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鎖状の楼閣
作:NAO



第三十一話・自室


 食卓の席を外して、二階への階段を上る。
 決まったところで軋む階段も、あのときのままだった。
 僕は昔、その性質を利用して、誰かが二階に来ることを察知し、隠した。
 隠した、には語弊があるかもしれない。
 単純に、当時付き合っていた女性を両親に見られて、後でとやかく言われるのもどうか、と思ったからだ。
 僕の部屋を隠れ蓑にして、煙草を吸ったり薬物をやっていたりしたわけでは断じてない。飲酒はしてしまったが、今では時効だろう。
 ただ、そこで初めて童貞を捨てたことに対しては、時効はないだろう。
 僕は当時自室というものを持っておらず、父と部屋を共有していた。プライバシー精神に覚醒した僕は、中学校進学に伴い、勉強部屋獲得という政党を旗揚げした。自学自習のための精神集中と、その快適環境の必要性を持論とし、熱く唾を飛ばして断固論じ、意見の正当性を主張した。
 僕のこの熱い申し出に両親は折れ、物置と化していた空間を、勉強部屋へ改装することで合意した。
 経緯はそうだ。ここはあくまで勉強部屋として両親を説得したわけで、そういうことをするために改装されたわけではない。快適環境という意味では、酒もタバコもその範疇に属するのではないか、ということはここでは言及しない。屁理屈を言っているのが分かっていたからだ。
 その勉強部屋のノブを目の前にして、僕は頭を痛めていた。
 愛情というものについて。
 僕が家を出る決意をしたのは、この安寧から自分の心を救出するためだった。こうしていても再び僕が安寧に侵食されていくのが理解できる。
 体の奥から怠惰が再燃してきて、僕の皮膚の上から膜を張る。
 骨と骨の間で瀕死だったそれが再生できる、唯一の空間。この家族が生きる家こそが、その巨大な病原体なのだ。僕はその抗体となるべき物質を持たず、無防備なまま入り込んだ。一時は完治したかに見えたが、菌は再発の機会を、骨の影から窺っていたらしい。
 眠気。
 甘え。
 その両方。
 父と母は僕に対しいつでも愛情を注いで――自分自身で理解しているところが卑怯だ――くれる。自室を作ることだって、結局は了承してくれた。
 最後に勝つのは、いつも僕だった。
 それを僕の懇願の、努力の賜物だと思ってはいけない。僕の甘えが中心にあるからだ。無表情を装ってみても、心の、脳の、思考の隅では、手放しで喜んでいる。
 そんなもう一人の自分がいる。悲しいかな、そんな自分の存在を、僕は規制、排除する一方で許している。どんな法律にも抜け道があるように、僕の規制にもそれがある。
 両親に甘え、藍に甘えながら僕は暮らした。その少年時代。
 自立したはずの僕にあっても、春美に甘えていた感があった。
 このノブを回したら、あの眠気を誘う邪気が滾々と流れ出るだろう。僕はそれに肩まで浸かってしまうのか。
 ノブを握る。
 扉一枚を隔てた僕には、部屋の中にいるもう一人の僕と対面する勇気はない。勇気があっても、それに勝てる気がしない。
 取り戻すものなどありはしないのだ。捨てたものは堆積していても。
 僕は後悔した。
 そもそもなぜ僕はここに帰ってきたのだろうか。僕には帰る場所があったはずだった。
 いや、あるのだ。
 春美のいる場所。
 マンションに帰れば今も春美の匂いがあり、春美の存在を感じられる。かけがえのない、時間をすごせる。
 しかし、僕はここへ帰ってきてしまった。
 過去への回帰。それは胎児が母体へ回帰心を抱くのと同じだ。甘い蜜のような泥沼。そこに落ちていこうとしている。
 ノブを回す。
 勇気は必要ない。ただ結果のみが知りたい。帰結する場所、降り立つ場所が知りたい。甘えが僕を育んでしまったことは、もうどうしようもない事実なのだから。
 僕は意を決して、回したノブを押した。
 視界に飛び込んできた僕の部屋は、見るも無残だった。
 春美のマンションへ引っ越す際に、必要なものは全て持参したのだから記憶の風景とは違っているのは分かるとしても、無残なのは、僕の残した影だった。
 中心に、冬はコタツ、夏はテーブルとして使う勉強机。その横にあるベッド。テーブルを囲むようにソファが。テレビが本棚の上にセットされていて、音響装置もある。
 上辺にはどれも埃が火山灰のように降り積もっていて、灰色が覆っている。
 壁には当時一世を風靡したアイドルのポスターと、高校時代の友人の写真が貼り付けにされている。
 アイドルは悩ましげな視線をこちらに向けて、微笑みながら軽くポーズをとっている。友人たちの写真は、高校時代の最大イベントである修学旅行のものが多い。その行った先で撮った京都を背景にした写真で、金閣寺の威光と、友人達の笑顔が眩しい。何枚にもなる写真には、ほとんどと言っていいほど友人が写っている。
 その一枚に、藍がうっすらと笑みを浮かべて写っているものがあった。
 藍は、この頃から僕を好きだったと言う。
 そのことを考えながら笑顔を見ていると不思議な気分になる。全てに肯定的になってくる。この指、視線、表情、その写り具合が全てを物語っているように思える。
 そのころ僕は、藍がそんな気持ちでいたことは、微塵にも感じていなかった。むしろ、僕の心は春美にとらわれていたのだから、それも仕方がない話だった。
 思えば、この写真は撮られるべくして撮られたものではなかった。
 友人の一人が藍に対し好意を抱いていたことが発端だった。僕は当然、藍と幼馴染という立場上、友人と藍の仲人役に抜擢されてしまった。藍に彼氏がいないことをこっそり聞き出すのには、脳味噌を餅のようにこねるかのようだった。
 回想すると、よく分かる。
 僕が藍に対し、危うい行動を平気でとっていたことを。少なくとも、僕が藍の気持ちを知らなかったということは、好材料だったのかもしれない。
 友人は、ある日、僕に泣きついてきた。
 藍に告白して、断られたという。僕は、それをありきたりの言葉で慰め、同情し、親切な友人を演じた。友人はそんな僕の同情心に痛く感激し、以来、僕はその友人と長い時間を共にすることとなる。
 藍が、僕に近づけなくなるのは、当然至極のことである。
 僕はこの写真で藍の何を切り取ったのだろう。
 手の平大の、薄い写真の表面に、何を宿したのだろう。
 僕は、層を成す埃の絨毯を、まるで雪上を歩くように足跡を残しながら、藍の写真を手に取った。乱暴に画鋲で止められた写真は傾き、整列している友人の笑った写真から比べれば、貼り付けてあることすら場違いだ。
 紫外線に晒されすぎたためか、セピアに焼け焦げてしまっているが、限りなく無表情に近い笑顔は、いまだに息づいていた。
 あのときの笑顔を、僕は、あの海岸線で見た。
 どこか寂しげで、悲しくも、笑顔。
 表面と真情の矛盾が生み出す笑顔のように見える。
 あの海での光景が、僕の目にいまだに焼きついているのは、きっとこの写真に対するデジャビュなのだろう。
 あの時。
 藍が、何を思い、寂寞の微笑を見せたのか。
 僕にはそれが分からなかった。写真の中で同じ微笑をあらわにしたときも僕は分からなかった。ファインダー越しに見つけた藍は、僕にとってはやはりいつもの藍であり、少年時代に苦楽を共にした少女の藍であった。僕を振り返ってくれる優しい藍であった。
 僕の手から、藍の写真が滑り降りた。僕から解放され喜ぶように、ひらひらと、水を得た魚、風を得た凧のように、左右にゆれる。
 僕の足元に落ちたときには、もう藍の微笑は、とても笑っているようには思えなかった。
 僕は本棚にあるいくつかの本をめくってみた。一度は目にした事のある本ばかりだから、懐かしく思え、そのときの情景がありありと上映された。
 昔流行した服の色や、形状までもが、それを好んで着用していた当時の自分までもが、今まさに、ここで新たな生活を開始していた。
 僕の後ろで、昔の僕が明日着ていく服を選定して、ファッションショーを開いていたり、ああでもないこうでもないと苦渋を浮かべていたり、結局、夜中までそれが続いて、肝心の日、約束の時刻に遅刻したり。そして、慌てて開け放たれたドアから出て行った。階段を乱暴に駆け下りる音が響き、次に、玄関を張り倒すような爆音が僕の耳だけに生きて届く。
 僕の指は、最後のページをめくっていた。
 すると、一枚の写真が本の間から滑り落ちる。
 それは、僕というファインダーを通した春美の写真だった。
 春美は、職員室の机にいた。真剣な眼差しを眼下のプリントに落としながら、座っていた。その横顔が、中央に配されている。
 左側から撮られたその写真は、職員室の窓ガラス越し。窓際に降る陽光の雨を顔面に受け止め、幻想的に輝いていた。
 顔の右側には、山積みの書籍。特に、詳説源氏物語の文字を黒く印刷された、ハードカバーの背表紙が、淡く写る。他の本は判別不可能だが、おそらく古典関係の本だろう。春美の顔の高さを越えて平積みにされていた。
 先に言ったように、これは僕のファインダーを通している。
 そのファインダーは、羨望と、妄想と、好意が浸透していて、僕はシャッターを押すことを、その不純さゆえに躊躇った。ズームすると、まるで春美が近くにいるような気がして、振り向いて微笑んでくれるような気がして、僕は体育館の上からその瞬間を無謀にも狙っていた。
 結果は、写真に写っている通り。微笑んでくれる、という無茶な願いは届かず、現状の限りで我慢せざるをえなかった。
 写真部の友人のカメラを拝借して撮ったそれは、フィルム泥棒という一種の窃盗事件にまで発展してしまった。そこに友人の会心の写真が入っていたのが発端だった。僕は春美の写真を撮った後、慌ててカメラを返したため、フィルムを取り出すのを忘れていた。こっそり写真部の部室に忍び込んだときには、フィルムは取り出されていて、どれが春美の写真が入ったフィルムなのか、皆目見当がつかなくなっていた。
 だから、僕は特に考えもせず、フィルムを両手に抱え、部室を飛び出してしまったのだ。僕は心に罪悪感を抱えたまま、時効を待った。
 現像された友人の風光明媚な風景写真に、再び心が痛む。日の出日の入りを克明に刻んだ写真の細部に、友人の努力の跡が窺えた。
 東屋で笑いあう老夫婦の写真に、水田で泥を纏いながら遊ぶ子供の、手に握られた真っ赤なザリガニ。快哉を叫びながら歓喜の輪に向かう外野手。一塁に滑り込んだ最後の打者の悔し涙と、転がるヘルメット。校歌を歌う選手一同の胸の張り。泣いて歌えない選手や、笑顔で歌う人もいる。一人一人のドラマだった。
 これはおそらく、甲子園に行ったときの写真だろう。僕は、見なければ罪の意識が薄れていくのに、それを必死に目に焼き付けようとした。
 僕の身勝手な欲望で台無しにしてしまった一人の若い写真家の思いを、目に溜めておきたかった。
 春美の写真が出てきた時、不謹慎にも、罪悪感を圧倒的に上回る感激が僕の胸を締め付けた。
 本に大事に挿んでいたおかげで、角が折れたり、色褪せたりすることもなく、保存状態は極めて良好だった。現像が終わって写真を手にした帰り道とほぼ同じ、完璧な状態だった。
 数秒間、目を逸らさずに凝視すると、そのまま春美の写真を本に挿みなおし、本棚の奥へとしまった。
 僕は、ベッドの上の埃を手で払った。窓を開け、長年沈殿した埃と空気を浄化した。
 見違えるように色を取り戻す部屋は、思い出を詰めておくには十分な余地を、まだ残していた。
 高校時代に逆行した気分になる。意気阻喪に襲われる身体の毛穴から、鉛のような重い流動物質が流れ出る。体重を傾けさせられ、僕はうつ伏せにベッドに倒れこんだ。
 鼻から吸い上げる過去の匂いは、さっきにも増して一段と僕をベッドの中へ押し込んでゆくようだった。
 ベッドは深い井戸だ。頭上に見える、明るい円形の空が、落ちていくに従って閉塞していく。落ち方は、それに似ている。
 一方で、気分はそうではない。
 母親に抱かれて湯船で垢を落とされる赤子のような――無為にして被奉仕者(何もしなくとも、何かしてくれる)――快楽が付きまとう。
 ここにいるだけで、容易に安寧に落ちていける。
 この感触、匂い、それだけで。












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