11、境界線
かすかに笑みを浮かべているクレアを、不思議そうに見ているジャンに、クレアはその事を話す。
「…そりゃあね。危険である事は確かだけど、誰も生きていけない所だったら商人どころか、僕らもセレサにいる事はなかっただろうしね」
苦笑するジャンにクレアは改めて、自分も昔、この外からセレサにやってきたのだという事に思いあたった。
セレサの者でない事は解っていた。
だが、セレサに来る前の記憶はほとんどない。
朧げな外の記憶…その印象は恐いというより絶対的な安心感、母が自分を守ってくれるという幼い子供の揺るぎない思いからくる安心。
昔の記憶に思考の糸がかすかに触れ、胸に刺すような鋭い痛みが走った。
記憶を振り払うかのようにクレアは軽く頭を振ると、ジャンと共に城壁から離れ、畑の中を道に向かって歩き出した。
道は良く整備されていたが、石で舗装されている街の通りを見慣れている二人には、踏み固められただけの土の道は何とはなしに人の世界から離れていく象徴のように思えた。
しかし、周囲には手入れの行き届いた農地が広がり、人の生活の場である事を示していた。
セレサに限らずたいていの街は、城壁で自分達の住居を囲い、その周囲に街に住む農民が世話をする畑が広がっている。
畑は街にとっても大事な生命線であるため、実際の街の安全圏は城壁ではなく農地が途切れる所までだった。
農地とその先には城壁のような境界線などないが、守護使いの司がいる限りは、盗賊なども襲ってくる事はなかった。
そのため、農地は十分に手入れが行き届き、人々に豊かな実りを恵んでいた。
「…ジャン、まだ話してはくれない?」
クレアが躊躇いがちにそう声をかけたのは、辺りには農地が広がり、森はまだ先の方に見える道の上でだった。
「そうだね。…言わないと。何から説明したら良いんだろう」
ジャンは困ったようにそう言い、少し考えるように黙り込む。
「…少し考えても良い?何から話したら良いのか分からなくて…そうだな、森に入って少し休める場所を探して…そうしたら話すよ。歩きっぱなしだったし、いろいろあった。疲れただろ?」
ジャンの言葉にクレアは黙って頷いた。
まだ、ここは城壁を出たとはいえセレサの領地内。
歩きながら、込み入った話しをするのは得策ではないだろう。
考えを整理しているのだろう、黙り込んでしまったジャンを見て、クレアは今まで持ってきていた神器を取り出した。
特に見たかった訳ではないが、どうしても記憶を辿ろうとしてしまう気持ちを紛らわせたかった。
光が消えてしまった神器を見て、クレアはふと自分が光が消えるように願った事を思い出した。
ならば、今光るように願えば光り出すのだろうかと、そう思い、両手で神器を持ち、光れ、と無言で念じてみた。
『…光らない。やっぱりあれは偶然…』
何の変化もない神器を見て、そう思った直後だった。
かすかに神器の奥の方から光がさした。
それは徐々に広がり、淡く神器が光出した。
自分が追われる身だった事を、今更ながら思いだし、それ以上光が増さないように願うと神器は淡い光をたたえたまま、それ以上光は強くならなかった。
クレアは持ってきていた使い古した毛布がわりの布で神器を包んだ。
この程度の光ならば、布で包んだだけで遠目には分からないだろう。
布に包んだまま、少しだけ神器が見えるようにして、改めて神器を見た。
『…綺麗』
それ以外になんと言えば良かったのだろうか。
感嘆の言葉の他浮かんでこない。
澄み切った水に光がさしたように、ゆらゆらと不規則に色合いをわずかに変えて光る淡い青の球体。
そしてそれを緩やかな螺旋状に二筋の炎を模した細い線が取り巻く。
これは赤や橙、朱といった様々な炎の色を映しだし、水と同じく不規則に色合いを変えていく。
そして、風、水から生えるように一対をなす二つの鳥の翼…空を思わせるような薄く淡い青…白か透明かと見間違う程薄くはかなげな色だった。
まるで、色の付いた風が翼の形を表しながら吹いているようで、翼の中の風の流れは止まる事はない。
『…不思議』
始めは硝子か水晶か、何かそのような物で、でできているのかと思った。
だが、違った。
神器自体は固体ではなく、翼はやはり風のようで、火は熱くはないが、少し温かい風のような不思議な感触だった。
水はやはり水だったが普段それと意識する水よりも、少し粘り気があるような感触だった。
どれも、触れると形を崩すが、手を離すと元の形を取り戻す。
触れようと思えば全て触れる事が出来るが、特に意識しなければまるで透明な膜があるかのように神器に触れる事はなく、何も見えない所を手で触れる事となる。
「クレア」
ジャンの声にクレアは神器から視線を離し、顔を上げる。
そこはすでに農地を抜け森に入っていた。
「少し、ここで休もう」
そう言って、ジャンは道からそれた木立を示す。
後について、木立を掻き分けていくと少し開けた場所があった。
道からは全く見えないだろう。
二人はそこに座り込むと、薄い布に包まった。
もう春とはいえ夜になると肌寒い。
火をおこす事など出来るはずもないので薄い布一枚で何とか寒さを凌ぐ。
疲れ切った体を休め、二人は黙り込んでしまった。
どう切り出せば良いのかと、迷いながらもジャンは口を開いた。 |