チャイムが聞こえる。
クーラーの無いこの埃っぽい部屋のなかを、開けられた窓から生ぬるい風が通り抜けていった。
「あ゛ーづーい゛ー」
そう言って三山高彦は、長机にばたりと伏せた。
かすかに冷ややかとした心地好さが皮膚に伝わるが、それもすぐに自分の体温で消えてしまう。
「なんでこの部屋が俺たちの部室なんだよぉ」
「部室が貰えただけでも有難いと思え」
パタパタと銀行の宣伝が印刷されたうちわで扇ぎながらそう言ったのは、顧問の最中大介である。
「うっせぇモナカ」
「サナカ(最中)だ!」
「まあまあ。暑いのくらい我慢しましょーよ」
窓際に座っていた中山春樹が、困ったように笑う。
壊れかけたブラインドが、ガシャガシャと音を立てた。
「今時クーラー無い生活なんて考えられへんわ」
関西弁混じりは邦田翔太。
高彦の向かい側で、同じように長机に伏せている。
クーラーの無い、このボロ教室。
ここは『なんでも同好会』という、なんとも意味不明な部活の部室である。
『同好会』とあるが、この山中高校では部活動のみが認められている為、どんなに名前が『同好会』でも、それは顧問のいる『部活』なのだ。
『なんでも同好会』とは。
名前の通り、なんでも良いから集まっちゃえ☆的なノリで生まれた部活動。
特に何かをするって訳でもなく、こうやって週一でただなんとなく集まる程度のもの。
部員はたった三名。部長の三山高彦、副部長の中山春樹、書記の邦田翔太。
そして顧問教師の最中大介。
「アイス食いてえ」
「春樹、ガリガリくん」
「えっ嫌ですよ。なんで俺がパシリなんですかっ」
窓から入る風で、春樹の色素の薄い髪がサラリとなびく。
またブラインドがうるさく音を立てた時、ドアがコンコンと二回ノックされた。
「あ、はーい、どうぞぉ」
窓際にもたれていた春樹が、姿勢を正して返事をした。
ガラリとドアが開く。
「すいません、園芸部なんですけど、今日花の水やり頼んでいいですか?」
ドアのところに立っていた生徒が、ズレかけた眼鏡を直しながら言った。
「あ、いいですよ」
「助かります。今日はどうしても部員全員での会議があって」
「大変ですね。わかりました」
快く承諾した春樹に、その生徒は安心したように笑顔を作った。
今『なんでも同好会』は、『なんでも引き受け屋』(雑用係ともいう)へと変わりつつある。
困っている奴を無償で助ける。
これは顧問である最中の提案。
はじめ「無償で」というところに、高彦と翔太は軽く反発したが、今ではボチボチこのスタイルが型に嵌りつつあり、校内では『なんでも同好会』を頼る生徒が急上昇中なのだ。
「中庭の花壇だけでいいって言ってたけど…」
サンサンと輝く太陽の下に点在する、馬鹿みたいに数の多いヒマワリやヘチマの花壇。
「花壇の数多すぎだろー!」
それを目の前にして、痛いほどの日差しを受けながら、高彦、春樹、翔太の三人は立っていた。
「ホースが一本とジョウロが二個だから…」
「俺ホース」
「は?そんなん俺かてホースがええわ!」
勝手な高彦に、当然だが翔太が反発する。
「あ?部長はホースって決まってんだよ」
「そんなんいつ決まってん?!」
緑のホースを巡って、醜い争いのゴングが鳴り響く。
「…今さっき」
「何やねんその微妙な間!てか部長なんやから、部員の為にホースを譲れや!」
「嫌に決まってんだろーがバカタレ」
「ぁあ?!!」
睨み合いながらホースを引っ張り合う二人。
「ちょっと待って下さいよ!俺だってホースがいいです!」
止めに入るような形で主張した春樹に、一旦高彦と翔太が動きを止めた。
「は?何言ってんの、春樹」
「え?」
春樹がキョトンと首を傾げる。
「春樹はジョウロに決まってるやろ」
「えー!」
何当たり前なこと言っちゃってんの的な目をする二人に、春樹は不満の声を上げた。
「そんなのズルいじゃないですか!なんで俺がジョウロ?!」
「何でって言われてもなぁ」
「春樹。世界が決めたことだ」
「そんなみみっちい事、世界が決める訳無いでしょ!」
二人が三人になり。
やっぱりホース争奪戦が始まった。
長身の高彦と翔太に対して、160前半しかない春樹は少し不利かもしれなかったが、それでも対等にホースを奪い合う。
結構な時間そのくだらないやり合いが続いて、
「よーし!もう公平にジャンケンで決めるぞ!」
結局そうなる。
「よっしゃあ!負けても文句無しやで!」
「最初はグーからですよ?」
それぞれが手に気を集中させる。
こういう時だけ真剣になる馬鹿三人組。
「「「さっいしょっはグー!」」」
力の入った拳が三つ振り出されて。
「「「ジャッンケン」」」
蝉がうるさく鳴いている白昼。
「「「ポイ!!」」」
一つの戦いが幕を下ろした。
「さー、ちゃっちゃか水やり終わらせちゃいましょうねー」
言いながら上機嫌にホースを手にもつ春樹。
「…納得いかねぇ」
「…せやからジャンケンは好きとちゃうねん」
それとは対称的に、鼻唄混じりに花壇に水をやり始めた春樹を恨めしそうに見ている長身二人。
その手には象の形をしたジョウロが。
象さんを握り締めたデカイ男は、正直かなり滑稽である。
「もー、二人とも!ぼーっとつっ立ってないで、早く水やり始めてください?」
ホースを勝ち取った(たかがジャンケン)ことにかなり満足しているようで、少し上から目線で春樹は高彦と翔太に言った。
その春樹の言葉で。
太陽はサンサン。
二人の目はギラギラ。
「なあ、翔太」
「なんや、高彦」
声を潜めた二人の会話。
「俺、やっぱ我慢できねぇ」
「ん。俺も同感や」
「いくか?」
「いこか」
高彦と翔太の視線が、ホースで水をやる春樹に定まる。
それはまるで獲物を狙う獣。
「はーるきっ」
その目とは反対の優しく明るい声で高彦が呼ぶ。
「はい?」
くるりと春樹がこちらを振り向き。
「?!」
「「ホース寄越せぇええ!!」」
ものすごい形相で接近してくる高彦と翔太に、春樹は思わず小さな悲鳴をあげた。
「ぅわっ!い、嫌だーーー!!!」
ホースを持ったまま逃げ出す春樹。
それを追い掛ける高彦と翔太。
「さっきジャンケンで決めたじゃないですかぁあ!」
春樹は非難の声をあげる。
逃げる足は止まらない。
「うっせえ!いいから寄越せ!」
「春樹はやっぱジョウロやろ?!」
追い掛ける側も止まらない。
そして。
ツンッ
「ゎっ?!」
今まで手に握り締めていたホースが、突然何かに引っ掛かったように伸びなくなり、春樹はバランスを崩した。
正確には、何かにホースが引っ掛かった訳じゃない。
何事にも、もちろん終わりはあるわけで。
単にホースが、春樹が持ったまま逃げた為、それ以上伸びないところまできただけだった。
しかし、バランスを崩した拍子に、春樹はホースを手放してしまい。
「「あ」」
水を放ち続けるホースが、放物線を描いて宙を舞う。
水しぶきが、キラキラと美しい。
そして。
「げっ」
三人の動きがぴたりと止まる。
少し顔が引き吊っていた。
「お前らぁあ(怒)」
ホースの水をまともに浴びて、髪や服から水を滴らせながら立っていた最中は、腹から絞りあげたような低い声で怒りを露にした。
「ちゃんとやってるか心配で見に来てみたら…」
ズリ落ちた眼鏡をクイと持ち上げる。
「お前らはほんっと小学生以下だな?!」
怒鳴った拍子で最中の髪からパラパラと水が飛び散った。
「やん、センセ。水も滴るイイ男やんか」
「んな怒んなって、モナカ!」
「サナカだっ!」
まだ三十路を越えたばかりの最中は、確かにイイ男といえばイイ男なのだが、その若さ故にこうやって生徒にからかわれやすいというのも事実であった。
「で。誰が一番悪いのかな?ガキンチョども」
「なっ!俺らはもう高二です!ガキンチョなんかじゃありません!」
「いや、そこ真剣に抗議するとこじゃねぇから」
少しズレた春樹に、高彦がビシリと突っ込む。
「てか、センセ。誰が悪いとかちゃうから」
「ん?」
「俺ら三人でしたことやからな」
「「翔太…」」
ニカリと笑ってそう言った翔太に、高彦と春樹は切な気に眉を寄せた。
「そうだよな。これは、俺たち三人の仕業だ」
「高彦…」
なんて良い奴らなんだ。
さっきまでホースを独り占めしようとしたことを、春樹は恥ずかしく思った。
「…ありがとう」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、春樹は呟いた。
「お、じゃあ三人でペナルティな」
「「へ?」」
予想外の最中の言葉に、高彦と翔太が間の抜けた反応を返す。
「今日帰る前に部室の掃除な」
最中のその宣告を最後まで聞く前に、
「?!」
ずいと春樹が最中に突き出された。
「え?なに?!」
「「中山春樹くんが全て悪いと思いますっ!!」」
高彦と翔太の声がぴったりと揃う。
「はぁ?!」
「ホースはお前の担当だったろ」
「さっき三人のせいだって、」
「何のことだか」
「!!」
信じられないという顔をする春樹を見て、最中はニヤリと口の端を上げた。
「中山。人間なんてそんなもんだ」
「そんなぁ」
教師としては少し問題発言かもしれないが、嘘は言っていない。
「俺らはジョウロやったからな」
「ま、頑張れ」
意地悪く笑いながら、春樹の両肩にそれぞれ、高彦と翔太の手が置かれる。
「「ホース中山」」
「こっの、裏切り者ーーー!!!」
春樹の悲痛な叫びが真昼の中庭に響き渡った。
まあこんな感じで、この青空の下、『なんでも同好会』は、今日も元気に活動中です。
|