1.スイミングスクール
「赤星ぃ〜っ!おぉーい!のぉぼぉるぅ〜っ!おいっったらぁ〜っ!」
僕はフルネームを絶叫されて 仕方なく立ち止まった。
「・・・なんだよっ・・・」
「お前 歩くの速すぎっ!で どこ行くんだよぉ〜」
同じクラスの金子だった。 僕 赤星昇と この金子翼は幼稚園時代からの友達だ。
「プールだよ・・・悪いかよ・・」
僕が吐き捨てるように言うと 金子は少し眉をひそめて僕を見た。
「のぼる 高校受験するんだろぉ?マジそろそろ勉強に専念した方がいいんじゃないの?」
「勉強もしてるから大丈夫だよ・・・人の心配してないで翼は自分の事だけやってろよ」
「のぼるぅ〜・・・お前愛想なさすぎっ!」
振り切るように早足で歩き出した僕を 一瞬追うように足を出した金子だったが
小さく首を横に振りながら その場に立ち止まった。
僕は金子を置き去りにして 足早にその場を去った。
夏休みが終わり 二期生の学期末の試験の初日だった
9月に入っても空には入道雲が真夏のように大きな顔をしている
中三の夏休みは塾の講習であっという間に過ぎ去った
それでも僕は毎日プールへも通った
学校の水泳部は引退した でも僕は泳ぐことをやめていなかった
僕は金子を置き去りにして 学校から通い慣れたスポーツジムへ向かった。
「おおぉ〜っ!のぼる!早いな もう学校終わったのか?」
ジムの入り口で僕に声をかけてくれたのは スイミングスクールのコーチだった。
「あっ・・佐藤コーチ・・はいっ!今試験中なんで早いんです」
「試験中にプールに来たのかぁ?余裕だな(笑)」
「気分転換と体力維持のためですよ」
「15歳位で体力維持もないだろう(笑)」
「いやいや 今からやっとかないと」
「お前 口数少ないのに ホント面白いよな はははは(笑) 早く着替えてこいよぉ〜」
コーチは笑いながらスタッフルームに入っていった。
僕が彼 佐藤宏に初めて出会ったのは 僕が7歳の時 そう 小学校1年生の夏休みだった。
どうにも水がニガテで学校のプールにも泣きながら入っていた僕を見かねた母が
無理矢理申し込んだスイミングスクールでの担当のコーチだった。
当時 まだ大学生のアルバイトだった彼は 泣き続ける僕をレッスンの間
ずっと片手に抱きかかえたまま 他の生徒たちを教え 僕に決してプールに入る事を無理強いしなかった。
僕は彼の胸にしがみついたまま かれこれ2ヶ月近く それでも毎週プールに通った。
そして 少しずつ少しずつプールに慣れ 友達もでき 僕はようやく水泳をちゃんと習い始めた。
毎週 友達と一緒に泳ぐのが楽しくなり どんどん上達していくとまた一層水泳が好きになり、
そうして 僕はプールへ通い続けた。 かれこれ8年になる。
当時19歳だったコーチも大学を卒業し そのままこのジムのコーチとして就職し
今は27歳になっている。
僕はいつの頃からか 彼に憧れていた。 彼の姿が見たくてプールに通っていた。
彼の泳ぐ姿はたまらなく格好良かった。僕の目標だった。
「のぼる 背が伸びたよなぁ〜 今どの位ある?」 プールサイドにいた佐藤コーチが僕に声をかけた
「172か3位だと思う・・・」 僕はゴーグルに曇り止めを塗りながら応える
「へぇ〜 まだ伸びそうだな」
「コーチ 抜きますから」
「俺180あるぞ・・でも・・そーだな 今に俺よりでかくなりそうだよなぁ お前足とかデカイもんな」
コーチはそういって がははと笑う。
彼は豪快に笑っても 今風にちょっと崩れた言葉遣いをしてみても
不思議とその優しい穏やかな雰囲気が変わることがない。
彼はいつも人なつっこい笑顔で 生徒にもその父兄にもとても人気がある。
そして 誠実で真面目な性格と熱心な指導で信頼も厚かった。
「昇は記録会出るのか?」
「いえ・・・来年受験なんで 今はちょっとまとまった練習できないし・・・」
「そっか どこ受けるんだ?」
「K大の付属です」
「へぇ〜っ!俺あそこの卒業生だぞ」
「えっ?マジですか?」
「マジ(笑)で大学もそのまま行った」
「そぉなんだ・・へぇ・・」
「勉強見てやろうか(笑)」
「えっ!!マジ??」
「マジ(笑)今度 参考書とか持ってこいよ 空き時間に見てやるよ」
「やったぁ〜っ!ありがとー!」
「あの泣き虫昇が高校受験かぁ・・・感慨深いね」
そういってコーチは僕の顔をにこにこと見つめた。
彼はとても端正な顔立ちをしている。
ベビースイミングに小さな子供を連れて通ってくる若いママさんたちは
彼の事をアイドル歌手か若手俳優でも見るような目で見つめる。
彼は子供好きで子供達にもとても人気があるので ママさんたちの視線は一層熱くなる。
当の本人は全くといって そういった熱い眼差しには興味も関心もないようだった。
というよりも そもそも そういった事柄に気づいてさえいないようだった。
中学生の僕でさえ気がつく熱烈な視線なのに 彼は見えないバリアーにでも囲まれているのか?
そんな ちょっととぼけた呑気な天然具合も彼の大きな魅力だった。
すっきりとした細身に見えて 肩幅が広く腕のつけ根などがっしりと太い。
厚い胸板と真っ平らな腹筋はキレイに引き締まって 細い腰から真っ直ぐな長い脚が伸びている。
とてもバランスのよい均整のとれた体格をしている。
腿の真ん中あたりまである競泳用のぴったりとした水着が嫌味無くとてもよく似合う。
そして彼の顔立ちは一見 とても優しそうな穏やかで可愛らしい感じに見える。
年齢より若く見られる事も少なくないだろうと思う。
それは 長い睫に縁取られた黒目の大きな真っ黒でキラキラした瞳が
ご丁寧に少しタレ目気味だったりするせいかもしれない。
この大きな真っ黒な瞳と いつもお化粧でもしているのかと思うほどに紅く見える
ふっくらと 男にしてはぽってりと厚めの唇が 彼をどこか中性的な美人顔に見せる。
ご丁寧にも 笑うと 頬にくっきりとえくぼが浮かぶ
でも 細く真っ直ぐな鼻梁と綺麗な形の眉が 指導中の彼の表情を引き締める。
熱心に子供達に指導をしている時の彼は とても凛々しく 少女めいた美貌が
不思議とそのなりを潜め 精悍な年相応の青年に見える。
こんな不思議なギャップも僕にはたまらなく魅力的だった。
こんなヒトになりたいと いつの頃からか強く想い憧れるようになっていた。
僕は時折 こっそりと彼の髪型を真似てみたりもしていた。
中学に入り すっかりスイミングスクールでの指導内容レベルは卒業する程に上達した後も
僕は母に無理を言って ジムのプール会員にしてもらった。
そして 彼に会うために 彼の姿を見るために 僕はせっせと学校帰りにプールへ通った。
クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ 4種目 どれでもそつなくこなせる程に
あの 水が怖いと泣き続けた僕が水泳をマスターできたのは
何と言っても 彼のおかげだったと思っている。
泣き続ける僕を その片手で抱き上げたまま 1時間10分のレッスンをし続けてくれた
彼の存在なしには 今の僕はなかったと思っている。
僕はこの日 25メートルのプールで 3キロほど泳いでから家に帰った。
フリーのコースを泳ぐ僕の横で 彼はおば様たちに囲まれてレッスンをしていた。
大人のクラスも彼の担当する時間帯はいつもとても賑やかでヒトが多い。
分け隔て無く誰にでも変わらず接する彼の人柄が人気なんだろうと思う。
一人っ子の僕は彼を兄貴の様に慕っていた
兄貴のように・・・その頃 僕はまだそう思っていた・・思おうと・・していた。
|