19、感覚
始めは腕を動かしていたクレアだったが、一向に力の感覚とやらは感じられない。
やがてクレアは、歩く動作によって、自分の身体の中で働いている力を感じようと、神経を研ぎ澄ませて自分の身体の中を探った。
しかし、これといって特別な感じはなく、動かしているという感覚の中に力の感覚もあるのだろうか、とも思うが、どれがそうなのかも分からない。
そもそも意識もしないで、普段から自然と使えている力の感覚を分かるようにするというのは、意識しないでも勝手に流れている血の感覚が分かるようにするというようなものじゃないか、とクレアは溜息をついた。
いや、血の感覚の方が、具体的に血がどのようなものか分かっている分ましかもしれない。
『そういえば、視覚を奪われると他の感覚が鋭くなると言うけど、本当かな…』
一向に掴めない力の感覚に困り果て、唐突にクレアはそう思いついた。
「わっ!!」
「…大丈夫?」
笑いを噛み殺したような表情で、それでもお義理のように聞いてくるジャンを、クレアは少し顔を赤らめながら軽く睨んだ。
「ごめんごめん、だってこんな所で転ぶとは思わなかったし」
謝りつつも、ジャンの顔には笑いが浮かんでいる。
「……仕方ないでしょっ!」
まさか目を閉じていたとは言えずに、クレアはそう言った。
ふと浮かんだ考えを、後先もかんがえず、つい実行してしまったクレアは、目を閉じた途端に足元にあった凹凸につまずき転んでしまったのだった。
すぐに立ち上がり、さっさと歩き出すクレアを追い、ジャンも歩き出す。
気持ちを落ち着けて、再び意識を集中しようとクレアは呼吸を整えた。
「…集中するのも良いけど、足元の注意もお忘れなく」
笑い含みに茶化すように言ったジャンを軽く睨んで、クレアは大きく息をつき、再び力の感覚を探り始めた。
自分の身体の重さ、そして少し疲れてくると疲労感や筋肉を動かしている、という感覚は感じられる。
しかし、それ以外の感覚となると、後は外からくる、空気の感触であったり、何かに触れたという感覚だけであった。
『…何が力の感覚なんだろう。でも、これだけやっても分からないって事は生まれた時からあるからこそ、普段はそれを感じられないという事?』
現に、筋肉を動かしている、という感覚も疲れた時以外にはそうそう感じられるものではなく、そのようなものなのだろうか、と考えながらまた身体の内を探る。
「クレア、そろそろケイネの領地だよ」
ジャンが突然そう声をかけてきた。
意識を内から外に向けると、辺りは木々もまばらになり、少し先には農地も見えていた。
「どう?感覚は掴めた?」
ジャンの言葉にクレアは首を横に振る。
「全然ダメ」
日も少し傾き始めた、空を見上げてクレアは溜息をついた。
「だろうね。そりゃ、すぐには無理さ」
「…ケイネって畑も広いんだね」
ふと周囲を見回してクレアはそう言った。
森を抜け、農地に入ったのは良いが、ケイネの街自体はまだ遠い。
「大きな街だろうからね」
ジャンも辺りを見回しながらそう言う。
膨大な人々を養うだけの食料が必要になるのだから、自然農地は広くなる。
「でも、これだけ街から離れてると世話が大変そう…」
おそらく、一番離れた農地までくるには徒歩で三時間以上はかかるだろう。
「ほら、忙しい時期にはあそこに泊まるんじゃないか?」
そう言ってジャンが指差した先には小屋と収穫した作物を保管するためであろう、数件の納屋らしきものが建っていた。
良く見れば、畑のあちこちに同じような物が建っている。
農地から道に目を向けると、畑仕事を終えた人々が家路についていた。
「急がなくて平気かな?」
ケイネの領内に入り、少しのんびりと二人は歩いていた。
しかし、街の門は日暮れと共に閉まる。
一度閉まってしまうと日が昇るまで開く事はなく、日暮れに間に合わなければ街の外で一晩を明かす事になりかねない。
「平気、だと思うけど…」
辺りを見回し、ジャンはそう答えた。
さすがにまだ農作業をしている者はいないが街へと向かう人々もさほど慌てた様子はないが、人々は少し足早に街へと向かっていた。
おそらく日没の少し前には着くが、十分に余裕があるという訳ではないようだった。
「まぁ、周りに遅れないように歩いてれば平気じゃない?」
クレアがうなずくと、ジャンは前を行く農夫達に遅れないよう、少しだけ歩調を速めた。
「よう、嬢ちゃん達、乗ってくか?子供の足じゃ、少しきついだろう」
突然背後からそう声をかけられ、二人は同時に振り向いた。
そこには馬に引かせた荷車に座った、恰幅がよく、よく日に焼けた中年の男の、人の良さそうな笑顔があった。
「荷車の後ろにでも座ってろ。街で下ろしてやるぞ」
そう言って男は荷車の後ろを指差す。
二人は少し戸惑ったように、顔を見合わせた。
「どうした?」
二人の戸惑いを知ってか知らずか、男は相変わらず笑みを浮かべている。
どうしようか、と目で問い掛けるクレアにジャンは微かにうなずいた。
「ありがとう、おじさん」
ジャンが笑顔でそう言い、二人は荷車の後ろに回り、腰掛けた。
今まで、二人は親切にされたり、笑顔を向けられたりという事がほとんどなかった。
流れ者、孤児、蔑まれる要素は十分にあった。
罵声や、心ない言葉、そして時には暴力に溢れた日常だった。
だからこそ、親切な言葉や笑顔は二人を戸惑わせ、下心があるのではないかと疑ってかかる。
それは、生き抜くための術であり、身に染み着いてしまった習慣だった。 |