『暁月夜に咲く花は』あとがき
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
「暁月夜に咲く花」は合歓の花。
奈良時代には合歓木として、紀女郎と大伴家持の相聞歌などにも詠まれているのが万葉集に載っています。ところが、そののちは夫木和歌抄という鎌倉後期に編纂された歌集には見つかるものの、古今和歌集や新古今和歌集にはその名を見つけることができません。
ということは恐らく、大和や伊勢、志摩あたりの太平洋側には多く自生していたけれど、内陸部の山城や都のあたりにはあまり生えていなかったのではないか、と考えています。この物語の主人公の男が合歓の木を伊勢の地で初めて目にしたということになっているのは、そういう理由からです。
合歓の木は今も、紀伊半島で多く見られます。夜から暁の頃にかけて開く合歓は、先に行くほど薄紅に染まる糸状の花が扇のような形で咲き、かすかにいい香りもします。大好きな花です。
さて、この物語はスピンオフ的なものと以前から書いていましたが、そもそも本編のないスピンオフなんて、とお叱りを受けるのでは、と少々ビビっております。しかも、ラストはあんな感じですし……。
実は、ずいぶん前から本編にあたる物語のプロットを書いておりまして、そこに出てくる貴公子のあんまりな人間性(?)に悩んでおりました。なぜ、そんなひん曲がったキャラになってしまったの? と彼の生い立ちを考えるうちに生まれたのがこの『暁月夜に咲く花は』です。
もしかしたら、本編を書き上げた後で載せるべきだったのかもしれません。だけど、どうしても彼をただの嫌なヤツとして書きたくなくて。
人は多面体です。ある者が他の人を見る時、きっと自分の見たい姿を相手の中に見つけようとするのだと思います。だから、見る者によって人に対する評価は180度変わることもあるかもしれません。嫌なヤツも見る者が見れば愛おしい人となり得る、そんなことを描きたいと考え……結果として、芯の強い娘と心弱き男の物語となりました。
私は畿内に住んでおり、幼い頃からよく伊勢志摩を訪れています。
人があたたかく、山も海も美しく、神々の息吹と古い文化が根づく伊勢志摩の地は本当に魅力的です。いつか、伊勢を舞台にした物語を書きたいと思っていました。
その魅力をお伝えできたかといえばかなり疑問ですが、でも、今回望みが叶って嬉しかったです。
冒頭に出てくる山での遭難シーン、鹿が飛び出したりいきなり霧が湧き出てきたり……それは今でも伊勢の山を越えれば普通に見られます。覆いかぶさるように咲く桜も、野山の木々に絡みつく藤も桐の薄紫の花も、みんな伊勢路で今も見かけられる光景です。神の宿る山々は、きっと一千年前にも同じような景色だったに違いない、そう思って書きました。
で、恒例の音楽は……Twitterの方にはリンクも貼りましたが、今回はメンデルスゾーン作曲『弦楽四重奏のための4つの小品 より カプリッチョ 作品81-3』がエンドレスでした。全体を覆う雰囲気は男の逃げ場のない苦悩、始まりはぎーこぎーこと牛車が軋んでて、途中からぱっぱかぱっぱかとお馬が駆けるイメージです……なんやのそれ? という感じですが、とにかく私の中ではそういう風になってました。
いつもお読みくださり応援くださる皆さま、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
奇しくも一年前の今日は、初めての投稿作である『説得』を完結させた記念日です。遅筆なのが申し訳ないのですが、それでも少しずつ、心にある物語を文字にしていく所存です。
そしてまた、この『暁月夜に咲く花は』の登場人物たちに再会できる日をお待ちいただければ、と思います。彼らの物語は次作『たぎつ瀬の』へと続いていきます。どうか彼らの行く末を見届けてください。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
それでは、また近いうちにお目にかかれますことを。
溢れんばかりの感謝とともに
夕月 櫻