正月明けの月曜日。初は駅前の横断歩道で信号待ちをしていた。大学までは横断歩道を渡った先のバス停から、常時満員のバスに乗って更に30分あまりかかる。
一月の空気は肌寒い。車道の信号を睨みながら、初はショルダーバッグを肩にかけなおした。
――― いやな予感がする。三が日からしばらく感じていなかった、よからぬ感覚が。
車道の信号が黄色から赤に変わった。車の流れが止まる。歩道の信号が青に変わる、その直前。
「………!!」
初はようやく、それに気づいた。
背後から忍び寄る影、伸ばされた腕、そして―――
「――― はじめ」
低い囁きと指先が体に触れる寸前、初は全速力で走り出した。
その鳥は籠の中 -逃走-
(何でなんだ何でなんだ何でいるんだーっ!!??)
人ごみの中を駆け抜けながら、初は必死な顔で後ろを見る。もうバス停はとうに通り過ぎてしまった。駅前の沿道は通勤通学の人でいっぱいだ。その中を初は逃げるように、いやまさしく逃げるために走っている。
この数日間、一瞬も顔を忘れることなど出来なかったあの男が、余裕の笑顔で走りながら追いかけてくる!
「はじめ!」
「呼ぶな! 来るな! 俺に関わるな変態ーっ!」
名を呼ばれるだけで背筋に悪寒が走る。初はさらに速度をあげた。正月の駅伝でこれだけの速さが出ていたら、ごぼう抜きだったろうというスピードだ。区間新記録も出ていたかもしれない。
しかし相手もさる者、楽しげな顔のまま、変態こと沢木祥吾は綺麗なフォームでぴったり後をついてくる。おそらく彼はどこかの大学の陸上部であることは間違いない。
(ぎゃー!!)
心の中だけで悲鳴をあげて、初は必死に数キロ離れた大学を目指した。基本的には温厚で、人当たりのいい彼がこれほど必死になるには、それなりの理由があるわけなのだが。
『ゃ、だ…ッ! ッあ…』
一月の駅伝の日。城北大学の2区走者として参加した初は、自分の区間を走り終えた直後、見知らぬ男に襲われた。
男は沢木祥吾と名乗り、「お前に惚れた」と一方的な告白をした後、本当に冗談でもなんでもなく、初と「姫初め」をやってのけたのである。
『この、変態…! 死ねッ…っぁん!』
『…冷たいな』
疲れ果てた体でなければ、あるいは、両手を縛られてさえいなければ、抵抗らしい抵抗も出来ただろう。とはいえ、駅伝選手らしく細身の初と、やたらに体格のいい祥吾とでは勝負は見えている。だからというわけでもあるまいが、祥吾は駄々っ子をあやすように優しく初に触れた。
本当に、優しかったのだ。強引に物陰に連れ込み、両手を縛り上げた後は、別人のように祥吾は丁寧に初を抱いた。
のだが。
(変態っ! 変態変態変態変態ッ…!! 何で追っかけてくるんだよ!?)
悲しいかな、祥吾のそんな気遣いは、初には到底届いていなかった。襲われたのは事実なのである。
走りながら一度振り返った初は、祥吾の姿が人ごみの向こうに隠れたのを見計らって、横道に逸れた。ちいさな公園の公衆トイレの影に飛び込んで、息を潜める。
「頼むから、…これで…諦めてくれよ…!」
「誰が諦めるって?」
必死に整えていた呼吸がびくりと止まって、恐る恐る初は反対側を振り返った。
「おはよう」
にっこりと微笑んだまま、祥吾がこちらを見下ろしている。反射的に初は身を翻した。
「おっと。もう追いかけっこはやめにしようぜ」
しかし伸びてきた手に腕を掴まれ、逃走は未遂に終わる。それどころか逆に引き寄せられて、力強い腕の中に抱き込まれてしまった。
「やっ…やめろよっ! なんなんだよ、おま…ンっ」
非難の声を飲み込むように祥吾が唇を合わせてくる。深く口付けられて、思わずきゅっと両目を瞑った。壁に背中を押し付けられ、こめかみに祥吾の手が触れる。
「ふ…んっ…んぅ…」
ぬるりと入り込んだ舌先が歯列を撫でてゆく。どうしてだか気持ちが悪いとは思わずに、ただ祥吾の舌先がほのかに甘いのが不思議だった。
甘い口付けはそっと唇が離れたことで終わって、深く息をつきながら、初は離れていく祥吾の唇を、なんとなく眼で追ってしまった。
「…誘ってるのか?」
意地悪く笑いながら祥吾が言って、ぱっと初の頬が赤くなった。半開きだった口を噤んで睨むと、祥吾はいっそう笑みを深くする。
「…いい加減にしろよ、沢木祥吾」
「あ、俺の名前♪ ちゃんと覚えてたんだな」
そりゃあ忘れようったって忘れられまい。
上機嫌になる祥吾とは反対に、初はみるみる半眼になった。深く息を吸い込むと、
「俺に触るな! 関わるな! そんで消えろ! 目の前から消えろ! 金輪際顔も見たくねえ!!」
立て板に水とばかり、矢継ぎ早に怒鳴った。
170センチもない小柄な体格で、色白で華奢な初だが、セリフはぞんざいで乱暴だ。喧嘩になると大抵相手はそのギャップに面食らう。今の祥吾がまさにそうで、彼は眼を丸くして初を見つめていた。
相手が黙っているのをいいことに、初はさらに怒声を浴びせた。
「正月は走った直後でろくに口も利けなかったからな、その分も今言わせてもらう! いいかお前、フツーあの状況でああいうことしたら、相手の女に訴えられても文句言えないんだぞ! 大体相手が抵抗できないのをいいことにヤり逃げるなんざ、男のすることじゃねえ! いーやむしろ人間としてどーなんだ! 人間として最低の行いだ! 最低だお前は!」
「……………」
祥吾は黙って聞いている。息継ぎのためにいったん言葉を切った初は、そこでようやく相手の顔を見た。
「なんだ? 何か言いたいことがあるのか!」
返答いかんによっては、今すぐにも反論してやろうという喧嘩腰だ。祥吾は切れ長の眼をすーっと細める。
「いや…言いたいことはないけど、今ここでキレたら逆ギレだって言われるかなと思って」
「ったりめーだ!」
「じゃあちょっと黙ろうか。俺が逆ギレる前に」
にっこりと鮮やかに笑って、祥吾は初をひょいと抱き上げた。何の前触れもなく抱え上げられて、あっけにとられた初は言葉を失う。
「静かになったな」
にこやかに言いながら、祥吾は初を抱いたまま公衆トイレに入って行った。
* *
「…は? え!? は!?」
いつの間に主導権を握られたやら、初が我に返ったときには、既に二人は公衆トイレの個室に納まっていた。蓋をした便器の上に座らされて、初は混乱する。
「え、え、え!? なんで!?」
「なんでって、そりゃ俺がちょっと頭キテるからな」
逆ギレか!?
初は一気に赤くなって青くなった。赤くなったのは怒りのためで、青くなったのは身の危険を感じ取ったためである。
「ちょっと待て…ちょっと待てよ。俺が何した!?」
「はい、ばんざーい」
軽い口調で祥吾が言ったので、毒気を抜かれて思わず従ってしまう。両手を挙げている間に、祥吾はさっさと初の上半身を脱がせてしまった。
(! 何してるんだ俺―!?)
さあーっと血の気が引く音が聴こえた気がする。淡々と初の服を脱がせながら、祥吾が唇の端に笑みを浮かべるのが見えた。
「可愛いよな、初は」
「嬉しくない。…何してるんだあんた!」
跪いた祥吾が、ボトムを下ろされて露になった自分の下半身に顔を埋めたので、初は眼を剥いた。慌てて引き離そうと髪を掴んだが、生温かい感覚にびくりと身をすくませる。
「ふ、ぁっ…な、なに…」
「…悪くない眺めだな」
びくっと勃ち上がりかけたモノを咥えて、祥吾は眼を細めた。背中を丸めた初は力なく髪を掴んだまま、肩を震わせる。
「アっ…しゃ、べんな…!」
ぺろりと生温かい舌に舐められ、ゆっくりと上下に動かされる。裏筋を舐め上げられるたびに、つま先にまで電流が駆け巡るような気がした。
「はッ…はぁ…あっ」
きゅっと眼を閉じて身を震わせていると、すっかり硬くなったモノを祥吾は乱暴に扱き始めた。
「ふぁ、あっ…! あ、…だ…だめ……もう…っ!」
びく、と肩を揺らして息をつめる。一気に上り詰めて射精してしまってから、さっと初の顔色が変わった。
「ご、ごめん…」
思わず謝ると、祥吾は口の端をぺろりと舐めて笑った。
「ごちそうさま。早かったな?」
「! 飲んだのか!? あっ、頭オカシイんじゃないのか!?」
何てやつだと泣きたくなりながら初は叫ぶ。祥吾は気にしている風でもなく、ただ困惑気味に笑うだけだ。
「…いい加減に解れよな」
「…何を?」
眉を寄せるが、祥吾は答えない。それどころか、次の行動を開始している。下着ごと初のボトムを完全に取り去ると、あろうことか両足を抱えあげるという暴挙に出た。
「ちょ、まさか!」
予測がついてしまう自分が嫌になる。
思った通りに初の両足を肩に乗せた祥吾は、尻を掴んで割り開くとその間に舌を寄せた。
(ぎゃー!)
声にならない悲鳴が迸る。今度こそ泣きたいくらいだ。感じたくないところに舌先を感じて背筋がぞくぞくする。
「ぃや、やめ…ほ、ほんとにダメ…そこはっ…はぁんっ」
震えながら真っ赤な顔で初は懇願する。潤んだ瞳は泣き出す寸前だ。くすぐったいようなそうじゃないような感覚と、ぬめるような感じがどうにも耐え難いのだ。気持ち悪いような、いいようなそんな感覚も問題だった。何よりも、
(…恥ずかしすぎて死ぬ)
瞬きと一緒にぽろぽろ涙を零し始めると、祥吾はようやく顔を上げてくれた。
「…止めてもお前が痛いだけだぞ?」
「い、痛くていいから、そこは勘弁して…」
荒く息をつきながら言うと、困ったように祥吾は眉を寄せる。
「解ったから、泣くな」
長い指先が涙を拭った。眼を見開いて見つめると、優しい瞳と視線がぶつかる。
あの時もそうだった。
(なんなんだよ…お前)
抱き寄せられ、抱え上げられながら思う。解らないことだらけだ、この男の言動は。
初を膝に乗せて、祥吾は蓋に座りなおした。既に勃ち上がっていた自分のモノに何かを塗りつける。
「…何、それ」
「ハンドクリーム」
初が少しでも痛くないように、とそうするのだ。
言われたわけでもないのに、それが初には痛いほどに解った。
腰をつかまれ、そうっと怒張したモノを押し当てられて、その慎重さに初は笑い出しそうになった。
「…何だ?」
むっと顔をしかめた祥吾が睨んでくる。どうやら本当に笑ってしまっていたらしかった。
「なんで俺のこと気遣うの?」
笑みを引っ込めてそう言うと、祥吾はますます顔をしかめた。
「…いい加減解れ」
さっきと同じセリフを繰り返すと、ゆっくりと初の中に自分の性器を埋めていく。
「はっ、あ、ぁっ…!」
痛みとともに圧倒的な質量が内壁を押し広げて入ってくる。詰めそうになる息を精一杯に吐いて、初は縋るように祥吾の首に両手を回した。祥吾が僅かに肩を震わせる。
「あ…つぃ…おまえ、の……っ」
うわごとのように喘いで、初はかあっと顔を赤くした。
(こいつのコレ…こんなになってるのって…俺…のせい?)
眉を寄せたまま息を吐いて、祥吾は低く唸る。
「前より、…キツい…」
「ふ…ぁっ、ンッ…!」
引き寄せるように口付けられて、喘ぎ声ごと飲み込まれた。女みたいだ、と今更思うが、やっぱり祥吾とのキスは嫌ではない。不思議とさっきより甘ったるい感じもする。
ぴちゃりと舌が濡れた音をたて、飲み込みきれない唾液が顎を伝う。唇を貪る合間に祥吾は奥深くに自身を埋め込んで、名残惜しげにゆっくり唇を離した。
「…動くぞ」
「ん…」
ぼんやりと頷くと、くすりと祥吾が微笑むのが判った。
「…なんでいちいちそう可愛いんだ、お前は」
「あ、あっ」
声が跳ね上がったのは、ズッと奥まで入り込んだ祥吾のモノが、唐突に身を引いて再び穿たれたからだ。
「はっ、あッ…あンっ」
ぎゅ、と強く抱きついたまま背筋がしなる。
異物感と痛みが勝っていたのは最初だけで、何度か抽挿を繰り返されると快感しか追えなくなっていった。
「アっ、あ…あっ…しょ…ご…」
「…はじめ…」
低く名前を呼ばれた瞬間、どくんと心臓が跳ねるのが判った。
多分、これはもうダメだ。
体を揺さぶられながら、初はぱたぱたと涙を流した。
「祥吾…っ…! ッ…れ…の、こと…好、き…だろ…?」
眉を寄せた祥吾の額を、つっと汗が伝い落ちた。
「…今頃、解ったか…はじめ」
にっと口の端を吊り上げて、鮮やかに祥吾が笑う。
その瞬間、初はひとつのことを諦めかけていた。
「っはぁ…」
満足そうに息を吐いて、肩口に祥吾が顔を埋めてくる。荒く息をつきながら、初はそんな彼を見下ろした。
「祥吾…俺、…」
「ん?」
何かを言いかけて、その時ようやく気づいたように初は口を噤んだ。ふわっと頬が桜色に染まる。
(俺、いま…)
かあっと赤くなる初を、祥吾はじっと見つめている。
(絶対言ってはならんことを、言おうとした…!)
お前のこと好きかもしれない、なんて。そんなこと。
間違っても口になど出来ないから、それを誤魔化すように初は祥吾の首に腕を回した。 |