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三兄弟の事件簿~この恋はミステリー~ 作者:愛田美月
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第五章 旅行へGo

 彼女は家路を急いでいた。
 夜道。明るく大きな屋敷をでて、細くゆるい坂道を下っていると不安になってくるのは、街灯が少ないせいだろうか。
 彼女は、小さく息を吐くと肩に掛けている鞄の紐を握る手に力を込めた。
 今日は、息子の誕生日だ。誕生日プレゼントを待ち焦がれている息子の顔を思い浮かべると、女は我知らず笑みを浮かべていた。
 昼休憩のときに洋菓子店に予約していたケーキを取りに行き、家の冷蔵庫に入れてきた。きっと息子はケーキを食べるのも心待ちにしているはずだ。今頃は冷蔵庫の中のケーキを見つけているかもしれない。
 彼女は小走りになりかけた足を、不意に止めた。
 街灯の下へ歩みより、鞄の中身を確かめる。そして、溜息をついた。
 息子に用意していたプレゼントを忘れてきたようだ。エプロンを家で洗濯しようと鞄に詰めた際、プレゼントの箱が壊れないように鞄から出したのを思い出したのだ。嫌な予感通り、鞄にプレゼントの箱がなかった。取りに戻るしかあるまい。
 ケーキと一緒に買ってきたプレゼントを自宅に置いてこなかったのは、息子に見つからないようにするため。びっくりする顔はやはり直に見たい。
 彼女は下ってきたゆるい坂道を振り返った。家政婦をしている邸へ戻るために踵を返した。

 この選択が、彼女の運命を大きく変えてしまうとも知らずに。



 暗号解読は無事成功した。
 一番難航した最後の問題も、分かってみれば簡単なものだった。

『SそっべNNうがSNほSSけしNSこばれNSものNSいだんNNくらいSSいとNSらもてNSいたいN』
 不自然に入ったSとN。そこに注目すればよかったのだ。
 そして、光のヒント。同じなら反発し、違えば仲良し。
 これを合わせて考える。SとNが同じなら反発する。SとNで反発するものと言えば、そう考えて出てきたのが、磁石だった。
 磁石だと考えれば、光のヒントの意味も分かる。S極同士はくっつかないが、S極とN極はくっつく。
『SそっべNNうがS』始めのこの部分を見てみると、NとNが隣り合っている。N極とN極はくっつかないので、最初の部分をひっくり返してみる。すると、
『NべっそSNうがS』となるのである。
 このように、SとNがくっつくように、文章をかえると。
『別荘が欲しければこの問題くらい解いてもらいたい』
 と、なるのである。
 二時間もかけて問いたので、空と海はもの凄く達成感を覚えたのだった。



 東よりにある太陽が、海面をきらきらと輝かせていた。
高橋空は今、一条家の所有するクルーザーで、ミステリー会の舞台となる別荘へ向かっている。
 見事な秋晴れだったが、海上を行くクルーザーに乗っていると、予想以上に寒かった。
 もう少し厚着をしてくれば良かったと、後悔していた空を呼ぶ声がする。
「空さん。見てください。お魚さんが飛んでいますわ」
 いきなり肩に手を置かれて、胸の鼓動が速くなる。一気に頬が熱くなった。
 そっと横を見ると、一条千鶴が嬉しそうにはしゃいで、あいた方の手で、前方を指さしている。
「あ、本当だ、飛んでる」
 さっと海上に目を向けて、魚が飛び跳ねている姿を見たあと、すぐに千鶴の方に視線を戻す。今の空は、魚よりも千鶴を見ている方が幸せなのである。



 右舷で騒いでいる空たちに背を向け、左舷で海を眺めていた光の横に、誰かが立った。
「お魚さんって、あんたは小学生かっ。って、ツッコミたくなんのは、俺だけか?」
 光の視線の先で、海は苦笑いを浮かべている。
「もういいのか?」
 光は、海の言葉に答えず問う。
 相手は肩をすくめた。
「俺がおらんでも、もう二人で大丈夫やろ」
 海は後ろを見やる。光もつられて、振り返ると、楽しげに会話している空と、千鶴の姿が目に入った。
 空が海に、緊張するからしばらく一緒にいてくれと頼んでいたのだ。二人の様子を見る限り、緊張はもう解けたようだ。
 光は、前方に向き直った。
 海には一緒にいてくれと頼んだ空であったが、光には頼まなかった。理由は明白だ。光が一条と面識があることを教えていなかったので、拗ねたのだ。

 待ち合わせ場所で、彼女と落ち合った時、一条は「まあ、お久しぶりです光さん」と挨拶したのだ。それを聞いた空は、光を肘で突いて、小声で文句を言った。
「何で知り合いだって言ってくれなかったんだよ。しかも、名前で呼ばれてるし。俺はまだ名字なのにぃ」
 逆恨みだ。と、光は思ったが口にはしなかった。これ以上、空の機嫌を損ねることもない。
 海がこっそりとこの会話を聞いていて、俺達二人も下の名前で呼んでくださいと、彼女に言わなければ、空はまだ不機嫌だったかもしれない。

「光、あんま下ばっかり見てると酔うで」
 突然声を掛けられて、光は顔を上げた。無意識に俯いていたようだ。
 顔を上げると、遠くに船が見えた。潮風が髪を揺らし、頬を撫でる。
「なあ、光。おまえ今ちょっと寂しなってるやろ」
「はあ?」
 光が声を上げる。海はどことなく含みのある笑顔を向けてくる。
「空に好きな人が出来たっちゅう、おもろい状況やのに、絡んでこうへんなぁと思っててん。で、何でやろうって考えてな。先輩に、空を取られたような気分なってんちゃうかなぁと」
 海に顔を覗きこまれて、光は眼鏡の奥の瞳を逸らした。
「そんな訳ないだろ」
「ほんまにぃ? ほんまは寂しいくせにぃ」
 海はすっかり光をからかって楽しんでいる。光は逸らしていた視線を戻して、珍しくはっきりと分かる笑みを浮かべた。
 海がその笑顔に驚いたように身を引く。なんとなく不穏な空気を感じたのだ。光は海の肩に腕をまわした。光が自らスキンシップをはかることも珍しい。
「それ以上言うと、ここから突き落とすぞ」
 光の脅しに本気を感じ取って、海はやめてーっと、叫び声を上げたのだった。



 先輩との楽しいひと時を過ごした空は、クルーザーから突き落とされるのではと案じていた海と、その元凶の光をともない、下船した。
 桟橋は小さな山へと繋がっている。その奥にも山が見えた。車で来るには、山を三つ程越えなければならないと聞いた事を思い出した。
 鬱蒼と木々が生えているせいか、件の別荘は桟橋の上から確認できない。
 千鶴を先頭に、空たちは手に荷物を持って桟橋を渡りきる。
「千鶴ちゃん」
 男の声が一条の名を呼んだ。前方にある木々の隙間から、スーツを着た男性がこちらに向かって手を振っている。
 それを視認した空は、顔を顰めた。千鶴の名を呼んだのが、千鶴が好みだという年上の男だったからだ。
 空は男を観察した。短い黒髪は、綺麗に整えられている。端正な顔立ちに、優しげな笑みをたたえていた。二十代半ばくらいだろうか。
「まあ、祐一さん。いらしてたの?」
 千鶴の声が嬉しそうに弾んで聞こえたのは空だけだろうか。千鶴は、手を振りながら、男のもとへ走っていく。
 空は慌てて彼女の背中を追いかけた。
 千鶴は空の目の前で、スーツ姿の男に抱きついた。それも満面の笑みで。
 空は持っていた鞄を、思わず地面に落とした。目の前の光景がショックだった。世界が闇に変わった気がした。
「千鶴ちゃんは相変わらず、甘えん坊さんだね」
「イヤですわ。祐一さんったら。私はもう、子どもではありません。立派なレディーですわ」
 どことなく時代錯誤な千鶴の発言に、空の後ろで、海が小さく「昼ドラかっ」と、ツッコミを入れたのにも気づかなかった。
 この二人は一体どういう関係なのだろう。
 そのことばかりが気にかかる。
「さあ、千鶴ちゃん。挨拶はそれくらいにして、後ろのお友達を紹介してくれないかな」
 男の視線がこちらを向いたので、空は慌てて渋面を笑顔に変えた。
「あら、イヤですわ。私ったら」
 男から体を離すと、千鶴は赤く染まった頬に両手を当てた。
 その反応も、面白くない空である。
「こちらは、数年前まで私の家庭教師をしてくださっていた藤沢祐一さん。今は祖父の秘書をされていますの」
「よろしく」
 にこやかにあいさつした藤沢に、空たちはそろって頭を下げる。
「祐一さん。こちらは、私の初めての男性のお友達ですの。高橋空さん。とってもステキな殿方でしょう」
 千鶴は空の片腕に手をからませ、祐一の前に引っ張って行った。空は、千鶴に触れられたせいで、煩くなった心臓に静まれと内心で命令しながら、笑顔を持続させる。
 祐一は空に友好的な視線を向けながら、笑みを深くする。
「良かったね。千鶴ちゃん。優しそうな異性のお友達が出来て。高橋君。これからも、千鶴ちゃんをよろしくね」
「はい」
 千鶴が絡ませてくる腕を意識して、気もそぞろだった。普段なら『あんたによろしくされる筋合いはない』くらい思っていたかもしれないが、今は心臓の音が先輩に聞こえませんようにと祈るのが精いっぱいだ。
 千鶴はそんな空の思いに気づくこともなく、腕をからめたまま後ろを振り返った。
 そこには、所在なささげに立っている光と、千鶴の言った『殿方』という言葉に、笑いのツボを刺激され、必死で笑いをこらえている海の姿があった。
「こちらのお二人は、空さんのご友人ですの」
 彼女は二人の名を祐一に告げる。二人にも笑顔であいさつし、祐一は空たちを別荘へと案内した。



 木々が鬱蒼と茂る中に作られた細い坂道を登ること約十分。山の中腹辺りだろうか。平坦な場所へでた。
「さあ、着いたよ」
 先頭を歩いていた祐一が脇へよけるように動くと視界が開けた。
 そこに姿をみせたのは、ヨーロッパにあるような城を思い起こさせる、大きな白い洋館であった。
「雰囲気あるなぁ」
 感嘆の声をあげたのは、海だ。古い屋敷独特の存在感に興味を覚えたようである。
 祐一は、千鶴に空達の案内を頼み、まだ客が来るからと、四人を残して来た道を戻って行った。

 館の横に、噴水が設けられている。その噴水を半ば囲むように花壇があった。空は千鶴に案内されて、凝った模様の付けられた噴水を見たあと、花壇へと近づいた。花壇全てに、同じ植物が植えられているようだ。緑の葉ばかりが花壇を埋め尽くしている。葉っぱの形状は全て同じに見える。空の胸より少し下くらいの高さの植物である。
 どこかで見たことがある植物だ。観察していた空の横で千鶴が笑んだ。
「これは、紫陽花ですの。亡くなった御祖母様が大好きだったと聞いています。梅雨時は、それは見事な風景になりますのよ」
 噴水の周りで色をつけた紫陽花と、横に佇む洋館を思い浮かべて、空は確かに絵になりそうだなと思う。
「見てみたかったです。その景色」
「ええ、ぜひ見にいらして。こんどは、その時期にご招待したいですわ」
 声を弾ませる千鶴に顔を向け、空は頬を赤らめた。

 数歩分の距離を置いて、空達の後ろに立っていた海は、傍らにいる光の耳に口を寄せた。
「二人してめっちゃ楽しそうで何よりやけど……男女というより、女友達同士に見えるん俺だけ?」
「いや、同感」
 会話に花を咲かせている二人を見ながら、光と海はどうにも複雑な心境になるのであった。


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