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最高の我が儘
作:猫舌ソーセージ


【プロローグ】

 沢山の蝉が大合唱を奏でる夏の暑い日。空は青々と雲ひとつなく、真っ赤な太陽が燦々と大地を照らしていた。周りを田んぼに囲まれた細道を、真っ白な日傘を差した二十代後半と見られる女性とまだ幼い五歳の麦わら帽子を被った少女が手を繋ぎながら楽しそうに歩いている。
「ねぇママ、今日の夜ご飯は何かなー」
「もう、まだお昼食べたばかりでしょ朔夜」
 朔夜と呼ばれた少女が優しい顔付きをした母を見上げて訊くと、母はしょうがない子ねと微笑んだ。朔夜もそんな母を見て微笑み返す。誰がどう見ても二人は幸せな親子だった。
 うっすらと外が暗闇に包また午後七時、食卓には色とりどりの夕食達が並ぶ。朔夜は自分専用の可愛いアニメキャラクターがプリントされているお気に入りの椅子に座りながら美味しそうな料理を眺めている。母は台所で最後の料理を作っていた。朔夜は母がこちらを見ていないのを確認すると、テーブルに置かれたキツネ色の衣に包まれたカラアゲに手をそっと忍ばせる。
「パパが帰って来るまで食べちゃダメよー」
「はうぅっ!」
 何故気付いたのか、朔夜は手を伸ばし掴みかけたカラアゲを諦めた。ふと壁に掛けられた木製の古風な時計を見る。時間はいつも父が仕事から帰って来る時間を指していた。
「ただいまー」
 ガチャリと扉の開く音と共に朔夜が待望していた父が帰ってきた。朔夜と母は玄関まで出迎えに行く。玄関にはスーツ姿に短髪の眼鏡をかけた優しい笑顔の父が「ふぅ疲れた。やっぱり我が家が一番だな」等と言いつつ靴を脱ぐ所であった。靴を脱ごうとしゃがみ込んでいる父に朔夜はお構いなしに飛び付き背中に乗った。
「おっと、コラコラ」
「へへー、お腹空いたの。パパー早く着替えてご飯食べようー」
「わかったわかった」
 朔夜に飛び付かれよろめきながらも、娘の可愛い笑顔に癒される父であった。
「貴方、スーツ脱いで」
「あぁ、ありがとう」
 また綺麗な奥さんが出迎えてくれる。父は自分の幸せな境遇を神に感謝した。自分は世界で一番幸せな家族を持てたのではないだろうか。と本気で思ってしまう程だった。
 食卓に着くと、父、母、朔夜の三人は手を合わせ一緒に「いただきます」を言うと母の作ったとても美味しい料理に舌鼓を打つ。
「うん、やっぱり何時食べても由美の料理は最高だよ。僕は君みたいな素敵な女性と結婚出来て幸せだ」
「もうっ、何言ってるのよ裕太さんっ。恥ずかしいじゃない」
 父の言葉に母は顔を真っ赤にして照れていた。そんな二人の姿を朔夜は「にひひ〜」と口を大きく左右に広げて笑いながら見つめていた。
 午後十一時、寝室に三つの布団が並べられる。一番左には母、一番右には父、そして間に挟まれるようにして朔夜が寝る。
「ねーパパ。また昔話聞かせてー」
「朔夜は昔話が好きだなぁ」
 父は朔夜にせがまれ昔話を始めた――。

.
.
.
.
.

「――めでたしめでたし」
 昔話を終え、朔夜の方を見るとすでに寝ている事に気付く。
「もう、裕太さんったら話が長いわよ」
「そうだな」
 スヤスヤと幸せそうに眠る朔夜を見つめながら父と母は穏やかに笑った。

 八月十日、この日は父が休みを取れたという事もあり家族三人で海へとやって来ていた。空は快晴、海は空と同じく青々としている。父は砂浜で美味しい空気を吸いながら、波打ち際でキャッキャと声をあげながらはしゃぐ朔夜と妻を見ていた。
「ママー、見てーっ! カニさんがいるよ」
「あら本当。美味しそうね」
「だ、駄目だよっ!」
「ふふふ、冗談よ」
 母の冗談にあたふたとする朔夜を見て、母は朔夜の優しさに自然と笑みが零れた。そんな朔夜達の元へ父も向かう。
「あ、パパ! ほらほら、カニさんだよ」
「おー、本当だ。美味そうだな」
「パパまで……あうぅ」
 
 空が茜色に染まり、砂浜の人々も疎らになった頃。朔夜達も帰りの準備をしていた。
「うーんっ! 今日は楽しかったな」
 父は大満足の表情を浮かべる。ほとんど働き詰めだった父にとって、この休みを使って大いにリフレッシュ出来た事はありがたかった。
「私も楽しかったーっ!」
「海に来たのなんて久々だったものね」
 母と朔夜も存分に楽しめたようだった。
「それじゃー帰るか」
 父の言葉に二人は頷き、駐車場に停めてある車に向かって歩み始める。

 
 ――もうすぐだ


「?」
 ふと朔夜は足を止め、背後を振り返る。それに気付き母が声をかける。
「どうしたの?」
「え……うん、なんか声が聞えた気がしたの」
 母も朔夜が向ける視線へと目をやる。だが、特に誰もいない。ただ海がさっきよりも少し荒々しくなっているだけだった。
「ほら、行くわよ」
「うん」
 母に呼ばれ朔夜は空耳だと思い、車へと乗り込んだ。

 八月十六日、午後一時。この日朔夜は洗濯物を干している母の背後でお絵かきをして遊んでいた。
「えっとねぇ、うんとねぇ、こうでこうでしょー」
 色とりどりのクレヨンを使い試行錯誤して絵を完成させていく。その絵は数日前に海に行った時の光景であった。海で楽しそうに朔夜、父、母の三人が波打ち際で遊んでいる光景が描かれている。
「やった、できた。ママ見てみてー!」
 朔夜は出来上がった絵を持って母の元へと向かう。母は丁度洗濯物を干し終えた所で、振り返り朔夜の目線に合わせてしゃがみ込む。
「ほらママ、上手でしょ」
「あら、ほんと。朔夜は絵が上手ね」
「えへへ」
 母は朔夜の絵を見ながら、朔夜の頭を優しく撫でた。朔夜は気持ち良さそうに目を細めて、笑顔になる。
「でも、ママはもっと美人に書かなきゃ駄目よ」
「えーっ!!」
「えーっ! って酷いわねぇ。そういう子は……おしおきだーっ」
 母はそう言うと、両手の指をくねくねと動かしながら朔夜に伸ばしていく。朔夜は危険を察知し、逃げようとするがすぐに母に捕まる。
「きゃーっ! あはっ、きゃはははっ! マ、ママやめてよーっ!」
「駄目よーっ、おしおきなんだからー」
 母は朔夜の体をくすぐり始めた。朔夜は足をバタつかせもがきながらも、大笑いをした。それに釣られ母も笑う。二人は頬の筋肉が疲れる程に笑った。
 午後五時、陽が暮れ始めた頃。母は朔夜と共に晩御飯の買出しに向かう。車に乗り込むと母はしっかりと朔夜にシートベルトを付ける。
「朔夜、今日は何が食べたい?」
 車のエンジンをかけながら朔夜に問う。朔夜は少しの間考えた後に「ハンバーグ」と答えた。
「朔夜は本当ハンバーグが好きね。パパに好みが似てて私は助かるけど」
「だってハンバーグおいしいもん」
 朔夜の脳裏に肉汁たっぷりのハンバーグが浮かび上がる。それを考えるとよだれが出て、慌てて自分の口を拭った。そんな朔夜を苦笑いして見ながらも母はスーパーへと車を走らせた。
 朔夜は車の窓に張り付き風景を楽しむ。茜色に染まった空に広い田んぼ、そして多くの緑豊かな山々。自然の多く残る田舎だからこそ楽しむ事が出来る風景だった。
 二十分程車を走らせようやくスーパーに到着した二人。時間が時間だけに駐車場には多くの車が停まっており、混んでいるだろう事が容易に想像出来た。二人は人の波に揉まれて逸れたりする事がないように、しっかりと手を繋いで食品売り場へと向かった。店内に入ると六つあるレジにはお客の長い行列。更に喧騒に近い騒がしさがあった。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 只今牛肉全品二割引サービスタイムです!!」
「とっても美味しいソーセージ、味見如何ですかーっ!?」
「迷子のお知らせです――」
 店内に多くの声が流れる。母はサービスタイム目的で牛肉コーナーへと向かう。
「あっ! ママ、コアラのマーチがあるよ。買っても良い!?」
「後にしなさいっ! 今はハンバーグよ!」
 母の顔は完全に主婦のモノとなっていた。こうなっては、どうやっても動かないと知っていた朔夜はコアラのマーチにバイバイと手を振りお別れするのだった。
 人の波を掻き分け、牛肉コーナーへと向かう母。この時の母を朔夜はスーパーママと名付けていた。超という意味のスーパーとお店のスーパーを掛けているのだ。この事を父に話したら父は「素晴らしいネーミングだ」と褒めてくれた。しかし朔夜と父は知らない。その時、物陰でスーパーママ化とした母がこっそり立ち聞きしていた事など……。
「ハンバーグゲット!!」
 多くのライバル主婦達との激闘を制した母は、手に入れたハンバーグ三つを掲げた。
スーパーママは激安ハンバーグを三つ手に入れた。スーパーママのレベルが一つ上がった。もしもRPGの世界だったならば、そんなメッセージが流れていた事だろう。
「朔夜ー、今夜のメインをゲットしたわ――あら?」
 母が朔夜の手を握っていた筈の手を見ると、そこに朔夜の手も朔夜自身もいなかった。母は慌てる。最近子供を誘拐する事件等が多く、昼にそんなニュースを見たばかりだった母は不安を覚えた。とにかくまずは迷子センターに行こう。母はそう考え、ざわつく心を抑えながら迷子センターの方へと向かった。が
「ママー! 終わったのー?」
 何処からともなく朔夜の声が。母は足をぴたりと止め辺りを見回した。すると試食コーナーで口をもぐもぐと動かしながら何かを食べている朔夜を見つける。母は安堵の息を吐き、朔夜の元へと向かう。
「もう、心配したじゃないの!」
「だって暇だったんだもん。それよりママこれ美味しいよ」
 母の心配をよそに朔夜はつまようじに刺された香ばしい匂いを放つソーセージを差し出した。母はそれを受け取り口に放り込む。
「あら、本当に美味しいわね」
「でしょー? 私もう十個も食べちゃった」
「……え」
 それを聞いて視線をゆっくりと朔夜からずらすと、試食コーナー担当と思われるおばちゃんが厳しい目で睨んでいた。
「あ、あははは……これ三つ程頂けます?」
 母はその製品を仕方なく三つ購入するはめとなった。
 買い物を終え、スーパーを後にする二人。外に出るとすっかり空は暗闇に包まれていた。母は腕時計に目をやる。腕時計は午後六時半を指していた。
「早く帰らないとパパが帰ってきちゃうわ。早く車に乗りましょう」
「うん」
 二人は車に向かって歩み出す。

 ――復讐の時が来た

「?」
 ふと朔夜は足を止める。それに気付いた母が朔夜に問う。
「どうしたの?」
「うん、また声が聞えた気がしたの」
 朔夜は闇に染まった空を見つめながら言った。空は何処までも深い深い闇を見せていた。

 家路に着くと母は早速晩御飯の支度にかかる。朔夜は気分が悪いのか、食卓にうつぶせになる。ふと、窓に水滴が付く。一つ、二つ、三つ……。どんどん増えていく水滴、どうやら雨が降ってきたようだ。すぐに雨の勢いは強まり、部屋中に雨音が響き渡る。
「すごい雨ね」
 フライパンでハンバーグを焼きながら母は呟いた。朔夜はそんな母の呟きが聞えなかったのか、返事をする事もなくうつぶせのまま動かない。と、その時激しい光を発しながら、耳を劈くような音と共に雷が近くに落ちた。母のフライパンを動かす手もあまりの雷の大音量に驚き止まる。
「びっくりしたぁ、ねぇ朔夜大丈夫?」
 朔夜を心配し母は振り返った。
「え?」
 そこでようやく母は朔夜の異変に気付く。一旦ガスコンロの火を止め、慌ててテーブルにうつぶせになったまま動かない朔夜の元へと駆けつける。
「どうしたの? 朔夜?」
 母はゆっくりと朔夜の肩を揺する。だが、全く反応がない。母は焦り始める。どうしたらいいのか分からず、右往左往する。暫くして、救急車に電話をする事を思いつくと急いで電話のある玄関へと向かおうとした。しかし袖を何かに引っ張られ母の動きが止まる。母が袖に目をやると、そこには袖を掴む朔夜の小さな手があった。母は安堵の息を吐く。
「良かった……全く動かないから心配したのよ? 大丈夫?」
 母は朔夜の目線まで腰を下ろし心配して訊く。俯き加減で顔が見えなかった朔夜が母の声に反応し顔を上げた。その刹那、再び激しい雷光と共に雷が落ちた。それと同時に部屋中の電気がフッと消える。部屋は暗闇に包まれた。
「え? 停電かしら?」
 母は突然の雷と暗闇に恐怖を感じたが、朔夜を不安にさせてはいけないと冷静に状況を判断する。
「朔夜、此処で待っててね。ママちょっと懐中電灯を取って来るから」
 母はそう言い残し、手探りでゆっくりと歩きながら懐中電灯のある寝室へと向かう。ほとんど暗闇で見えない中を歩くというのは、中々の恐怖がある。人は何故闇を恐れるのか。
 ゆっくりと手探りで歩きながらも母はようやく寝室の前まで辿り着く。軽く息を吐くと母は寝室のドアノブに手をかける。その瞬間、首に何かが巻きつけられる感触を感じる。一瞬母は驚き声を吐き出しそうになるが、すぐにそれが朔夜の腕である事がわかった。一人でいるのが怖くて付いて来たのかな、と母は思いながらも「大丈夫、怖くないよ」と朔夜をおんぶしながら、安心させようと言葉を紡ぎ出す。すると朔夜の母の首に巻きつけられた腕の力が強まる。
「大丈夫怖くないから」
 母は朔夜が恐怖によって腕に力が入ったのだと思った。だが、朔夜の母の首を締め付ける腕の力はどんどん強まっていく。
「えっ、朔夜? ちょっと苦しいよ」
 母は少し苦しそうに言った。だが、そんな言葉などお構いなしにどんどん強くなっていく。
 ぎゅうぎゅうに母の首を締め付けて
         母の顔はだんだんと赤みを増していく
                    腕は首に食い込んで
                         紫色の痣を作っていく

            苦シめ  もっと苦シムんだ
 ワタしの苦しみハこんなモのデハなかった   こレは復讐ノ始まりダ

 母の体が震えた。恐怖のあまりに足を伝って液体が床一面に広がっていく。頭が完全にパニっくに陥る。どうして朔夜が私にこんな事をするのか、何故私は殺されかけているのか。あまりの苦しさに自分の娘であるという事も忘れ必死に朔夜の腕を爪で掻き毟った。するとそれが功を奏したのか、フッと首を締め付ける腕の力が弱まる。母はその腕から逃れると腰を抜かしながら地面を這い蹲り逃げようとする。すでに喉が潰れてしまったのか擦れ声しか出ない。幸いな事はあまりの恐怖に傷みを感じなかった事だった。

                     「ねぇママ?」

 不意に朔夜の声が響く。それはまぎれもなく朔夜の声。その声で恐怖が一瞬消える。そうだ、朔夜は私の娘なのだ。愛する私の……。そんな想いで母は腰を抜かしながらもゆっくりと背後を振り向いた。それと同じくして三度雷が落ちる。雷光によって暗闇が一瞬明るく照らされる。その照らされた先には――手に包丁を持ち不気味な笑みを浮かべる朔夜の姿があった。

                   「ねぇおにごっこして遊ぼうよ」


呪われた少女朔夜は、母を殺しまではしなかったが重傷を与える。途中で帰宅してきた父はその光景を見て驚いた。父は母を病院に運ぶ。すると医師から首に小さな手の絞め跡があると言われる。それは紛れも無い朔夜のものだろうと父は悟る。一方朔夜は自分が一体何をしたのかもわからず、ただ母が倒れていた事に泣いていた。母がその後目覚める。朔夜も父も一安心し、病室に入る。しかし……
「こ、来ないで化け物っ!!」
「え、ママ?」
「いやっ!!」
 母は朔夜を恐れ、拒絶した。朔夜はただ呆然と立ち尽くすのみ。そんな朔夜に更なる追い討ちが待っていた。父から精神病院へ入院するようにと言われる。朔夜は母や父と離れたくないと訴えたが、それはかなわなかった。
 朔夜は精神病院へと入院する事になる。朔夜はすぐに退院することが出来ると思っていた。しかし、医者からは精神が病んでいる者が集まる施設へ行くように薦められる。朔夜は反対した。だが父は母の為にも朔夜をそこへ送り込むことを受け入れた。
こうして朔夜は精神病患者が集まる施設【白の塔】へとやって来たのだった。

 白の塔にやって来た朔夜は、一人ぼっちでだれとも会話しようとせずにいた。もう誰も信用出来ない、信じられない。それが朔夜の思いであった。そんな日々が長く続いた。

 七年後――

 朔夜は十二歳になっていた。顔は整い、長く綺麗な髪を持ち、かなりの美人へと育っていた。だが、性格は以前とは全く違い明るさのかけらもない。朔夜がいつも通り一人でいると、新たな精神病患者が一人やってきた。その少年は朔夜と同じ年で、とても明るい子であった。名を銀朗と言う。すぐに施設の仲間達と仲良くなる。銀朗は部屋の隅で一人ぼっちの朔夜にも話しかける。
「ねぇ、一緒に遊ぼうよ」
 だが、朔夜は銀朗の言葉など無視し、俯いた。今までならそこで怒るなりあきれるなりの反応があり、皆朔夜の元を去っていく。だが銀朗は違った。銀朗は朔夜の隣に腰を下ろす。
「俺銀朗って言うんだ。カッコイイだろ? 君は、朔夜だったね」
「……」
「俺さー、キレるとすぐ自分を操作出来なくなるんだ。だから此処に入れられちまったんだ」
「……」
「んー?」
 不意に銀朗は朔夜の顔をマジマジと見始めた。そして一言。
「めっちゃ俺のタイプ。なぁ、俺達付き合わない?」
「……嫌です」
 本当に嫌そうな顔で朔夜は答えた。すると銀朗の顔がパッと明るくなる。
「おーっ、初めて喋ってくれたなー。いやいや、声も可愛いな。アニメ声っていうの? そんな感じじゃん」
 朔夜はあまりにも軽い態度の銀朗に嫌気がさした。私は一人になりたいの、放って置いて。私に構うと貴方も酷い目に合うわよ。そんな事を思いながら。

 それから銀朗は日々、無視されながらも朔夜に根気良く話かけた。すると朔夜も最初はただうざいと思うだけだったのだが、少しづつ心を開いていった。すると不思議な事に他の患者達からも話しかけられるようになり、いつのまにか朔夜は昔の明るさを取り戻しつつあった。
「朔夜は好きな人を殺してしまうかもしれない。そう思ったから誰とも親しくなろうとしないって言ってたじゃん? けど今はみんなと仲良くなっている。それはどうしてでしょうー?」
 銀朗が患者達全員に話かける。
「えー、わからないなー」
 患者達はさっぱりだという顔をする。すると銀朗は得意気に答えた。
「俺は死なない。お前を絶対に守ってやる! こう言ってやったのさ!」
 すると患者達は「ひゅーひゅー」とはやし立てる。そこへトイレに行っていた朔夜が戻ってくる。朔夜は今までの経緯を聞くと顔を真っ赤にして銀朗に怒った。二人はお似合いのカップルとなっていた。

 それから三年後――


 目の前に流れる血、倒れている患者達、そして銀朗。朔夜はその動かぬ肉塊の中心で呆然と立っていた。再び悲劇が訪れたのだ。
―      ―       ―        ―         ―       ―       ―


 もしも自分が存在するだけで周りを不幸にしてしまうとしたらどうしますか?

 大切な人を自分のせいで失ってしまったら?

 周囲から自分の死を望まれたら?

 貴方は自分の命を絶つ事が出来ますか?

 それとも誰とも関わらずに孤独に生きていきますか?

 それでも尚、人を信じる事が出来ますか?


 ――誰か私に死ぬ勇気を下さい。


 私の腕の中で世界で一番大切な人がどんどん冷たくなっていく。

 ねぇ、起きてよ。約束したじゃないっ! 私を守ってくれるって! 絶対に死なないって! 約束……してくれたのにっ……。

 だけど彼が目を覚ます事はない。私に愛を与えてくれた彼は、魂の抜けた肉塊と化している。

 うそつき……、うそつき、うそつきうそつきっ!!

 冷たくなった彼の胸に顔を埋め私は泣いた。手に温かな彼の紅い血がべたりと纏わり付く。

 私は呪われている。必ず人を不幸にしてしまう。どんなに大切な人も……。だったら、もう私は誰とも関わらない、誰も信じない。何も期待しない。私はゆっくりと立ち上がり、今まで愛していた彼を一瞥し深く暗い闇へと向かって歩き出した。
「さようなら」



 ――誰か私を殺して下さい。


                    《猫舌ソーセージ PRESENT》

 自転車で急な坂を駆け上がっていく。ペダルは重く足に負担がかかる。それでも俺は地に足を付ける事なくペダルを漕ぐ。この坂を上れば、その先には緑が広がる俺の故郷が姿を見せるんだ。あと少し、もうすぐで坂の頂上だ。

                       《SERIOUS STORY》

 視界がパァッと開ける。冷たい風が吹いた。俺は心地の良い風を受けながら、額に流れる汗を拭うと今度は坂を一気に駆け下りた。

                          《IN》

 周囲の光景が線状に形を変える程の速さで、自転車で坂を下りる。体を突き抜けていく風がとても気持ち良い。
「いやっほぉうーっ!! 俺は、風だーっ!!」
 夏休み、俺は帰ってきた。俺の故郷に。
眼前には、緑が揺れる俺の町が広がっていた。
「気持ち良いーっ!!」
 大声で叫ぶ。空気は美味いし、風は気持ち良いし。やっぱり田舎は最高だ。下り坂は残りあと少し。自転車の駆け下りるスピードはかなりのモノになっている。そろそろブレーキをかけるかな。俺はブレーキに手をかけ、思い切り握った。

 ブチンッ!!

 ――え? ブチンッて何の音だよ……なんか嫌な予感が。
俺はブレーキホースに恐る恐る視線を向けた。
「き……き……切れてるーっ!! う、うわぁぁあああああああああっ!!」
 ブレーキ不能、スピードは上がり続ける。ヤバイ、マジでヤバイ。ど、どうしよう!? ぐんぐんとスピードが上がり続けるマイ自転車を必死に制御しながら、頭をフル回転させる。幸いな事に此処はかなりの田舎。車はほとんど通らない。スピードが落ち着くまでブレーキなくても行けるかもしれない。そ、そうだ。大丈夫、きっと。たぶん……そうだと、いいな。
「こ、怖えぇぇっ!!」
 あまりの速さに視界がぐんぐん狭くなる。体感スピードはジェットコースターの比では無い。自転車でこんなにスピード出した奴ってたぶん俺が初めてだ。ギネスブックに載るな絶対。ってそんな下らない事考えている場合じゃない! 倒れないようにしっかりと自転車を操作しなければ。ぬぬぬぅ……早く下り坂終わってくれぇっ。しっかりとハンドルを握り、視界の狭まった前方を凝視する。もし、車が通ったら一貫の終わりだ。……よ、よし。もうすぐ下り坂が終わる。自転車のスピードも落ち始め、ふと油断したその時。
「あーっ! 退いて退いてーっ!!」
 目の前に一人の女の子が――。
「ぶ、ぶつかるーっ!!」
 俺は倒れる事を承知で思い切りハンドルを切った。
「だぁっ!!」
 倒れる瞬間、俺は目の前の女の子を見た。女の子はこんな危機的状況だったというのに、全く無表情でとても悲しそうな瞳を覗かせていた。

             
                        【最高の我が儘】


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 scenario 1:出逢い

 雲一つない青い空が視界一杯に広がる。俺は道路で仰向けになりながら暫く呆然と空を見ていた。怖かった、マジで怖かった。俺のすぐ隣で自転車が倒れている。体は奇跡とも言うべきか特に痛い箇所はない。あれだけのスピードから派手に倒れて良く無傷で済んだものだ。あっ、そういえば彼女に謝らなければ。俺は反動を付けて立ち上がり、轢きそうになってしまった女の子に謝ろうと視線を彼女がいた所へと向けた。
「……あ、あれ?」
 しかし、目の前には誰一人おらず広い田んぼと緑の木々達が映るだけであった。何処行ったんだろう。もしかして幻だったとか? うーむぅ。釈然としない思いを持ちつつ、俺は自転車を起き上がらせる。あーあ、自慢のマウンテンバイクが擦り傷だらけだ。まだ購入して一ヶ月経ってないのに……。とほほとうな垂れながら自転車を押して実家へと歩み始める。さすが田舎、耳を劈くような蝉の鳴き声が大ボリュームで響いていた。

 暫く歩を進めると一軒の家に辿り着く。古風な木造建ての家。此処が俺のじいちゃんとばあちゃんの住む実家である。周囲には田んぼと山しかなく、隣近所まで車で三十分かかるという程の人里離れた場所にある。
「じいちゃーんっ! ばあちゃーんっ! 神埼 秀一、只今参上ーっ!!」
 玄関にて大声で叫ぶ。母さんや父さんから俺が来る事は訊いている筈。俺が暫し待っていると、木製の扉が横にスライドしながらガラガラと開いた。そして中からは頭をぴかぴかに光らせたじいちゃんが杖を付いてプルプルと震えながら現れた。
「おぉ……、秀一よぉ、良くこんな遠い所までぇ、来たのぉ〜」
「いや……じいちゃんソレ俺のマウンテンバイクだから」
 じいちゃんは目が悪いのか、俺のマウンテンバイクに向かって話しかけていた。いや、目が悪いんじゃなくて頭が……うん、ボケてるんだな。
「おぉ、すまんのぉ。こっちじゃったか、大きくなったのぉ秀一。もう四十歳かのぉ」
「違うよじいちゃんっ! 俺まだ十三歳の中学生だからっ!! 四十は父さんだよっ!」
 言っておくけど俺は年相応の外見でそんな老けていない。
「ふぉぉ……、そうじゃったそうじゃった。所で仕事はうまくやっているんかいのぉ」
 ……駄目だこりゃ。

 そんなこんなで家に入れてもらうと、ばあちゃんがウーロン茶の入ったグラスを持って来てくれる。
「秀一暑かっただろう? 冷たいウーロン茶だよ」
「ばあちゃん、ありがとう」
 じいちゃんはもう頭がボケてしまっているが、ばあちゃんはしっかりとしており、この家を守ってくれている。それにとても気が利く。もし俺が将来結婚するならばあちゃんみたいな出来た人と結婚したいと考える。良く冷えたウーロン茶の入ったグラスを手に取ると俺は喉を潤す。真夏の中を汗だくになってやって来た為、喉はカラカラだった。
「あーっ! 生き返ったーっ!」
 汗を流した後のウーロン茶は格別だ。
「ふふふ、もうすぐお昼ご飯出来るからその前に汗を流してらっしゃいな」
 ばあちゃんはそう言うと衣類とタオルをよこし、風呂場へと案内してくれた。自慢じゃないが実家の風呂は高級木材のヒノキで出来ており、風呂に入ると木の香りが漂いとても癒されるのだ。さっさと衣服を脱ぎ捨て風呂場へと入る。白い湯気で視界が悪くなる。手探りで浴槽を探し、ゆっくりと手を入れ温度を確かめる。
「熱っ!!」
 お湯はかなり熱めだった。此処の風呂はいつも熱い。それはじいちゃんやばあちゃんが熱い風呂が大好きな為だ。俺は何時ものように水で湯加減を調節しながら体の汗を流していく。木の香りと蝉の鳴き声。うーん、風流ですなぁ。などとじじ臭い感想を述べつつ浴槽に入り肩までお湯に浸かる。体の芯からぽかぽかと温まっていき、気持ち良すぎて寝てしまいそうだった。お、一句浮かんだぞ。

 ヒノキ風呂 木香に誘われ うとうとと

 我ながら良い句だ。季語入ってないけど。

 しっかりと浴槽で百数えた後、風呂から上がるとタオルで体を拭き、ばあちゃんが用意してくれた服を手に取る。しかし、その服はセンスのかけらもないダサい子供服だった。水玉模様のシャツに、青い半ズボン。ばあちゃんこれはないよ……。とはいえ、全裸で歩き回る訳にも行かず渋々その服に着替えた。風呂場から出ると俺は美味しそうな匂いに連れられて食卓へと向かった。くんくん……この匂いは、カレーだ! 俺の大好物。ばあちゃんの作るカレーは給食のカレーよりも全然美味い。ジャガイモや人参、牛肉など全て具が大きいんだ。それに味が濃い。ばあちゃんのカレーよりも美味いカレーを俺は食べた事がない。
 食卓へと辿り着くと、テーブルの上には具の大きなカレーライスと色鮮やかなサラダ、近くの川から汲んで来た透き通るような色をした天然水の入ったコップが並べられていた。俺はじいちゃんの向かい側の席に座る。此処が俺の定位置だ。生唾を飲み込み、ばあちゃんが来るのを待つ。暫くするとばあちゃんは台所から現れ、じいちゃんの隣に座った。
「それじゃーいただきましょうか」
「いただきますっ!」
 ばあちゃんの声と共に俺は両手を合わせ「いただきます」をし、ばあちゃん特製カレーにがっついた。スプーンに乗っかった黄金色のカレーライスが口に入る。それと同時に絶妙の甘味と辛味が口一杯に広がる。
「うめぇっ! やっぱりばあちゃんのカレーは最高だよっ!」
 カレーは飲み物だ。という格言を残した人がいるが、まるでその格言通り俺は飲むかの如くカレーを口に掻っ込んでいく。
「あらあら、そんなに急いで食べなくともカレーは逃げやしないよ」
 んーっ、美味い。もし今俺がカレー食べている所がテレビ中継されてたら、テレビの前の皆さんもきっとカレーが食べたくなっている事だろう。ちなみに俺はカレーには福神漬けとらっきょ、どちらが良いかと聞かれれば即答で福神漬けと答えるだろう。福神漬けとカレーのハーモニーはまさに神懸っている。
「ぶはぁーっ! ごちそうさまっ!」
 ばあちゃんのほっぺたが落ちそうな程のカレーライスを俺は二皿も平らげた。もうお腹が一杯だ。
「んん〜?」
 ん? 何故かじいちゃんが俺を凝視して唸っている。一体どうしたんだろう。
「お主……孫の秀一か?」
 今更かよっ!!

 食事を終えた後、俺は実家に遊びに来た理由である一つの事を成し遂げる為に家の裏側にある蔵へと向かった。俺が遊びに来た理由、それはばあちゃんやじいちゃんに会う為というのもあるが、一番の原因は夏休みの宿題を成し遂げる為である。担任の先生に自由研究の課題が出され、俺は悩んだ挙句カブト虫の成長日記を付ける事にした。けど俺の住む都会にはカブト虫なんている訳もなく、デパートで買うにも母さんも父さんもケチでお小遣いくれなかった。だから採る事にした。此処なら近くの山に沢山虫がいるんだ。という訳で俺は虫カゴと虫アミを取りに色々な雑貨がしまってある蔵へと進む。
 木造作りの蔵は管理等していないのか、扉の建て付けが悪く力を入れて一気に引かないと開かない。俺は足でふんばりながら両手で思い切り扉を引いた。するとガラガラという音を立て扉が一気に開く。その反動で倒れそうになるが、なんとか踏み止まり埃の舞う薄暗い蔵の中へと入る。中に足を踏み入れるとツンとするような臭いが鼻を刺激する。俺は咳き込みながらも電気を付け目当ての物を探す。蔵には、ダルマや掛け軸、壷等の雑貨が至る所に積まれていた。虫カゴと虫アミは何処だー。ん?
 暫く探していると、ある一つの物に目が留まる。それは紅い鞘に入った刀だった。刀……刀!? すげーっ! 俺はその刀を手に取って見る。俺ぐらいの年頃は刀とか剣とか大好きだ。修学旅行とかに行くと必ずと言っていい程、木刀を買うし。うーん、それにしてもこの刀格好良いなぁ。結構重みがある。本物かなぁ? ちょっと抜いてみようかな。俺は刀を持つ手に力を込め、刀を抜こうとした。
「んっ! ぬぅ……ぬぅ〜うぅ〜っ」 ぷぅっ
 んぎぎぎ……、な、なんだよコレ……ぬ、抜けねぇーっ! 力みすぎて屁が出たよ!!
「ぶはぁーっ!! はぁ……はぁ……」
 あまりに力を入れすぎて頭がクラクラする。刀は全く抜けなかった。錆びているのか、それとも元々抜けないようになっている玩具なのか。むぅ、悔しいなぁ。ちょっとこの刀貰っていいかばあちゃんに聞いてみようかな……、あっ!! 刀を貰おうかどうか思案していると目の前に目的の虫カゴと虫アミが映った。俺は取り合えず刀をお侍さんのように腰に備え付けて、目的の物を手に取る。ちょっとカゴもアミもぼろいけど、なんとか虫を採る事が出来るだろう。俺は埃舞う蔵からそそくさと出て、体に付いた埃を落とす。ふぅ……、沢山埃吸ってしまった。一回家に戻ってうがいしよう。

 家に戻り洗面所でうがいを済ませると、俺はばあちゃんに山へ行く事を伝え、マウンテンバイクに跨り山へと向かった。

 緑が鬱蒼と茂る山。山道にはイガイガの栗が沢山落ちており、転ぼうものなら体中トゲトゲになってしまうという、恐るべき山である。そんな事からこの山はトゲ山とも呼ばれていた。俺は山道の入り口に自転車を止め、足元に気を付けながら山へと入っていく。まだ昼だというのに背の高い木々達によって太陽の光が遮られ、中は薄暗い。
んー……、さすがは虫の宝庫。ちょっとよく見ると地面にはミミズやらだんご虫やらが大量に這っている。それに木々にも色々な虫が付いている。一番多いのはやっぱり蝉だな。さっきから蝉の大音量の鳴き声がすごい。鼓膜が破れそうだ。これならカブト虫も案外早く見つかるかもしれない。一つ一つ木々を調べる。カブト虫やクワガタって、よく木の穴にいたりするんだよねー。俺は持参して来た懐中電灯で穴の中を覗く。うわっ!! ムカデだ。でけームカデだなー、気持ち悪っ。大量の足がモゾモゾと動いて穴の中を這っている。ムカデ以外には見覚えの無い緑色の虫がいたが、目当てのカブト虫はいなかった。まぁ、いくら田舎だと言ってもカブト虫はそんな簡単に見つかるようなものじゃないもんな。気長に行こう。

 ――三時間後。

「……全然いねぇ」
 もう空はすっかり茜色に染まり、ただでさえ薄暗い山の中は夜に近い暗さへと変化していた。まさかこんなに見つからないもんだとは思ってなかった。はぁ……、腹も減ったし今日は諦めて帰るか。俺は踵を返し来た道を引き返す。大分夢中になって探してたからな、かなり山中へ入ってたんだなぁ。辺りを見回すと普段は見慣れない木々の並びがあった。此処まで奥深くに入ってきたのは初めてだった。早く帰らないと本当に真っ暗になって帰れなくなる。急ごう。







 えーっと、この道さっきも通ったような……、あれれ? あはは、参ったな。うーん……どうしよう。完全に迷った。辺りはすっかり暗くなり、何か不気味な雰囲気が漂う。懐中電灯で地面を照らしながら慎重に山中を進む。疲れと暗闇で方向感覚が鈍る。さっきからお腹がグーグーと鳴りっぱなしで、腹もペコペコだ。ま、まさか遭難死したりしないよな。ほんの少しだけ頭に死が過ぎる。
「あーっ! 駄目駄目!! 不吉な事考えるな俺! よし、唄いながら明るく行こう」
 こういう時はマイナスに考えるのは良くない。確かサイバイバルか何かの本で読んだ事がある。大丈夫だ、うん。さて、なんの歌を唄お――!? 俺が必死に明るく元気になる歌を脳内で検索していると、木々の間に確かに人の影を見つけた。
「す、すいませんっ!」
 助かった! 俺はすぐにその人影に声をかけた。が、何故か人影は俺から逃げるように走り去ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってーっ!」
 ここではぐれる訳にはいかない。せっかく助かるチャンスなんだ。どうして逃げるんだよっ!! 俺、正直言って暗い所苦手なんだよ、マジで心細いしっ! 行かないでくれってーっ!! 心の中で悲痛に叫びながら懐中電灯を片手に必死に人影を追う。幸いな事に人影はそれ程足が早くなく距離はどんどん縮まって行く。暗闇の中、一本の白い腕が捕まるまで近づくと俺は命一杯腕を伸ばし、それを掴んだ。
「待って下さいって!!」
 俺は逃げられないようにしっかりとその腕を掴むと、懐中電灯を人影に向けた。
「あ……君は……」
 俺が捕まえた相手は、この町の名物《急下り坂》でぶつかりそうになった女の子だった。女の子は少し力を入れたら簡単に折れてしまいそうな程の華奢な体をしており、髪は長く後ろに束ねてあった。彼女の表情は昼に見たそれと同じでなんだかとても悲しい感じがする。
「昼間会ったよね」
 俯き加減で俺の方を見ようとしない彼女に俺は出来る限り、優しく言った。年はいくつぐらいだろうか。俺と同じぐらいに見える。
「……」
 彼女は何も答えてはくれなかった。大人しい子なのだろうか。
「あ、あのさ。俺実はこの山で迷っちゃってさ。途方にくれてたんだよね。君、えっと帰り方わかるか――」
「……離して」
「え?」
 俺の言葉が終わる前に彼女は小さく呟いた。
「……手、離して」
 手? あ、あぁ。そうか。俺はすぐに彼女を掴んだ手を離す。
「ご、ごめんな。ちょっと切羽詰っててさ」
 俺は慌てて弁解する。それにしても彼女の声、なんだかすごく透き通ってて綺麗だな。そんな事を考えていると彼女はスッとある方向を指差した。
「えっと、向こうを降りれば町に出れるって事?」
 俺が問うと彼女は黙って小さく頷いた。良かった、これで助かる。彼女には感謝だ。
「本当に助かったよ。ありがとう! あ、そうだ俺神崎 秀一っていうんだ。君は?」
 自分の名を名乗り彼女の名を訊く。しかし彼女は視線を地面に向け俯いているだけで何の反応もない。
「あ、えっと……」
 居た堪れない空気が流れ次の言葉が出てこない。と、突然彼女は踵を返し走り出した。まるで俺から逃げるように。俺……何か悪い事したか? 俺は追う事もせずにただ闇に消えていく彼女を呆然と暫く見ていた。

 ――闇。懐中電灯無しでは何も見えなくなってしまう程の闇に包まれた山中。俺は彼女に教えられた通りの道を歩む。ただひたすら歩む。足は自然と早足になり、頭の中では出来る限り楽しく明るい事を考えるように強制する。人間は何故こんなにも闇を恐れるのだろうか。時折聞えてくる何かの動物の鳴き声にびくつきながらも俺は山を下りる。夏だというのに全身に鳥肌が立っていた。
「――っ!!」
 懐中電灯の明かりだけが頼りで地面の石に気付かず躓き転びそうになる。上体を反らしなんとか右足を前に出し踏ん張る。早く出たい、明かりが見たい。そんな思いに囚われる。歩を進めていくうちに「本当にこの道で合っているのだろうか?」「得たいの知れない名前を知らぬ彼女の言う事など信用しても良かったのか?」「もし途中で懐中電灯の電池が切れたら」不安が次々と頭をかすめる。そういえば、何故彼女はあんな暗い山中を一人でいたのだろうか? もしや幽霊だったりとか……、冷や汗が背中を伝い、その感触にまでビクつく。喉は渇き息は荒くなる。体力には自信があった。しかし恐怖というものが纏わり付くと体力の消耗が著しく激しくなる。こんなに遅くまで虫採りなどに時間を費やすんじゃなかった。後悔したところで後の祭り。俺は出来る限り早く、かつ慎重に山を下った。
 暫くすると登山者用の道に辿り着く。俺は心底ほっと胸を撫で下ろした。後はこの道の通りに下っていけば大丈夫だ。彼女には本当に大感謝だな。少しでも疑って申し訳ない気持ちが沸いた。
 数分後、懐中電灯の電池が尽きないかを心配しながらも山を下り終える。「ふぅ」と安堵の一息を吐き、停めてあった自転車に跨る。さっさと帰ろう。

 こうして俺の一日は終わりを告げたのだった。

■      □         ■       □        ■

 五十メートル先が見えない程の濃い霧。その霧に包まれながら俺は日課である早朝素振りをこなす。吐く息は真っ白に、上半身からは湯気が舞い上がる。汗を飛び散らしながら俺は千回目の素振りを終える。
「相変わらず精が出ますね、秀元しゅうげん殿」
芳枝よしえだ殿、いつからそこに?」
 まだまだ肌寒い三月初旬、まだ二十歳と俺と変わらず若いながら高名な陰陽師であり俺が仕える殿の相談役ともなっている芳枝殿と初めて会話を交わした。芳枝殿はいくばかの報酬で悪霊退治を引き受ける事でも有名な良心的な陰陽師であった。それ故に殿も芳枝殿を雇い入れた訳だが、俺は何故か芳枝殿を心底信用する事が出来なかった。
「つい先程からですよ。それにしても貴方の刀捌きは素晴らしい。この平安時代を代表する剣豪となる事でしょう」
「何を言いますか。先月亡くなられた安倍晴明あべのせいめい殿の後釜とまで言われている芳枝殿が。俺如きにそのような言葉もったいない」
「ははは、謙遜なさる事はないでしょう。事実、殿も貴方の実力には一目置かれているのですから」
 芳枝殿は扇子を開くと口元を隠しながら笑う。俺にはその仕草が不気味に思えた。そもそも陰陽師とは占術や呪術の達人のことで、得たいの知れぬ力で未来を予言したり、不治の病を治したり、魔と戦ったりする者だ。今は亡き安倍晴明殿は容姿端麗でその力がズバ抜けていたと聞いている。だが、俺はその得たいの知れぬ力というモノを信じる事が出来ないでいた。
「芳枝殿、殿がお呼びです」
 不意に一人の家臣がやって来て芳枝殿を呼びつける。
「わかりました。それでは失礼しますよ」
 そう言い残し芳枝殿は去って行った。
「はぁっ!」
 頭をかすめる芳枝殿への不信感を断ち切るかのように、俺は刀を二度三度と振り下ろす。茶の枯葉が一枚、ひらりひらりと舞い落ちた。




 秀元が仕える殿がある日、魔物に襲われ殺される。城まで入ってきた魔物に殺されたのだ。芳枝は自分がついていながら……と悔いた表情を見せていたが秀元は芳枝に更なる不信感を抱いた。殿の一人娘「咲姫」は父の死に悲しんだ。そして決心する。父を殺した魔物を見つけ退治する旅に出る事を。
「秀元、護衛をお願いします」
「はっ! かしこまりました」
 大人数で行くと目立つという事で姫は一番腕の立つ秀元だけを連れて行く事にした。だが姫が秀元を選んだ理由はそれだけではない……。
 長い長い旅が始まる。秀元は姫を盗賊からある時は人斬りから守りながらも魔物の巣窟だと言われている洞窟へと向かっていた。そんな長い旅をしているとようやく目的の場所に辿り着く。二人が中に入るとそこには一匹の巨大な魔物が潜んでいた。魔物はまだ眠っている。その隙に殺してしまおうと秀元は考えた。が、姫が咄嗟に「父の仇!」と言いながらナイフを片手に魔物に向かっていく。その殺気を察知した魔物は目を覚まし咆哮を上げた。姫はあまりの大音量の咆哮に驚き、腰を抜かす。そこへ魔物が飛び掛る。ザクリという音と共に血が流れる。しかしその血は姫のものではなく、秀元のものであった。秀元は姫を庇いつつ、魔物と対峙する。秀元は傷を負いながらもなんとか魔物を倒す。だが、もう体はほとんど動かせない程の怪我を負ってしまった。
「姫……申し訳ありません。最後までお守りする事が出来そうにありません」
「嫌ですっ! これは命令です。私をずっと守りなさい!」
「ははは……我が儘なお姫様ですね……うっ」
「だ、大丈夫かっ!?」
 姫は心底秀元を心配した。それは姫が秀元を愛していたからに他ならなかった。
「クックック……いよいよクライマックスですねぇ」
 不意に声が聞える。秀元と姫は声のした方へと視線を向ける。するとそこには――。
「芳枝殿!? 何故貴方が此処に!」
 そう問いてはみたものの秀元は察しがついていた。
「わかっているでしょう? この私が魔物を操り殿を殺したのですよ」
「な、なんですって!?」
 姫の顔がみるみる怒りの形相へと変わっていく。芳枝は扇子で口元を隠しながら笑っている。そこへ姫が走りこみ芳枝に襲い掛かる。芳枝は所詮、女の攻撃。かわすことなどたやすいと甘くみていた。姫がこの旅で己自身を鍛錬し、今ではそこらの兵よりも強くなっている事を知らなかったのだ。姫のナイフは見事芳枝の心臓を貫く。
「ば、馬鹿な……許さぬ、許さぬぞ。お前に呪いをかけてやる……永遠の呪いを……」
 不気味な言葉を残して、芳枝は死んだ。姫は復讐が終わり力が抜けると手からナイフが落ちる。そしてハッと気付き秀元の元へと駆け寄る。が、すでに秀元は事切れていた。
姫は悲しみのどん底へと落ちた。

 ★        ★         ★          ★       ★

 芳枝の呪い、それは世代を超え姫の生まれ変わりである朔夜にまで及んでいた。だが、朔夜を守る男が現れる。

 それはまぎれもない、秀元の生まれ変わりの秀一であった。姫の最高の我が儘を秀元の
生まれ変わりの秀一は果たすのだった。

 完結














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