11.ランチタイム
テーブル席のうち二つは、先に来ているお客さんで埋まっていた。
空いたテーブルに通され、木製の背もたれのついた床の滑りの悪い椅子に腰掛けると、あらためて店内を見回す。
窓のない洞穴みたいなスペースは、狭い立地条件を逆手に取ったような洒落た空間になっている。
この時間帯は、ランチメニューのみで三種類のコースがあった。
一つは、肉料理。
もう一つは魚料理。
もう一つはポトフだったから、野菜と言うことだろう。
「何にする?」
こんな時に女の子同士ならば、食べたいものを優先して選ぶだろう。
けれど今回ばかりは違う。
私の頭の中を占めたのは、どのメニューならば美しく食べられるかと言う事だった。
魚は骨があったら厄介だから、避けておこう。
となると、肉料理かポトフの二者択一となるが、天気の良い今日のような日にポトフをいただいて汗ばんでも見苦しい。
ここは消去式で肉料理にしよう。
篠原は私に合わせるように肉料理をオーダーした。
「同じものを頼めばいっしょに出てくるだろう」
篠原は私が選ぶものに合わせてくれたようだ。
私ごときにそんな扱いをしても良いんだろうか。
だって篠原は、自分がここに来てみたかったのでしょう。
テーブルには、フォークとナイフのほか、箸も置かれていて、篠原は迷わず箸を手に取った。
「やっぱり日本人なら、箸だよな」
「じゃぁ、私もそうしよう」
箸があるタイプのお店でラッキーだった。
グリンピースのスープに続いて運ばれてきた前菜は、白い食器に盛り付けられた魚のカルパッチョのサラダ仕立て。
メインデッシュを魚にしなくて正解だと思った。
篠原が先に手をつけるのを待ってから、一呼吸遅れてお皿に箸を伸ばす。
スパイシーなドレッシングに絡めて味わう固く引き締まった魚の切り身。
少量の味覚を堪能する事は、これからのメインデッシュに向けて程よい空腹感を演出してくれる。
同じようにフォークとナイフを操りながらも、さすがに家族でファミレスに行った時とは、全然違う。
お洒落な空間に向かいの席には篠原。
こんなシチュエーションの中、料理は別とばかりにしっかりと味わう自分は、意外と根性が据わっているのかもしれない。
前菜のお皿が回収されると、目の前には本日のメインの和牛ヒレステーキが置かれた。
一センチ強の厚みのあるそれにナイフを垂直に突き立てると、抵抗もなくすっと切り込まれていく。
ナイフとフォークから持ち換えて柔らかなヒレステーキを箸でつまむ。
口に運んでかみ締めれば肉汁があふれ、口いっぱいに肉の旨みが広がった。
「美味しいね……」
美味しさの反面、ホントに篠原に奢らせてしまっていいのだろうかと申し訳なさが先に立つけれど。
そこはプライドの高そうな篠原の事だ。
美味しいと素直に喜んでご馳走になるのがいいんだろうと思う。
ふと気づくと篠原が、まじまじと私のほうを見ていた。
「芳川って、箸の持ち方が綺麗だな」
何を言われるのかと思ったら。
そんなの当たり前じゃないの。
今まで誰にもそんな事を言われた事もなかった。
「えっ。ふ、普通じゃない?」
「なんかさ。そう言うのって育ちが出るよな」
篠原は目を細めているし。
感動してるのか?
「あの。ウチは普通のサラリーマン家庭で、私、そんないい育ちじゃないから」
素っ気無い返し方をしてしまった。
いや、でも普通だし。
ああ。でも食べ方そのものが美しいと言う意味ならば、私は今の篠原の言葉を受け入れよう。
店内は、私たちが入った後、お客さんが一組だけ入ってきたようで落ち着いていた。
日曜日と言えども気軽に入れる雰囲気のお店とは言いがたいようだ。
「如何でしたか」
低い声で話しかけられて顔を上げると、白い服装のこの店のシェフらしい男性が立っていた。
年齢は、三十代から四十代くらいだろうか。
人懐っこそうな目で私たちを見ている。
「美味しかったです。とっても」
「俺も。すんごく美味しかった。ステーキも柔らかくてジューシーだったし……」
「ありがとうございます」
「あの……」
「はい」
切り出すと、何でしょうと言う顔でシェフが私の方に目を向ける。
「このお店の名前って、どんな意味なのですか?」
「当店の名前。これは『いやさか』と読みます。 これには、ますます栄えると言う意味があります」
「そうですか」
私はうなずいた。
「じゃぁ、縁起がいいな。実は、試験を控えているんです。だからこんな贅沢もしばらくはお預けで。後はこれを励みにして試験が終わるまで我慢するかな」
雑談交じりの場面であえてプライベートな事を話す必要はないと思ったのだろう。
篠原は、予備校生とも大学受験とも言わなかったし、誰が試験を受けるのかもぼかして話している。
その話しぶりから、シェフは篠原だけが何かの試験を受けるのだと思う事だろう。
「そうですか。では合格の宴を是非当店でしていただけますように。お待ち申し上げておりますよ」
生真面目に答えるシェフの言い方に私は笑いをかみ殺していた。
合格のうたげ……って。
丁寧に頭を下げると、シェフは奥に下がった。
その時、私は篠原の次の言葉を待っていたんだと思う。
また来ようなって、言ってくれる事を。
けれどもシェフが去った後、篠原は伝票をつかんで席をたっただけだった。
そう。
受ける大学が別々ならば、進学すれば離れ離れ。
今のひと時を過ごすための適当な相手として私は選ばれたに過ぎないんだ。
いったい私は何を期待しているんだろう。
振り切るように私もまた篠原に続いて席を立った。
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