秋の終わり、冬の始まり。
少し散らかった僕の家に、付き合って三年目の彼女がやってきた。
それは何の変哲の無い、これからも続くと思っていた日常だった。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。適当に座ってて、飲み物はいつもどおりホットココアで良いよね」
「うん、ありがとう」
寒い冬の夜、肩まで伸びた黒い髪を揺らしながら僕の彼女がやってきた。
詩織と付き合って、もう三年が経つ。今度のクリスマスで、めでたく四周年を迎える。
高校二年生のクリスマス、相思相愛で始まった僕たちの恋愛
ミルクパンで牛乳を温めている最中に後ろを見ると、詩織は僕のベッドでクッションを抱いてテレビを見ている。
少しいつもよりも気落ちしてる感じがする。後で何かあったのか聞いてみよう。
牛乳が沸騰する前に、ミルクパンからマグカップに移す。少し湯気が出ている牛乳に市販のココアと蜂蜜を少し入れて混ぜる。
ココアと蜂蜜の甘い香りのするホットココアを持って、一つを詩織に渡しもう一つは俺が飲むためにテーブルに置いた。
「何かあったの?」
ベッドの側面に背中を預けながら座り、気落ちしてる原因を聞いてみた。
「ん〜? なんで?」
「なんか落ち込んでるっていうか、元気ないじゃん」
「そう?」
「うん」
詩織がココアを啜る音が聞こえる。テレビでは政治のニュースが流れている。
あぁ、この首相辞めちゃうんだ。そんな、どうでも良いことばかりが頭に浮かぶ。
「ねぇ、太樹は私のこと好き?」
「当然、好きに決まってんじゃん」
少しだけ詩織の方を見たが、詩織はクッションに顔を埋めているため表情は見えない。
しょうがなく俺もココアをチビチビ飲んで、視線をテレビに戻した。
「ねぇ、別れよっか」
唐突にそう言われた。現実感がまるで無く、頭の中で同じ言葉が木霊している。
大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐いた。
詩織を見たが、相変わらずクッションに顔を隠している。俺はベッドの上に座りなおした。
「マジで?」
「うん」
「そっか」
会話が止まる、言葉が出てこない。でも理解は出来る、これは現実なんだと。
「理由、聞いても良い?」
「他に好きな人が出来た、だからごめん」
「あやまんな。そっか、他に出来たんだ」
テレビの音が雑音に聞こえる、そのぐらい沈黙が痛くて重かった。
不思議と怒りは沸いてこない、涙も出てこない。自分でもこれほど感情の乏しい人間だったのかと嫌になる。
「その人ってさ、カッコいい?」
「うん」
「その人ってさ、優しい?」
「うん」
俺は詩織のことを好きなんだよなぁ、泣けないけども。振られた今でも好きなんだよなぁ、怒りは沸かないけども。
いや、好きだから泣けないし怒れないのかもな。
詩織はクッションから顔を上げた。その顔は泣いては居なかったけど、今にも泣きそうな顔だ。
目元が真っ赤にはれているのは、多分俺のせいだろう。
「その人ってさ、俺よりも良い男?」
「それは、分かんない」
詩織は俯いたままクッションを強く抱きしめていた。
「最後に……、俺のこと好きか?」
「……」
返事は返ってこなかった、それで良いと思う。
どうかしていた、別れ話の最中に俺のこと好きかだなんて。答えられるわけが無い。
「そっか」
あぁ、くそ。本当に良い女だなぁ、本当に俺はコイツが好きなんだなぁ。
「怒んないの?」
「怒っても何か変わるわけじゃないし、それで心変わりするぐらいなら俺に別れようなんて言わないだろ? 今日、お前がこの部屋から出たら俺たちの恋愛は終わりさ」
本当は怒ってやったほうが良いのかもしれない、そのほうがお互いにスッキリ出来るのかもしれない。
どっちが正しい選択なのかはわからない、どのみち僕には詩織を怒れそうに無い。
心が傷ついて真っ赤な血を流していても、喉が張り裂けそうに鳴るまで泣き叫びたくても、俺たちは笑ってこの恋愛を終わらせよう。
それが今出来る俺たちの精一杯の見栄、最後まで貫きたお互いの虚勢。
お互いが理解しあっている、小さくて優しい意地。
「太樹、ごめん」
「あやまんな、お前は悪くないよ」
そっか、と詩織は小さく呟いた。詩織は俺の横まで移動して、肩を並べるように腰を下ろした。
「じゃぁ、ありがとう」
どちらとも無く互いの手を求め、指と指を絡めていく。この手のぬくもりを、俺はずっと大事にしてきたんだ。
それはきっと、誇りにして良いものだろう。
「どういたしまして、俺こそごめんな」
「あやまんな、お前は悪くないよ」
俺は詩織の似てない物まねに吹き出した。すると詩織もつられて吹き出して二人で笑った。
俺たちはひとしきり笑った後、お互いの方に体重を預けぬくもりを感じあった。
握り合っている手は溶け合い一つとなり、時間はゆっくりと流れているように感じられる。
「ねぇ、別れた後もメールして良い?」
「あぁ」
「辛くなったら遊びに来ても良い?」
「もちろん」
周りの人は俺たちのこの会話を未練がましいと言うかもしれない、でも付き合ってきた三年間は僕たちにとって捨て去るにはあまりにも重要すぎる。
「じゃぁさ、太樹の方から遊びに来たりメールしたりしてくれる?」
その質問に、僕はゆっくりと頭を振った。
すがるように聞かれた質問を、僕はゆっくりとだが断った。
「それは、相手に悪いよ。だから、ねっ」
「そうだね、うん」
たぶん詩織にとっても俺の回答は予測済みのものだったんだろう。
それでも、返事の声は沈んでいた。
テレビの音をリモコンで消して、俺たちは二人で寄り添う。もうすぐ、それにも終わりがやってくる。
この繋がれた手が離れて、詩織が俺の部屋から出たとき。僕たちの関係は変わってしまう。
もう、言葉は無い。触れ合っている所から伝わるぬくもりだけが、今の全てで良い。
そうして二十分ほど経ったころ、詩織はとうとう握っていた手を離した。
「それじゃぁ、帰るね」
「そっか、うん」
詩織はゆっくりと立ち上がり、帰り支度をすると玄関に向かった。
俺も詩織を見送るために玄関に向かう。今まで何度もしてきた、そしてこれで最後の見送り。
「ココア、美味しかったよ」
「また、飲ませてやるよ」
玄関にたどり着くと、俺たちは二人でドアを見た。
このドアの向こうに行った瞬間に、俺たちの関係を終わらせようと言った。本心ではない嘘、今も抱きしめて引き止めたい。
「それじゃぁ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
引き止めたい衝動を必死で抑えて、別れの挨拶を口にする。
俺も詩織も分かっている、引き止めて傷つくのは自分たちだ。
別れの挨拶と共に、俺たちはどちらとも無く唇を重ねた。
ゆっくりと軽く触れ合うようなキス。その行為もいつもどおり、またこんなことが起こるという錯覚に陥りそうになる。
でも、こんなことはもう起きない。それが現実だ。
唇が少しずつ遠ざかっていき、俺たちはお互いの顔を見て少しだけ顔をほころばせた。
ドアが開かれ、詩織は境界線を越えてしまった。
「それじゃぁ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
詩織はこちらを振り返ることなく歩いていく、その様子を見えなくなるまで俺は玄関で見送っていた。
部屋に戻ると、自分の部屋が他人の部屋のように広く感じる。
テーブルに置かれた二つのマグカップを見て、思わず枕を壁に投げつけた。
くそ、いまさらになって顔が熱くなってきた。
俺はベッドに倒れこむように横になった。
目頭が熱く、嗚咽が知らずに漏れてくる。
詩織の名残の残ったクッションを抱いて、先ほどのキスの感触と今までの思い出を思い返しながら泣いた。
強く強くクッションを抱きしめて、俺は泣き崩れた。
あぁ、幸せになってください好きな人。
今でもまだ好きです、だから幸せになってください。
そう祈りながら、止まらない涙を流し続けた。
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