僕がもし学力で勝負したとしたら、僕は一方的に傷つけられてしまうだろう。ほぼ全教科で僕は藍の後塵を拝していた。
 僕は文系、藍は理系。
 決定的に違った二人の行く末は、また違った意味で交わっていた。
 僕にすれば高望みの第一希望。藍にすれば、滑り止めの第三希望。
 そこで、僕たちの大学希望調査が交わっていたのだ。しかし、僕にとっては、大量の藁の中から一本の針を探すような強運が必要、藍は、よほど体調が悪いかしない限りは第一志望に落ち着くはずだった。
 皮肉としか言いようがない。
 僕は苦手教科を無難にこなし、得意教科で思った以上の大成功を収めた。普段の実力以上の結果を得てしまったのだ。
 そして、まるで僕に点数を吸引されてしまったように、軒並み藍の得点が伸び悩んだ。
 藍に何があったのか、僕には分からない。分からないが、帰結した先は、同じ大学への進学という事実だった。
 皮肉としか言いようがない。
 どこか因果律を彷彿とさせるような、結末だった。
 藍の三年間は何だったのか、僕の三年間は何だったのか。
 たった一度の試験がすべてを決めた。
 悲劇。その言葉が脳裏に刻まれる。
 もしも、平均という形で判断されることがあったなら、今の形には収まらなかっただろう。
 後の祭り。その言葉が脳裏に刻まれる。
 
 藍の部屋には、小包があった。
 小包の中に入っていたのはビデオだったようだ。小包として丁寧に梱包されていたようだった。乱雑に解かれたテープと、クッション剤として用いられたビニール。
 僕は破られた紙の一片を取った。差出人を見て、僕は驚愕する。
 夏目春美だった。
 死者からの小包。死者はよみがえったりしない。墓の中から這いずり出ることなんて出来ない。生命が解き放たれ、肉体という物体だけがある。それは蝋人形と同じだ。からくりのない人形と同じだ。
 動かざる手、動かざる足、動かざる目、動かざる口、動かざる心臓。
 死という呪縛にとらわれ、呑まれ、そして帰ってきた者などいない。死の淵、で帰ってくることは出来るかもしれない。
 しかし、ひとたび淵から飛び降りてしまえば、急降下を許すのみで、奇跡など考える暇さえ与えられずに、暗黒の沈殿へと下る。
 それは、この世に徘徊する摂理。不変の真理。
 ビデオはない。おそらくは、テレビの下に設置されたビデオデッキの中だ。電子表示を見る。確かに入っている。どうやら、藍は最後まで観たようだった。取り出した黒いビデオは、ラベルすら貼られておらず、冗談としても、死者の贈り物としては物々しい雰囲気が漂っていた。
 僕は、巻き戻しのボタンを押す。
 急速な回転でテープが巻き戻る。心臓が、牢獄から助けを呼ぶ囚人よろしく、僕の檻をのべつ幕無し叩いた。
 巻き戻ったテープは、自動的に再生された。
 藍がそれを見て思ったこと。僕は、考えたくなかった。
「春美を愛している。それ以上もなければそれ以下もない。それが全てだ」
「私もよ」
 そこに映し出されたのは、紛れもない僕と、晴美、だった。
 生まれたままの姿で密着する二人が、鮮明に映しだされていた。
 しかし、薄暗いその部屋では、それ、と分かるのは実際にその場にいた僕だけ。なぜか僕の声だけは大きく聞こえ、晴美の声は極小さく聞こえる。晴美の声の抑揚が、一定の部分だけ大きく聞こえるのは、決まって会話の重要部と思えるところ。
 なら、本来の私たちの関係には、生徒と教師と言う関係は存在しても……。
 その部分はまったくといっていいほど声が挿入されていなかった。
「アイは必要ないわね」
 僕の否定の言葉が、画面から飛び出した。
「アイなんて、必要ない」
 数秒が経過して晴美が、腰を前後に動かし始めた。その数秒の間は、弓道で言うなら、残心。反応に答える構え、だ。
「ハルミと言って、大声で」
 余韻に浸るような声が、僕の頭痛を誘った。
 この言葉に答えた僕の声。その恍惚に染められた明瞭な声。
 恋人の名を呼ぶように、愛しさに満ちた声。
「――春美」
 僕の全てが詰まった声が、僕自身の耳に到達する。自分の声と言うものは、自分が耳にする限り、それは自分の声ではない。
 僕でない、僕がそこにいる。しかし、それは明らかに僕なのだ。
 僕には、全てが分かった。
 これは、間違いなく、紛れもなく。
 晴美の仕業だった。
 彼女の謀略した事。それは表向き、僕と共謀して、藍の愛を傷つけることだった。
 しかし、より確実を期すために、二次策を用意していた。その発動条件は明白だった。僕が、藍に感情移入してしまうこと。晴美は最初から僕を信用していたわけではなかった。もしかしたら、たとえ僕が藍を傷つけることに成功したとしても、こうすることによって僕と藍を決定的に崩壊させる手筈だったのかもしれない。
 僕はただ晴美の手の内で踊らされたに過ぎないのだ。
 そして、藍は。
 ビデオが切れ、漆黒が画面に現れる。
 藍が、この事実を見て、考えたことは何か。
 僕の姿だけがはっきりと確認でき、晴美の姿はないに等しい。ただ僕が、春美に見立てた誰かを抱いているとしか見えない。声もそうだ、僕の声だけが明瞭に耳に届くのに対し、晴美の声はやっと聞き取れる程度。それが晴美の声であると、誰が特定できようか。
 晴美が部屋を暗くしていた理由。自分が春美であると暗示を僕にかけ、まるで、僕が春美を抱いているように見せかけた。最後の決め手は、最悪にも僕自身の声によるものだった。それは演技ではないから、意志が宿す言葉の強さは、計り知れない。
 春美を愛している。
 僕の意思が最も如実に反映された言葉だった。
 晴美と春美。
 その偶然の一致を利用した。僕は晴美の名を呼ぶ瞬間に、まるで死んでしまった春美を呼んでいるかのような疑似体験をすることとなった。
 僕は晴美と呼ぶたびに、漢字を頭の中で入れ替えて、亡くした春美を浮かべていた。僕は、自らの意思の流れに沿っていたに過ぎない。抵抗をすることもかなわなかった。
 いつしか心の中でしか呼べなくなってしまった名前が、現実の世界で呼ぶことができるという開放感と、享楽的な、精神的な快感。
 僕は、口で作る三つの文字の羅列に、心酔していたのだ。
 愛なんて必要ない。
 これは導き出された言葉だ。生後間もない赤子が母親のもとへ、はいはいするように、いとも簡単に導かれた。当たり前の質問をされることで、僕は当たり前のように言葉を返した。意味が違っていると思ったから、最初からそれ以外の意図など込められていないと思ったから、当然のように答えた。
 愛なんて必要ない。
 そう――
 藍なんて必要ない。
 悲惨な同音異義。僕の声の明快さ。簡単な問題の、簡単な否定の言葉だから、結果は残酷だった。
 藍が聞かなければ誰にも分からない。藍にだけ向けられた悪意のこもった言葉。
 他の誰が見ても、これは愛、としか思えないだろう。それ以外の単語など、当てはまらないからだ。
 だがそれが、僕や晴美だったら。ましてや、藍本人だったら。そうは思わないだろう。
 それは、死者という使者。
 晴美にすれば、愉快なジョークと言ったところか。藍の愛を傷つける。これもその伏線だったのかと思うと、ぞっとしない。ましてや、それがあきれるほど単純なものだからだ。
 僕は、再びテレビの画面を見た。
 暗澹とした画面の中に今にも吸い込まれそうだった。画面の内側で、太った僕が、外にいる僕を見返している。彼は僕から目を離そうとはしなかった。
 侮蔑のような瞳だった。それとも、憐憫か。
 どちらにしても、僕には身を切るような瞳の色だ。彼の目は、画面の色を越える暗闇をたたえている。誰かが、その道を、背中を向けて歩いていく。寂しそうで、陰のある背中。背負うものを失ったものの背中。軽すぎるゆえに、地に足をつけた、生きた気分になれない。幽霊が足を失っているのは、きっと背負うものの重責から解放され、大地に足をつけるだけの重さを得られなくなったからだ。
 だから、空中を浮遊しているのだろう。
 画面の向こう、そして、彼の瞳の向こうで道を行く男は、きっと死んでいるのだろう。
 僕は、太った僕から、目を離す。今、足はついている。それは、まだ重責を背負っているからだ。
 何かをしなくてはいけないのかもしれない。僕は、何かをしなくてはいけないのか。
 責任逃避ではない。責任を受け入れる覚悟。実行する勇気。遂行する力。
 今の僕にそれを求める意思はあるのか。
 藍は、どこへいく。
 藍の謎かけの答えが分かったような気がした。
 口を閉じている間はそこに存在するのに、口に出してしまった瞬間に、存在しなくなってしまうもの。
 それは、藍だ。僕が春美を口にした瞬間、藍はその場からいなくなってしまう。
 僕は春美のことで胸も頭も一杯になってしまって、藍のことを考える隙間すらなくなってしまう。
 藍にしてみれば、それは存在しなくなってしまうことに等しかっただろう。
 それは、いまだに僕が春美を愛している証拠でもあったし、藍には喉もとに突きつけられた刃だったのだろう。
 僕には、その気持ちに対して、してやれることは何一つとして無いのだ。唯一の手段として、春美の抹殺を挙げられるが、それは不可能だった。
 では、僕は、どこへ行く。
 僕は、藍の部屋を飛び出した。












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