エルフの章・4 初めての町
クレアが俺に恩返しをしたい、と両親と妹に告げると、彼らは娘に支度金を持たせてくれようとしたが、俺はその金は受け取らず、クレアが捕まっていた馬車と、倒した賊二人の持ち物から路銀を拝借し、エルフの里がある山を降りた。
亜人の奴隷であると分かると目立ってしまうので、首輪については襟巻きをして隠しておくことにした。首輪を外すには手順が必要だし、俺を主人と示すものだという意味では、クレアはどうしても外したいというわけではなさそうだった――むしろ、大事にしている素振りさえ見せた。
「お父さんたちの様子も気になるだろうし、人里に降りてもしばらく様子を見に行こうか」
「は、はい……でも、大丈夫です。お父さんは私より狩りがうまいですし、本当なら、亜人狩りの手下に負けることはないんです。あのダークエルフが、魔法封じを使ったから……」
「ダークエルフ……同族の村を襲って、奴隷として売ろうなんてやつがいるのか。どうやら俺が探すべきは、そいつらしいな」
「同族……では、ないです。同じ、長い耳を持っています……でも、悪魔を信じています。私たちは、精霊を信じます……自然に宿る神様は、森を守ってくれます……」
そうは言うが、エルフの里は襲撃されてしまった。しかし、それは森の精霊がエルフの里を守らなかったということではなく、ダークエルフの悪意が強すぎたから、と解釈しておくべきだろう。
「じゃあ、クレアの家族も森の精霊が守ってくれるってことだな」
――そう言いつつも、俺はしばらく、クレアの家族が隠れ住むという山奥の庵を、定期的に訪問するつもりでいた。クレアと新しい生活をしながらでも、今の身体能力があれば、5分で山奥と人里を行き来できる。
「……ご主人様が、守ってくれる……気がします……」
「うっ……な、なんでわかった? 俺が考えてることは、そんなに分かりやすいか?」
「ご主人様は、とっても強いです……私、自分が、里ではお父さんの次に強いと思ってました……でも、お父さんも、私も、ご主人様にくらべたら、ドラゴンと、そこのかえるさんくらいの差があります……」
「へえ、ドラゴンとかいるのか。でもまあ、クレアはカエルっていうよりは、ウサギって感じだな」
「う、うさぎですか? 耳、長いからですか……?」
異世界にもウサギがいるらしく、意味が通じた。クレアは自分の耳を触って気にしていたが、しばらくして何か思うところがあるのか、俺を見やる。
「……ご主人様は、さっき、耳をさわってました。エルフ、好きだからですか?」
「っ……ま、まあ何ていうかその……ごめん、つい気持ちが高まっちゃってさ」
もっと上手い言い方がないものかと思うが、クレアはそういったことには疎そうに見えるので、仕方ない男だと思ったりはしないだろう――と、希望的観測を抱いたのだが。
クレアはまだ何か言いたそうにしている――とても恥ずかしいことだけど、言わずにいられない。そんな顔だ。
「……ご主人様は、長い耳を見ると、興奮しますか?」
「ぶっ……げほっ、げほっ。……えーと、興奮じゃなくて、そうだ、好意だ。長い耳を見ると、何か癒されるな」
「私は……動物を見ると、癒やされます……ご主人様を見ていると、もっと落ち着きます」
「そ、そうか……いいのか、まだ会ったばかりなのに。俺は夜になると、豹変するかもしれないぞ?」
「っ……そ、それは……」
あまりにクレアが無防備な信頼を寄せてくれるので、逆にそういうことを言いたくなってしまう。効果はてきめんだったのか、クレアは歩みを遅くしてしまう。
しかしクレアは俺に追いついてきて、俺の服の裾をつまむ。何事かと振り返ると、白い頬を赤く染めて、クレアに上目遣いに見上げられていた。
「……奴隷は……ご主人様が、喜ぶこと、します……夜になったら……」
「っ……ち、違うぞ、今のは冗談だから。俺は夜になっても、大して変わらないからな。クレアが怖がることとか、絶対しないから」
「……怖がる……私、ご主人様のこと、怖がらないです……ご主人様は優しいです……」
(これは、もう全面的に受け入れ態勢なのでは……いや、首輪のせいか……外してあげた方がいいよな、やっぱり)
「え、えーと。奴隷にしたいとは言ったものの、首輪は必須っていうわけじゃなくてだな」
「……だめ、です」
「えっ? な、なんで? そんな革の首輪つけてたら、苦しくないか?」
「……これがなかったら、私、ご主人様のこと忘れてました。それは、嫌です……これがあったら、絶対忘れないです」
切なそうな目でクレアが言う。ロードする前に俺と話したことが、彼女にとっても、それほど大事な思い出になってくれていたのか。
(……考えてみれば、命令は聞いてくれるけど、首輪をつけたらすぐに従順になったってわけじゃなかったな。ということは、今のクレアの感情は……)
本心から、俺に恩を感じて、慕ってくれている……ってことになりはしないだろうか。
(女の子に好意を持たれたことって、俺前世であったっけ……ま、まずいな、対応がわからないぞ)
「ご主人様、ふもとの町に行ったら、どうしますか? 私、必要でしたら、お金をつくります」
「身体で稼ぐとか、そういう発想はもうだめだぞ……あ。ま、まさかクレア、そういう経験が……?」
「な、ないです……っ、私の村では、エルフは120歳にならないと、男の人とふたりで話しちゃいけないです。私は、まだ112歳です……」
長命な種族というが、これほどとは……外見は16歳くらいに見えるから、人間より七倍年を取るのが遅いんだろうか。
クレアの母親は20歳くらいの見た目だった。父親のほうはかなり年上に見えたので、男性は歳を取りやすいのか、歳の差夫婦だったかのどちらかだろう。百年単位で差がありそうだが。
「……ご主人様は、おいくつ……ですか?」
「俺は二十歳だよ。クレアから見たら、子供扱いだったりするか?」
「い、いえ……人間は大きくなるの早いですから、私より年上です。ご主人様は、大人です」
そう言ってもらえると安心だ。二十歳の坊やだと思われていたら、少々甘やかしにくいからな。むしろ俺が甘やかされてしまうんじゃないかと想像してしまう。
「じゃあ、大人として一家の生計を立てないとな。町って、冒険者ギルドってあるか?」
「はい……あると思います。冒険者の人が、エルフの里に、時々来てました」
「俺に一番向いてるのは、そういう仕事だと思うんだよな」
究極的には暗殺者、戦争請負人、ドラゴンバスターなどが俺の天職だろうが、まずは冒険者からスタートしたい。それもまた、異世界に来たら奴隷を買いに行くのと同じ、転生者の辿るべきマイルストーンではないだろうか。
「……ご主人様、楽しそうです……私も、嬉しくなりました」
「それは良かった。いやいやついてくるよりは、楽しんだ方がいいからな」
「……そういうふうに、私の気持ちを考えてくれるから……私は、幸せな奴隷です……」
(……やっとスタートラインに立った気分だ。決してクレアのことを、チョロインだと思ってはいない)
「……ご主人様、私、『ちょろいん』ですか?」
「げっ……ま、待て、読心術とかできるのか?」
「耳をすますと、精霊が声を聞かせてくれます。それで、ご主人様が善き心を持つ人だと、分かりました」
(そ、そういうことだったのか……この世界では、当たり前なのかな?)
「耳をすまさないと、聞こえないです。今までも、一度か二度だけ、聞いてました」
「じゃあ、これからも時々にしておこうな。ドキッとするから」
「はい。ご主人様のお考え、どうしても知りたい時だけに……だめですか?」
「だ、だめじゃないけど。ろくでもないこと考えてても、呆れないでくれな」
冗談めかせていうが、結構シリアスな問題だ。男は常に思春期なので、悟りを開いていない凡愚はろくでもないことを考えがちだ。その凡愚にもちろん俺も含まれる。
「……ろくでもないこと、考えて欲しいです」
「え? 今なんて?」
「……なんでもないです。ご主人様の後ろの髪がはねていて、ホロン鳥に似てます」
「ほ、ホロン鳥……? 何かうまそうな名前の鳥だな」
前世ではホロホロ鳥という鳥がいて、美味だと聞いたことがあった。それに似ていると言われてもぴんと来ないが、なぜかクレアは楽しそうに俺を見ていた……この気恥ずかしい空気はなんとも言えない。
ふもとの町には商店とギルドがあり、俺の目にはかなり栄えているように見えた。人口は4千人くらいといったところか。この地方にある大きな町は三つほどあるそうだが、この町のギルドは、それらの町のギルドを束ねる役割を果たしているそうだった。
俺はまず冒険者ギルドに登録を済ませ、依頼の内容を見せてもらった。駆け出しのFランク冒険者の仕事は、畑を荒らす小動物の退治や、狩りの手伝い、収穫の手伝い、お使い、ペット探し、手紙の配達などだった。
Fランクでは収入が少ないので、早めにランクを上げる必要がある。ランクを上げる条件は依頼を積み重ねることなので、俺は同時に受けられる限界の10件依頼を受け、明日全部こなすことにした。
町にはいくつか宿屋があったが、裏通りにある見るからにボロい宿、それなりにサービスが行き届いていそうな宿、貴族の屋敷のような宿の三つがあった。3つめはラブホテルとして利用されているようだった――どうやら町人が、貴族気分を味わう時に利用するらしい。
「私は馬小屋を借りて眠りますから、ご主人様は、大きい宿に泊まりますか?」
「え、えーと……一緒に泊まると身の危険を感じるとか、そういうことか?」
「か、感じないです……ご主人様のお金を、私のために使ってもらうの、だめです……」
「俺はクレアが一緒に泊まってくれた方が安心だからな。よし、命令しよう。もっと自分を大切にしてくれ」
「は、はい……ご主人様のご命令なら……私、一緒のお部屋の床に寝ます……」
(奴隷になったからというより、元から控えめすぎる性格なのでは……?)
金色のさらりとした髪に、宝石のような瞳。身長は低めだが手足はすらりと長くて、胸はびっくりするほど大きい。家を出るときに、焼けずに済んでいた服を出してきて着替えていたが、今でも俺のレザーアーマーを身に着けている。胸の装甲がきつそうだが、それでも彼女は何の疑問も持たず、当たり前のように身につけた。
(……こんな女の子が現実にいるんだろうか? 狙ってるようにも見えないのに、俺を喜ばせることしかしない……ほ、ほんとにこれからこの子と一夜を明かすのか……)
もうすぐ日が暮れる時間で、宿を取るにはぎりぎりの時間だ。一人なら一番高い宿も取れるが、俺はもちろん、二人で泊まれる中くらいのクラスの宿に部屋を取ることにした。
宿は夕食と朝食つきで、夕食はパンとスープ、そして燻製肉を焼いたものと茹でた野菜が出てきた。シンプルなのだが、焼きたての肉とパンの匂いが食欲をそそる。
「はむっ……あむ……ん、んんっ……」
食堂で食事がテーブルに並べられたときから、クレアの目が輝いていたので、もしやと思ったが――クレアはどうやら空腹だったのか、夢中になって食べ始めた。行儀が悪いわけではないのだが、いかんせん急ぎすぎだ。
「落ち着いて食べような。はい、水飲んで」
「んっ、んっ……はぁ……す、すみません……おなかがすいていたので、つい……ご主人様が食べ終わるまで、待っていようと思ったのに、お肉が……」
(エルフはベジタリアンなイメージがあったけど、そうでもないのか。狩りをするって言ってたしな)
俺がそんなことを考えていると、クレアは顔を真っ赤にして、フォークを持ったままで俺をじっと見ていた。
「……ご主人様、いっぱい食べるなって思いましたか?」
「いや、可愛いなと思ってただけだよ。よく食べて、よく寝るのが一番だ」
「す、すぐに寝たら、牛になっちゃいます……食べたあとは、運動しないとだめです」
「運動っていっても夜だしなぁ。じゃあ、俺と話でもするか?」
「……は、はい。お話したいです……ご主人様のこと、もっと知りたいです」
返答までに少し間があったが、まあまだ遠慮しているとかそういうことだろう。もっと距離を縮めていかないと、甘やかす以前の問題だ。
それからクレアは一口食事を食べるたびに感激しているようだったが、それを出さないようにしていた。エルフって粗食だったんだろうか……だったら、これからもっと美味しいものを食べさせてやりたい。
部屋にはベッドが二つ置いてあった。クレアは床で寝るので一つでいいと言っていたが、宿主にも悪いし、俺はそもそも彼女を床で寝させるつもりなどない。
(しかし、魔法がある世界は便利だな。ガスがなくても魔法で風呂が湧かせる)
温度調節の効かない原始的な風呂ではあったが、今日一日の汗を流してさっぱりするには十分だった。宿泊客は他にもいるのに、風呂に入る習慣がない人が多いらしく、俺とクレアで順番に入ることができた。
先に上がって部屋のベッドに座り、水差しに入っているサービスの飲み物を飲んでみることにする――一口飲んでから、アルコールが含まれていると分かった。
(保存のために、酒を飲み物代わりにするってことか……さっきの夕食の時もそうだったしな)
俺もそこまで酒に弱くはないし、クレアも何も変わった様子がなかったので、特に問題はない。氷室から出されたのだろうキンキンの果実酒はさわやかな味わいで飲みやすく、風呂あがりには最適だった。
アルコールが回って酔うことも、俺にはありえない。それも回復力の恩恵だ。
(……クレアは結構時間がかかるみたいだな。女の子は風呂が長いというけど……あの髪の手入れは大変そうだしな)
エルフ特有の手入れに必要なものがあったりしたら、揃えてあげないと。それを考えると、宿に滞在し続けるよりは、早めに自分たちの住居を手に入れるべきだろう。
異世界にアパートのようなものはあるんだろうか。戸建ての場合、どれくらいの相場なのだろうか――異世界に来て一日目で、不動産の購入について考えるとは思っていなかった。
それからもしばらく酒を飲みつつ考え事をしていると、ドアが控えめにノックされた。
「ああ、クレアか? 開いてるよ」
「は、はい。入ります……」
返事をして、クレアがしずしずと中に入ってきた。服はこれも家から持ってきたもので、いつも着ている寝間着らしい――革鎧の戦士姿もそれはそれでぐっと来るが、今はまさに女の子という姿を見せられ、言葉を失って見つめてしまう。
「あ……ご、ごめん。けっこう可愛い服で寝るんだな」
「……可愛いですか? 妹に同じ服のおさがりをあげたら、地味だって言ってました」
「ははは。なかなかオシャレに敏感な妹さんだな」
「……かわいい妹です」
「また会いに行こうな。いつでも連れていってやるから」
「……ご主人様は、妹も奴隷にしますか?」
「い、いや……さすがに姉妹そろって俺のとこに来たら、ご両親も寂しいだろうし……妹さんも、奴隷というと身構えるだろうしな」
「……私も、怖いことだと思ってました。捕まったとき、奴隷にして、娼館に売るって言われました……でも、ご主人様のような、優しい主人に仕えるなら、だめじゃないと思います」
その娼館に売られるまでの過程を思うと、怖いどころでは済まないと思う。だがクレアは、奴隷にも色々あると思ってくれているようだ。
「クレアは戦士をしてたって言ったよな。俺と一緒に仕事をするか、そうでなくても、家……というか当面は宿だけど、留守番してくれてもいいんだけど。どうする?」
「……おじゃまでなければ、ついていきたいです」
「よし、わかった。じゃあ明日からの仕事には一緒に連れていくよ。結構ハードだから、疲れたらおぶってやる」
「あ、ありがとうございます……でも、子供の頃から、山をたくさん歩いたので……身体、丈夫です」
丈夫なエルフの美少女奴隷。彼女が冒険に同伴してくれるというだけで、依頼をこなすのも断然楽しくなろうというものだ。
「……しかし、本当に良かった。俺、クレアが忘れてると思ってたから。家族と一緒にいるほうが、幸せだと思ってたんだ」
「……私は……何が起こったのか、分からなかったですけど……時間が戻ったあと、ご主人様が私の家族を助けてくれたのを見て……私のために、戦ってくれたんだって、思って……」
その通りではあるのだが、そこまで完全に汲みとってくれていると分かると、何か胸が熱くなってくる。
報われない善意こそが本当の善だと思う気持ちもあるから、そこまで感謝されることに、本当のいいのかという気持ちもある……だけど。
「……嬉しかった。ご主人様が代わりにあの人たちを……私がやらないといけなかったのに……なのに……」
「これからは、復讐なんて必要が無いように立ち回っていく。殺す必要があるやつは、そう判断したところで殺さないと、誰かが泣く事になる。そんな俺でも、怖くないか?」
「怖く……ないです。それだけは……信じてください……」
その言葉があれば俺は救われる。これからもクレアを守り続ける、そのために手段を選ぶことはない。
「……じゃあ、もっと楽しい話をしようか。クレアは、どんな家に住みたい?」
「い、家なんて……私には、恐れ多いです。ご主人様のおうちの馬小屋で、大丈夫です……」
「実は馬小屋が好きなんじゃないのか、という疑惑が生じる前に、クレアの希望を教えてくれ」
クレアはしばらく戸惑っていたが、答えを待っている俺を見て、根負けしたというようにふっと笑った。
「……おうちは……ご主人様がいれば、そこが私にとっての、最高のおうちです……」
「……そうか。じゃあ、頑張らないとな」
「頑張る……おうちを買うために、お仕事をするんですか……?」
「ああ。なにせ、これから家族が増えるからな……俺は奴隷を買う予定だから」
それも一応、俺が奴隷を欲しいからというだけじゃなく、意味があるのだが――正直に言って引かれることも考えてはいた。
しかしクレアは、最初だけ少し驚いただけで、やはりすぐにいつもの微笑みを見せてくれる。
「ご主人様に買われるのなら……その方も、幸せになれると思います……」
「そうだといいんだけどな。クレアは自分だけの方がいいとか、言わないんだな」
「っ……そ、そんなことは……少しだけしか……い、いえ……」
なぜ、奴隷を買うのか――それは、奴隷商人に接触するためだ。
奴隷商人は、クレアの村を襲った亜人狩りに繋がっている可能性がある。だからこそ、奴隷を買いに出向いて、一度は奴隷市場を見ておく必要があった。
二人で別のベッドに入り、魔法でつけられたカンテラをクレアが消して、明かりは窓から差し込む月の光だけとなった。
おやすみ、と挨拶は交わしたので、あとは寝るだけだ。隣のベッドにいるクレアの方を向くと意識してしまうので、俺は背を向けて、眠れるように努める。
目を閉じると、風呂あがりの石鹸の香気を身にまとったクレアの姿が思い出される。まともに見られなかったが、ボタンで閉じる寝間着の前がぱんぱんになっていて、布地が引っ張られて隙間から肌が見えていた。
(……胸ばっかり見てるって思われたくないしな。しかし……一回見ると、忘れられない……)
悶々としていることすら悟られるわけにいかない。だがクレアを初めて見た時から、ことあるごとに思い出してしまう――白い素肌と、金色の髪の隙間から覗いていたものを。
こんな主人では、やはり性欲のために奴隷を欲しがっていたんじゃないかと思われても仕方ない。
このままでは、一睡もできないかもしれない――だがそれも、俺がクレアの信頼を得るためには、避けては通れない試練だ。
「……ご主人様……眠れませんか?」
背中に声をかけられる。耳が痛いくらいの静寂の中だったから、その声の涼やかな響きが耳朶を直接に打つ。
きれいな声だ――震えている声や、まだうまく話せない時にもそう思っていたけど。落ち着いて話すクレアの声は、天使に劣らないほど澄んでいる。
「っ……い、いや。すぐ寝られるから、大丈夫。気にするな」
少し突き放すように言ったほうが、心配させずに済むと思った――しかし。
「……心配、します。ご主人様が寝られなかったら……身体によくないです……」
「っ……」
心を読んだのか。耳を澄ませば聞けるというなら、俺がベッドに入ってからの考えもずっと、クレアに読み取られていた可能性が――と考えて、身体が熱く火照り、心臓がばくばくと早まり始める。
期待していなかったといえば嘘になる。しかし俺は、あんなことがあった後で、すぐに俺がそんなことをするわけにはいかないと思った。
今でもそう思っている。俺はクレアに幸せになって欲しいだけだ。辛い目に遭った彼女の笑顔を見たい、そのためにならどんなことでも――
考えているうちに、クレアが動いた。彼女は俺に何も聞かずに、俺のベッドに入ってくる。
「く、クレア……寝なきゃだめだ。明日は、仕事が……」
「……ご主人様……心の中では、違うことを考えてます。私のことを……何度も……」
――もう、声も出なかった。
クレアは最後に何事かを小声で言うと、俺の背中に寄り添ってきた。
肩甲骨の下のあたりに、柔らかいものが触れる。薄い布越しに、触れている部分の一部が、少しずつ硬さを増していくのがわかる。
「……そんなふうに考えていただいていること……私、嫌じゃないです……奴隷としてでもいい……私は、ご主人様のことが……」
「ま、待った……ちょっと待ってくれ。俺もそっちを向くから」
背中を向けて聞いていていい話ではない。俺は意を決して後ろを向く――すると。
そこには色っぽく顔を真っ赤にして、目を潤ませてこちらを見ているクレアの姿があった。
(か、可愛い……じゃなくて……ま、まさか……!)
「クレア……もしかして、俺のベッドに入る前に、そこのお酒を飲まなかったか?」
「……しゅ……」
「しゅ?」
聞き返すと、クレアは何度か何か言おうとして、うまくできずにいた。どうやら、酔いで口が回っていないようだ。
「……しゅみません……わ、私、いっぱいお酒を飲んだら、勇気が出ると思って……全部……」
「い、一気飲みしたのか? それこそ身体に悪いんだから、そんなことしちゃだめだ」
「は、はい……しゅみません……」
「……まあ、飲みたいっていうなら止めはしないけどな。可愛いし」
「……おみみ……」
「ん……?」
今のクレアと会話するのは結構大変だが、俺は楽しくなってきていた。ベッドに入ってこられた時から、緊張はしているのだが、それよりもクレアの反応を見ることの楽しさの方が勝っていた。
――しかし、それも、クレアが次の一言を口にするまでだった。
「……おみみ……なめてください……」
「……えっ……?」
「え、エルフの耳は、長いので……ご主人様は、大好きって……」
「そ、それは舐めたいって意味じゃ……」
クレアは急に切なそうな顔をする。まるで、俺が彼女を拒絶でもしたかのように。
(そ、そうじゃなくて……耳を舐めるのは、もう甘やかすってレベルじゃなくて……)
「……私は、エルフでも、ご主人様のお気に召さないおみみですか? だから、舐められないですか?」
「ち、違う。い、いいか……実際にやってみると、結構その、想像してたのと違うかもしれないぞ?」
「……エルフは耳が敏感です。ご主人様にさわってもらったとき……よかったので……」
(よ、良かった……だから、俺に舐めてほしいと……)
「……私がなめるのは、いいですか?」
「な、なめ……クレア、舐めるのが好きなのか? 気に入った相手にはそうしたいとか……」
「わ、私がなめたいと思ったのは、ご主人様がはじめてです……お耳をなめたいです」
エルフにとっては、耳に触れることが愛情表現に関わるということか。俺は自覚なく、ついクレアの耳を触ってしまった――その時からずっと、火がついてしまっていたとしたら。
(……しゅ、主人として……責任は、取らないとな……)
「……わ、わかった。耳をなめたら、満足するな? もう、寝られるな?」
「は、はい……っ、おみみ、舐めて欲しいです……いっぱい、いっぱい、舐めて欲しいです……」
「い、いっぱいはだめだ。折角お風呂に入ったんだから」
「……ご主人様がなめても、きれいです。お風呂、入らなくてもいいです」
(その気持ちは嬉しい気がするけど、お風呂は入った方が……はっ!)
――いつの間にか、完全に舐める方向で話が進んでいる。
クレアの誘い受けによって、俺ははからずも誘導されてしまった――これもまた主人と奴隷の関係としてどうなのだろうか。
「……ご主人様、お願いします……なめて……」
もう一回お願いされて、俺は彼女の期待の視線を一身に浴びながら、ベッドの上で身体を起こす。
押し倒す姿勢では理性を保てる自信がないので、まず横から、耳に顔を近づけていく――すると。
「い、息、耳にかかって……くすぐったいです……」
(なんて声を出すんだ……耳が溶ける……も、もうやばいんだってほんとに……)
泣き言を言いたくなる。俺は何で我慢してるんだろう、とも思えてくる――クレアは、OKのサインをさっきから全身で出しているのに。
俺は息を殺してもう一度挑戦する。そしてクレアの形のいい尖った耳の先に、そっと舌をなぞらせた。
クレアは俺を気遣ってか、必死で声を我慢している。しかしその姿が俺の理性を蕩けさせ、もっとその反応を見てみたくなる。
「ご、ご主人さま……私……変、ですっ……お耳も……身体も……熱くてっ……」
心臓がもうおかしくなっていた。人間じゃなくなったはずの俺が、今のクレアの前では、ただの童貞に戻っていた。
初めてで上手くできるかが不安で、それでも、優しくしようと思う。
耳だけのはずだったのに、俺はクレアの上に覆いかぶさって、火照りを抑えきれない彼女の顔を見下ろしていた。
「……クレア……」
名前を呼ぶと、クレアは涙で目を潤ませて俺を見た。酔っていても変わることのない気持ちが伝わってくる。
「……リョウ様の……ご主人さまの、ものです……一生、あなただけの奴隷です……」
もう、まだ触れてはいけないと思うことはなくなっていた。
耳を舐めたあとに、初めてのキスを交わす。こんな順番でするのは、とても珍しいだろうと思いながら。
「んっ……んん……ご主人様……触って……ください……」
クレアは俺の手を引いて、服の上から触れさせてくれる。手のひらに収まりきらないその山は、服の布地越しに、俺の手を動かすままに追従して形を変える。
夢中になる俺を見て、クレアは微笑みながら両手を伸ばす。そして抱きしめられ、柔らかい山の谷間に、顔を埋められる。ふかふかとしていて、このまま眠りたくなるような心地よさだった。
その感触にしばらく浸ったあと、寝間着の前を開こうとしても、クレアは俺を見つめているだけだった。
ここから先はすべて俺次第だ。俺はクレアの手を握ってから、彼女が触れることに慣れてくれるように、もう一度胸に顔を埋めた。
「……ん」
一緒に眠りに落ちて、早朝を迎えるまでのことか。見やると、ベッドサイドのテーブルには、俺とクレアの服がきちんと畳んで置かれていた。
「……几帳面なんだな……」
俺が眠ったあと、自分も疲れているのに、着替えて服を整えることを選んだ。その光景を思うと、どこかのタイミングでもう一度抱きしめなくてはと考えてしまう。
もう少しだけ、うつぶせで枕を抱いて寝ている愛らしい奴隷を眺めていたい。俺は朝食の時間に遅れることを選んで、彼女の金色の髪に触れて、ゆったりと流れる朝に浸っていた。
※更新が遅くなり申し訳ありません!m(_ _)m