第一章 その3
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路地の少年に任意同行を求め、承諾を得た鍋島と芹沢は彼とともに署に戻った。
「少年課か」
少年に付き添うようにしてロビーからの階段を二階まで上ったところで、鍋島は自分より
少し後ろからついて来ている芹沢に言った。
「ああ」と芹沢は短く返事をした。「呼んでくる」
芹沢は階段のすぐ前の少年課に入っていった。鍋島と少年はその先の刑事課に向かった。
芹沢がドアを開けると、刑事たちが一斉に顔を上げて自分を見たのに少し戸惑った。刑事課
ほどの喧噪には包まれてはいないものの、補導された不良少年や家出少女の、まだ幼く甲高い
声が部屋中を交錯しているのがこの課の特徴だ。しかし今は、よほどの札付きか不登校児で
ない限りは一応は学校が面倒を見てくれている時間であるせいか、あるいは子供と言えども
問題行動を起こすのはやはり陽が落ちてからの方がやりやすいのか、とにかく今はほとんどの
捜査員が自分のデスクに向かって書類仕事に精を出している様子だった。
「何や」
少年課長の城戸明警部が言った。
「会議中か何かですか」
「いいや」
課長は椅子に背を預けるとまじまじと芹沢を見上げた。
他の刑事たちも、上司と同じように振る舞うことが良き部下の条件だと思っているらしい。
それぞれの仕事の手を止め、黙って芹沢を見つめている。しかし芹沢にはもう戸惑いは
なかった。敵意のような好奇のような、そんな意味を含んだ目で見られるのは馴れたこと
だった。そんなことは何もここの連中に限ったことではない。
課長は机の煙草を取って言った。
「杉原やったら休みやで」
杉原というのはこの少年課の部長刑事で、芹沢とは比較的親しい間柄の人物である。
そもそも芹沢が署内に友人と呼べる人間を作ること自体がめずらしく──相棒で腐れ縁の鍋島
は別として──しかもその相手が、芹沢よりひとまわり近く年上で、署内で最も愛すべき人物
の一人であり、また被害者にしろ加害者にしろ事件に関わった子供たちとその親からの人望
厚い模範刑事とも言える杉原であることが、この課の連中にとっては不思議でならないらしい。
しかしそんな人物だからこそ芹沢のような絶望的な人間嫌い──表面ではその逆の好青年を
装ってはいるが、それが虚像であることを人間観察のプロとも言える署員たちは見抜いていた
──からも慕われ、また杉原刑事自身もこの屈折した精神の青年刑事を何の抵抗もなく受け
入れているのだ。おとぼけでも何でもなく、大真面目にそれが理解できないようなら、西天満署
少年課の未来は暗い。
「いえ、傷害の参考人聴取に同席願いたいんです」
「子供か」
「ええ。十四、五歳か、もう少し上かも知れません。少年です」
城戸課長は火を点けていない煙草を顎に押しつけながら一つ頷くと、自分のすぐ前の席の
部下に振り返って言った。
「ヨネ、頼むわ」
課長のご指名を受けたヨネこと米原比呂幸巡査部長は、手際よくデスクの上を片づけると、
ドアを開けて待っていた芹沢に小さく頷き、黙って部屋を出た。芹沢も後に続いた。
廊下に出ると米原が訊いてきた。
「その子供がやったんか」
「分かりません。血だらけで現場近くにいたのを連れてきたんです。任同には応じましたが、
どうも様子が虚ろなんで」
「マル害はどう言うてんねん。死んだんやないやろ」
「死んでませんが、重傷で病院行きです。マル害の女房が、自分がやったと──通報してきた
のもその女房ですから」
「その子供は? その夫婦の息子かなんかか」
「それも分かりません。何も言わないんです。こっちもまだなにも訊いてませんし」
「女房が通報してきたて?」
「ええ」
「どこにいてるんや。連れて来たんか」
「そっちも病院です。死のうとしたのか、怪我してます」
「ふーん」と米原は怪訝そうに唸ると芹沢を上目遣いで見た。「それで? おたくらはどう
見てるねん」
「まだどうとも。これからあの子の話を聞いてからです」
「分かった」
そして米原は刑事課に入っていった。
現場で鍋島と芹沢が路地の少年のもとに近づいたとき、彼は黙って刑事たちの背後──
そこにはカラオケスナックのドアがあった──を見つめているだけで、彼らをまるで見よう
とはしなかった。あたかも二人のことが見えていないようだった。
鍋島はそれで、さっきスナックから出てきたときに誰かに見られているような気配を感じて
この少年に気づいたと思っていたのは、厳密に言うと間違いで、少年が見つめていたのは
自分ではなく、自分が出てきた店なのだと悟った。
鍋島は少年にここで何をしているのかと訊ねたが、彼は何も答えなかった。やはり、少年
には刑事たちの存在が見えていなかったのである。
そして、少年がおびただしい量の血で着衣を汚し、両手にも乾いてはいたが黒ずんだ血を
べっとりとこびりつけていたため、刑事たちはまず彼がどこかに傷を負ってはいないかを
調べた。しかし彼はどこにも怪我をしていなかった。血は彼の身体から流れ出たのではなく、
彼が血を流す誰か(あるいは何か)に触れたためについたものと思われた。
刑事たちはそのことについても少年を問い質したが、やはり彼は答えなかった。ただずっと
向かいのスナックを見つめていただけだった。
そこで刑事たちは彼に署に同行するように求めた。彼が自分たちの存在を認め、自らの意志
でその求めに応じるまで根気よく、何度も同じことを言うつもりだった。
ところが少年はその要求にはあっさりと頷いた。そして刑事たちが誘導するまでもなく、
しっかりとした足取りで通りを渡り、スナックの前に停まっていたパトカーの前まで来ると、
ドアが開けられるのを待っていたかのようにさっさと乗り込んでしまった。
パトカーの中では、少年はまたさっきの虚ろな瞳に戻り、何も話そうとしなくなった。
年齢はおそらく十四、五歳、青白く、しかしその病的な透明の肌の中にどこか気高さのような
ものさえ感じられなくもない美しい小顔の少年で、刑事たちの考えに間違いがなければ
カラオケスナックでの傷害事件に深く関与していると思われるのだが、とてもそんな血生臭い
事件とは結びつきにくい、ひ弱な印象を受けた。
しかしその着衣と両手に付着している、すでにどす黒く変色した汚れは間違いなく血液
だったし、彼は刑事の任意同行に何の躊躇もせずに警察車両に乗り込んだ。ひょっとして、
彼はこうなることを望んでいたのではないだろうか。だからこそ現場を離れることなく、
すぐ向かいから、店の様子をじっと見つめていたのかも知れない。
──どうか早くこっちに気づいてくれ、とでも言うかのように。
そして今、警察にやってきた少年は刑事たちに囲まれてパイプの椅子に腰を下ろしている。
部屋は二時間ほど前に芹沢がトルエンの売人を殴って悶絶させたのと同じ取調室だった。中央
の机を挟んで少年と鍋島が向き合い、左の壁際に芹沢、そして少年の後ろには米原が付き添う
ように座っている。大の大人が三人も、たった一人の子供相手に話をするような部屋では
なかったが、刑事部屋は相変わらずゴロツキどもにいいようにされていたし、少年の着替えも
まだ用意できていなかったから、とりあえずはここで少年が落ち着くのを待とうというわけだ。
そうは言うものの、少年には決して取り乱した様子はなかった。
心細くなって泣いているわけでもなければ、ことの重大さに恐ろしくなっている様子でも
なく、刑事たちに隙を見せまいと虚勢を張っているわけでもない。ただ静かに、その呼吸さえ
も静かに、出来るだけ身動き一つしないで座っていることが、何か大きな仕事をやり終えた
達成感の中で我が身を休ませる唯一の方法であると確信しているかのような、動かし難い
強さのようなものが感じられる。デスク越しに少年を見つめながら、きっと今の彼には
そうする必要があるのだろうと鍋島は思った。あの路地でも彼はその達成感に浸ろうとして
いたのではないか。達成感とは何か? 父親を刺した──おそらくそれで間違いはないだろう
──その満足感、安堵感。
「あいつ、死んだ?」
身にまとっていた静寂の殻を弾くように顔を上げ、少年が口を開いた。うたた寝からふと
目が覚めて、「今何時?」と訊くような無邪気さだった。
「あいつって?」と芹沢が訊き返した。
「生島則夫。カラオケスナックのおっさん」
「知ってるのか、きみ」
「うん」
まるでそのことが極めて不本意であるかのように、少年は鼻のふもとに皺を作った。
「生島さんとはどういう関係や?」
ほとんど一つの答えだけを予想して、鍋島が訊いた。ところが少年は怒ったような眼差しを
鍋島に返してきた。
「こっちの訊いたことはどうなってんの? 僕が先にあいつはどうなったって訊いたんやで」
ささいなことでも手順を踏み越える行為には納得が出来ないらしい。誰が訊く立場で、自分
はどういう状況にいるのかなどということよりも、単純に「どっちが先か」の方が大事なのだ。
優先順位などは知ったことではないらしい。その辺りがまだまだ未成熟な子供だった。
「生島さんは重傷や。奥さんの美代子さんも傷を負ってる。きみ、そこに居合わせてたんやな」
「……なんや」
少年はがっかりしたように椅子に身体を預けた。そして今までとはまるで違った、荒んだ
心の若者に特有の挑戦的かつ自暴自棄な眼差しでその場の大人たちを眺め渡し、そして
開き直った。
「あいつを刺したんは僕。あいつの息子や」
鍋島は頷いた。「きみの名前は──」
「生島修」
「高校生か」
「天神橋中の二年。ここひと月は行ってへんけど」
「何であそこに立ってた?」と芹沢が訊いた。
「おかんが自分のやったことにするから、あんたは逃げって言うたんや。そんなことして
くれんでも良かったんやけど、おかんは僕を無理矢理追い出して──けど、それでええはずが
ないやろ? せやから向かいの路地にいたんや。おっさんがどうなったんかも気になったし」
そこまで言うと少年は一度だけ首を振ると、心底悔しそうに舌打ちした。
「……なんや。死んでないんか」
「滅多なこと口にするもんやない。殺す意志があったと取られても弁解でけへんで」
米原が我が子を諫めるように後ろから早口で囁いた。
「かめへん。父親のこと殺してやりたいって思てる子供なんか、めずらしいこともなんともないわ」
そう言うと少年は目の前の鍋島に視線を移して、
「刑事さんらは思たことないのん? ──ま、警察官になるような人はそんなこと思わへんのかな」
と、どうせあんたたちには分からないだろうという諦めの口調で独り言のように呟いた。
それをはっきりと聞いた鍋島は、自分が決してそうではないことをこの少年が知っていて、
あえて挑発してきているのではないかと思った。
「きみがお父さんを刺した──確かに、自分の意志で刺したと言うんやな」
「うん」
──父親か。その瞬間、この子は父親が憎かったのだ。例えばそこに極めて身勝手な理由が
あったにせよ、あるいはひどく理不尽な衝動が彼を襲ったにせよ、とにかく彼は父親に憎悪の
牙を向けた。あとに残ったのは、父親の死に体と、絶望の淵に突き落とされてもなお犠牲に
なろうとする母親の姿、そして彼のこの勝ち誇ったような達成感だ。
鍋島はこのとき、自分がこの少年に対して純粋な畏敬と羨望の思いを抱いていることを
感じていた。この子は父親に自分の感情をぶつけた。そして、自らの手で父親を断罪したのだ。
それが間違ったことだろうが何だろうが、そんなことは二の次だ。
俺にはそれが出来なかった。やろうと思ったが──いや、本当のところはどうだったのか
今となっては分からない。
でもとにかく俺は何もしなかった。父親を心から憎んでいたことに間違いはなく、あいつの
ようにはならないと今でも堅く心に決めていることも事実だが、俺はそれでも何も行動には
移さなかった。せいぜい就職と同時に家を出たことくらいだが、それすら警察学校での寮生活
が決まっていたからと言ってしまえば、それだけのことだ。
顔を上げてふと気づくと、壁の芹沢がじっと自分を見つめていた。
──ちくしょう、こいつにまで見透かされている。鍋島はやがて、少年と芹沢と、そして
自分に対する嫌悪で胸くそ悪くなった。
「──それで、理由は何や」
刑事課長の植田匡彦警部が言った。少年の事情聴取を一通り終えた芹沢と鍋島の報告を、
刑事課のデスクで受けている中での質問だった。
「あいつは要らんから、ということだそうです」鍋島が答えた。
「要らん? 用なしってことか」
「そうです。あいつは疫病神や、と言うてました。少年にとっても、母親にとっても」
「しかし女房は亭主の女性問題がこじれて言い争いになったと言うて通報してきたそうやけど」
課長のデスク脇に立った高野茂警部補が言った。彼は一係の係長で、鍋島と芹沢の
直接の上司ということになる。
「そんな言い方したら、まるでおかんが嫉妬してるみたいやんか、と言ってましたよ」
芹沢は明らかに間違ったイントネーションで少年の言葉を再現し、その下手くそさに自分で
苦笑しながら、なおも努力して続けた。
「ちっとも働かんと、店の売上全部バクチと女につぎ込んで、たまに家にいるかと思ったら
酒ばっかり飲んでおかんに暴力や。おかんが泣き暮らさなあかんのはあいつのせいやねんで、
ってね」
「お上手」
高野は困ったように微笑みながら胸元で小さく手を叩いた。
「しかし金輪際真似して言うな。おまえの関西弁聞いてたら気色悪い」
「……分かってますよ。リアリティーを出そうとしたんです」
「母親は息子をかばわなあかんという一心やったんやろうから、まあ嘘もつくわな。問題は
その子供にどれだけの意志があったかや。父親をほんまに殺そうと思ってやったんか、母親を
助けるためか、あるいはただの衝動か」
課長は腕組みをした。「夫婦が落ち着いた時点で、両方からじっくり話を聞かんといかんやろ」
「少年課に手伝ってもらうことになりますかね」と高野が言った。
「せやな、中学生やし。どっちかって言うとあっちの事件や」
「難しそうな坊主ですから。生意気で、偏屈で」
「おまえみたいにか」
「俺のどこがです? こんなに従順なのに」と芹沢は肩をすくめて隣の鍋島に振り返った。
「もう三時になろうかってのに、まだメシも食ってねえもんな」
「……もう死にそう」
鍋島が消え入りそうな声で呟いた。
少年の事情聴取は今後少年課と調整しながら進めることになり、二人は一係のデスクに
戻った。そして食事を摂ってから今度は両親の収容されている病院に行くことにした。
とにかく、腹が減って何も考えられなくなっていたのである。
席に戻ると、向かいのデスクからさっき現場で居合わせた島崎主任が訊いてきた。
「杉原主任は? 外出中やったんか」
「休みみたいでしたよ」芹沢は答えた。
「あ、それで米原か。おまえにしちゃめずらしいと思たんや。杉原を呼んでけぇへんなんて」
芹沢はこの先輩の言い草がちょっと気に食わなかったが、普段からおよそ悪気というもの
とは無縁な人柄の男であることは彼にもよく分かっていたから、ここはあえて笑顔で訊いた。
「俺、そんなに杉原さんびいきに映りますか」
「その逆や。杉原さんがおまえのことを特別気に掛けてるのと違うか」
「──まるで自分が関わった事件の子供らみたいにね」
隣でデスクの上を片づけていた鍋島が愉しそうに口を挟んだ。
「同じようなもんやから。生意気で、偏屈で 」
「……るせえ。その台詞はそっくりそっちに返すぜ」
「へえ、どう言う意味や」
「おまえだって、十五年前に一歩間違えてりゃさっきのガキみてえになっててもおかしかねえ
って言ってんだよ」
「………………」
たちまち鍋島が真顔になったのを見て、島崎が仲裁に入った。
「やめとけ。俺のひとことがゴング替わりになるなんてごめんやで」
二人は互いから視線を逸らし、それぞれのデスクに向き直った。鍋島は小さく舌打ちした。
島崎はふうっと肩で息をすると、ちょっと怒ったように眉を寄せて言った。
「……頼むぞあんたら。何のことか知らんけど、それこそ子供みたいな真似せんといてや。
制服着たら三本線のバッジが着いてんのやろ」
制服の階級章が三本線入りというのは、巡査部長の階級にある証だ。
「ただの階級ですよ。特に俺らの場合は」
と鍋島が肩をすくめた。「一係兼雑用担当巡査部長」
「アホらし。またしょーもない僻みかい」
島崎は呆れて言い、席を立って行った。
大阪府西天満警察署刑事課には四つの係(班)があり、それぞれ九人の捜査員で構成されて
いた。各班の係長に警部補が就き、その下に二人ないし三人の巡査部長が主任として控えて
いる。残りは特別な肩書きのないヒラ刑事たちで、そのほとんどが巡査長か巡査だったが、
中に例外として二名だけ、巡査部長の階級を持つ者がいた。それが鍋島と芹沢の二人である。
彼らはそれぞれに制服警官を一年あまり勤めただけの、当時二十五歳の若さで昇任試験に
合格し、今から二年前に揃って西天満署に異動してきたのだが、はっきり言ってこの昇格は
異例の早さだった。大卒なら巡査の実務経験を一年積めばその受験資格が得られるにしても、
昇格定員もあれば難易度も高く、実際はそう簡単に受かるものではない。
それをたった一年そこそこ、警察官としては無論、社会人としてもまだまだ駆け出しの
半人前もいいところの二人がどうしてその難関を突破し、合格を勝ち得たのか。当時は様々な
憶測が飛び交った。当時、鍋島勝也の父親は同じ府警の長堀署長の地位にあり、
彼は完全に「ゲタを履かせてもらって」試験に臨んだのだとか、事前に問題を知らされて
いたのだとか。芹沢貴志には巡査時代にちょっとした越権行為の失敗歴があり、ところが
そのことが上司に刑事としての資質の高さを見出されるきっかけになったのだ、とか。
およそあり得ない噂がそれぞれの周囲で囁かれ、肥大化していった。二人はまるで意に
介さなかったが、彼らがそれぞれに研修を終え、鍋島の場合は先に巡査時代と同じ署で
一年の刑事経験を積み、やがて揃って西天満署の刑事課に配属されるに至っては、さすがに
何らかの意図が働いてのことではないかと誰もが考えた。実際のところは刑事課長が折に
触れて上層部に「次の異動では若手の活きの良いのを二人ほど寄越してくれないか」と
打診していたからというだけのことなのだが、ここまで条件の同じ──しかもはっきり
言って悪条件だ──二人が送られてくるとは課長自身も思っていなかったらしい。自分も
随分見くびられたものだ、と課長は腹立ちのあまりヤケになったかどうかは分からないが、
思い切ったことにこの二人を組ませることにしたのである。
普通、巡査部長同士がコンビを組むことなど滅多にないのだが、とてもではないが彼らを
『部長』の『刑事』として扱う気にはなれなかったのだろう。かと言って
そこそこの階級なだけに誰とでも組ませられるわけでもなく──彼らの教育係としては、
少なくとも巡査部長以上の階級でなければお互いにやりにくいだろうという気の回し方を
したのだ──結局は二人をチームにすることによって、事実上彼らを「諦めた」のだった。
そういう経緯もあったせいか、署員の中で彼らのことを
「刑事長」と呼ぶ者は一人もいない。正真正銘の「刑事長」である他の巡査部長たち
と区別する意味で「巡査部長」と呼ぶか、もしくはただ名前を呼ぶことが多かった。彼らの
特殊な立場を皮肉っているらしいが、当の本人たちにとってはどっちだっていいことだった。
「──とにかくメシや。腹減りすぎて気持ち悪いわ」
鍋島は実際にかなり気分が悪そうで──機嫌かも知れないが──シャツの上から腹の辺りを
さすりながら言った。
そして二人が席を立って廊下に向かうところで、植田課長が彼らを呼び止めた。
「おい、病院行く前に朝の売人の調書取り終えといてくれよ」
「このままメシの続きに病院に行こうと思ってるんですけど」
「あかんあかん。生安課が夕方には引き渡してくれって言うて来てるんや。せやからそれまで
にこっちの調べを全部終わっときたいし、メシ済ませたら戻ってこい」
「今のうちに誰かに頼めませんか」
課長は首を振った。「みんな手一杯なんや。あの小僧はおまえらの担当やろ」
芹沢は憮然として鍋島に振り返ると、
「肩書き変更。『一係・ガキ専門巡査部長』だ」
と吐き捨てた。
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