鎖状の楼閣(29/45)PDFで表示縦書き表示RDF


鎖状の楼閣
作:NAO



第二十八話・家族


 夏の長期休暇も佳境に入るころには、僕は春美のマンションへは戻らずに、自宅で生活するようになっていった。

 僕が高校卒業して、家を出たころから、ずっと帰っていなかったので、最初、両親は僕の帰宅に驚嘆していた。
 母は僕の体をまるで幽霊ではないのを確認するように、あちこち触り始めて、僕の存在と温度を確かめていた。
「ちゃんと生きてるよ」
 と恥ずかしがったが、母に連絡もしなかったことを考えると、それも仕方のないことだった。
 父は、玄関で放談する母には目もくれないようにして、奥の食卓で新聞を広げていた。
 僕が帰宅したのは、日曜の正午だったから、二人は昼食の真っ最中だったようだ。
 母は僕の口から声を絞り出したいようで、どうでもいいことでも容赦なく質問してきた。僕はそれをどこかやはり気恥ずかしく思いながらも、丁寧に一問一答しようと、かつてない平静に包まれていた。
 この平静には、誤解があるかもしれない。
 単に冷静に答えていたわけではなかった。表面は冷静に見えても、喉元で震える声には、再会の歓喜がごろごろと転がっていた。今にも落盤を起こしそうなくらいに。
 地球の中心にマグマが渦巻いているのと同じで、宇宙から見れば青い惑星なのだ。単刀直入に言えば、中心温度と、表面温度の差、ということだ。
「あなた、麻斗よ」
 奥に見える新聞越しに父は言う。
「ああ」
 素っ気無く、無関心だった。
 手に持った新聞が微震している。やけにめくる速度の速い新聞は、あっという間にテレビ欄にたどり着き、父はあろうことか読んだはずの一面記事に戻った。
 うまく表情を隠しながら新聞をめくる父に、僕は苦笑いをしてしまった。
「今ね、父さんと一緒に食事をしていたところなのよ」
 母は、会話のさなかに、僕の腕を引っ張り、食卓へと連れ込んだ。
「あなた、麻斗よ、何か言ったら?」
 母は、頬を膨らませるように喘鳴しながら、父へと詰め寄った。父はまだ新聞紙で顔を隠している。
「あ、な、た」
 とうとう母は強引に父の新聞を取り上げてしまった。
 僕の腕を握り締めたまま、空いている手で父の持つ新聞をつかみ、すばやく剥ぎ取ったのだ。所在投げに目を逸らした父の横顔は、頬が緩んでいて、素っ気無いとは程遠い。
 ああ、とはよく言ったものだ。
 父の新聞紙越しの表情が目に浮かぶようだった。
 父は、僕にちらちらと目線をくれながら、やはり出来る限り無関心を装っているようだった。
 蓄えたひげが、笑みに曲がろうとするのを必死に抑えているのが、僕にしてみれば滑稽で、逆に僕のほうが耐えられなくなって、笑ってしまった。
「まあ、何だ、立っているのも、そうだが……座りなさい。ほら、お前もだ、貴美子」
「そうね、麻斗、お昼は食べたの」
 僕は首を振った。実は来る途中で胃に物を詰めてきたのだが、このノスタルジックな料理の芳香に、僕の胃腸は活発な消化活動をしたようだった。
「そうね、じゃあ待ってなさい。今すぐ作るから」
 母は、椅子にかかったエプロンをすばやく腰で結ぶと、父に向き直って睨み付けた。
「それまで、あなた、何か話してくださいね」
 二人は僕を挟んで反目する。
「お前に言われるまでもない。それよりさっさと料理を作れ、麻斗が腹を鳴らしてるんだ」
 母は、大げさに舌を出して悪態をつくとキッチンへと体を向けた。
 僕は終始、大笑いしたい衝動をやっとのことで堪えていた。まるで、失われた日々が一気によみがえってきたかのようだった。
「父さん、ただいま」
 僕は、父の顔を正面から見据えて言った。
 礼儀礼節をきちんと教え込まれたのもそうだが、ここではそれが最も重要だと僕は思った。
 僕は、まだ両親に帰宅を告げていなかったのだ。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう