今と昔の私
あれから十年経った。
大学も卒業し私はちゃんと就職をした。思いも寄らない病気を患ってしまいそれは私の苦しみそのものだが、お陰で転職というものがどれ位大変な事なのか、馬鹿は馬鹿なりに考えさせられる部分もあった。そうして病と闘いながら今がある。発病し、ずっと飲用し続けている薬のお陰で肝臓が悪くなった。勿論、酒も呑めなくなった。大学時代は浴びる程呑んでいたのに。電車の中でふと十年前の、希望と情熱に満ち溢れたお馬鹿で無邪気だった自分を思い出した。目頭が思わず熱くなり、私は私の中にある、“何か”を感じて落ち着きが無くなりはじめていた。そうして考えた事が、こういう場合ってどうやって声掛けたらいいのだろうか。それとも関係無いフリしちゃえばいいのかな?。という事だった。
そんな懊悩に似たお馬鹿な悩みとは無関係に「のぞみ」は横浜を抜け、小田原を抜け、熱海を抜け、ジリジリと駿河に入る。向こうは三人掛けの席の一番窓側でずっと本を読んでいる。何だか後ろが気になるけれどもわざわざ混雑している車内で三人掛けの一番奥の人間に声を掛ける馬鹿がいるだろうか?。“大人の私”はそんな事を考える。昔ならそんな事を考えずに何かしらアクションを起こしていただろうに。遠慮を知ったからだろうか?。遠慮?、それとも自信が無いの?。新幹線の中で何度も何度も自問自答を繰り返すが全く答えが出ない。もう一つもし答えを出すとすれば、
「話をしても残念ながら会話が無い」
と、いう事だ。更に混雑している車内。結局廻りに迷惑を掛けるだけで、お互い気まずくなる事が必至なのだ。いい意味で言えば廻りを気にするようになった。けれども結局は臆病になっただけでは無いのか?。思わず苦笑いだけが込み上げる。だけれども“大人の私”は自分への言い訳のようにこんな事を考える。
「仲が良かったのは入学してほんの数日間のみで、あとはもう、学科の人数がわずか百五十人ちょっとしかいない、狭い社会の中ですら他人同様だったのだから」
結局これは言い訳でしか無く臆病な自分に対する慰めでしか無い。そうして彼女の様子を横目でチラチラ確認してみると、気になるのは大きな旅行バッグを持っていた。里帰りなのだろうか?。恐らく北陸出身だから名古屋で降りるだろうに、あの様子では。そんな事が取り止めも無く頭に浮かんでは消えて行く。私は何度か煙草を吸いに喫煙席のある車両に移ったが彼女はずっと本を読んでいる。気付かないのだろうか?。
ままよ、いいや、もう寝よう………少しだけ。
と、………そのまま眠ってしまった私。気が付くと名古屋にあと五分で到着する、という電光掲示板が流れ、私はやぶれかぶれ、もうどうもよくなっていた。今動いた所でどうにもならない。彼女は網棚に上げた荷物を下している。狭い車内で窮屈そうにして。その様子をまた横目で確認してみて、
「所詮縁が無かった人なんだ」
寝惚け眼にそんな事を考えていた。そうして自分自身が悲しくなった。それは経た年月の流れに対して悲しくなったのと同時に、自分の魅力に自信が無くなっている事に対しても悲しくなったのだ。私は十年前と比べて明らかに太ったし、そんなに親しくない人間だったら私だとは気付かない位に人相も変わっている。日々激務に追われている故か、私の人相は常に眉間に皴が寄り、厳しい顔ばかりしている。笑い顔もあるにはあるが、半分作り笑いだ。愛想笑いだ。だから眼の廻りには鍛えた笑い皴は出来ているが本当の笑顔では無いし、厳しい他所から見たら多分恐ろしい顔ばかりしているので、もう私の姿など過去の人には正直見せたくない。もう駄目なのだ、私自身が。その事を改めて、こんな形で認識させられて、私は自分の生き方を思わず呪った。
「因果応報、覆水盆にかえらず、とはよく言ったモンだ。」
新幹線のトイレに閉じこもり、思わず呟いてしまった。そうしてまた、苦笑いが左の頬が嫌な顔として引き攣る。天真爛漫だった笑顔はもう、残念だが無くなったのだから。それは大人になった証拠だろうか?、否、違う。ただ単に得る物が増えたお陰で失う事が恐くなっただけじゃないのか?。或いは自分の限界?、それをトコトン思い知らされたからじゃないのか?。自分自身の情け無さを非難する言葉ばかりが脳裏を過る。そんな懊悩とは無関係に、無情にも電車は速度を落として名古屋に到着した。どどどっと人が降りる。一気に降りた。ちらっと後ろの降車口を見ると彩夏は降りようとしる人の列に居た。
「あぁ、結局声も掛けられなかったや」
と、ボンヤリとしながらジリジリと時間は過ぎる。たった数分なのだが、この時間が本当に長く感じられる。本当に久々に自分の事でやきもきしている。仕事でやきもきする事はしょっちゅうあるのだが、自分の事でやきもきする気持ちなんてもう忘れてしまっていた。
「仕事人間に成り下がってしまったんだねぇ」
そう思いながら持って来た単行本に眼をやる。何度か読んでいるその本を何故かまた私は手に取っていた。私は一冊の本を買ったら最低五回は読み通す。だから買う時はかなり慎重になって本を選ぶ。面白い、と思わなければどんなに名作、と呼ばれていても買わない。だから普段は当然面白い、と感じているのだが、しかしながら今は書いてある文字がただ羅列されているだけにしか映らずに、気持ちが落ち着かない。やきもきしていたら新幹線の席は空席だらけになって何だかつい先程迄の景色とはまた違うのでもっと落ち着かない。そして空席になった彩夏の座っていた席をぼんやり眺めて、また単行本に眼をやる。相変わらず、単行本は文字の羅列しか映らない。早く新大阪に着いてくれ、心からそう思った。けれども名古屋から大阪の距離は間に観光都市京都を挟むからまだまだある。仕方が無いので私は煙草を吸いに喫煙席の車両に移動して、スパスパ数本煙草を吸い、また自分の席に戻る。あと一時間ちょっと、この繰り返しか、そう思うとまたウンザリしてしまい、こんな時は仕事でも自分の気持ちを誤魔化せないし彼女でも居たとすればメールでも打てばいいのだろうが、
「今名古屋過ぎたよ〜。帰り何土産買おうかしらん?^O^もう寝てる?Zzzzz...」
とかそんな取り止めも無いメールしか打てやしないし、それで心は落ち着くのだろうか?。落ち着く訳が無い。更には今私には彼女など居ない。もう前の彼女と最後のお別れをしてから約一年が経つ。この一年、殆どが仕事に彩られていた一年だったので、相手を見付ける余裕などまず無かったし合コンをしても楽しくも何とも無かった。むしろ同世代だがどうにもこうにもウワベだけでコミュニケーションをしようとして、忙しい事を、寝ていない事を自慢とするテレビマンにむかついたり、中にはちゃんとお互いを認めてくれる人も当然居たが。或いは余りにも情けの無い宴席でのっけから苛々してとうとう酔っ払ってカラオケボックスの店員に襲い掛かろうとしている所を全員に止められたり、その後、カラオケボックス内でソファーに寝るのでは無く、ジベタに大の字になって大鼾を掻いていた、などと散々だった。余程仕事で切羽詰ってしまっていたのだなぁ、と今は振り返る事出来るがもう、駄目だろうなぁ。結構普段ストレスが溜まっていると人間ってどうなるか判らないなぁ、と最近つくづく感じる。こんなテイタラクに成り果てた自分が何だか滑稽を通り越して、阿呆臭くなって来た。もうどうでもいいや、どうにでもなれ、人生ヤブレカブレの連続じゃないか、そのヤブレカブレを選んでいるのはどこのどいつだ?、お前じゃないか?。新幹線の車内で一人、窓に映る情けの無い自分自身の顔をじっと睨みながら、睨む事しか出来ない自分が、また情け無くなり、もう、どうにも出来ない。
そしてそのテイタラクとしての今、この瞬間がある、そう考えるともうどうにかしてこの苦しみから逃げる卑怯な自分の姿ばかりが浮かんでは消えて、また浮かんでは消える。そんな考え事をしているうちに新幹線は京都に到着した。また乗客は降りる。新大阪が終点だから、かなり少ないみたい。そして京都を過ぎるともうあっと言う間に新大阪だ。私は降車の準備をし始める。見慣れた新大阪の駅、アズベスト問題もあるそうだが、どこ吹く風。すぐに中津に向かい、焦って予約したホテルにチェック。ホテルでまず私が眼にしたのはホテトルのチラシだった。思わず下半身から湧き起こる欲情に自分自身が情け無くなった。しかし何故非合法ホテトルのチラシが誰も中に入っていない筈チェックし立ての部屋にあるんだろう、暫くそのチラシを眺めながら、私は思わず電話しそうになっている自分にハッとした。いけない、いけない、そうやって金払ってセックスして、何も考えられない脳味噌になる事を選んでそうしてどうなるんだ?、私は自分のアサハカな脳味噌にまた苦笑いした。
「これじゃ、餓鬼ん時とおなじじゃねぇか。」
と。そうして私の中で1つの考えが浮かんだ。
そうだな、「北新地」にでも気分転換に呑みに行きますか。
広々として薄暗いホテルの中で意を決して「北新地」へ。「北新地」には行くのも初めてだし、何がどうなっているかなど全く判らないのだが、実は多少縁はある。大学二年生の頃、十九から二十歳に変わる直前のある時期に私は銀座でアルバイトをしていた。その会社は「北新地」でそれなりの成功を収めたらしくその様子を伝えるかのように、会社には簡単なA4版で刷ったグループの新聞、主に大阪での出展状況などを記した新聞様の回覧板みたいな物が貼ってあった。それは店のトイレにも貼ってあった。「北新地」では当時幾つかのスナックやお寿司屋さんや割烹を出していたらしいからそういった物をわざわざ作ったらしいのだ。まだパソコンも然程流通していない頃である。恐らく記事の様子などを見るとPC98で作った物と思われる。………同じやり方で日本の夜の帝王、銀座で通用したい、という考え方が恐らく浮かんでそれで銀座に進出したのだろう。けれどもどうだろうか、究極の答えはもう判らないが私が知る限りでは全くのペケだった。毎月の運転資金としての借金は膨れ上がり、お店の女の子に出す給料もままならない、そうしたキャストさんの給料は意地でも出していたが、私などの管理する側に立つ立場の人間の給料は遅配していた。何故私がそんな事を知っているのか。それはいつも通帳を管理し、同じアルバイトさんを纏める役目を私がしていたのだ。謂わば総務の長である。総務の長として、キャストさんの管理や同じアルバイターへの給料支払い、開店前、お店の掃除やあれやこれやといった準備関係や派遣ホステスもしていたので、派遣先との折衝やキャストさんの送り迎え、あと、時々スカウトや営業も行っていた。銀行で通帳記入しに行くのも私の仕事で、膨れ上がる借金に何がどうなるとこうなるのか、おどろおどろとびびりながら通帳記入をしていた。そうして仕事の一つである集金業務に出掛け、僅かな回収金を貰う為にありとあらゆる交渉術を身に付けた。そのアルバイトで身に付けた物と言えばそういった事とあとはキャストさんたる女の子の管理位である。後に銀座にはもうそのお店は出していないと調べてみて判っていた。まぁ、いい思い出やなぁ〜。
そんな感傷モードで過去の思い出にひたりつつ、そうだとしたらばまだ大阪には会社乃至お店位は残っているかも知れない、だったら行ってみたいな、と思いつつ「北新地」に向った。中津からは意外と歩く。五分位だと思っていたが十五分は掛かる。それも急ぎ足で。暫く真っ暗な通りを進むと梅田・大阪駅が見えて、その奥にこちらが北新地、と案内掲示板にあったのでその案内通り進むと見えた。「北新地」という看板が。
まずメインの“筋”をプラプラとまずは歩いてみて探してみたがよく判らない、そりゃそうだ。ここは大阪の銀座、スナックやらラウンジやらがゴチャゴチャに入り組んでいるのだから素人の私には判る訳も無い。本当に訳が判らないで仕方無しにこの十年で身に付けたロケハン術をフル活用し、傾向をつかむ事にしよう、と頭を切替えた。するとどうやら素人判断だが、三本の道筋から成り立っている事が判明。大阪駅寄りにまずスナックなどが林立し、また、大阪駅寄りの入り口と逆側の入り口には凡そ、バーなどの、“入りやすい”お店が並んでいる傾向があるようだ。流石大阪、客商売に慣れているだけあり、やや、閉鎖的で四角四面の銀座とは異なり、ちゃんと表を向いているような雰囲気が出ている。ただ、今やもう全国各地で見受けられる光景の一つである、所謂“○○式マッサージ”イコール“マッサージ”とは言い条で、最終的には性的サービスをアジア系の、主に不法滞在をしているサービス嬢が施すマッサージ”もちゃんとあった。銀座だと内側にあり、やや隠れているような雰囲気を出している。歩き慣れないとどこがそうなのか、多分銀座は判らないだろうな、と、思っていたらば、
「マッサージュ(母国語の関係で必ずこう訛る)いかがですか〜。」
と、誰彼構わず声を掛ける女性呼び込みを見て思った。そうして段々道を歩き進めると、これは銀座でも良く見掛ける光景の一つ、所謂“お見送り”。華美な衣装を身に纏った“お姉様”並びにそれら“お姉様”を取り纏める“ママ”若しくは“チーママ”はカチッと着物姿。流石にもうどこでも髪型を島田にする人はいないのだが、着物にふさわしい髪型をちゃんとしている。どんなに日常的な強さの強風でもその髪型は崩れやしないだろう、と思われるような強力にセットされた髪型に白粉が夜の繁華街に映えるメークアップでアイライン、口紅、マスカラなどが強調されているのが良く判る。そんな私の眼に突然、ママ、に混じってオカマのママさんも居た。大勢のオカマに見送られて客も上機嫌だった。これは、銀座にもあるのかも知れないが、私が知る限りでは見た事は無い。銀座のすぐ近くに新橋があるから、そっちは新宿二丁目・上野と並んでのホモセクシャルの聖地的存在なのだから、そっちに流れるのだと思う。
そういうあれこれの姿を見る度に思い出すのが、私を可愛がってくれた某スナックの“大ママ”さん。もう御歳八十位になるのだろうか。当時はまだ現役で、コアなファンも多かったが今はどうしているのだろう?。あの、塩沢トキみたいに膨れ上がった、銀座の中でも一目見たら忘れられない頭は健在なのだろうか?。そんな事をフト思い出す。思い出しながら他に目をやると店に急ぐママさんもいれば、買い物をしているママさんもいる。店を上がり、これからどのバーで今日は飲もうかしら、と物色するママさんもいれば、ボーイさんと何やら険しい表情で話しをしているママさんもいる。一体ここにはどれくらいのママさんがいるのだろうか、そんな事に頭が切替わる。
歩き続けると寿司屋、焼肉屋、串カツ屋などの純粋な飲食のみを提供する特殊飲食店では無い飲食店が林立し始める。どうやらその裏にはコリアン系の飲食店もあるようだ。雰囲気としては、どちらかと言えば上品な台東湯島、といった感じだろうか。表裏一体、という感じだ。そうして二周位“キタ”を廻り私はとうとう裏道に辿り着く。そうして私は結局裏筋のバーに入り、そこでグテグテに酔っ払った。自分から進んで呑まれに行くのだから性質が悪い。自分のつい先程の不甲斐無さ、そして更にはその十九二十歳の頃にアルバイトをした会社を自分の手ではどうにも出来なかった、どうにも守る事など出来なかった、という嫌悪感、無力感など、まず一杯目のロックグラスを空にすると頭にトグロが巻かれるのだが、二杯目、三杯目と続くと全てを忘れてしまう。忘れたくて呑まれるのだ。忘れる為に自ら進んで呑まれるのだ。だから本来ならば、かなり性質が悪い酔い方しかもう、二十八の私は出来なくなっている。
段々酔いが廻る。頭の回転が遅くなる。喋る口調がおかしくなる。不思議と楽しくなる。躁と鬱と例えるならば“躁状態”だと思う。そうして浮かんでくるのはいつも決まっている。私に優しくしてくれた人達を私の不甲斐無さで裏切る結果となってしまった、その優しくしてくれた人達の笑顔ばかりが頭を過る。そして再び私は鬱になる。今回は彩夏の顔ばかりが頭を過る。もう、消えてくれ!!。
表に出ると雨が降っていた。
雨に逃げるようにして二件目に梯子酒。ここでもちょっとキツメのお酒をカックライ、更に自らを馬鹿の世界にドンドン、グイグイと追い込む。迎え酒だ!!、と訳の判らぬ意気込みでバーの扉を開ける。するとバーテンダーさんは、明からに初めて来た私の風姿を見て、びっくりする。
「こんな裏路地のバーに一人でほぼ手ぶらでやって来るお客様は珍しいですよ。看板すらうちは出してはいない。だから常連さんしか普段は来ないのですが」
遠廻しにどうやら一見さんはお断りですよ、と仰っているようだ。そこはもう、水の世界の元住人、そう言われても何も気にせず、逆にこういう時は正直にありのままに話すのが一番だ、そうすれば相手も心を開いてくれるだろう、開かなければもう、最初の一杯だけにして、出された乾き物にも手をつけずに、煙草を吹かしてとっとと帰る、それだけだ。だから正直に色々と身の上を話したら、どうやら物分りのいい表情をこのバーテンダーさん=マスターさんは浮かべる。そうして、色々とサービスを施してくれた。
そのまま、マスターさんの心遣いにちゃんと感謝しながら、何杯かグイグイとロックを開けて私はホテルに戻り、グーグーと眠る。けれども雨音に響く何とも言えぬ孤独感に苛まれて、私は寝れない。
もう………何もかもが嫌になった………。
私はもう、所詮………狸の出来損ないなのだ。
そんな言葉だけが頭を過り、そうして私はまた、彩夏の笑顔を思い出す。けれどもその笑顔も断片的で、むしろ私を何か鉈のようなモノで切り裂くような、その一歩手前のような笑顔をしているのだ。そうして彩夏が突然、顔の仮面を剥すと出てくるのは、かつて私が遊んだ女だった。更に彼女は仮面を剥し、今度はまた違う、かつての大学でのマドンナ的な柔道の先輩の顔が出てくる。私はそれらの顔の繰り返しで増々眠れなくなり、ホテルのベッドの上で一人蹲る。アルコール臭い自らの息を感じながら、ガンガンに響く自らの頭痛を共に味わい、そうして考える事を全て停止させようと増々焦る。すると、どこかで、
「もう、疲れたでしょう?。お休みなさい、ねっ」
と、声を掛ける顔の見えない一人の女の人がいて、彼女に促されるかのように、私は眠りに就いた。
翌朝はヒドクいいお天気でヒドク二日酔い。
そのままお酒臭いままで仕事に向かう。梅田から阪神電車に乗り込み、私が好きな映画の舞台にもなった阪神尼崎に向う。阪神尼崎がオープニングで出て来る映画なんてそうそう無いだろう。映画で見ていただけだったが、今回その本当の地に行く、という事で少しだけ私は有頂天。しかしその映画は映画好きな友人曰く、
「人を決定的な絶望感を味わせるような映画だな。」
と評価するような、そんな映画なのだが、原作は直木賞受賞作。私は原作も大好きだが友人は余り好きでは無いみたいだ。この友人は映画評論のコピーライトなども時折やるプロの人間なのだが………。
途中見える工場地帯と海、穏やかな天気。映画と殆ど一緒であろう、独特な乾いた空気。雲と空とのバランスが絶妙過ぎる、馬鹿げた天気。このまま阪神電車に乗ってどこ迄も行って逃げ出したくなるような、そんな気分にさせる馬鹿げた天気だ。そうした風景の一つ一つが実は私が産まれた東京の下町に似ている。だから尚更郷愁的な気分にさせるのかも知れない。私が産まれた場所は、かの阿部定事件の現場として有名な東京都荒川区尾久と目と鼻にある場所で、近くには赤羽、或いは田端があり小工場が昭和初期から林立している場所であり、田端文士村は勿論有名だが(東京には田端以外にもこの手の下町で大森文士村などの文士村が結構あるが)佐多稲子が絶望的な気分で一時期過ごしたのもこのすぐ近くの十条だったりする。だからあの乾いた雰囲気というのは、私の謂わば故郷のようなモノであり、ある種のノスタルジックな気分と、ここは関西、東京とはまた異なる妙なロマンを感じずにはいられないのだ。こういう感性はおかしいのだろうか?。多分、普通では無いだろう。
そうした妙な感傷を味わいつつ私が感じたのは、もう、過去の呪縛、自分で作った呪縛と過去の輝きを(輝きと言っても大した輝きでは無いが)対比して見るのはいい加減よそうじゃないか、何しろ今は今だ。過去があっての今なのだけれども、過去の自分に縛られた所で何一ついい事なんてありゃしないじゃないか、そう言い聞かせるがそれでもそれは、私自身が全うに社会生活に溶け込んでいる時だけだ。社会生活から一歩外れるとまた、忌わしい記憶達が顔を覗かせる。私を苦しめる。私が背負ってしまった呪縛、それは人を傷つける事、単にそれだけじゃない。自分もそれ以上に傷付いている。そんな事を考えながら阪神電車に一人乗る私が居る。他に乗客は殆ど居ない。そうして、相変わらず酒が抜けないで気分が悪い。偏頭痛持ちの私に容赦無く昨晩の漬けが廻ってくる。
時が癒してくれるの?。
なんて綺麗ゴトでなんて片付ける事も出来ない虚しさばかりがいつも心に鳴り響く。結局私は、私が歩いた軌跡と常に真正面から向き合い、生きて行くしか方法が無いのだな、そう気付いて再び前を向く。けれどもそれは痛みを伴って。もう、無邪気だったあの頃に私は戻る事など、出来ないしやらないのだから。過去と事実は変える事など出来ない。また一つ、私は私の中で割り切れない過去を昨日、新幹線の中で作ってしまった。言い訳はしない。自分で選択した事なのだから。もうそれ自体を変える事など出来ないのだから。その事を彩夏は気付いているのだろうか?。気付く訳は無いな。そんな事は私のヒトリヨガリなのだから。
人を傷付けた事………。
私は何人の人を今迄傷付けたのだろうか?。
それはさっぱりもう、私には判らなくなっている。この十年で色々な事が変わった。色々な事が起きた。私自身はウエスト六十二だったのが七十九迄増えたし、訳の判らぬ病気を患った。仕事も変わった。かつて私が行った仕事は私には嘘を付けないし此奴は常に私の後ろを歩き続けている。大学を出て、就職し、私が見た理想とは全く違う現実にうぐぐっ、と小さな心を悩ませながらもそれでも鷹に喰われる鳶の如く、一歩一歩進んできた。そうして苦しんだ私自身は何を手に入れたのだろう?。仕事は私を確かに裏切らない。それは私が造り上げた実績があるから。それは私が造り上げた失敗があるから。かつて、東北の某地域の地域経済を俺の手で少しは今よりも良くして見せる、とリキミカエッテイタ頃の私は、事実それだけしか考えておらず、どんなに辛かろうが、どんなにお客様である世の中の社長サンに怒られようが、批判されようが、非難されようが、そんな事捨て置け、と言わんばかりに前を進み続けた。お陰でその地域に私の残骸、私の足跡は何とか残す事が出来た。今もちゃんと存在している。縦横斜の組織体系を一年がかりで整備し、動機付けをし、賛同も得て、遠くは最上からも賛同シテクレル人も何人か居たからどれだけ私にとっては有難かったか、その恩は計り知れない。だからどんなにその道のりが辛くとも、最上やら酒田の程近く迄足を何度も伸ばした。往復で起点とする場所から六時間。一回の東北出張で僅か四日間、うち東京からの移動を勘案すると半日×2は潰れるから三日間の出張を二十三〜二十五だった私はほぼ毎週、正月以外は毎週、お盆も東北に行き、レンタカー屋の大常連となり毎回、必ず千五百キロは車を乗り回し、ありとあらゆる場所に自ら赴き、そうして各地の方々に説得、納得をして貰えるような営業やら何やらをして来た。そんな私に会社からも、あいつは馬鹿だ、駄鯔吹くトンデモナイ奴だ、経費の、ガソリン代の、無駄遣いだ、などと誹謗中傷を受けた。けれども私はそんな野暮天の言う事など、と放って置いた。当時付き合っていた彼女の相手は週末だけ。物理的に仕方が無かったし一応は納得してくれていた。
そうしたら………。
………結局は“それ”と引き換えに私は自らの健康を失った。
更に結局彼女も失った。因果応報だと個人的には思っている。それは残念だがほぼ間違いは無いだろう。健康を失って、ありとあらゆるモノを失って今年で三年目の春、梅雨、夏を迎える。彼女との別れの最後のトドメを刺したのは去年の黄金週間だ。私が傷を付けてしまった事、私が傷付いた事は一体何なのだろう?。何者になるのだろう?。時が癒してくれるの?。それとも新しい出会いが私を変えてくれるの?。それは自分自身で求めないとどうにもならない事じゃないの?。全く判然としないし何度自問自答を繰り返し、傷付き、哀しみ、呆れ、恨み、妬み、それでも信じて、それでもまた裏切られ、裏切ってしまい、そこから生まれる悲劇、それを喜劇に変える事は出来るのだろうか?。だけれども一つだけ判る事実、それは自分で自分を愛せなければ、誰が自分を愛するのだろう、なんて綺麗な言葉は今は要らない。ただ、前を向いていれば………それでいいのかも知れない。そんな事を考えながら今日一日の営業を済ませた。最終的には尼崎から加古川を通り越して明石迄行った。明石と言えば蛸である。明石焼きである。
「折角営業で明石に来たんやから玉子焼きいてこましたろ」
と訳の判らぬ関西弁を取り繕ってニタニタと一人で苦笑いをし、酔い覚ましになるだろうか、と疑問に思いながら明石焼きを食べている私が今一人。夕暮れを眺めながら。店員さんにソースか醤油を、と頼んだら、
「これはお出汁で食べるんですぅ。」
と断られてがっかりする私が確かに今、ここにいる。明石焼きを口に頬張った瞬間、熱すぎて火傷しそうになってまたうぐぐっ、となっている馬鹿な自分が少しだけ、愛おしい。愛おしい私を心の中で抱き締めて、また、時間が経ったのに癒えない舌の火傷も抱き締めながら今、新神戸駅で乗り換えの新幹線を待っている。
まだまだ寒いけれどもこれから来る夏の暑さを待ち侘びるかのように。
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