62、過去と現在
先ほど女が曲がってきた曲がり道から、一人の男が走り出してきた。
それに続くようにして走って来る男達が十数人。
只ならぬ様子にアレンは慌てて剣を抜き、女の元へと走り出したが、距離がある。
アレンが数歩も進まぬうちに男達は女に追いついた。
女は何かに躓くようにして転び、子供を庇うように背中に隠す。
見れば男達は武器を持っている。
気が付けば、クレアも走り出していた。
何かが出来る訳でもなく、策がある訳でもなかったが、走り出さずにはいられなかった。
血が冷たくなったような感覚が走る。
「止めて…」
呟くように言った言葉は、二度目に口をついて出た時には叫びに変わっていた。
その声に驚いたようにアレンが振り返る。
「クレアっ!戻れっ!」
女の近くまで辿り着いたアレンに、男が一人切り掛かった。
それをいなしてアレンは逆に切り掛かる。
その後ろで女に剣を振り上げる男の姿が見えた。
『止めて…止めて!止めてっ!止めてっ!!嫌…嫌、嫌、嫌っ!!殺さないでっ!』
―死なないで…お母さん…
八年前に戻ったかのようだった。
目の前に見える親子に被って母の姿が見えた。
―助けなきゃ…あんなに血が…嫌…止めて…
―見てる…お母さんが、見て、いる…
―…短剣が…お母さんが…死、ぬ…
もう一度あたりに叫び声が響いた。
それをクレアは自分の悲鳴だと思ったが、一拍置いて自分と子供の悲鳴である事に気付いた。
子供の母親は既に地に倒れ付し、男は子供に短剣を突きつけていた。
隊商の前方では、二度目の悲鳴にようやく事態を把握したジャンが慌てて後方に視線を巡らし、子供を助けようとしたが、時既に遅く、男の刃は小さな体に衝きたてられていた。
アレンが何か叫び、男を一人倒した。
クレアは親子の下に向かおうとしていた足が鈍り、一歩二歩と思い出したように歩いてから、その場に立ち止まった。
す、っと頭から血の気が引く。
凍りついたように体が言う事を聞かない。
『この感覚…知ってる…』
考える事の出来ない頭で、ふとそんな思いがよぎった。
『知ってる…。お母さんが殺された時と、同じ…』
そう思った瞬間、ぐら、と地が歪んだような感覚に陥った。
昔に舞い戻ったように映像が被って見える。
『死んだ…殺された…こいつらに…』
視線を下げたまま動かないクレアに、短剣を手にしたまま男達が近づいてきた。
『また…また助けられなかった…』
時間にすれば一回目の叫び声からほんの数秒の出来事。
しかし、まるで永遠のような一瞬。
ゆっくりと、視線が男を捕らえた。
そのまま、縫い付けられたように近づいてくる男かた視線を外す事が出来ない。
『また…見殺しにした…私が…。どうして、笑ってるの…?どうして…どうしてっ!』
思考が混乱して、収拾のつかない頭の中に、ニタニタと汚い笑みを浮かべる男達の顔が広がる。
現在の映像なのか、過去の残像なのか、それすら分からず、ただ憎しみ、悲しみ、怒り、名前も分からないような感情が溢れる。
アレンは、様子のおかしいクレアに気付き、男の剣を受け止め、振り返る。
「…っいやーーーーーっ!」
親子と男達を痛い程に目を見開いて凝視していたクレアが、不意に叫び声を上げた。
その叫び声と同時に、突然突風が巻き起こり、アレンも男も溜まらず、剣を振るうのを一端止めて顔を庇う。
「クレアっ!」
後ろからもジャンの叫び声が届いたが、クレアには聞こえた様子もない。
顔を庇った腕の間からアレンはクレアを伺い見る。
風はクレアを取り巻くようにして起こり、良く見れば、クレアの足は地についてはいない。
地面から僅かに浮き上がっている。
振り返ったアレンに切りかかろうと背後で男が腕を振り上げたが、あまりの突風にそのまま後ろに倒れこんだ。
更に風が強まり、堪らずアレンも数歩後ろに退がる。
男達も、飛ばされないようにその場に踏みとどまる事に精一杯で、動く者は誰もいない。
ジャンも、何か言っているが、風に掻き消されて音は届かなかった。
伏せていた顔を上げて、クレアは虚ろな瞳で男達を見る。
怖気が走った。
背筋が冷やりと冷たくなる。
「何やってるんだ!あんな場所にいたら巻き添え喰うぞ」
耳元で聞こえた声にはっとすれば、アレンはジャンに抱えられるようにして、地上から離れ、上空にいた。
ジャンが自分を連れて飛び上がったのだ、と思考が追いつくまでの数刹那。
地上に向けた視線に、クレアとその前に広がる惨状が目に入った。
地に足をつけて立っている男は一人もいない。
みな風に飛ばされ、先ほどよりもいくらか離れた所に倒れている。
それらが目に入ってから、次の瞬間、幽かに浮遊感を感じ落ちていたスピードが弱まると足の裏に地面を感じた。
「おいっ!どうしたんだっ!?」
風に掻き消されないようにアレンは大声で問う。
「…力が暴走してるんだ…」
ジャンはそう答えたが、アレンの耳には届かなかったようだった。
力は感情や、意識と密接に関係している。
クレアの感情に呼応して、溢れ出した力は、その主の操る技術が拙いがために感情のままに暴走する。
力は更に大きな力を引き出す。
不幸な事にクレアの力の量は多く、いくら引き出されてもなかなか尽きる事を知らない。
その為、いまだに風は強さを増していた。
なまじ力の存在を知り、扱えるようになっていたからこそ起こった事態だった。
「あれは…」
クレアの前で光る物を認めてジャンは呟く。
「何だ…?」
アレンもまた光を放つそれに気付き、呟く。
神器。
その正体に気付きジャンは更に表情を暗くする。 |