魔法と格闘と最強への道
魔法
――身体の内に眠る新たな力を呼び起こし、大気に漂う自然と同調して奇跡を生み出す。
魔法使い
――魔法を操ることができる人間の呼称。その大いなる力に利用価値を見出され、冒険者になるか国に帰属する者が多い。
魔法格闘術
――魔法は自然と調和して発動する力のため、加工品、特に金属を嫌う。故に魔法使いは金属製の武具を使用することができず、薄い布製の服で体を最低限覆うのみとなる。
魔法は超常の力にて莫大なる力を得ることが可能だが、接近されると抵抗手段がなく、仲間に守られなければまともに戦うことができない。
更に魔法も無尽蔵ではなく体力を奪われるため、体を鍛え体力増強に努める必要がある。
世間一般の認識では「魔法使いは一人では何もできない」と言われ、それがあながち間違いではなかった。
そんな現状を憂い、一人の魔法使いが立ち上がる。
長年の鍛錬の後に武器も防具も必要ない、体一つで戦える〈魔法格闘術〉を編み出したのだ。それ以来、魔法格闘術を極めた者は攻守ともに優れた最強の職だと言われている。
「貴様が炎格闘術のレッカエンか」
「そうだ。お前は水格闘術のスイレイだな」
町の中央広場で男二人が向き合い互いの名を口にする。
両者ともにフード付きのコートを着ていたのだが、同時にコートを投げ捨てると中から現れたのは鍛え上げられた肉体美だった。
衣類は革の短パンのみでレッカエンと呼ばれた男は赤の短パン、もう片方は水色の短パン。それ以外は装飾品も含めて何も身に着けていない。
広場にいた他の人々はその姿を目の当たりにして、蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていく。
「魔法格闘家だぞおおおおっ!」
「み、みんな離れろっ! とばっちりをくらう前に逃げるんだっ!」
あっという間に広場から人が消え、そこには全裸に近い半裸の男が二人だけとなる。
魔法格闘家において同属性の者は仲間という認識になるのだが、互いに反発しあう属性というものが存在するのだ。
火と水 土と風 聖と闇 といったように。そういった魔法格闘家同士が出会うと、このように問答無用で決闘が始まることも珍しくはない。
二人は戦闘開始の宣言もなく、じりじりと間合いを詰めると、まずはレッカエンから仕掛けた。
炎に包まれた腕を拳の届かぬ距離だというのに正面へと突き出す。
「飛炎撃!」
間合いの外からの攻撃など無視すればいいだけの話なのだが、スイレイは腕を上げその攻撃を防御する動作を見せた。
「なんのっ、水防壁!」
届かない筈の拳が炎の球となりレッカエンから発射されると、水に包まれた腕に命中して水蒸気が立ち上る。
魔法格闘術は魔法と格闘技を組み合わせることによって、格闘の技が魔法の力により進化している、が故に最強との呼び声が高い。
ちなみに技名を叫んでいるのは演出ではなく、本来の魔法詠唱の代わりに技名としているだけである。
街中での決闘は近年頻繁に見られるのだが、普通このような無法行為を住民や国が黙認するのはおかしいと考えるだろう。
だが、被害が大きくなければ住民から訴えられることもなく、罪人として捕まることもない。その理由の一つが……。
「レッカエンの筋肉切れてるわねぇ。旦那とはえらい違いよ」
「私は細身のスイレイさんの方が好みかしら。あの胸板に飛び込みたいわぁ」
観客と化している住民たちの声を聴けば理解できるだろう。
この世界において屋外で露出の激しい格好をすることが許されるのは、魔法格闘家の特権とされている。
この国は規律が厳しく夏場でも人々は肌の露出を控えているので、異性となると妻や旦那や恋人、もしくは身内の裸しか目の当たりにする機会がない。
魔法格闘家の鍛え上げられた肉体美は人々にとって、現代日本とは比べ物にならぬほどに価値があり、性的に映るものだった。
「ふっ、この筋肉昂る肉体に女どもが騒いでおるわ」
「貴様のような筋肉ダルマではなく、私を見ているのだがな」
そして、欲情した視線を浴びる魔法格闘家たちも満更ではなかった。
魔法格闘家には変人が多いと言われるのだが、彼らを見ればそれも納得いくだろう。
派手に炎と水が飛び散り、切れのある技の応酬――そして半裸。
これは大衆にとって最も盛り上がるイベントのようなものであり、欲望のはけ口ともなっているため、国としても本気で取り締まる気がないのだ。
「まて、そこの輩! 醜い肌を晒し、むさ苦しい戦いなどするではないわっ!」
戦いの最中に水を差したのは、甲高い女性の怒鳴り声だった。
観客も含めた全員が声のした方へと顔を向けると、そこにはフード付きのマントを羽織った小柄な何者かがいた。
全身が茶色のマントで覆われていて、フードも目深にかぶっているので相手の顔も体型も不明だが、声からして若い女性だろうとその場にいる全員が理解する。
「決闘の邪魔をするとは、命知らずの無粋な女だっ」
「何者だキサマ!」
暑苦しい二人の怒鳴り声に応えるように、フードを取り払った。
絹のような白い髪に碧眼。まだ十代の幼さを残しながらも、思わず見惚れてしまう美しさも兼ね備えている顔がそこにある。
「名乗りが望みか……魔法使いラクッシュ。魔法格闘術を撲滅し、魔法使いの復権を望む者じゃ!」
ラクッシュは堂々と宣言すると同時にマントを投げ捨てた。
「お、おおおおおっ!」
さっきとは違い、今度は男性陣から歓喜の声が上がる。
マントの下から現れたのは、豊満な二つの乳房を交差する薄い布で軽く覆っただけの姿だった。
下腹部も大事な部分を辛うじて隠しているのみで、男たちの目が釘付けになっている。
そう、魔法使いも魔法格闘家も魔法を行使するには露出が多ければ多いほど、その威力を増す。……ということは、女性も同様だということだ。
魔法使いや魔法格闘家の決闘に対して男女ともに苦情が極端に少ないのは、もう語る必要もないだろう。
「ふっ、未だに時代遅れの魔法だけを扱う者か。笑止、肉体と魔法を兼ね備えた、わしに敵う術などない!」
「そのような筋肉のない体で何ができるというのだ!」
「やってみなければ、わかるまい。お主ら二人がかりでかかってきてよいぞ。そのうぬぼれた鼻っ柱叩き折ってみせよう」
屈強な男二人を前にして一歩も引くことのない魔法使いラクッシュ。
「あの豊満な胸の女性と男二人の戦い……」
「ね、寝技に持ち込んでくれないかな」
「が、頑張れ、レッカエン、スイレイ!」
邪な期待を胸に秘めた人々の声援が二人に送られている。
それに応えるように二人は親指を立てて人々へ突き出す。更に盛り上がる観客と化した住民たち。
レッカエンたちは皆の期待に応えるべく、突っ込んで――
「メギドカオスブレイブ」
そんな相手を一瞥してラクッシュが両腕を天へ掲げると、地面から黒い柱が伸び男たちを包み込むとそのまま天高く吹き飛ばし、地面へと落下させていく。
二人とも全身を痙攣させているが、命に別状はないようだ。これも魔法格闘家特有の全身に魔力を漲らせ、魔法に対しての抵抗力が上がっていたおかげだろう。
「他愛もないのう」
ラクッシュが髪をかき上げ、勝利宣言をすると人々から歓声が上がる。
それに手を振って応えている彼女は投げ捨てたマントを拾いに行くのだが、その姿を目に焼き付けようと男たちの目は血走り、目玉が飛び出るぐらいに凝視していた。
何人かの伴侶を連れた男が、脇腹に肘を入れられるか足を踏まれている。これは決闘後によく見られる光景の一つである。
マントを拾い、再び羽織ろうとしたところで「あ、ああぁ」と観客からの残念がる声がラクッシュに届くと、少しだけ嬉しそうに口元を緩めた。
彼女もまた魔法使いらしく露出癖があるようだ。
男たちの欲情した視線を全身に感じ、ラクッシュは軽く身悶えしながら、ゆっくりとマントを拾いに向かう。
そして、マントを掴み肩にかけようとすると「ああ、あぁぁ」という落胆する声を耳にして笑みが深くなる。
わざとらしくコートを手にしてない左手の指を、太ももから胸に向けて這わすと、男たちの必死な視線がその動きを追っていく。
「ふふふっ、たまらぬのぅ……」
ラクッシュはもう少しこの状況を味わっていたかったようだが、そろそろ寒さが気になるようで、サービスはここまでと言わんばかりに一気にマントを羽織ろうとした。
「すまないが、お手合わせ願えないだろうか」
そのタイミングで人ごみの中から一人の男が飛び出す。
また相手をしなければならないのかと、ラクッシュは小さく息を吐く。
だが、そう口にしながらも、自分の肌をもう少し晒せることに喜びを隠しきれないようで、目元が垂れた状態で勢いよく振り返る。
視線の先には袖のない前開きの簡素な上着を着た男がいた。下も同じ材質らしき分厚い布製のズボンをはいていた。
腰にはベルト代わりに黒い布を巻いており、装飾品の類も武具も身に着けていない。
またも魔法格闘術の相手をするのかと半眼で睨みつけようとしたが、相手から魔力を感じないことに気付く。
「お主、もしかして……無手格闘術の者かのぅ?」
「よくご存じで」
あっさりと認める男の対応にラクッシュの笑みが侮蔑へと変化していく。
「お主は自殺志願者か? ただの格闘家が魔法格闘家に勝てるわけもなく、ましてやあの二人に圧勝した我に勝てるとでも?」
自信満々に断言するのには理由がある。
格闘術は魔法と組み合わさることで力を発揮する武術、という認識が世の中に広まっていた。
今ではその考えが一般的で、魔法も扱えない者が武術を学ぶのは、愚かなことだ思われている。
「圧倒した貴方だからこそ、意義がある。格闘技とは本来、弱きものが強きものに対する手段として生み出されたものだ。だが、今では魔法使い共が力を誇示する道具となり替わっている。格闘家として現状を見過ごすわけにはいかぬ」
「ふーん、じゃあ、魔法使いとして戦っている我を嫌っているってわけではないのか」
「むしろ、魔法使いとして好ましいと思っている」
ストレートな物言いと、強い意志を秘めた瞳に射抜かれたラクッシュは、背中に軽い電流が走ったかのような感覚に戸惑う。
「本来、前衛として戦うものがいて、その後方で魔法使いは守られ魔法を練る。人は万能ではない、役割を分担して助け合い何が悪い。欠点があるなら、その欠点を補う友を見つければよいではないか」
「な、る、ほ、ど、ね。我もその考えには賛同するわ。肉体の鍛錬が苦手でも魔法使いとして、最強を目指すことができる。それを示すために、こうしておるのだからのう」
互いの考えが似ていることを理解したのだろう、二人は視線を絡ませるとニヤリと笑って見せた。
「いい女だな、あんたは」
「そちも、いい男じゃよ」
ラクッシュはマントを投げ捨て、格闘家の男は腰を落とし、左拳を突き出すように半身を前にして構える。
「やりましょうか」
「やろう」
男が大地を蹴り低い体勢で突っ込み、ラクッシュが手のひらから炎の矢を連発する。
接近戦に持ち込まれたら負けなのを理解しているようで、紅蓮の矢が降り注ぎ男を一切近づけさせない。
空間を埋め尽くすほどの炎の矢を操るラクッシュの実力も魔法使いとして桁外れだが、男もまた尋常ではなかった。
限界を超えた鍛錬により身に着けた身体能力で、全ての矢を躱す。
露出の少ない男に期待の一つもしていなかった人々だったが、二人の息を飲む戦いに次第に目が離せなくなっていく。
「あの魔法とんでもないな。格闘術を学ばない方が魔法使いとして優秀なんじゃ……」
「でもよぉ、あのただの格闘家もとんでもねえぞ。格闘術がすげえってことだろ……」
ざわつく人々の声を背に格闘家が前へ跳躍。迎え撃つラクッシュの指先に稲光が宿る。
ほとばしる雷光を紙一重で躱し、一気に間合いを詰めた男の拳が突き刺さる直前で、足元の石畳を貫き土の槍が伸びる。
それをバク転で避けると、再び間合いが広がり仕切り直しとなった。
観客たちは邪な目的は消え失せ、熱心な声援を送っている。
「どっちもすげえぞ!」
「がんばれ、魔法使い!」
「負けんじゃねえぞ、格闘家!」
完全に二人の戦いに魅入られてしまった人々が叫ぶ姿には、邪な感情など一欠けらも残っていない。
純粋な格闘と魔法。真逆である二つの力のせめぎ合いに、ただ圧倒されている。
そんな人々の声は二人の耳に届いてはいなかった、耳は互いの呼吸音のみに集中し、その目は相手の一挙手一投足だけを追う。
微動だにしないまま時だけが過ぎ、これが永遠に続くのではないのかと人々が思った矢先、動いたのは――ラクッシュだった。
平然と立ってはいたが体力が限界に近かった彼女は、全ての魔力を込めて広範囲に幾条にも広がる雷撃を放つ。
「躱せるものなら躱してみせよ!」
視界を埋める金色の網。格闘家は瞬時にこれは避けることは不可能だと悟る。
「ならば」
と、男はためらうことなく踏み込む。
鍛え上げられた丸太のような腕で顔だけを覆い、最も光の薄い場所へ飛び込んだ。
稲光に触れ肉の焼ける臭いが辺りに漂い、火花が散る。
雷撃を放ったラクッシュは、この一撃で相手を倒した確信があった。勝利を確信するよりも相手が死んでいないか、その恐怖が頭をよぎる。
だからこそ、光の中から体を焦がし現れた格闘家を見て、驚愕よりも喜びが顔に出てしまっていた。
「見事だった!」
「あなたこそね」
格闘家の掌底がラクッシュの腹へ伸びる途中で軌道を変え、相手の左乳房に埋没する。
手のひらから伝わる激しい振動が胸元から全身へと広がり、体中の力が抜け前に倒れ伏す途中で、格闘家がその体を支えた。
「あなた……お腹狙うのやめたわよね……胸触りたかったの?」
息も絶え絶えのラクッシュは、苦笑いを浮かべて格闘家に顔を向ける。
「すまん。女性の腹は子を成すための大切な場所だからな。咄嗟に避けてしまった。決して、キミを見下したわけでも、手を抜いたわけでもない」
「ふふっ……面白い人……完敗よ……」
気を失う直前にラクッシュが見たのは、優しく微笑む男の笑顔だった。
こうして戦いの幕は降りた。
この日以来、格闘家と魔法使いの二人組の名が広まっていく。
どんな魔物を相手にしても決して怯まぬ前衛。守られることで確実な詠唱と魔力を練る時間を得た後衛。この布陣に敵うものはいなかった。
凶悪な魔物どころか――二人組に何人もの、何十、何百もの魔法格闘家が挑むが、誰一人として勝利を収めるものはいなかった。
格闘術が使えない魔法使いと、魔法の使えない格闘家の立場が見直され、前衛と後衛の重要さが世間に広まる。二人の望む未来を勝ち取ったのだ。
「さて、今日こそは魔法使いか格闘家、どっちが最強か決めようではないか」
「ふっ、素手最強は格闘家に決まっている」
二人は食卓を飛び出し、庭へと下り立つ。
ラクッシュは淡い青のワンピースを脱ぎ捨てると、戦闘衣装であるわずかに体を覆う布という格好になる。
男は腕をまくると、衰えを感じさせない筋肉の塊があった。
にらみ合いながらも口元に笑みを浮かべている、そんな二人を見つめる一人の人物がいる。食事途中の皿を握ったまま、縁側に腰を下ろして口内の料理を呑み込んだ。
「ねえ、いい加減、夫婦喧嘩の度に戦うのやめてよ」
子供の呆れ果てたツッコミに二人は視線すら向けない。
今日も未だに決着がつかない、魔法使いと格闘家の最終決定戦が行われようとしていた。
少年漫画の読み切りみたいな感じになりました