32、夜
行程は、全く順調そのものだった。
時々現れる盗賊は確かに普段からすると異常なまでの多さだったのだろうが、ジャンの働きで全く問題にはならなかった。
そのためなのか、予定より早く進め、夜になった頃には、次の街、マーブルまでの道のりの三分の二ほどまで来ていた。
「いやぁ、良かったよ、ジャン。おかげで思いのほか早く進む事も出来た。この分だと明日の昼ごろにはマーブルに着きそうだ」
ウィリアムは笑顔でそう言った。
夕食には焚き火を起こし、それを囲んで全員で食べるのがこの隊商の習慣のようだった。
食事も、全員同じ物を食べているようで、使用人と雇い手にはほとんど隔たりが見られなかった。
そのせいか使用人達も、ウィリアムやアレンを慕っているようで、場はとても和やかなものだった。
相変わらずクレアとジャンの側にはアレンが必ずと言って良い程居て、いろいろと世話を焼いていた。
食事が終わり少しすると、一人二人、と火の側から離れていく。
見ると天幕のような物を張り、寝る準備をしているようだった。
「ああ、あの天幕の下で寝るんだ。あっちが女性で、こっちが男」
クレアがじっと見ている事に気付き、アレンがそう説明する。
二つの天幕はほぼ隣あわせに張られていた。
「でも、クレアとジャンはどうする?何だったら、馬車の方に寝る所を用意させるけど?」
それに首を振って外で良いと答える。
「おーい、エルシー」
アレンに呼ばれ、昼間、話しかけてきた女性がこちらへとやって来た。
「クレアの寝る場所とか、ちょっと世話してやってくれ」
「はい、分かりました。外でよろしいんですか?」
エルシーの言葉にクレアは頷く。
「そうですか。では、こちらに」
にこやかにエルシーはそう言ってクレアを招く。
「ここでは、特に場所も決まってはおりませんし、お好きな場所で寝てくださってかまいません。心細いようでしたら真ん中にいきましょうか?」
それにクレアは首を横に振る。
「出来るだけ、端が良い」
少し首を傾げそうですか、と答えエルシーは空いていた天幕の下ぎりぎりの端へと向かう。
そこは天幕を結んだ木の真下だった。
「では、私も近くで寝ておりますので、何かあったら仰ってください」
そう言ってエルシーは、自らの寝場所もその近くに確保する。
クレアはエルシーが自分から視線を外し、自分の事を始めた事にほっとして軽く息をついた。
エルシーの言葉遣いは丁寧すぎて、居心地が悪かった。
物腰も柔らかく、丁寧で、上品な印象さえ受けた。
しかし、逆にそれはクレアにとって、居心地の悪さを増すだけだった。
勿論、雇われた者でもなく、使い手でもない。
ただ単にジャンについてきただけだから、敬語は使わないで欲しいと頼む事も出来た。
だが、わざわざ自分から話しかける事もない、と思いそのままにしていた。
話して、親しくして結局何の意味があるのだろうか。
人との繋がり、そのようなものを求めていったい何になるのだろうか。
労働力が欲しければ相手は賃金を出す。
求められるのは人間性ではなく、それをこなす力であり、相手が求める事をすればお金が手に入る。
そして、その金があれば店に入れば物を売ってくれる。
店で求められるのもまた人となりではなく、どれだけ経済力があるかだ。
生きていくための活動のほとんどは、人との繋がりではなく、相手と自己との損得の関係でなりたっているのだ。
もう一度軽く溜息をついて、クレアは集中しようと座りなおした。
昼間は、ひっきりなしにアレンが話しかけてきたおかげで、力を使う練習はほとんど出来なかった。
だが、少し感覚は分かってきたように感じていた。
無理に感じようとしてはいけないのだ。
感じようとしない事で感じる事が出来る。
目を閉じ邪魔な思考を全て止める。
自分の中の声を完全に止める。
自分の境界線が曖昧になる、そんな感覚。
自分の腕、足、順番に空気に溶け込ませるような感じで、どこまでも、自分が広がっていくような感覚に陥る。
そうすると、何か感じるのだ。
周囲との境界のなくなった自分の中で、他と溶け合う事を拒む何かを。
だが、あ、と思った瞬間にその感覚は指の間からすり抜けて零れ落ちてしまう。
完全に思考を空にしておかないと、感じられなかった。
だから、それを見つけても、何も考えずに集中する。
おそらく、それがジャンの言う力であるのだろうが、どうやって自分の意思に従って動かせば良いのかは、皆目見当もつかない。
何か考えようとすると途端に見えなくなってしまうのだ。 |