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追憶 
作:豪



過去の苦い記憶


 その日急な大阪出張が決まった為私は、焦ってネットでMホテルに予約、地下鉄御堂筋線中津駅の直結らしい。大阪の地理に疎い私には持って来いである。たまたま一部屋キャンセルでも出たのだろう。何度かネットで検索していたら、いいタイミングで予約が取れた。また、泊まり営業だからと訪問先のアポイント、私が東京の会社を空ける間の管理体制などの確認にただひたすら忙殺されていた。漸く会社を抜けて大阪に出る事が出来るような形を整えられたのは夜の九時ちょっと前。大阪行き新幹線の終電間際だった。馬喰町に程近い会社事務所で昼間に買った外にさらされているYシャツや肌着類などをまとめて靖国通りを出た。すると一気に緊張感が解けたのか、
「もう歩きたくないな。いいや、自腹でタクシー使おう。」
と、何だか会社の中で張り詰めた緊張感を味わっていた後の解放感からか、或いは急に一人になった故か、気が抜けてしまった。急いで近くを流していたタクシーに乗り込み、新幹線出発十分前にタクシーは東京駅八重洲口近くに到着し、タクシーの運ちゃんにしわくしゃになった千円札と小銭を支払った。運ちゃんはお釣りと領収証を急いで作り、それもポケットに全部走りながら押し込んで、そのまま焦るようにして券売機で切符を交換しようとした。


 切符はYシャツを買った序に営業先の茅場町の地下で買ったからええっと、財布には、よし、ある。


 ちょっとだけ一安心。何もこんな描写、わざわざ改行する必要ないのでは?と思うがさにあらず。財布に入れっぱなしにしていたと思って物をなくす事が結構私にはあるからだ。それもここ数年でその比率はウンと増えた。だから駅員のようによく指差確認をする。特にアパートを出て会社に行く時などはそうだ。それでも何かを忘れたか、例えば調理電熱器の電源を切り忘れて、輻射熱によってアパートが火事になりゃしないか、などとよく不安に思う。そうした不安はほぼ杞憂に終わるのだが、時折、定期券を忘れた、だとか書類を忘れた、だとかサザエさんに出て来る波平さんの如く、
「かぁ〜さん、ワシの眼鏡どこじゃ?。」
「いやですよ、お父さん、鏡を見て下さいな。」
という事は冗談抜きである。私の場合、眼鏡では無く例えば腕時計だったり、或いは極端な例だと、自分の脇の下に煙草を挟んでいるのに煙草とライターを探している、何て事、実はしょっちゅうある。これが単なる健忘症だけで済むのならいいが、私はそうも言っていられない事情も抱え込んでしまい、半ば仕方が無く、医者から手渡される薬に頼らなければ生きていけない生活を送っている。


 さて、本題へ戻ろうか。


 指定席はもう窓側が満席で通路側しか残っていない、と券売機は残酷ながらも当り前の通知。うぐぐっ、と歯軋りをしながら、私は、
「じゃぁ、自由席でいいや」
と、指定席交換を諦めてそのまま新幹線のホームに向かった。先週の名古屋でも実は同じ様な事をした。今週は大阪だ。連続の出張で何だか東海道新幹線がもう慣れてしまった感があり、要領良く自由席の窓側の座席に座る事が出来た。それに元々私自身は今の職場に就く前は出張の連続で、毎週東京と色々な所を転々としていたのだ。故に私はいいのだ。この出張、という仕事が。独りになれるから。独りになってじっくりと色々な事を考える事が出来るから。
 
 社内では管理者たる私が先陣切って営業に、しかも出張に出る訳だから、と、てんやわんやなのだ、お前はもっと会社に居て俺をサポートしてくれ、と、最近社長が私の顔を見る度に愚痴を零す。私は心では、けっ、何を、結局期待しているのは俺が挙げる売上だけじゃないか、心の中では思いつつも、頭を下げる。管理職なのだから仕方が無い。だけれども、しょうがないじゃないか、私が今打って出なければ誰が売上を伸ばすのだ?。更には東京の市場はもうこの二年で開拓し尽した感が正直ある。勿論、開拓し尽した訳など無いのは先刻承知、けれども東京でこれ以上、今の状態をやっていったとして成果は果たして生まれるか?、営業マンとして、私の疑問はそこだった。そうならばまだ未開拓である大阪に今打って出れば、自社の開拓基盤が出来ていない訳だからいいのではなかろうか、と思いながら今回の大阪行きも決意した。前述通り、今の会社は出張ばかりしていた前職とは異なり全く出張など基本的には無い。やる仕事もターゲットとする市場も異なるのだから当然だ。前の仕事は全国津々浦々とある居酒屋チェーン店の本部勤務で、私はそこでの開拓業務、即ち店舗買収などの仕事をしていた。店舗買収だけで無く、土地を仕入れ、新規オープンの為の立地戦略などにも携わった。
 しかし余りにも激務が祟り、先程少しだけ書いたが私は頭が悪くなった。元々馬鹿なのだが、そういう意味では無しに、偏頭痛から来る神経系統の病に冒されたのだ。だから忘れっぽくなり、また偏頭痛が湧き起こる割合も増えた。遂に脳波の検査迄行い、そうして自分に合う薬を医者から貰っているのだ。前職を辞めた後暫く、契約社員などで食い繋いでいたが、私は私で肝心な治療を殆どマトモに行わず、誤った薬を貰って生活をしていた。その効果はテキメンで、一気に眼が悪くなり、眼が悪くなると人間とは変なモノで、運動神経も悪くなる。ずっと硬式野球、草野球と学生時代から今に至る迄野球を続けているが、外野を守る私はそれ迄は遠視ではなかろうか、という位遠くを見る事が出来たがそれが一切出来ない。それに留まらずグラブに捕球をする際、一瞬のブレを感じてしまいここ最近はよくエラーをする。眼だけで無く、指先にも既に神経のズレは来ているらしく、誤投薬をされていた頃はよく意識消失もあったので自らの死生観を改めて見直していた。そうして悶々としていた頃に今の社長と知り合った。病の苦しみなどよく理解してくれて、それでも私が持つ営業力を高く評価してくれて身の丈に合わないような給料を貰い、勿論その分の成績とそれ以上の利益を貢献して今がある。
 今は全く畑違い、空調設備関連の仕事だ。しかも社員三十名と満たない前と比べるとどうしても小さな会社だ、と思ってしまう。更には都内を中心に営業をしている会社なので、イレギュラーなケースとして出張は扱われてしまう。その為二週連続での出張を敢行する私に社内は非難の眼が浴びせられる。外で遊んでいるのでは無いだろうか、と。何だかそんな非難に私は少し居た堪れなかった。この春に管理職になったばかりで迎えた今秋なので尚更で、
「吉野は管理責任を怠って自分のしたい事だけをしているんじゃないのか?」
などと更に追い討ちを掛けるようなあらぬ疑いも掛けられてしまい、私は日々太田胃散が手放せなくなっている自分に気付いた。またぞろ、
「管理する側の立場であるお前が何でいちいち出張に出掛けるんだ。そんなの要領良く部下に任せればいいじゃないか。お前が東京に居てくれないと困るんだ」
とのたまう私を拾った社長はじめ、各現場担当者、製図などの図面を引く技術者の声も後ろで感じていた。しかしながら、私は営業中心に仕事をしていた為、お客様の声は無視出来ないしそれドコロか、寧ろ顧客満足追求によって自分の営業が成立している、とすら考える人間なので尚更お客様の声を重要視している。そうしてお客様との信頼関係を構築し、そうして売上が上がったと今も信じている。だから営業サイドから言えば私でないとちゃんと対応が出来ない、だから仕方が無いでしょう、と現場・社長に対する声には反論したが、そもそもうちの会社は営業自体がまた未成熟の会社だから誰も理解すらして貰えない。理解者がせめて一人でも居れば、そう思い私は友人の沢亘にスカウトの声を掛けて、漸くそれらしくなったのはついぞ最近の事である。けれどもこれも良し悪しは当然あり、沢亘は順応性が私と違い高いから、段々と廻りの雰囲気、即ち技術マンの言いなりになり始めているのだ。これは不味い、どうにかしてガンガンと営業をしていた頃の彼の姿に私が戻さなければ誰が戻す、と最近はそんな事ばかり考えている。

 それに………。
 まぁ、これ以上はもう止そう。本当の愚痴になってしまう。

 こんな状況下での出張だから本来冷静で居られる訳が無い。また私個人の事情もある。夏に母親がくも膜下出血で緊急入院した。手術は終わったがまだ意識もマトモでは無い。ここ最近の私を取り巻く過度のストレスも原因の一つでもあるのだ。そこで父親が私を呼び出して、
「ああなっちまったのはお前が原因だろう。今迄散々迷惑を掛けてきたんだ。親不孝ばかりして来たんだ、………せめて金だけは出してくれ」
と、言われたばかりだった。そこで虎の子の貯金を私は叩いて今後の生活をどう設計しよう、と考えているので尚更冷静で居られる訳など無い。ただ嬉しいのは母親の病気は予想以上に早く恢復に向かっているとの事が確認取れているのでそこは一応安心はしている。余り田舎の母親には、父親にも私は年に数回しか連絡を取ってはいなかったので、この母親の病気を境に急に毎日連絡を取るようになった。それにうちの実家は福島白河だ。毎週末は必ず白河に新幹線で戻るように当初はしていたが、もう段々金も底をつき、今は終電間際の鈍行列車で帰り、宇都宮の漫画喫茶で一泊してから翌朝白河に向っている。黒磯迄行ってしまえば高校時代の友達も居るので、そいつに車を借りたり送ってもらったり出来るのだが、ここの所、仕事が忙しいので黒磯行きの最終電車に間に合わないのだ。だから私は見も心も疲弊していた。まぁ、天変地異でも無ければ今すぐ死ぬ、という最悪の事態はもう無さそうだ。なので少しは安心出来る。切符を交換し、改札を通りホームに向う間私はそんな事を考えていた。


 ゆっくりと発車する新幹線の表の景色を眺めながら今迄の色々な事を考えては、もう逃げたい、もう逃げたい、そればかり考えて逃げたくなる自分自身の弱さに改めて情け無くなった。電車はゆっくりとそのまま品川駅に到着した。乗客が傾れ混み一気に車内は混雑して来た。そんな混雑している車内を尻目に私は適当に駅のホームで誂た弁当を食べて、喫煙車に移動して煙草でも吸うか、と席を立った。その時、私は自分の眼を疑った。
「彩夏?彩夏なのか?。いや、まさか。こんな偶然はあるのだろうか?」
本当に自分の眼を疑った。最近、ここ数年で極端に眼も悪くなっているからなぁ。でもあの顔は忘れられない。こんな所で再会するだなんて、思いもしなかった。こんな偶然はもう、嫌だ。

 今再会した所で何か話すべき事などあるのだろうか?。

 私はここ数年、めっきり以前持っていた“男”の部分に対して自信を失っている。機能的な部分だけでは無く、心の部分に対しても。だから自由気ままな風を装って、
「おう、久し振りじゃんか」
という、その一言が出ないのだ。その原因は一昨年に私は交通事故を起した。その故だろうか?。或いはその後に仕事の遅れを取り戻そうと躍起になって過労で倒れてしまった故だろうか?。その時に私は心の中で何か大事な物を失ったような気もしなくは………無い。こんな私を仕事人間と言えば聞こえはいいのだが、実際は週末にやる事が無く、ダラダラと漫画本でも読みながら部屋でボンヤリとしている、ただそれだけなのだ。仕事は身体張って迄やったお陰で順調だった。けれども、身体を張った代償は思いの外大きく、私の心と身体を確実に蝕んでいった。それに昨年別れた彼女との事も原因なのだと思う。未だ私は脱却出来てはいないのかも知れない、彼女を孤独にさせた事に対して。だからもう、失うのが嫌なのだ。だけれども、もう一度私は戻る事が出来るなら戻りたい、あの時の自分を取り戻す事が出来るなら、本当に取り戻したい。

 私はあの時、十八だった。高校三年生の春、私は既に終えた大学入試試験から解放されて、アルバイトに勤しんでいた。そうして迎えた大学のその入学式の日。廻りは浮かれ気分で思い思いの服装をした同世代の人達は入学式の日を愉しんでいた。私はまだ、つい先日起きたばかりの出来事に立ち直る事など出来ずに、もう身体に馴染んだスーツを着こなしていた。アルバイト先はスーツを着なければならない営業職のアルバイトで、そこで色々とゴタゴタがあったのだ。特に色恋沙汰で。2つ年上のN大学芸術学部の女性と。その事は深く私を傷つけ、何だか馬鹿にされたような、或いは狐か狸に騙されたような、そんな気持ちにしかなれないでいた。だからもう、何と無しに同級の浮かれ気分の連中とは一線を自ら画していた。何だか一足先に社会を見てしまったような、そんな気分だった。そんな気分を拭い去ることが出来ずに大学入学日を迎えた。入学式はとてつもなく退屈で、友も未だ居ないので礼装の筈が喪服を着て葬式に参列しているかのような気分でダラダラとした時間を過ごした。実際私が入学式で着ていたスーツは真っ黒で、他の同級生はリクルートスーツのような濃紺のスーツが殆どで、皆一様にスーツなど着慣れていない。ワイシャツは白、ネクタイも何だか様になっていない。逆に私は真っ黒なピークドライブの三つ釦で、ワイシャツは一応白だったが、ワイドネックでネクタイは黒。まるで本当にこのままお葬式に参加出来そうな恰好だった。ピークドライブのスーツで葬式、というのも何だかおかしいが。

 入学式の半分以上は眠っていた。パイプ椅子の固い背凭れに足を突き出して、全員起立する時も眠るようなテイタラクだった。そして涎を垂らしていた。眠りの最中、私は家族との気味の悪い団欒の夢を見た。お互い何かを話しているが、顔が無いのだ。思わず不気味になりながら眼を覚まし、暫くボーとしていた。そうしていると私は一回涎跡を消す為にトイレに行き、顔を洗ったので入学式を終えてそのままバスターミナルに向かった集団とは出遅れ、ほぼ私が最後の一人となり、祭りの後の静寂と化した講堂を後にして玄関に向った。

 所詮は独り者か。
 高校でもそうだった。


 ………そう思うには理由がある。異様な程に自己防衛のラインを張って、一定以上の人付き合いを好まない。そうなってしまったのには色々な要因があるけれども、一番大きな問題は家族の問題だった。家族の中ですら、私は私が求める安住の地を見出せずに、常に何かに遠慮している。私は自分の姉と、極端に仲が悪かったのだ。それがトリガーとなり、お互いに心閉ざした息子と娘に対して一番苦心し、惨憺な気分を味わっていたのは、今病で床に臥している母親ではなかろうか、と思う。お互いたった一人の姉弟、なのにお互いがお互いに対して心を閉ざし、一切口を聞かない、顔すら合わせない、勿論食事も別々だったのだ。だから私は早く家を出たかった。姉に気遣いをしないで済む環境に早く身を置きたかった。それには高校を卒業したら寮のある所に就職し、社会人となるか、なるべく自宅からは通えない距離のある大学に進んで独り暮らしをし始めるか、そのどちらかしか私に選択肢は無かった。少なくとも実家通いでの就職や進学は考えられなかったし選択肢には、意図的に入れないでいた。環境さえ変われば私はそれでいい、と思っていた。少なくとも、姉との関係を改善しよう、という気持ちは高校三年生の時にはもう消え失せていた。それ迄は多少なりともあったし、出来れば姉と仲良くしたい、私は本気でそう思って色々努力をしたが、一旦閉ざされた姉の心を開くには高校生の私には容易では無く、何だか疲れてしまったのだ。
 姉は極端なヒステリー持ちだったのだ。姉にしてみたら、そのヒステリーを起こす原因は私にあり、私は姉の嫌う事ばかりする人間であるのだ。靴下を脱ぎっ放しにしてしまったり、部屋の物を片付ける事が出来ないとか、私が大便をした後は極端に臭いとか、そんな些細な事の積み重ねでそうなった。兎に角姉はそういった汚らしい事を許す事が出来ず、その一つ一つに姉はヒステリーを起こす。ヒステリーは周囲に伝染する。私も何時しか心の何処かがおかしくなっていて、些細な事でも金切り声を挙げるようになっていた。例えばおかしくなった私は納豆が異様に嫌いになった。けれども姉は納豆を喰う。納豆の臭いが嫌いな私は苛々してしまう。その様子は父・母に伝わり緊張が走る。姉は知らん顔。しかし私が苛々しているのは知っている。だから怖ろしい顔をして眉間に皴を寄せて私を睨み、そうしてまた何事も無かったかのように黙々と飯を喰っている。そうして家族の食卓は暗く重たい雰囲気に包まれる。そんな事が繰り返されて、
「あーーー!!。」
と家族全員の囲む日曜日の和やかな食卓叫んでしまった事がある。その時は何も無かったが何も無いという事は会話も無い、という事である。会話が全く無い和やかな食卓というのもちょっと想像しにくいが、私の家では、少なくとも私と姉が喧嘩をしない事が何も無い、という事になるのだ。私は沈黙に耐えられなくなったから叫んだのだが、家族全員はそうとは受け取らない。私は叫んだ先の眼差しに、姉を怖ろしい眼で見ていたらしいのだ。それは後々母親から聴いた。そうしてそうこうしている内に母親が巧く立ち振る舞い、お互い、別々の時間に飯を喰わせる様になっていた。それに気付いた私は、なるべく外食をするようになっていた。僅かな小遣いをやり繰りして。だからこの頃から私は飯を喰う、という行為そのものが暗澹としたもののように思えてならなかった。また更に、顔の無い食卓の夢は何もこの時だけでは無く、意外と色々な場面で実は夢に出て来ていたし、今も正直、そうである。………私が過ごした思春期とはそんなモノである。そうして私は、家族の中だけで無く、学校でも、或いは高校三年生の時に告白されて付き合っていた初めての彼女に対しても、常に遠慮がちで心閉ざしていた。その心中は常に不安で一杯だったのだ。その心中は、常に孤独だった。そうしてそんな私に対して周囲は変わり者、と何時しかそんな烙印を押すようになり、私は誰にそう言われようがそんな声に全く耳を傾けなくなっていた。しかし私は私の中で、自分は周囲とは馴染めない変わり者なんだ、と何時しか自己暗示をするようになっていた。
 ………場所が変わろうとも俺は独り者で変わり者なんだ、集団に馴染む事なんて出来やしない、大学もそうやって時間を過ごすのだろうな、それじゃぁ高校の時と一緒では無いか、そんな悲嘆に浸りながらバスターミナルに向う事にした。すると講堂を出た時、私はその日初めて眩しい春の光と空に舞う桜吹雪を眺めて、あぁ、春だなぁ、これから独り暮らしが始るんだ、とちょっとだけ胸が躍った。けれどもその胸が躍るのも幻に過ぎないんだろうな、とすぐに何だか褪めた気持ちに変わって絶望的な気持ちになって暫くボケーと立ち竦んでいる私に、
「あのう………。バスの停留所はどこですか?」
と私に声を掛ける一人の女の子が居た。スラーと背が高く、本当に同級生か?、と思ってしまうようなちょっと大人帯た雰囲気の女の子が私に声を掛けてきた。大人帯ている、と思ったのは一瞬だけでよく見ると、まだ幼さが残るギャップのある雰囲気に私はポーとしてしまった。身の丈は一七〇以上はあるだろう。きっちりしたスーツ姿にはちょっと不似合いな変な鞄。そうしてまだ幼さの残る可愛らしい顔と透き通るような白い肌。その白い肌は太陽の眩しい光に照らされて、より一層眩いばかりの光景として私に映る。一瞬でその全てを見て思わずポーとしたまま、
「あぁ、じゃ、一緒に行きますか?」
と返答すると、緊張していたのか、その女の子はこわばっていた顔が一気に解れ、
「そうですね」
と、明るい表情で停留所に向かった。
話を聞くと彼女は私と同じ学科でどうやら北陸の出身らしく東京は狭くてゴチャゴチャして訳が判らない、との事だった。私は思わず、ここは武蔵野の入り口だから東京とは全く違うよ、と突っ込みを入れようかと思ったが初対面の、しかも勝手の判らぬ北陸のお嬢さんにそれは失礼だろう、と思って何も言わなかった。また、身長がそれなりに高いからか、ずっとバレーボールをしていたらしく、けれども高校二年生の時に膝をやられてしまい、バレーの道は閉ざされてしまい、大学進学の道を選んだ、との事だった。それでちゃんとこの大学に入れるのだから私などとは違い、元々勉強の出来る人なのだろう。英語もちゃんと喋れるらしい。
私は外国語学部に入学した癖して、英語のエの字すら喋れない。こういう女の子は大学が始ったらさぞやモテルだろう、顔も可愛らしいし愛嬌もある、しかも私などとは違い、自分の芯をしっかりと持っている。羨ましいなぁ、と思いながらバス停留所迄のキャンパスを歩いた。何だかとてもその時間は長い時間に感じられて、ちょっとだけ嬉しかった。暫く歩きバス停留所に到着。一緒のバスに乗り、二人掛けのちょっと狭い席に座り、駅で別れた。そこでお互いの連絡先などを交換した。彼女の名前は彩夏、と言うそうだ。私は、
「入学早々いいことあるな」
と、ようやくここで少し浮かれた気分になっていた。
 そして大学のオリエンテーション。入学したら新入生は皆、このオリエンテーションを受ける。そこで授業の特徴や単位取得方法、健康診断サークル、部活などの活動への入部などを行う。私は人付き合いが元々苦手な方で積極的に誰かと徒党を組む、などという事は愚の骨頂だ、位に考えていたので全部一人でやっていた。私は一人で昼ご飯を食べていると、
「吉野さん」
と、声を掛ける女の子の集団があった。誰だ?、と見ると彩夏ともう一人、これも身の丈の高い女の子が私の席の横に方々で誂たであろう食事を持って席に座った。私はもう一人の女の子には見覚えなど全く無かったのだが、先方は見覚えがある、との事だった。
「えっ?、なんで俺のコト覚えているの?」
と、もう一人の女の子に話を聞くと、
「だって、一緒に入学試験の面接受けたじゃない。覚えていない?」
との事。私は一瞬、えっ???、と眼を丸くした。確か一緒に面接の試験を受けた女の子はアバタ面で身の丈は低い、地味な感じの女の子じゃなかったか?。そう思ったがその時の様子などはちゃんと一致している。
そしてその女の子の顔を見ると、確かに化粧をしているのだが、前に見たアバタの跡は少しだけ残っていた。
「帰り際も何も話をしてくれなかったからこの人、怒っているんじゃないかしら、って思っていたのよ。だから少し恐かった。私、何か余計な事喋ったかしら?って」
との事。確かにそうだ。言われてみて思い出した。


 あるうららかな秋の日。


 私は前日父親と喧嘩をした。夜中の三時迄。結局寝ずに始発の新幹線に乗り込み、ギリギリの入試開始時刻、九時半に間に合わせたのだ。そこで筆記試験の後面接試験なる物があり、基本的に全て英語で会話をしなければならない。私は朝から下痢で苦しかったのだ。親父との喧嘩の最中、勢いを付ける為に私は呑めないウイスキーをガブ呑みしてしまい、新幹線の中では殆どトイレに居た。その間もずっと英語の参考書、旺文社の英語参考書だけはどうしても片身離せずにじっと片隅迄舐めるように見て英語を暗記していた。だから私が大学のある八王子に到着した時にはもう、不機嫌極まりない顔で試験もまた難しかったので尚更不機嫌極まりなかった。だから面接官には愛想良かったが横に居た女の子になど注意を払う余裕は無く、何も会話などしなかったし、会話する事も無かった。また、どうせ落ちるだろう、と次の受験の事を考えなければ、という事で頭が一杯だったので更に増して会話などする余裕も無かったし、ちょっと失礼に当たる言い方かも知れないが、私などとは違う人種で、家に帰ればうちなどとは違い、家族に愛され、それなりに幸せな生活を送っているであろう。そう思えたこの女の子には何も話をしても所詮通じないだろう、そう思っていたのだ。また、それ以上に私は緊張からか下痢をしていたので、お腹が苦しくて、どうしようも無かった。そんな苦しい記憶だけが脳裏を過り、
「あぁ、済まなかった。あの時の吉田さんか。全く違う人に見えたよ。背も高いし」
とだけ言った。
「あぁ、これはヒールだから」
そこから私達は妙に仲が良くなった。彼女達のお陰で私はどんなサークルがあり、どんな授業を受ければ効率良く単位取得出来るのか、色々な情報を知る事が出来た。そうして楽しくお昼を摂る事が出来て、その場はお開きとなった。ただ残念だったのは、彼女達と私は違うクラスであり、結局クラスが別れたらば、余り交流も無くなるのではないだろうか、そんな事もその時に知った。(私の入学した大学では二年生迄は学級制だった。)と、言うよりも私は彼女達からクラス編成がある、という事も知りビックリしていたのだった。その日はそれからもオリエンテーションは続き、そこで私は漸く同性の友人を一人見つける事が出来た。名前は矢口という。因みに私の入学した大学の学部は男性よりも女性の方が圧倒的に多く、男女比で言えば2:8位の比率で男が同性の友達を見付ける方が苦労する、という学部・学科だった。
彼は愛知県内陸の出身で彼との出会いもまた、変な出会いだった。しかしそれ以降、大学の四年間はずっと彼と仲が良かった。最も大学時代から社会人になって少しの間、付合いが深く、お互い信頼をしていた関係にある。また、ホモじゃないかとも思える位、大学時代からずっと、お互いに会話をすると止まらない。内容は至ってクダラナイ内容が殆どだが、文学談義やら、語学教育について、哲学、評論、スポーツ、音楽などお互い趣味が合う故か、話が尽きないのだ。時には大学の食堂で口論になったりもしていた。
 で、因みにどんな出会いかと言えば私は自分のクラスのオリエンテーションに参加した時、何だか徒党を組んでいる女の子の集団、五人位に声を掛けられてどうもこういう徒党組む奴らは苦手だな、と素っ気無く避けようとした時に声を掛けたのがこの男で、彼もそういう徒党を組む連中は大嫌い、という私と似た匂いのする性格だとすぐに見抜いたのですぐに仲良くなった。彼も身の丈一八〇位あり、スラーとしてお洒落にも気を遣う、いい男だった。ただ、どちらかと言えばやや、ナルシストっぽい所もあり、色々と話も合うようで中々面白い奴じゃないか、と男二人で盛り上がっていた。しかも趣味も合う。彼はロックバンド、“ラウドネス”に傾倒しているようで、“ラウドネス”と言えば日本のロックシーンの一時代を築いたグループだ。それに対して私は“有頂天”に傾倒しており、どちらもマニアックだが、本物志向の人間だけが聞くようなヘンチクリンな音楽で脚光を集めたグループなのでそういう何とも言えないような変な本物志向を持つ二人だから気も合う。そして何より二人共にアウトローな生活を送る輩なのでそこも気が合う。また更にはお互いに格闘技も実際にやっている。彼は極真カラテ、私は柔道だ。そこも気が合う。彼も徒党を組む女の子の集団に近寄られて困っていた、との事でそこも気が合う。そして更には先にお昼を一緒にした女の子二人ともどうやら知り合っていてフムフム、偶然だらけだけどお互いにいい縁じゃないか、コイツとなら仲良くなれそうだ、そう思っていた。
 翌日からは四人で一緒に色々とオリエンテーションを廻るようになり、そこで色々と話をした。しかし残念ながらその中身の何一つとして正直私は覚えていない。お互い煙草を吸う事(私は吸い始めたばかりで、正直余り美味しいとは感じていなかった)や吉田さんが横浜の出身、彩夏さんは北陸、矢口は愛知県、私は千葉、と両方共に東西にハッキリと別れている。しかも彩夏の北陸と矢口は愛知の内陸、吉田と私は共に浜(東京湾)沿い、とこれも面白くハッキリと別れていた。何だかそんな事を民俗学のオリエンテーションで話をした事程度しかもう覚えていない。私以外の彼らは覚えているのだろうか?。多分忘れているだろうな、私同様、なぜならもう十年もあれから経ったのだから。しかしクラスが別れていたのでやっぱり段々に女の子二人とは交流は無くなる。私と矢口は同じクラスだったので、逆に交流は深まる。よく彼の下宿先に赴き、彼はギターを弾くのでそれに合わせて私がボーカルをして色々な曲の練習をした。と、言うのも一度四人で交流が薄まる前にカラオケに行った事があり、その時彼が私の声量の大きさと音程のバランスに驚いていて、
「お前、一緒にバンドやらへんか?」
と誘われた。私は唐突に話をし出した彼に驚きが隠せなかったのだが、
「面白そうじゃん」
と、誘いに乗ったのがキッカケでちょくちょくと練習をする事に。彼のアパートで夜にも関わらず、尾崎豊とか、ミスターチルドレンとか、彼の伴奏するギターに合わせてテンポがどーだ、とかここのキーは上げた方がいい、とか彼のアドバイスを受けながら私はボーカルの練習をしていた。けれども私自身は単に興味本位だったのと、あと、大学に行ったら硬式野球をもう一度ちゃんとやる、と決めていたので本腰を入れる程では無かった。彼も大学には極真カラテが無いので渋々と少林寺拳法を習う事になった。
 結局何やカンやで路上でやろう、とか企画しても企画倒れだった。後に彼はバンドマンが集まる高円寺に住むようになり、本当にファンキーな人生、所謂“修羅場”を多々潜り抜けるような人生を歩み始めていたのである意味パンクな人、お互いにパンクな人である事はどうやら間違いが無いみたいだ。多分、磁石がくっつくようにお互いが惹きつけ合った、そんな感じなのかも知れない。因みにこの時は私は自分を追い込む為に柔道もやりたい、と思っていたので野球の練習と柔道の練習時間がバッティングしない事をいい事に掛け持ちをし、昼間は野球、夜は柔道、と日々スポーツに明け暮れるようになっていた。柔道部と少林寺拳法部との練習時間は一緒なので、そこでも矢口とは顔を合わせる事になり、女の子二人よりもこの矢口との交流が深くなる結果となった。けれどもクラスではそんなスポーツに明け暮れる私達に対して、冷ややかな眼でしか見てはくれずに、何時の間にか私達二人は浮いた存在になっていた。例の五人組の女の子達が同じクラスだったので、私達は彼女らをそれとなしに拒絶していたのが原因と言えば原因で、また、彼女らは女の子が多い大学キャンパスだったので、数にこういう社会では勝るモノなど無いのだろうか。何時の間にかクラスでも、学科でも中心的な存在になっていたのでどうにもこうにも、私達パンクな二人はクラスの人達とは打ち解けられずに、男二人、いつも食堂で顔を付き合わせては熱い文学の話とか、スポーツの話とかばかりをするようになっていた。彩夏さんと吉田さんも時々は一緒になっていたのだが、周囲からは余りいい眼では見られずに何時の間にかお互いに変な気を遣うようになり、そのまま疎遠となってしまったのだった。
寧ろ、避けるようになった、という事もある。理由は色々あるし自分に思い当たる事もある。
 惚れた腫れたは私の埒外ではあったらしいが、詳しくは知らない。ただ、情報は全て入って来る狭い村社会なので、避けざる得ない事情もあった。そうして男友達が私はドンドン増えて、その代りに女の子の友達は減った。また、他学科の先輩や部活動の先輩、同輩や何かの交流も増え、そっちで私は色恋などは多少はあった。ただ、それは同級生の妬み、反感を買うだけであり、妬み、反感の目線がいつも私に向けられているような気がして、けれども私ももう負けてはいられない、寧ろそういう妬み、反感を力で抑えたりカワシタリして、ずっと平行線上の線路をお互い走るような、そのスタートをこの大学一年の数日の間に作ってしまった。 結果、私には同級生との楽しい思い出など、極々限られた交流関係だけで終わってしまった。実に今考えると勿体無い事をした、とそこは後悔しているが言い訳は出来ない。結局、私自身は私に優しくしてくれた人々を裏切るような真似を何度と無くしては誰も信じられないような虚しい自我だけがいつも私の後ろに、影のように付いてくる、そんな人間に成り下ってしまっていた。














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