8.新たな友達
骨にひびが入ろうと骨折しようと、要はその部分がくっつかなくてはならない。
だから、治療に要する期間は、骨折もひびも変わらないらしい。
治療は、変なくっつき方をして後遺症が残らないように患部を固定して補助するだけで、あくまでも回復は自然治癒力にかかっている。
そもそも怪我したのが梅雨明けだったから、結果、私は夏の間中ずっとギプスをするはめとなったのだ。
夏のギプスは、傷口から、汗臭さが匂ってきそうな……いや実際、匂っていたと思う。
不快さに耐えながら、結局は、全治一ヶ月余り。
ギプスが取れ、その後、整形への通院も終了した頃には、残暑を残しながらも外は秋風の気配を感じる時期になっていた。
結局、私の夏は、怪我に始まり怪我で終わってしまったのだ。
怪我をした直後こそ情けなさで一杯だったけれど、そのうち右手をカバーして日常生活を送る事を考えるようになった。
とにかく都合が悪かろうがなんだろうが、受験勉強はしなきゃならないんだから。
ぐずってたって、事態は好転しない。
もう浪人を決めたからには、怪我しようと何しようと前に進むしかないんだ。
普段ならばさして時間のかからない動作にやけに手間取って、まだるっこい場面もあった。
体が回復すればもっと頑張れるのにって、何度思った事か。
手は手で不都合だったのだけど、考えようによっては怪我しなければ、篠原があんなに親切でノートのコピーまでくれる奴だったなんて知らずにいたと思う。
私の手を見ては大丈夫? って、普段、話さないような子も声をかけてくれたし。
やっぱり、派手なギプスを見れば、うわぁ……って、思うのだろう。
声をかけてくれる子たちは、他人事じゃなくて自分の立場だったらどうするだろうとか、自分も気をつけようと考えてるようだった。
だから何だか……悪い事ばかりでもなかったと言うか。
その点は、発見だった。
私は私で、元気ならばもっと頑張れるって思考に向いていったから、その点は収穫だと思う。
受験失敗がマイナスだとするならば、怪我したマイナスとかけ合わさって、プラスになったのかな。
そこまでは、飛躍しすぎだけど。
それでも怪我した事で逆に吹っ切れたのかもしれない。
◇
「もう、手首、すっかりいいの?」
予備校で前の席に座った子がくるりと私の方を向いて、よく通る声で言った。
確か、何度か挨拶を交わしたことのある子だ。
小さな輪郭に詰め込んだみたいな目鼻立ちもくっきりと、あごのラインまでの長さの髪にはシャギーが入っている。
彼女は、黄色い半袖のGジャンのインに、白いTシャツを着ていた。
Tシャツと言うのは、私が見る限りと言う事で、実はGジャンを脱いだらその下はランニングかもしれない。
更に彼女は、首から革紐のペンダントを二重に下げていてその先端には石がついていた。
おしゃれなのか、もしかしたら受験のお守りのパワーストーンなのか。
黄色い半袖のGジャンって、どこに売っているのだろう。
彼女は、このクラスにはなかなかいない個性的なファッションで、ひたすら地味に過ごす私とは、対照的なタイプに思えた。
「うん。通院も終わったし。ありがとう」
それだけ言って、首をひねってしまう。
はて、彼女の名前は何だったろう。
ここは高校みたいに名札をつけていないから、挨拶や雑談程度は、相手の名前も知らないまま交わしていることが多々あったのだ。
「あっ。あたし。森希代子。よろしくね」
「私は芳川ちなみ」
「知ってるよ。だって階段から落ちた人だもん」
大きな声ですぱっと言う彼女。
“階段から落ちた人”って言葉がなによりも私のことを言い表しているのだろう。
ついこの間まで三角巾をしていた私を見れば、誰もが「怪我したの?」って聞いてきたし、あの時現場にいた子もいるしで無理もない。
もう私は苦笑いしか出ない。
Gジャンの黄色みたいに明るくはきはきと話しかけてくる彼女に、他人行儀に受け答えしている事が不自然に思えた。
まだ授業開始時刻までには、間がある。
彼女は更に話しかけてきた。
「ねぇ。ちなみって呼んでいい?」
「うん。いいよ。じゃぁ、森さんのことは希代子って呼ぶね」
この恵成で、こんな風に気安く話せる友達が出来たのははじめてである。
希代子は、カラっとした性格のようで私はとてもよく気があいそうだった。
「ちなみは、どこ受けるの?」
「えっとね。G大」
「えー。私もG大だよ! 頑張ろうね」
「ホント!? 二人一緒に合格できたらいいね」
「合格に決まってるよ。そのためにここに来てるんだから。現役学生より一年も余分によく勉強して、落ちるわけないでしょう」
「一年も長く……か。ホントだ! そうだよね」
たしかに合格するために恵成に来ているんだから、合格する事しか考えなくていい。
考え方一つで、自分が変わるんだ。
私にとって、希代子の言葉は、目からウロコだった。 |