56、練習1
その日、アレンが宿の部屋に戻った後も、鬱々とした空気は払っても払っても離れる事はなく、アレンにとっては過ごし辛い事この上ない一日となった。
ジャンが始終何かを考え込むかのように黙っているだけでなく、クレアもいつも以上に沈んだ様子だった。
クレアが物静かなのは今に始まった事ではないが、いつにも増して反応がなく、急に力を使う練習を始めてはそれにただ無心に没頭したり、と明らかにいつもとは違う。
悪気があった訳ではないが、こうなる直接的な原因を持ち込んだアレンにとっては責任のあるなしに関わらず居心地は悪い。
結局その日は部屋に閉じこもるようにして終わった。
「クレア、ちょっと外行かない?」
ジャンがそう言ったのは次の日の朝だった。
「え、外?」
聞き返すクレアにジャンは頷く。
「街の外。ちょっと気分転換にもなるし、力の練習」
クレアは軽く首を傾げてジャンを見たが、黙って頷いた。
「何だ、外行くのか?俺もついて行って良いか?」
アレンが言うとジャンは少し考えるようにしていたが、良いよ、と答えた。
駄目だといわれそうな雰囲気だったので、内心アレンは断られるだろうと思っていた為、一応了承が出た事にホッとして息を吐いた。
「今から行くんじゃ昼持ってった方が良いだろ?すぐ準備してくるからちょっと待っててくれ」
そう言って慌てて準備をしに向かう。
少しして戻って来たアレンは茶色い紙に包まれた物を三袋持っていた。
何、と聞けばアレンは、昼飯、とだけ答えてそれぞれに袋を投げてよこした。
それを持って街を出た三人は街道沿いではない、あまり人気のない道へと入り、農地が終わると森の中へと分け入って行った。
ジャンが立ち止まった時には既に太陽は真上まで昇りきっていた。
先に昼を済ませる事にしてアレンが用意したサンドイッチを食べた。
アレンが見ている限りでは、クレアは普段の様子を取り戻していた。
勿論、ほとんど話しはしなかったが、昨日のような痛々しい表情はなかった。
しかし、アレンは今までのように何も知らずに何となくクレアを気にしている、という状況ではないだけに、余計に無理をしているのが分かってしまう。
知らなければつい聞きたがり、知りたいと思うが、聞いた後には、本人が話したがらなければ話したがらない程に、たいていは聞かなければ良かった、と後悔する事になる。
あまりにも受け止めるには重い事実。
まだ出会って数日。
しかもこの護衛の仕事が終われば、もしかしたらもう会う事もないかもしれない。
「よし、じゃあクレアは練習。えっと、アレンどうする?」
「いや、別に気にしなくて良いよ。こっちが無理に付いて来たんだしな」
ごめん、とジャンは謝る。
それに笑って答えてアレンは近くの木の下に座り込んだ。
「じゃあ、前やってたのの応用。広さがないと練習出来ないんだけど、結構基本的だし、もしかしたら一番目立たない使い方が出来て便利かもね」
そう言ってジャンはあたりを見回す。
近くに生えている木に近づくと上を見上げる。
「まずは、これくらいで良いかな?あの木の枝に飛び乗る」
言ってジャンが示したのは一番下の枝。
しかし、一番下とは言っても人の身長よりも少し高いところある。
とても飛び乗れる高さではない。
「あれに?」
クレアも少し戸惑ったように聞き返す。
「うん。一回やって見せるから」
そう言ってジャンは枝を見上げると、軽く屈み込んだ。
それはとても、枝の高さにまで飛び上がるとは思えない様子だったが、次の瞬間ジャンの動きからは想像もできない程の高さを、軽々と飛び上がった。
「ちゃんと前やったのを思い出してやれば、出来ると思うよ。腕を力だけで持ち上げるのの、応用だから。力と、自分の体の動きを連動させてするだけで、こんなにも違うんだから。ただ、加減には気をつけてね」
そう言ってジャンは頓着なく枝から飛び降りた。
「うん…」
クレアは軽く不安そうに枝を見上げる。
「大丈夫だって。要領は同じだからさ」
やってみなよ、とジャンに促されてクレアは木の下へと向かう。 |