私はただのOL、25歳。
生来の引っ込み思案で、恋人いない歴25年。
ある日大型ショッピングモールのペットショップでロシアンブルーの子猫を見つけた。
178,000円。
高いとは思わなかった。
特別趣味もなく、付き合いも少ない私には通帳の残高は0が多いくらいだ。その場で購入を決めた。
名前はリョーにした。
ロシアンブルーだからロシア、ロシアと言えばマトリョーシュカ、だからリョー。
リョーはとてもおりこうさんだった。
トイレも爪とぎもすぐに覚えて失敗なんかしない。
出かける時は玄関までお見送り、帰ってきたら玄関でお出迎え。
私は毎日が楽しくて仕方がなくなった。
仕事で疲れて嫌なことがあっても、帰ったらリョーがいると思えば不思議と心が軽くなった。
私はある時ふと口にした。
「お前が人間だったらいいのに」
リョーはきらきらとしたエメラルドグリーンの瞳を向けるだけだった。
「御主人様ーーー!!」
私はやたらテンションの高い声に起こされた。
何?御主人様?
目を開けるとそこに見知らぬ男がいた。
満面の笑みを浮かべ、まるでいい子いい子してくれと言わんばかり。
誰・・・?
あまりの無垢な笑顔に、私の頭は意外と冷静に動き始めた。
ええっと、ここは私の部屋、私は一人暮らし、男なんて連れ込んでないし、縁もない。
昨日は仕事でちょっと残業があっていつもより帰るの遅れたけど飲みにとか行ってないし、いつも通りで・・・。
「御主人様?」
目の前の男は首を傾げた。
よくよく見たらとてもとてもきれいな顔をしていた。
年は20前後だろうか、やわらかなシルバーグレイの髪、くりっとした大きな瞳、色はエメラルドグリーン。
そして私を「御主人様」と呼んだ。
まさか、まさか・・・。
「リョ、リョーなの・・・?」
「そうだよ、ぼく人間になったんだ!」
リョーはぴょんと立ち上がって抱きついてきた。
が、私はそこに見てはいけないものを見てしまった。
「ぎゃーーー!!ちょっと待ったーーー!!」
私は布団を引っつかんでリョーに力の限り投げつけた。
だって、裸だったんだもの・・・!
「んぎゃっ・・・」
リョーは押されたいきおいで、床にべちゃんと叩きつけられた。
「いったい・・・どういうことなの・・・」
私は大慌てでコンビニに行って男物のパンツとシャツとズボンを買ってきて着せた。
コンビニがこんなにありがたいものだと思ったのは初めてだった。
リョーは私が作った朝ごはんを犬食いならぬ猫食いしている。
「御主人様が人間になってほしいって言ったから、ぼく人間になったんだ」
私は記憶を逆回転させる。確かに言った。いつかは忘れた、でもそんなに近くない。
でもあれはただの戯れ言、本気で願ったわけじゃない。
リョーはご飯をたいらげていつものように顔を洗っている。
「こ、こら、人間になったんでしょ!?人間はそんなふうに顔を洗わないでしょ!?」
「そっか」
リョーは立ち上がって洗面所へ向かった。
いつも私がやっていることを見ていたのだろうか?
この頭の良さ、やっぱりリョーは素敵な猫だ・・・いやもう人間なんだけど・・・。
でも、いったこれからどうしたら・・・?
とにかく服をあつらえてやることにした。
スラリとした体型、きれいな顔立ち、それなりの格好をさせて歩いたら、きっと芸能人のようだろう。
私はそんなきれいな人と並んで歩くのが夢だった。
眠たがるリョーを引っ立てて、私たちは電車に乗った。
繁華街に出て目に付いたメンズの店に入る。
「あ、あのっ・・・」
男の人のファッションなんて分からない。店員さんを呼び止めてリョーに似合うような服を選んでくれと頼んだ。
店員さんはにっこり微笑んでたくさんの服の中からてきぱきと選び出し、リョーはあっという間に今どきの青年に変わった。
「どう?似合う似合う?」
リョーは嬉しそうにくるりと回って見せた。
私は鼻血が出る思いだった。
私たちはそのまま店を出て、繁華街を歩いた。
腕を組んで歩けば恋人同士のように見えるだろう。
こんなにかっこいい人と並んで歩けて私はとてもとても気分が良かった。
すれ違う人たちが振り返る、スカウトらしき人が声をかけてくる。
もちろん全てリョーに向けられるものだったが、私は自分のことのようで嬉しかった。
リョーは私の猫だもの。
「今日は本当に楽しかった・・・」
夜になって、私たちは人気のない公園に来ていた。
空には大きな満月が浮かんでいる。
ベンチに座り、私はそっとリョーに寄り添った。リョーは私の肩を優しく抱き寄せた。
「もう、行かなくちゃ」
リョーが小さくつぶやいた。
「え・・・?」
「もう魔法が解ける。ぼくは行かなくちゃ」
「何・・・?魔法!?行くって、いったいどこに!?」
リョーは優しく微笑んだ。
「ぼくは月の魔法で人間にしてもらったんだ。期限は1日だけ、引き換えは命」
「・・・!?」
「御主人様の願いを叶えられて、ぼくは嬉しかった」
「命!?ねぇ、命ってどういうこと!?ねぇ、ねぇ!」
私はリョーの肩を掴んでゆすった。
リョーは優しく微笑んだままだ。
ふいに周りが明るくなった。
リョーの体が淡い色を帯びて輝きだす。
「嘘、嘘・・・」
「御主人様、どうか、悲しまないで。ぼくは望んでこうなることを決めたんだ」
リョーは消えかかった指で私の頬をぬぐった。
「そして何も恐れないで。・・・御主人様はオクテがすぎる」
「ば、ばかっ・・・」
服がストンと落ちた。
「い、いや・・・そんな・・・」
風が吹いて、主を失った袖が裾が、はたはたとはためく。
「リョ、リョー・・・」
シャツの中央が少しふくらんでいる。触れると柔らかな感触がした。
「リョー!」
服の中からは、小さな亡骸が出てきた。
前足を触ると、少し濡れているのに気がついた。さっきの私の涙に違いない・・・。
「リョーーーー!!」
それから私はリョーの小さな体を持って部屋に帰った。
次の日は会社を無断欠席した。
携帯が鳴ると電源を切った。
夕方、誰かがやってきてさんざんベルを鳴らしたが、無視した。
その次の日は両親が大家さんとともにやってきた。
私は虚ろな目で3人を見た。
少々匂いはじめたリョーを見て、父親は私を張り倒し、母親が白いタオルを探してリョーをくるんだ。
リョーはすぐ動物のペット用の霊苑で火葬することが決まった。
私は火葬場でずっと泣いていた。
小さなお棺に入れる時も、さらに小さな箱に入って戻ってきた時も。
涙はあふれてあふれて止まらなかった。
私は骨壷を持って離せなかった
霊苑の住職さんが、見かねて声をかけてきた。
「お嬢さん、悲しいのはわかるが、そんなに悲しんじゃいかん」
私はハッとなった。
リョーが言ったのを思い出したからだ、悲しまないで、と。
「命あるものはいつか必ず死ぬものだ。仕方ない」
「違うの、私が死なせてしまったの・・・」
「・・・?」
「私がばかだったの。あんなあさはかな願いをしなければ・・・」
そう、私がばかだったせいで、あの純粋で小さな命は、その命をこんなばかな私のために自ら短くしてしまった。
恋人が欲しかった。だけどいつもあきらめていた。容姿も何も、自信がない。
人間の恋人が欲しければ自分で動けばよかったのだ。
そうすれば、あの小さな命を犠牲にすることなどなかった。
「きっと、その猫さんは、お前さんのことが大好きだったんじゃろう。悲しむことはない、お前さんが死なせたんじゃない」
「でも・・・」
「お嬢さん、何かを得るには、何か失うものだ。喜びがなければ、悲しみもない。だが、そんなもの何の意味があろう。その猫さんは教えてくれたんじゃないかね、失ってなお得られるもののほうが尊いと」
「リョー・・・」
(御主人様、何も恐れないで)
リョーの最後の言葉がリフレインする。
ありがとう、リョー・・・。
それから私は年下の恋人をすぐに見つけた。
顔立ちがリョーによく似ていて、話しかけずにいられなかった。
何も恐れない強気のアタックが成功して、彼は私の側にいてくれるようになった。
そしてずっといつまでも一緒にと・・・。
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