邦夫は、待ち合わせ場所の喫茶店に向かって走っていた。
「くそっ、なんで目覚ましを止めたんだ俺!」
いつも待ち合わせに遅刻しては、恋人の恵美に怒られている邦夫。昨日は電話で、恵美にしつこいくらい遅刻しないように念を押されたというのに。
「はあ、恵美怒ってるだろうな……」
走りながら邦夫は、恵美の怒った顔を想像して心のため息をついた。もう使えそうな言い訳は残っていない。
こうなったらとにかく謝り倒すしかない。覚悟を決めた、というより開き直った邦夫は息を切らせながら喫茶店に入った。店内で恵美の姿を探す。いた、奥の席に座っている。
邦夫は違和感を感じていた。いつもなら怒りながらこっちに突進してくるのに、今日の恵美は席に座ってテーブルの一点を見つめたままだ。何かおかしい。
「どうしたんだい、恵美。こんな所に呼び出したりして」
恵美の前の席に座りながら邦夫が尋ねる。恵美は邦夫が前の席に座っても黙ったまま。
少し目が赤い、泣いていたのか?
何か言い知れぬ不安に、邦夫も話し掛ける事が出来ない。しばらく二人の間に無言が続いた。
「これに……サインして欲しいの」
ようやく口を開いた恵美はそう言うと一枚の紙を取り出して邦夫の方に差し出した。
邦夫はその紙を手にとって眺めた。邦夫の顔が驚きで歪んでいく。
「離婚届? ……どうして……? 何故? 何がいけなかったんだ?」
「もうだめなのよ、私たち。別れましょう」
そう言うと恵美は席を立ち、邦夫の方も見ずに喫茶店の外へ出て行った。
「待ってくれ、恵美!」
立ち上がり追いかける邦夫。
去る女、追う男。
そして離婚するにはまず結婚していなければならない事に、二人はまだ気付いてはいなかった。 |