HTML殺人事件(8/14)縦書き表示RDF


HTML殺人事件
作:ame*



第8話


59<sub>

    ・
    ・
    ・

538:三多摩を愛する名無しさん
 >>520
 >全国的規模の某大手カルトに絡んだ事件では、
 >施設の建設にからむ反対運動や強引な勧誘、寄付の強要などのトラブルで、
 >運動のリーダーや関わった地方議員などが謎の死を遂げたりしている。
 >ヤクザと親密な仲という噂もあり、この地域でも会員が多い。

 何の証拠もないことを書きこまぬように
 通報されますよ。
 私は、その大手カルトの信者ではありませんが、知り合いの会員の方から、
 事件の背後で某瑞○の会と某神聖○字軍が動いていると聞きました。
 と言っても、

 >内部に諜報機関のようなものを持っていたりするというから恐ろしいな。

 というわけではありませんよ。
 「天網恢恢疎にして漏らさず」ということです。

539:
 >>538
 >知り合いの会員の方から、(ワロタ
 法華信奉会の工作員に認定。

540:三多摩を愛する名無しさん
 このスレではカルト工作員たちが暗躍しているようですね。
 釣ったり煽ったり、お疲れさまです。

541:三多摩を愛する名無しさん
 >>541
 それって銭形さんのこと?

542:三多摩を愛する名無しさん
 コテハンを使ったり使わなかったり、
 書きこみのたびにIDを変えたりorz(爆

    ・
    ・
    ・


 次の日“三多摩の話題について語るスレ”を見たが、ネズミヤが殺された事件に関係した書きこみはこの辺りまでで、後はラブホの情報交換や、ルックス、親のステータス、学力による高校のランク付けや、昔からの住人が自然に恵まれていたかつてを懐かしむ発言と、それに対するレスが続いている。

 ルネがちょっと目を留めたのは538の書きこみだった。これ見よがしに1文字だけ伏字にしてあるが、それぞれ瑞穂の会と神聖十字軍を指しているのは明らかだ。
 でも、事実だという根拠があるわけではない。でたらめを書いて混乱させるのを喜んだり、都合の悪い事実から人々の目を遠ざけたり、あるいは何らかの誘導を謀る関係者の工作ということもあり得る。

                         ********

 ポプラこと鈴本信紘のケータイに電話するのは公衆電話を使うことにした。ネズミヤのことがあったわけだし、自分のケータイや自宅の電話を使うのではあまりにも迂闊だろう。
 と言っても公衆電話の番号から位置を割り出すソフトがあることをルネはどこかで見た記憶があった。たしかチケット予約の時の裏技を扱ったサイトを暇つぶしに見ていた時だったと思う。
 ケータイをPCに接続して相手の電話番号を知るようなツールだって、どこかで作られていて、一般には知られていなくても、例えば公安とか工作員は使っているかもしれなかった。ポプラがそういった人間であるかどうかはわからないが、絶対違うとも言えない。
 源さんのメールではネズミヤのケータイから位置を割り出されたようだから、そういう相手ならどちらにしても居場所を把握されそうだった。でも、自分の電話番号を知られるよりはましだろうとルネは考えたのだ。

 というわけで、比較的人通りの多い場所にあるコンビニの公衆電話を使うことにした。相手がどんな連中かはわからないが、人目につく場所でいきなり襲ったりして騒ぎになるのは避けたいだろう。
 184を使えばこちらの番号を非表示にできるが、それだとポプラが良い印象をもたないおそれがある。不信感を生じさせては会話がうまく運ばないので、それは避けた方がいいとルネは思った。
 ポプラの就職先がどんな業種なのかわからなかったが、いちおう土曜日の午後7時にコールしてみた。

「はい、鈴本です」
「メールをいただいたルネですが、はじめまして」
 電話機とは半身になって不審な通行人や車に注意する。
「あ、ルネさんですか。突然のことで失礼いたしました。鈴本です。HNはポプラと申します」
 店の入口付近に数人の男女がたむろしている。活舌の悪い話し方をする茶髪の少女や、頭にタオルを巻いたりニッカーボッカー姿の土木作業員や解体屋や鉄筋工といった職種らしい連中で、二十歳前後のようだが中には顎鬚を生やした者もいる。
 いつもなら目障りな、いわゆるDQNたちだが今日は別に気にならない。というより、そこにいてくれるとありがたい。
「私はHPを閉鎖して、近々プロバイダーとの契約も解除します。ネットは会社で見れますので。といっても仕事関係の調べものに使うくらいでしょうが」
 ヘッドライトがルネを照らした。駐車スペースにワゴン車が入って来る。逆光で中がよく見えない。まさかとは思うが、ヤクザだったら銃をぶっ放されることもあり得る。
「それで、あのメルアドも使えなくなりますので、携帯の番号をお知らせした次第です」
 ライトが消え、ドアが開いて女が下りる。反対側からは小学生くらいの子供。親子らしい。それを確認していて少し間が空いたが、ルネはポプラに尋ねた。
「今、電話、大丈夫ですか?お忙しいようなことは…」
「大丈夫です。今日は休日で、さっきまで本を読んでいたんです。仕事の関係で勉強しなければならない事が多くて大変なんですよ」
 ポプラは就職後の新人研修で仕込まれたような丁寧な言葉遣いで喋った。ルネは彼の話を聞きながら、ホラー映画に出てくる容姿は子供だが声音や口調が大人の人物を連想していた。
「いやあ、最近就職したんですが、実社会は想像してたよりきついです」
 ルネが喋り出さないないためか、ポプラはまるで沈黙を埋める強迫観念に取りつかれてでもいるように話し始めた。彼は実社会が学生時代と違ってきついと繰り返し、職場でのエピソードや家に帰ったら後は寝るだけという毎日を語ったり、高卒がこの業界でやっていくのはたいへんで、ニュースなどでは銀行強盗に身の危険も顧みず立ち向かって行く銀行員がいるが、たいてい高卒で、そうでもしなければのし上がれないだのだと言った。また、ニートやフリーターをカリカチュアライズした姿で語り、彼らは将来が不安で、自分はしっかりした職と収入を得て家庭を築きたいのだと話したようだが、それは何か意味のよくわからない弁解のように聞こえないでもなかった。
 ルネが電話したのはトリルについて話があるということだったからでポプラの愚痴を聞くためではない。だから、その時ポプラが喋った内容はルネの記憶にほとんど残らなかった。
 自分の話をしばらく続けてから、彼はは我に返ったような少し気まずそうな感じで言った。
「ルネさんのフリーのお仕事というのもたいへんでしょうね。仕事がいつまで来るかわかりませんしね。まあ、特に最近のような世の中になると、そういうのは私たちのような銀行にしても同じなんですが」
 ポプラはルネの仕事を知っているようだ。おそらくトリルから聞いたのだろう
 とにかく、彼の就職先は銀行であるらしい。
「僕のはフリーというよりフリーターみたいなものですよ。あまりお金にはなりませんが取り柄と言えば、まあ、自由な時間があるくらいで…」
 ポプラはルネが個人でやっているのは大したもので、ITはまだまだ伸びる分野だから将来に夢がもてると言い、今はブログが全盛だが次は何になるだろうかとか、マーケティングや時代の流れを掴む話とか、法人の設立や各方面への人脈などを経営コンサルタントが講演でもしているように喋った。

「僕はそんなに大きくやるつもりはないですよ」
 ポプラの話を聞いていると胸の中に比重の大きい気体が降りてくるような気分になったので、ルネは彼の言葉を遮った。
「それと、そういうのは世の中によくあるやり方ですよね」
「ええ、でも、何の商売でも金は儲けなければ…」
 ポプラはルネが自分に話を合わせなかったのが少し意外なようだった。農耕民同士の会話は先に自分の考えを言った方が勝ちだ。二番目以降はそれに同調する意見を述べることしか許されない。
 社会人になって、そういう思考が身についたのだろうか。あるいはポプラがもともとそういう人間だったのかもしれなかった。
「もちろん僕も金は欲しいですけど、世間一般にありきたりのやり方ではつまらないですね」
「じゃあ、他にどういうのがあるんです?」
「好き勝手に自分のやり方でやって成功し、世の中にザマアミロって言ってやる。そうじゃなきゃリベンジになりませんよね」
「リベンジって、ルネさんは世の中に何か恨みがあるんですか?」
「いえ、特にこれといってないんですが。だから、そんなに大きくやるつもりはないって言ってるんです。まあ、今のところは」

 ポプラはしばらく沈黙した。
 彼は自分の作った話の水路に水が流れて行かないのを不満に思っている。目の前に姿があるわけでもなく電話線で繋がれているだけのポプラの内面に、その時ルネは感応していると思い、たぶんそれは正しかった。

「まあ、自由な時間があるのは羨ましいですけどね」
 ポプラはすこし引き攣ったような声で言った。
「やっぱり、何をするにも時間が必要ですよ。創作にしても、女の子とつきあうにしても」
 “女の子とつきあうにしても”とポプラが言った時、ルネはポプラが歪んだ苦しそうな笑みを浮かべているのが見えたような気がした。ルネとトリルがすでに男女関係のよくある手続きを踏んでいるのがわかっていると匂わせているのだろうか。彼のジェラシーのようなものを感じられないでもなかった。
 ポプラは、この話題について、それ以上、触れず、「時間があり過ぎるのはどうもね」と繰り返した。それは自分自身に確認しているようでもあった。
「あまり時間があるのも考えものですよ。それから頭がいいのもね。頭が良くて時間があるととんでもないものを引っ張り出してしまう」
それからポプラは、少し意味ありげに言った。
「まあ、Helterさんにしてもね」



60</sub>

「Helterさんて、ネット詩人の…ですか?」
「そうです。Helterさんはフリーターだったらしいですから自分の時間を充分おもちだったんでしょう。考える時間が豊富で頭が良過ぎると、普通の人間ではわからないことに気づいて、かえって悪い結果になってしまうんです」
 これだけでは何のことをいっているのかルネにはまったくわからなかった。それにポプラは就職で仕事に時間を奪われたため表現から遠ざかってしまった自分自身を合理化しているか、あるいは慰めているように受け取れないでもない。
「ああ、ルネさんには時間がおありなんでしたね。だからと言ってルネさんは頭が悪いというわけではありませんよ」
 ルネは会話に気を取られて周囲への警戒が疎かになっていたことに気付き、辺りを見まわしたが、通行人や車にこれといって危険な兆候は見出せなかった。
 ポプラは話を続けた。
「それに、ルネさんのところには、あのメールが行ってないかもしれまませんしね。けっこうあっちこっちに送られてたみたいですけど」
 ポプラは独り言のように呟いた。ルネは「メール?」と語尾を上げて、どんなことかポプラに尋ねたつもりだったが、受話器の奥からは「いえ、たいしたことじゃないんです」という言葉が返ってきただけだった。
 細かく質問するのは止めておいた。もしポプラがルネにも周知の事実という前提で話しているのだとしたら、ここで中断させないでおけば何か興味深い事柄が出てくるかもしれない。
「とにかく、その辺に自殺の原因があるわけですか?」
「自殺?いや…」
 しばらく沈黙があった。その間、ポプラは何かを考えているようにも思えたし、呼吸を整えているのかもしれなかった。
「私も詳しいことは知りませんよ。知っていたらあぶない」
 彼はそれから話題を変えた。

「ああそうだ。トリルさんのことなんですが、彼女にはその、何というか、つまり心の病があってカウンセラーに通ったり、そういう薬を飲んだりしています。リスカを何度もやっています。わかりますか?リストカット。手首をカッターナイフで切るんです。まあ、自傷というやつですが」

 リストカットという言葉を聞いて、ルネは『コノ セカイニ アイヲ』という詩のことを思い浮かべた。


この世界のどこかで
誰かが手首を切っている
彼女の足元にしたたり落ちる血液
ちぎられた睡眠薬のパッケージの山
WEBの日記に書かれたSOS


 冒頭の部分はこんなだったと思う。
 これは多世界の作品なのに、何故かPoem Villageには作者名がHelterで投稿されていた。それはどうもネズミヤのPCから行われたようなのだが、誰がどういう意図で投稿したのかはわからない。
 内容にはリスカのことが書かれているが、これはトリルのことを書いたものなのだろうか。そうでないとしても、あの投稿はトリルに向けた何らかのメッセージだったのかもしれない。

 考えているうち、間が空いてしまったので、ルネは慌ててポプラとの会話を続けた。
「リスカのことは以前、サイトに書いてあったのを読みました。今は閉鎖されてますけどね。でも先日、僕が会った時は、そんなに落ちこんだ状態には見えなかったんですが、それで、いわゆる鬱のような状態になったのには何か原因があるんですか?それとも、何もなくても悪い状態になるものなんでしょうか」
「ええと」とポプラは何か言い出しかけてから口篭もった。
「それについてはノーコメントです。というか、ルネさんはご存知なのと違いますか」
 コンビニの入口にたむろしていた連中は、すでに車に乗って走り去っていた。客は次々にやって来て、常に数人が店内にいる。

 ポプラは、それ以上喋らなかった。何か感情を害したように感じられないでもなかったが、ルネにはその原因の心当たりもない。
 
「トリルさんとHelterさんについてですけど」
 Helterの名前が出たためだろうか。話が途切れた間にルネの脳裏に浮かんだことがある。それを質問してみた。
「以前に何かあったんでしょうか」
「何かと言いますと?」
「ちょっとトラブったとか」
「トラブル?何のことかわかりませんが」
 ポプラの言葉には何か裏がある感じもした。とぼけて具体的な事実をルネに言わせようとしているのかもしれなかった。
「Helterさんがコラボで曲を作ろうと提案して、トリルさんをラブホに呼び出したとかいう話のことです」
「そうか、トリルさんはそんなことを言ったんですね」
 ルネは何だかポプラが感情を押さえて声を出しているような気がした。
「ああ、それは逆ですよ」
「逆…?」
「私がそれを言ってしまうのはどんなものでしょう。トリルさんがそう話したのならそれでいいでしょう?私はあなたたちの仲を壊そうとは思いませんから」
 ポプラの声のトーンが上がっていて、時々、ファルセットになりそうな感じだ。それに“仲”という言葉が出たが、トリルとは恋愛関係にあるわけではないし、ルネにそんな感情はない。ポプラは何か勘違いしているようだ。
「トリルさんが話したわけではありません」
「え?」
「ちゃんねる・ぜろにそういう書きこみがあったのを見たんです。Helterさんが亡くなったあたりのことでした。」
 正確に言えば、ちゃんねる・ぜろには別の掲示板のログのURLが書きこまれていて、そのログで見たのだが、細かいことを言うと話がややこしくなる。
「ちゃんねる・ぜろですか。2・3度アクセスしたことがありますが、読んでいて気持ち悪くなりました。
 ポプラは小声で笑った。
「ああ、こういう場合には“なりますた”と書くんですよね、あの変な文体。内容的にも差別とか偏見が露骨に出ていて病的で知性を感じません。ルネさんは、あそこの常連さんなんですか?」
 ポプラの声の響きからは、ほっとしたようなものが覗えた。トーンももとの調子に戻っている。
「時々覗いてますが、たいていはROMです」
 ポプラは「そうでしょうね」と言った。まあ、ルネが常連だったら病的で知性のない奴ということになってしまうわけだ。

 公衆電話の番号から位置を確認している可能性があるので、ルネは、そろそろ切り上げた方がいいだろうと考えた。
「すみません、これからちょっと予定がありますので、また電話させていただきます」
「あ、そうですか。わざわざすみませんでした。何でしたら私の方から電話いたしますが、この番号は…」
 ポプラが単純にナンバーディスプレイを見ているのなら[公衆]の表示が出ているわけだから、“この番号”という言葉は不自然なようにも思えたが、それは考え過ぎかもしれなかった。
 ルネは会話を続けた。
「ケータイを持って出なかったんで、公衆電話からです」
 もしポプラが電話番号を聞いてくると面倒なので、機先を制するため、ルネはすぐ口を開いた。
「ケータイは仕事で必要のある時以外、電源を切っていますので」
 これは言い訳ではなく本当の話だった
「そうですか。よろしければこちらから電話するんですが、それでは、また」
 と言ってから、ポプラは付け加えた。
「ちょっと失礼なことを言ったかもしれませんが、忘れてください」
 ポプラは電話を長引かせようとしているのかもしれない。ルネの意識にそんな警戒心が生じていたがポプラは続けた。
「あのメールはルネさんのところには行ってなかったんですね」
「メールって、それはHelterさんに関係のあるメールですか?」
「まあ、そうです」
「どんなメールでなんですか?」
「ネット詩人さんたちにわりと送られてたようですから、誰かに聞けばわかるかもしれません。いや、わからないんですが。Helterさんは別にして」
「ネット詩人さんて、例えば…」
「うーん、何というか、まあ希羅々さんでしょうか。あ、亡くなってますけど。いえ、よくわかりません」
 ポプラは逃げるように早口で意味不明なことを言った。これ以上尋ねても答を得られることはなさそうだった。

 「では、どうも」と電話は切れた。
 ルネは店内に入った。コンビニの通例として、正面のガラスの中に雑誌が置いてある。立ち読みを装いながらしばらく外を監視していたが、それらしい車も人間もやって来ない。どうやら今日のところは何者かが電話番号でルネの居場所を調べていることはなかったようだ。



61<nobr>

□ □ □ □ □

送信者 Rene
 宛先 Junko Yokoe
 件名 お尋ねします
――――――――――
横江潤子様

ルネです。
ご無沙汰してます。
お変わりありませんか?

ところで、ちょっと伺いたいのですが
希羅々さんのところに来ていたメールで
脅迫めいたものは以前、転送していただきましたが、
あれほどではなくても、どこか不審というか、不可解というか
少し変わった印象を受けたものがなかったでしょうか。
もちろん、お知り合いや友人とのメールやスパムは別にしてです。

希羅々さんに関するものは
すでにPCから削除してしまわれたとは思いますが、
もし、何か記憶に残っていましたら
よろしければ教えてくださいませんか。

僕が何気に思い出したことがあって気になったので、
別に何か変なことが起きているわけではありません。
ご心配なく。

それでは。



 ルネ


――――――――――



 ポプラが言っていたメールのことがルネの心のどこかに引っかかっている。ネット詩人たちにはわりと送られていたというメールだ。それに関してポプラが希羅々の名前を出したから、とにかく従妹の横江潤子に尋ねてみようと思った。まだ以前のメールアドレスが使えるかわからなかったが、潤子は希羅々の家に寄宿して大学に通っているから、プロバイダーがそのままならメルアドは生きているかもしれない。
 送信後、User Unknownで戻ってくることはなかったから、メールは潤子に届いたのではないかとルネは思った。

 そのあと、ルネはPoem Villageの会員名簿にアクセスし、見覚えがあるHNのサイトをいくつか周ってみた。ポプラの話から推測すると、Helterは何かから何らかの方法である事実を知ったらしい。それからまた何かが起こったのかもしれないが、とにかくルネは、どこかでそれと結びつくものに行き当たることを期待したのだ。
 無意識の赴くままにサイトからサイトを巡り歩けばユングの言うシンクロニシティのような現象が起きて、意味のある偶然によって、その糸口に辿りつけないものかと考えたのだが、どうやら、そううまくはいかなないようだった。
 ルネはPCを終了させ、ベッドに入った。FMのイージーリスニングを聴きながら、ゆっくりと眠りに入っていく。


 夜の間に横江潤子からのレスが届いていた。


□ □ □ □ □

送信者 Junko Yokoe
 宛先 Rene
 件名 Re:お尋ねします
――――――――――
ルネ様

横江潤子です。

おひさしぶりです。
ルネさんのお名前を見て、なんだか懐かしく思いました。
あれからだいぶ経ったような、それほどでもないような
でも、時の流れを感じてしまいます。

お尋ねの件ですが、従姉のPCに残っていたものは
消してしまうに忍びないので
CD-Romに保存してありました。
ただ、迷惑メールのようなものはあまり残っていなくて、
あったのはルネさんに転送したものくらいでした。
従姉は何かの時に、時々気味の悪いメールが来るけれど
すぐに削除することが多いと話していたような記憶があります

でも、ルネさんに転送しなかったメールが1通だけありました。
何故送らなかったかと言いますと、本文に何も書いてなかったからです。
それと、ファイルが添付されていたのですが、ウイルスかもしれないので
転送してはまずいのではないかと思いました。
添付ファイルは削除してしまいましたが、
メールの方は、いちおう転送しますね。

草々


 横江潤子

――――――――――


 つぎに受信しているのは“Fwd:重要事項”という件名の転送メールだった。横江潤子が書いていた通り本文はない。末尾にsecret.vrsという添付ファイルがあったことが表示されているけれど、潤子が削除してしまっているからファイル名がわかるだけだ。調べてみたらvrsという拡張子は存在しなかった。
 送信者は“耳口王”となっている。宛先を見るとメールアドレスは希羅々のものではなかった。このメールはブラインドカーボンコピーで送られているのだと思われた。Bcc欄に複数のメルアドを記入して送信するとそれぞれに同じメールが送られるが、受信者は自分以外の誰に送られているかを知ることはない。
 発信者が確認のため宛先を自分にするのよくあることだったが、必ずそうと決まっているわけでもなかった。
 宛先にもう一度目をやると、それにルネは見覚えがあった。takayoのメルアドだ。

 でも、takayoが保存している可能性は低いだろう。彼女がBccで送った張本人だとしたら証拠隠滅をするだろうし、そうでなかったら、添付ファイルのvrsという拡張子は何やらvirusを連想させて怪しげだ。ウイルスメールだと思って削除する方が普通だろう。ウイルスメールやスパムというのは多くの場合けっこう来るものだから、それをいちいち覚えていることもないだろう。
 ルネは、それでも、いちおう尋ねてみることにして、takayoへのメールを打った。



62</nobr>

□ □ □ □ □

送信者 takayo
 宛先 ルネ
――――――――――
ルネ様

おひさ。

このメールのことかなあ?
知らない相手からのだし、ウイルス添付みたいだから、
普通なら即削除なんだけど
どういうわけか残ってたんだよね。
なんちゃって、ちゃんと理由はあるのさ。

実は、ちょうどその頃新しいPCを購入して、
古いPCは、その後ずっと放置してた(^_^;
そういうわけで、開けてみたらメールも残ってたんだね。

ルネくん、最近はウイルスを調べる仕事してるの?
大変だね。
ま、IT音痴の私が言うべきことじゃないけど、
PCを壊さないよう、気をつけて取り扱うのだよ。

らぶ (^-^)/~~~


 takayo


---original message---

送信者:nezumiya@……
宛先 :takayo
件名 :Fwd:重要事項
――――――――――


――――――――――
●secret.vrs

――――――――――



 ルネはsecret.vrsの部分を右クリックし、メニューから“名前をつけて保存”を選択した。添付ファイルにはウイルスやマシンを壊す者が含まれている場合があるが、実行してよいかというダイアログが出るので、「はい」をクリックする。takayoが転送してくれたメールにはファイルもちゃんと添付になっているようだ。ルネはそれをひとまずMyDocumentの中に作ったフォルダに保存した。
 それからLANで別のPCに送る。リサイクルショップで見つけたデスクトップでCPUはK6、メモリは64MB、OSはWin98だ。時代遅れだが、まあ、いちおうの役に立つしろものだとは言える。安かったので何かの時にと買ってきたのだが、もしsecret.vrsがウイルスだとしても通常使っていないこのPCに影響が出るだけなら、たいした被害を蒙ることはない。

 ルネは移したファイルを右クリックしてみた。“ファイル'secret.vrs'を開くアプリケーションを選んでください…”というダイアログボックスが出て来るがキャンセルする。.vrsという拡張子はないのだから、どのアプリでも開くことはできないだろう。

 拡張子とはWindowsファイルで、ファイル名の末尾にあるピリオドの後の部分をいう。例えばstartup.exeやwelcome.swf、readme.txtでは.exe、.swf、.txtが拡張子で、これはファイルの種類を表わしている。
 .exeなら、それを実行できることを意味し、.swfはフラッシュ、.txtはテキストファイルであることを表わす。

 ポプラの話していたことは、Helterが自分に送られてきたメールから何かを掴んだため、悲惨な結末に陥ったと解釈したらいいのだろうか。だとすると、そこあった何かをHelterは知ったのだろう。メールはネット詩人を含む多数に送られたようだが、Helter以外は気付かなかったようだ
 メールはtakayoが何か隠しているのでなければBccで複数に送られているはずだ。そして、その本文には何も書かれていないのだから、何かはこのファイルの中にある。

 ルネは、ゆっくり考えることにした。朝食を摂ってなかったのでキッチンへ行き、輪切りにしたフランスパンにチーズとサラミとオニオンやピーマンの細切りを乗せ、オーブントースターに入れる。
 昼前のニュースを見ながら食べ終えると、少し眠くなったのでソファに横になった。


 眠りからの帰還はゆるやかに執り行われる。意識と身体は海底から水面へ、潜水病に陥るのを避け、時間をかけて浮かび上がるように現実の中に凝固していくのだ。
 周囲にある、世界のひとつひとつの要素は不定形なものからしだいに形をなしてくる。ルネと現実との両者が互いを認識しながら再び出会い、そして時間が流れ始める。
 帰還の途中でルネは、淡い色彩の遠いものの姿を見た。それはHelterに関する何かの記憶のようでもあった。
 カーテンを透過して差し込む陽光やテレビの映像や音声がはっきりとしたかたちを取り始める間、それはルネの脳裏を漂っていたが、果たして記憶なのか、それとも夢なのか判然としなかった。

 ルネはチャットの画面を見ているようだ。どこかのサイトにアクセスし、そこのコンテンツにチャットがあるので覗いてみたのだ。でも、たぶんROMだろう。今まで、自分がチャットに加わったことはあまり多くない。

……最近スパムが多くて頭きちゃうよ(`へ´)プンプン…そうだねみんなはどうしてる…メルアドや文中にあるURLのドメインをWHOISで調べて送り返す…そんなので効果あるかなあ奴ら屁とも思わないのでは(^_^;…だからみんなでやるんだよ…そういう運動を起こすかw…レンタルサーバーの管理者に転送してもしそこがスパムやエロサイトやマルチにきびしいところならあぽーんされるんだけどね…Helterさんキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!…俺はファイル添付で送り返してやってるよ…ファイルって何?ウイルス?…テキストファイルでも画像でも何でもいいからファイル名をvirus.exeに書き換えて添付するんだよ…相手は驚くね…でもすぐ削除でしょ?…めちゃ重いのなら少しは嫌がらせになるかな……


 ルネはWin98のデスクトップを起動した。

 拡張子は簡単に書き換えることができるのだ。
 ファイルのアイコンを右クリックし、“名前の変更”を選択すればファイル名と同じように拡張子の部分も好きなように変えられる。「拡張子を変更するとファイルが使えなくなる可能性があります。変更しますか?」 というダイアログボックスが出るが、「はい」をクリックすればいい。
 ルネはsecret.vrsの.vrsの部分を.txtに書き換えてみた。
 
 テキストエディタで開くと、文字化けが延々と並んでいる。アルファベットの大文字と小文字。大小のカタカナ。よく使われる漢字もあるが、漢和辞典を引かなければならないような、あるいは文字として存在するかどうかわからないようなものもあった。ところどころを区切るように縦線が入っていたり、それが、いくつか連続していたりする。記号や絵文字のようなものもところどころに見られた。

 プロパティをみるとファイルサイズは300KB台で、それほど重くはない。ルネはPCの中にある画像ファイルを探しGIFの拡張子を.txtに書き換えた。そして、それをテキストエディタで開いてみる。
 やはり文字化けが続いているが、初めの辺りに“GIF89a”という部分がある。もしかしてGIFファイルであることを表しているのだろうか。それとも、偶然こんな文字列になっているのか…。

 ルネは、もう一度secret.txtをエディタで開いた。冒頭部分に“JFIF”というのが見える。 JFIFを検索してみると、これは“JPEG File Interchange Format”の略であることがわかった。そうすると、これはJPEGの画像ファイルなのかもしれない。
 JPEGの拡張子は.jpgだ。ルネはsecret.jpgに書き換えてダブルクリックした。ブラウザが起ち上がって、画面いっぱいに近い大きさの画像が表示される。

 それは数枚の紙片を撮った写真だった。手帖を破ったものと思われるが、多くはその中に、小さな文字で文章がびっしりと書き連ねられていた。

 たぶん、あのチャットの記憶は夢ではなかったのだろう。
 チャットを覗いたのがいつごろか詳しくはわからなかったが、とにかくHelterなら、このファイルの謎を解くことができたわけだ。



63<map>

 PCの画面をほぼ埋めているsecret.jpgには7枚の紙片が写っている。それぞれは皆、同じ手帖のページを破ったもののように見えた。紙片と紙片の間に微妙な境界が見える部分もあるので、1枚ずつ撮ったものを合成したのかもしれない。
 紙片の多くには罫線を無視してびっしりと文字が書かれている。綴られた文章が長いものは元の大きさでも最低限判別できる程度の細かい文字だろう。この写真では実物よりさらに小さくなっているので、読めない部分が多い。

 ルネは、まず画像編集ソフトで写真を紙片ごとに切り抜いた。そして、それぞれを拡大する。潰れて判別しにくい文字もあるが前後から推測して、だいたいこんな文章になるようだった。


[紙片1]

オモニは言った。「例えば、探検隊が人跡未踏の密林の奥深く入って行き、そこで原住民の村に入った時、まず、そこで行われるのは何でしょう。隊長は、まず、そこの酋長に贈り物をします。そして酋長からも返礼としての贈与があるはずです。ここで交換が行われたわけですね。交換、すなわちトランザクションは、この世界の基本なのです。例えば化学変化でも物質間に電子やエネルギーの受け渡しがあるし、太陽と惑星の間にも重力子―グラヴィトンの見事な交換が行われています。だから均衡と調和を保ちながら公転が永続しているのですよ。このようにマクロからミクロに至るまで贈与/交換の法則は一貫しています。人間社会でもそれが日常的に執り行われる重要な事項であることは否定できないでしょう。商売上の取引ばかりではなく、恋人同士にしてもそうですし、その他、人間関係のあるところ、必ず贈与と交換が存在するのです。そして、神と人間との間でも、それは例外ではありません。あなたが今、いちばん大切に思っているものを放棄して、神に捧げるなら、返礼として神の愛を受け取ることになるでしょう。あなたは、いちばん大切なものを神に捧げなくてはなりません。何故ならその返礼の愛は、この世界で最高のものだからです。神は必ず最高のものであなたにお応えになるのですから、あなたはもっとも大切なものを捧げなくてはならないのです。わかりますね。ある人は何十億円もの価値のある預金や株や土地といった全財産を捧げました。もちろん、お金の問題なのではありませんが、その人にとってでき得る限りのことをしたのです。ある女性は、ひじょうに愛し、また愛されていた恋人との関係に終止符を打ちました。彼女にとってもっとも大切な恋愛を神に捧げたのです。そうしなければ神との交換は成立しません。あなたは神の愛を得るため、何を捧げますか?」たぶん教団の上部の詐欺師が、その頃流行っていたニューアカデミズムの本でも斜め読みして作ったマニュアルを基に、オモニは喋っていたのだろう。俺はそれを聞きながら、自分にとっていちばん大切なものとは何かをずっと考えていた。自分は貧乏学生だし親にだって財産と言えるようなものはない。彼女もいない。官僚になったり大企業に就職するような輝かしい将来が約束されているわけでもない。自分が今、大切に思うものといったら、部屋で一人、ノートを文字で埋めていく、あの時間だ。いつか出版されて多くの人が読み、感動して、賞賛されたり歴史に残ることの夢想くらいだ。他人から見たらつまらないものかもしれないが、これを失ったら、自分が自分でなくなってしまうくらいの重大な何かであることは間違いない。それで、俺はオモニに言った。今から思えばどうしようもなく青臭いことだし、その時だってかなり恥じらいを感じながらだった。「僕は詩を捧げます。今、自分にとって心の支えとも言える大切なことです。それを神に捧げましたから、もう今後、詩を書くことはありません」俺はオモニの嘲笑を予想していたが、それに反してオモニは満足そうに微笑んだ。その時の俺にはオモニの微笑が崇高な、マリアの像のそれのように見えた。


[紙片2]

俺が壷や健康食品を売りに歩いた時、よくペアを組んだミョンスクという女性がいた。教団内では教祖から与えられたということになっている韓国語の名前を呼び合う。クリスチャンの洗礼名のようなものだ。俺を引き入れたオモニは母という意味だった。教団内では導き入れた者とその相手に親子関係が成立し、彼女は多数の信者を勧誘しているのでその名を与えられたのだが、彼女自身もそれを大いに誇りにしていた。ある日、俺とミョンスクは公園で休息を取った。ミョンスクは照り付ける太陽の下で両手を組み、目を閉じて祈っていたが、やがて、日陰のベンチにやって来て俺の横に座った。俺は手帳に書きつけたいくつかの詩を彼女に見せた。彼女は、しばらくそれを見ていたが、それから顔を上げて言った。「スンナム(これが教団内での俺の名前だった)は詩を書くことを神のために封印したんでしょう?」俺は頷いた。「神にいったん近づいて、そこから離れたため、雷に打たれて死んだ人がいるらしいわ」それは信者の間でまことしやかに囁かれている話だ。ミョンスクの顔は青ざめていた。「君は神を裏切ることはないから、そういう心配はないね」と俺が言うと、彼女はうつむいて何か考え込んでいるようだった。



64<area...>

[紙片3]

地区本部からオモニがやって来た。教団内で彼女は、まあ出世していたのだ。「元気?」というオモニに、俺は目の中を覗き込まれているような気がした。俺は少し動揺して、それを彼女に覚られたかもしれない。その頃もう俺は既に教義にも教団にも疑問を感じていて、かといって疚しさを感じる必要もなかったのだが、何か彼女に気圧されるものがあったのだ。その夜、俺は礼拝室に呼ばれ、そこにいた寮長とオモニから転勤命令を言い渡された。転勤は告げられた明朝出発が通例になっている。世間一般でならいやに急な話だが、出家信者にとって珍しいことではない。手渡された封筒には何枚かの紙が入っている感触があったが、それにしては若干重かった。ポケットに入れようとした時、中で硬貨の触れ合う音がした。後で開いた時、入っていたのは駅名を示すメモと最寄の駅からそこまでの切符を買うのにぴったりの金額だった。「スンナム伍長。あなたに神とメシアのご加護がありますように」オモニの言葉で俺は昇進を知った。俺はそれほど嬉しくもなかったのだが、目の前の二人は俺に向かって偽善的に微笑んだ。それまでは上等兵だったからニ階級特進ということになる。俺は霊感商法や折伏の成績が悪いから、その褒賞としての昇進は滞っていた。教団のシステムは人間の心理を掴みコントロールするよう巧妙に作られている。階級制度もそのひとつで、恩典といえば毎月の小遣い銭の額が微妙に上がるくらいなのだが、人間というものは、そういうニンジンを目の前にぶら下げられると競争心や見栄も相俟って、けっこうその目的に精力を傾けるようになるものなのだ。世間と隔絶されてよくある楽しみや目標が存在しない世界では、なおさらそういうことになる。だから信者たちが教団にのめり込んで行くのは単純にマインドコントロールのためだけとは言えないだろう。


 オモニというのはレイカのグループのメンバーにもいたようだが、同一人物だろうか。でもこの、母という意味のハングル語は比較的よく知られているから、オモニというHNを使う人間は、よくありそうな気もする。
 ルネは次の紙片の写真を拡大した。


[紙片4]

メモに記されていた先は日本海側の小さな駅だったが、そんなところに来たのは初めてだった。その駅で降りた乗客は9人で、二人は地元の人間らしく、それぞれ迎えの車が来ていた。2台の車が走り去ると、俺たちよそ者らしい7人は駅前の小さなロータリーに取り残された。俺には自分たちが、まるで世界中から見捨てられた難民のように見えた。俺たちは互いに視線を走らせてはいたが、会話を交わすことはなかった。やがてひとり、またひとりと道路に出て歩き始める。皆、同じどこかを目指しているようだった。俺も、出発前に口頭で指示されていたように海沿いの道へ出て歩いて行った。やがて、後からやって来た10人乗りのワゴン車がそれぞれの脇で止まり、俺たちを拾った。ワゴン車は周囲に人家のない脇道に少し入って止まった。助手席にいた男が、夜までやることは何もないと言って俺たちに菓子パンと飲み物を配った。車内ではほとんど言葉が交わされることはなかった。多くの者は目を閉じてじっとしている。たぶんメシアに祈りを捧げていたのだろう。夜9時ごろになって助手席の男と運転手は車を降りて海岸の方へ歩き去った。俺は窓際の席にいて、車内の空気が澱んでいたので窓を僅かに開けた。すると海辺の二人が何者かと会話しているのが聞こえる。海岸から車まではかなり距離があるはずなので、かなり大きな声でなければここまで届くことはない。何だか彼らには警戒心が希薄な印象を受けた。パトカーらしい赤い回転灯が走り抜けて行くこともあったが、見咎めて止まる様子はない。海辺での会話はハングル語で行われていた。教団では世界の中心であるメシアの母国の言葉として初歩的な講義を受けるので、内容はあまり理解できないまでも、それがハングル語であることはわかった。やがて声は聞こえてこなくなり、しばらくして二人が帰って来た。彼らは俺たちに降りるよう促し海岸に行くよう告げると、車は走り去った。指示された通り行ってみると漆黒の海よりはやや明るい夜空を背景に体格のよい男の影が見え、彼に導かれて行った所には船の影があった。漁船ほどの大きさで、明かりはなくエンジン音も聞こえない。前にいた連中が船に乗り込み始めたので俺も彼らに続いた。船が動き始める。インスタントコーヒーのような飲み物が配られ、それを飲むと急に眠気が襲って俺は壁にもたれて眠った。目覚めると俺より早く起きた連中は甲板に出ているようだった。俺も船室を出る。外は明るくなり始めていた。俺たちは朝の光の中に輝くように連なる陸地に目をやった。「さあ、エデンに着いたよ」と乗組員らしい軍服姿の男が、それほど不自然でない日本語で言った。

[紙片5]

試験の日。まず、俺は教官の部屋に呼ばれる。笑顔で迎える将校服の教官。いつもの厳しい表情ではない。彼は椅子に座るよう勧める。背後のドアが開いて、入って来たのは事務服を着た若い娘だ。彼女は俺の前に液体の入ったグラスを置く。「どうぞ。一息で飲みなさい」教官は無表情で言う。その口調には遠慮などしているのを許さない強制力が感じられる。俺は軽く会釈してグラスを手に取った。液体はミックスジュースのようだが、少し薬品のような味お感じる。飲み終わってしばらく沈黙が続いた。教官は無言で書類のチェックをしていたからだ。小さな音量で音楽が流れていて、俺は自然とそれに耳を傾けることになる。バロックのような、数学的図形を思わせる曲だった。15分程して彼は腕時計に目をやり、ひとり頷いて顔を上げる。「では、試験です。これからあなたが案内される部屋にはある男がいます。彼は器物です。いろいろな意味で人間として既に失格しています。もし、あなたがこの試験に不合格の場合、あなたは次の受験者の器物になります。もちろん拒否した場合もです。わかりましたね」やって来た兵士は俺を地下のとある部屋に案内した。そこで器物が来るのを待っているうち、俺の意識に高揚感が満ち溢れてくる。さっきの飲み物の効果だということは想像することができた。俺は試験の内容を反芻した。要するにそれは、ここに来てから学んだ、というか訓練を受けた技術の集大成だ。器物をサンドバッグのように殴りつけたり、蹴りを入れたり、四肢の骨を折ったり、耳や鼻を刃物で削いだり、皮膚の上から内臓を掴んで握り潰したりした後、首を締めるか頚椎を破壊して息の根を止める。これらを手際よくこなすことも評価の対象だが、重要なポイントは器物に感情移入しないことだ。ノックの音がする。迎えが来たのだ。案内の下級兵士は俺の先に立って地下への階段を降り、ある部屋の鍵を開けてからキーを俺に渡し敬礼して去って行く。中にいた器物の顔には見覚えがあった。俺と一緒の行程を辿ってやって来た連中の一人だ。俺は試験を実行した。教官の部屋に戻ると、たぶん日本人ではない彼がアナウンサ―のような正確な日本語で器物の名前や経歴や家族関係などを記した書類を俺に読んで聞かせた。器物として処分されることとなった理由は日本に手紙を出して、同じ支部にいた信者の女性と連絡を取ろうと企てたからだそうだ。試験は計5回行われた。器物は教団の情報をマスコミに流そうとした信者や、信者同士で結婚したが夫のもとから逃亡しようとした女性や、器物と知り合いだったのでためらって試験に失敗した受験者や現地の政治犯だったりしたが、俺はすべてに合格点を取った。そして最終的合格を告げた後、教官は言った。「日本の法律では殺人などの凶悪犯罪の場合、国外での犯行でも国内での処罰の対象になります。だから、あなたが帰国してから、もし、ここでの行いが発覚すれば当局の追及を受けることとなるでしょう。仮に緊急避難的行為として法的な処罰を免れたとしても、あなたはとにかく自らの手で5回も殺人を犯しているのです。そのような人間が日本社会に受け入れられるのはひじょうに難しいでしょう。」その場には教団のある幹部も同席していた。彼は俺にこう言った。「メシアはすべてを理解しておられますよ。ただメシアにおすがりなさい。メシアのために働きなさい。メシアを喜ばせて差し上げることです。あなたを救うのはメシア以外にないのですから。わかりましたね。スンナム少尉」



65</map>


[紙片6]

軍曹は俺が助手席のドアを閉め終わるのと同時に車をスタートさせる。「お疲れ様です。大尉」車が幹線道路の流れに入って落ち着いた時、軍曹は口を開いた。「検問をやるでしょうかね」「そうだな。真昼間から新聞社の支局が襲われて、記者が殺されたとあっては当然やるだろう」俺は隣の車から見えないよう低い位置で、銃身を短く切った散弾銃を手早く分解した。「共産主義思想をばらまくサタンの使徒、左翼マスコミを処刑したとはいっても、警察にしたら何らかの対応をしないわけにはいきませんからね。大尉」特殊要員の間では、教団から与えられたハングル語の名前さえ互いに知ることはなく、ただ階級で呼び合うだけだ。俺と違って軍曹はミッションの内容を知らされていなかった。あの記者はそういう理由で殺されたわけではないのだ。だが、そう遠くないうち、信者たちの間ではひそやかに、そして迅速に、重苦しい怖れの感情を伴った噂のリレーが行われるだろう。それは軍曹にも届く。その夜のニュースでは計画が着々と進行していた。被害者の自宅まで強引に踏みこんだTVカメラが妻の顔をアップで捉える。モザイクはかかっていない。必ずしもマスコミ関係者の身内だから取材に協力的なわけではないと思う。たぶん裏で、ある力が働いているのだ。とにかく、どこかのテレビの前で、それを見ている者が妻の顔に見覚えがあるのに気付く。講師がやけに激昂した調子で語ったり、意識が浮遊したような状態になるビデオを見せられたり、一同が不気味なほど静まり返って祈る集会で、あるいは、健康食品や壷の入ったバッグを持ってセールス先の町に運ばれていったマイクロバスの中や出家信者たちの混じり合った体臭で奇妙な雰囲気に包まれた合宿所で確かに見かけた顔であることを思い出すだろう。彼女はいつしか姿を消していたが、そうか、結婚して市井の生活を送っていたのか。しかし、それは神に背を向けたということに他ならない。彼女の顔を覚えている何人かは、こう確信するだろう。彼女は雷に打たれたのだ。いったん神に近づいたが、そこから離れたため、雷に打たれて死んだものがいます。教団の中でまことしやかに囁かれている言葉。それは現実に形をとって現れた信仰の中の奇跡かもしれないが、同時に忌まわしく恐ろしい事実でもあるのだ。しかし、神のみわざはあまねく述べ伝えられなくてはならない。噂はドミノ倒しのように、あるいは液体が布に染み込むように、瞬く間に信者の間に広がっていくだろう。そして、各々の意識の深層に刻み付けられ、かれらの行動を規制する。メシアは人間をコントロールする方法に長けている。いったん、その手中に絡め取られた者は、どんどん深みに嵌っていく。


[紙片7]

昼は灼熱、夜は酷寒。都市の砂漠をさまよう我々ホームレスにとって冬の夜は特にきつい。外で寝るアオカンにこだわって意地を張る者もいるが、もし幾ばくかの金があれば、暗くて寒い時間帯は屋内でやり過ごしたいと思って当然だ。収入源といえばアルミ缶集めや、電車の網棚や駅のゴミ箱から拾った雑誌を露店で売ることや、自販機の返却口に忘れられた硬貨を集めること。暇な時間をただうろつきまわるのが仕事で、おそらく一日数十キロは歩くから、犬も歩けば…で、現金や財布を拾うことも意外とあるものだ。そんなこんなで小金を手にした時、これまでは深夜営業のサウナや喫茶店、ファーストフードなどに潜り込んで朝を待ったのだが、先日、ある仲間に教えられてネットカフェという所に入ってみた。俺はもちろんパソコンの扱い方などまったくわからなかったのだが、そこの店員が暇を持て余していたのか人恋しかったのか丁寧に教えてくれた。おかげでインターネットというものをなんとか閲覧できる程度にはなった。それはもの凄い経験だった。パソコンの画面は世界に連なる窓であり、俺は、向こう側に広がる世界を覗いたり、そこに集う人々に向けて何かを書きこむことができるのだ。俺はネットサーフィンとかいうやつであるサイトへ行った。そこでは、自分の書いた詩を送ると瞬時にして掲載され、誰もが読んだり、感想を書いたりできるのだ。俺はかつて、自分の詩集を作って多くの人間に読まれるのを夢見ていたが、自費出版するような金があるわけはなかった。しかし、このネットというものなら、自分の作品は多くの人の目に触れることだろう。出版するといっても僅かな部数で、それもどれだけ読んで貰えるかわからないが、ネットならむしろ、それより遥かに多くの人間に俺の想いを伝えることができるのではないだろうか。そうだ、これからは、暗く寒い夜からこの椅子の上に避難して俺の言葉をを画面の向こうに投げてみよう。もしかして、それを誰かが拾うかもしれない。ホームレス生活を始めてからは暇な時間が多いが、冷房暖房の行き届いた図書館はそんな時の行き場所として皆よく利用しているようだ。だからホームレスには博学で世の中の動きに詳しいものが多い。何かを語らせればテレビのコメンテーターに勝るとも劣らないのではないだろうか。そういうわけで俺は図書館で今更ながら宗教書など読むようになった。学生時代に戻ったような気分だ。今まではメシアの『宗教統一理論』を通して知識を得ていたのだが、そこには歪曲や捏造の多いことがよくわかった。この世界の真実とはまったくもって遠い代物である。あんなカルトに関わるのは、人生の一部を無駄に費やす以外の何ものでもない。仏教では他人の時間を奪うことも盗みに含まれるというのを読んだが、神聖十字軍は人の生のある期間を取り返しのつかないものにしてしまうのだから、それは一種の殺人と言ってもいいのではなかろうか。それなら、どのような人生を選べたらそれが真に自分のものと言えるのか?となると、その確かな答は思いつかないのだが…。もしかしたら、この人間社会というものが、まさにカルトなのかもしれない。


 紙片7の一部には既視感があった。かつて読んだ詩の中に同じような内容のものがあった気がする。Poem Villageの投稿でだったろうか。ルネはぽえ村でログのページを開いた。そこには検索機能があるので記憶に残っていた“昼は灼熱、夜は酷寒”というフレーズで探してみる。
 『物語を編む人』という作品がヒットした。


 物語を編む人
          赤土

物語を編む人
夜となく昼となく
春となく夏となく
秋となく冬となく

    ・
    ・
    ・

 読んで行くとこういう部分があった。

昼は灼熱
夜は酷寒
世界は砂漠で
そこをさまよう私に
水分といえば自分の唾液だけ

 これは紙片の中の“昼は灼熱、夜は酷寒。都市の砂漠をさまよう我々ホームレスにとって…”に似ている。

暗く寒い夜から避難した椅子の上
物語を窓の向こうに投げれば
誰か拾う人がいますか?

 ここも“暗く寒い夜からこの椅子の上に避難して俺の言葉をを画面の向こうに投げてみよう。もしかして、それを誰かが拾うかもしれない。”と、きわめて近い表現だ。

 紙片1から紙片6まで、これを書いた人物はどこかのカルトの出家信者で、テロのような役目を担っていたことが窺えるが、紙片7では、おそらく脱会してホームレスになっている。

世界のためという妄想
殉教者の悲壮感に駆られ

 この部分は、彼の過去に対する思いを綴っているようにも感じられた。紙片7によれば、カルトは神聖十字軍らしいが、7枚の紙片は赤土が書いたものなのだろうか。













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(1) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう