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貧の盗みに恋の歌 作者:リラックス@ピロー
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松下楓の場合

 山田君を図書館で見かけたのは偶然だった。
 私は普段本を読むなら絶対に新品を買うから、図書館に用事があるのはレポートの課題を書くために参考文献を探す時くらいだった。今日は中間レポートを書くために、大学の付属図書館を訪れたのだ。地下二階の埃っぽい空気に眉を顰めながら、本棚に視線を向けると目的の本はすぐに見つかった。他にもレポートに使えそうな本を何冊か手に取ると、足早に階段へ向かう。滞ってよどんだ空気を一刻も吸っていたくなかったのだ。
 地下一階に差し掛かる頃、思わずはっと息をのんだ。入学時から気になっていた山田君がいたからだ。山田君の足取りに迷いはなく、軽やかな足取りで本棚の前まで進むと、一冊の本を手に取った。ここからでは本のタイトルは伺えない。何を借りるのか気になってしょうがなかった。

「あれ、松下さん」
「えっ、あっ」

 本に思考を向けていたせいで、当の山田君が階段まで来ているのに気が付かなかった。近くで見る彼は、遠くから見た時よりずっと格好良い。どちらかと言うと童顔な山田君の声はイメージしていたよりも低かった。
 そして何より、私の名前を知っていることに驚いた。

「本重そうだね、レポート?」
「う、うん、そうなんだ。山田君も?」
「いや、これ借りに来たんだ。最近はまってて」

 そう言った山田君が手にしていたのは、有名な古文小説の現代語訳版だった。意外だ、と思ったが、外でスポーツでもしていそうな彼が古典を読んでいるという点にむしろときめきを感じた。

「そうなんだ、えっと、私、読んだことないんだけど・・・面白そうだね」
「面白いよ。この訳、分かりやすいし」

 爽やかに笑った山田君は、人懐っこい子犬のようだった。

「そういえば松下さん、俺の名前知ってたんだね」
「えっ」
「話したことなかったし、声かけてお前誰だよって思われてたら恥ずかしいからよかった」
「むしろ山田君が私のこと知っててくれたことに驚きだよ、私って地味だし暗いし目立たないでしょ」

 自分で言ってることだけど、碌な所がない自分に落ち込んだ。これで山田君に同意されたらそれはそれで悲しい。

「そう?俺の友達、松下さんのこと可愛いって言ってたよ」
「えっ」
「松下さん別に暗くないし。自信持ちなよ」

 本を持っていない方の手で私の肩を軽く叩くと、山田君は階段を上がっていった。
 私はしばらく呆然とその場に立ちすくんでいた。自分を可愛いと思う男子がいたことも意外だったが、山田君に暗くないと言われたことにも驚いた。ただの社交辞令かもしれないが、そう言ってくれただけで十分嬉しかった。

 この時の私は舞い上がっていた。気になっていた相手と話せて興奮していたのだ。私はその場に本と鞄を降ろすと、ルーズリーフを取り出し手紙を認めた。「あなたのことが気になっていた。文通をしませんか」と言った内容で始まり、最後に私のイニシャル「K・M」を記すと、山田君が借りた本の次巻にそれを挟んだ。分かりやすいよう、冒頭のページに。彼は今読んでいる巻を読み終えれば、必ずこの本を借りるだろう。そして手紙に気付くはずだ。その時彼がどのように対応するのか、考えただけで胸が熱くなった。
 しかしその後、私は既に後悔し始めていた。普段の自分と比べると考えられない程の行動力だった。彼があの本を借りる前に、別の誰かが借りるかもしれない。何かの拍子に手紙が落ち、ごみとして捨てられるかもしれない。よしんば彼の元に手紙が届いたとして、自分宛てだと思わないかもしれない。考えだすとネガティブなイメージしか思い浮かばなくなった。

 しかし二週間後、私は駄目元で手紙を確認しに行った。本棚には彼が借りるだろうと思っていた巻が残ったままだった。少し残念だったが、それ以上に安堵する。山田君は手紙に気付かなかったのだ。私はその本を手に取りページをめくった。私が挟んだページには、同じようにルーズリーフが挟まったままだった。あの時の私はどうかしていたと、何気なくルーズリーフを開く。
 それは私の書いた手紙ではなかった。
 私が使っているのは一般的な、多くの大学生が使っているメーカーのルーズリーフだったから気が付かなかったが、挟まっていたのは手紙に対する返事だった。手紙の最後には私と同じように、山田翔太のイニシャルである「S・Y」が書かれていた。
 こうして山田君と私の奇妙な文通が始まった。

 好きな食べ物や、はまっているアーティスト。他愛のない話を繰り返すうちに山田君について知っていることが増えた。最近柴犬を飼い始めたと書いてあった時は、文字の横に犬の絵が描かれていて思わず笑ってしまった。彼はどうやら絵心が無いらしい。この時の手紙の返事に犬の絵を描くと、彼はそれを絶賛してくれた。
 しかしこうして何度も手紙のやり取りをしていても、実際に山田君と話す機会はなかった。明るくムードメーカーな彼の周りには、いつも人が集まっていて、私が話しかける隙などない。
 特に今なんか、彼の横には学部で一番かわいいと言われている城築さんが座っている。ふわりと巻かれた髪にぱっちりと大きな目。マシュマロとキャンディとマカロンを合わせたような見た目で、城築さんは私から見ても完璧にかわいかった。どうやら城築さんに山田君が勉強を教えているらしく、ラーニングコモンズに設置された机の上には二人分のテキストが開かれている。確か二人はフランス語の授業が被っていたから、恐らく会話の内容はそれに関することだろう。外国語の授業は中国語を専攻しているので、尚更会話に混じることなどできない。私は城築さんが羨ましかった。
 何故今日図書館に足を運んでしまったのか。図書館に来なければ二人が仲良くしている姿なんて見ずに済んだのに。私は少し駆け足で階段を降りる。次に手紙を書くのは彼の番だ。いつも通り本の間に手紙が挟まっているはず。私はいつも通り、味気ないルーズリーフが収まっているのを確認し、ほっと息を吐いた。山田君と私は手紙で繋がっている。たった一枚の紙で、私はいつだって満足できた。

 ただ、今日は違った。
 ルーズリーフには他愛のない日常が書かれているはずだった。しかしそこには、文通の相手が誰か自分は知っていて、そのうえ私のことが気になっているという内容だった。書かれていることが信じられず、動揺した私は思わず手に力を入れてしまい、手紙がぐしゃりと音を立てる。はっとした私は手紙を伸ばすと、何度も文章に目を通す。初めて山田君と話した時以上の興奮が私を包んだ。あの時と同じように鞄を降ろし、ルーズリーフに返事を書く。私も山田君のことが好きだと。そして最後に、いつもならイニシャルを書くところを「松下楓」と綴る。彼は返事をくれるだろうか。私の鼓動は激しく高鳴っていた。

 しかし彼からの返事が、その後本に挟まれていることはなかった。落胆した私は、本棚に本を戻し階段を上がろうとした。
しかしその途中、設置されているごみ箱に私の書いた手紙が破かれた状態で捨てられている事に気が付いた。私はその瞬間、彼が私を拒んだことを理解した。もしかしたら文通相手が私だと思っていなかったのかもしれないし、山田君に対して気に入らないことをしてしまったのかもしれない。ただ、拒まれたこと以上に私の思いをこんな風に扱われたことが悲しかった。ごみ箱から手紙を一欠けらずつ取り出す。A5サイズの紙が今では片手に納まる大きさになってしまった。いろんな感情が混ざった涙が手紙のインクを滲ませる。
 しかし不意にさし出されたハンカチに驚き、私の涙は止まった。

「大丈夫?」
「えっ」

 渡されたハンカチを受け取ると、促されるまま涙を拭う。鼻水も少しついてしまったので申し訳なかった。ハンカチを貸してくれたのは、眼鏡をかけた涼やかな青年だった。緑色のエプロンをつけているが、学生に見えるので恐らくアルバイトだ。
 彼にとって特別なことではなかったのだろう。それでも傷ついている時に優しくされた私は、都合の良い事にこの青年のことが気になりだしていた。
 握りしめた手紙の存在も忘れるほどに。
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