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『 ウルクアレク 』  作者: かえる
【 ライフ・イズ・マネー、「手招きドラゴン」のお話 】
10/14

10 魔栓痕

 アレクが森のモンスターを相手にするのは面倒だな、とボヤキながら草地から盛り上がる岩へ背を預け、パンパンに膨れた腹を休ませ始めてから半時程のことである。


「近くに泉があると言っていたな」


 一つ先へ投げるような声が、焚き火よりも少し離れた場所で繋がれる馬達に届く。

 魔晶ランプが灯る馬車から、洗った食器や調理道具を整理していたエリが降りてくる。


「水を飲むならここにあるよおー」


 エリが大きな動作で、手にする革袋の水筒を頭の上で振ると、人影がゆったりと動き出す。

 馬車へとやって来たアレクは荷台の中をごそごそと漁った後、御者台に足を掛け吊るされていた魔晶ランプを手にした。


「水筒はいい。それよりこれを持て」


 エリの手にぽんっと魔晶ランプが渡たされる。


「泉まで案内してってこと?」


「そうだ。十日程体を洗っていないことに気づいてしまったら、水浴びをしたくてたまらなくなったのだ」


 後退るところを捕まえられたエリは首根っこを掴かまれ、ひょいと持ち上げられれば、ランプのように吊り下げられながら森の中へ連れて行かれた。






 緑と暗闇で包まれる森にあって、欠けた月の光が降り注ぐ場所。

 月下に岩肌を晒し澄んだ水が湧く泉の傍らでは、アレクが着ていた衣服を脱ぎ散らかし、均等の取れた身体つきを露出させていた。


「きゃああっ。い、いきなり裸、裸にならないでえっ」


「お前というヤツは本当によくわからん。クサコは服を着たまま水浴びをするのか」


「しないけど――きゃあっ、こっち向いちゃダメっ」


 反射的に両手で顔を覆い屈むエリに、手拭いが投げつけられる。

 指の隙間からのぞくエリの先では、アレクが泉の岩肌に座り背中を見せていた。


「自分では手が届かん。それで、俺の背中をゴシゴシ洗え」


「わわわ私が、洗うの!?」


「当たり前だろう。クサコ以外に誰かいる」


「ええでもっ、でも、見……かもだし、そのっ、アレクはええと……は、恥ずかしくないの!?」


「恥ずかしいとは、何がだ」


「何って……聞き返されても。うう、そんな堂々とされたら、なんか私の方が恥ずかしい子みたいになっちゃうよう……」


 ふう、と深く吸われた息が吐かれると、表情から気恥ずかしさを消すエリが給仕服の袖を折り重ねまくし上げた。

 水に濡らした手拭いを押し付ける背中は大きい。

 戦士の力強さを納得させるだけの発達した筋肉。

 がっしりとした体格は決して細身と言えるものではないが、戦士の衣を纏う普段の印象を越えたたくしさがそこにはあった。


「遠慮はいらん。もっと親の仇のようにしてやれ」


 注文をつけるアレクがふと振り返り、首筋辺りを注視していたエリの目が泳ぐ。


「クサコが何か良からぬことを考えていた気配がするな」


「違う違う、誤解だよ。じっと見てたけれどそういうのじゃないの、違うのお。あのね、『魔栓痕ませんこん』っ。もしかしたらアレクには魔栓痕があるのかな、て思って。ほんとだよっ」


「魔族どもの首筋にあるというアレか」


「うんうん、それ。魔族が人にない力を使えるのは、大気中の魔力を魔栓痕から吸い取って魔法の力に変えるからなんだよ。だから、もしかしたらと思って。アレクって常人離れしているから、あっ」


 口が滑ったとばかりに口元を抑えたエリに、キリリとした眼差しが向けられる。


「俺はさらりと常識を超えてしまう男だからな。うむ、常人に対して超人といったところか。超人アレク……なはははっ、なかなか良い響きではないか。そして、超人である俺は戦士だ。魔法なんぞ端から使えんぞ。クサコには一度言わなかったか?」


「ううん、何度も聞いたけれど……職業の話じゃなくて、人か魔族かの話だったんだけどなあ……」


 大陸では中央部を支配地とする人間の他に、三人の魔王が統治する各地で魔族が暮らす。

 人と外見を違わぬ者や、ドラゴンのような明らかに人外であると判断できる者など、多種多様の種族が存在しているのだが、もし魔の者であれば必ず首筋に当たる部位に点のような独特の斑紋はんもんを持つ。

 持つ者により形や大きさが異なる斑紋は、その数が多い程強大な魔力を有しているとされ、魔王にはとうの魔栓痕があると言われている。


 太い首筋を濡れた手拭いで擦るエリは、この魔族特有の斑紋が常人離れしたアレクにないだろうかと、小麦色一色の肌をもう一度だけ確認したようだった。

 そうして、ごしごしと垢を落とす手拭いが腰まで降りた時である。


「あれ? 汚れ……じゃないのかな。全然落ちてない」


「どうした手が止まっているぞ」


「あのね、腰の……刺青?」


 拳大の紫色で縁取られる紋章のような絵柄に、円形状の絵柄を取り囲む文字と思しき模様。


「刺青を彫った覚えはない。腰にあるのは、ただのアザだ。俺が傷を追うことなどそうそうないが、寝ていれば治る大抵の傷と違って、このアザだけは治る気配がなくてな。削ぎ落そうとも考えたが、後ろにあるので上手くいかんし、俺は他人が痛がるのは見ていて楽しいが、自分が痛い思いをするのは勘弁ならんしな」


「痛いのは皆嫌だよう。でも、これアザなのかなあ……この辺のとか文字に見えなくもないような……マジックスペル? のようなそうでもないような。うーん、なんだろう」


 腰にあるアザが指先でカリカリと掻かれる。

 真剣な眼差しによってアレクの肌は観察されていた。


「そんなに俺のケツが珍しいのか」


「ケツ……お尻……蒙古斑もうこはんってこと? ええ絶対違うよう……」


 ぐっと顔を寄せていたエリが、一瞬の静を経て動となり飛び退く。


「違う違う違う違う、違うよっ。絶対違うんだからっ。アザを見てたのっ。アレクのお尻なんて見てないもんっ」


「クサコがどこをどうまじまじと見ていたのかなど、大して興味はない。それより背中はもう十分だ」


 言って立ち上がったアレクが月光を背負う。

 分厚い胸板で支えられる張った肩から腕が伸びる。


「手拭いを――」


「きゃあっ、前、きゃああああああああ」


「おいこら、クサコ、どこへ行くっ。俺に手拭いをよこさんか」


 火照てる顔が明かりとなるのだろうか。

 戸惑うことなく、エリは森の暗がりへ一目散であった。




          ※




 戦士と給仕の旅が始まった日から数え三日目の『土の日』も快晴に恵まれた。

 太陽が真上近くまで昇る頃には、馬車は北街道に掛かる最後の森を抜けており、魔晶石の街クリスタまで続く並木道をカパラカパラと順調に走っていた――のであるが。


「なぜ止まる」


 後ろからの疑問に馬達の歩みを止めたエリが、並木の一角を指差すことで応える。


「あそこ、立木の奥の方。遠いからはっきりしないけれど緑色の草の中に赤っぽいものが見えるの」


「どれ、顔にあるものすべてが優れている俺が確認してやろう」


 栗色の頭がわしっと掴まれ固定されると、その横に程々に整う戦士の顔が並ぶ。


「残念だったな、あれは宝箱の類ではない、人だ。動かぬところをみるとただの行き倒れのようだな。よし、先を急ぐぞ。早く馬車を出せ」


「待ってっ。急ぐところが違うよ。人が倒れてるなら私行って来る」


 両手で頭に置かれていた手を除けエリが言う。


「ヤメておけクサコ。草の上で転がっているのはガキだ。ガキは金を持っていないと相場が決まっている。物取りに行ったところで無駄足になるぞ」


「物取りじゃないよ。まだ息があるかも。助けなきゃ」


 ふわりと丈の長いスカートが膨らむ。

 だっ、と御者台から飛び降りたエリは、着地するなり駆けた。

 踏みつけられる堅い土が、膝下までの高さで生える草の柔らかいものへ変わる。

 樹木を避けながら行き着いた場所では、彼女よりもずっと幼い子供が地に伏せていた。

 銀朱色の服を纏う銀髪の少女。

 荒らげる呼吸を抑え、エリはそっと近づく。


「……ボルザック?」


 力ない声の後、さらさらとした長い髪を流し少女が体を起こす。

 刹那、エリが滑り込むように駆け寄り両腕で少女を優しく包む。


「ああ良かったあ、生きてたっ。大丈夫? じゃあないよね、倒れてたんだもんね。どこか怪我とかしてるのかな? ああ、それとも迷子になって疲れて横になってたとかかな? クリスタの子だよね。うんきっとそう。もう大丈夫だよー」


 エリが矢継ぎ早に喋ると、虚ろな碧い瞳の少女からは空腹時に奏でられる音が鳴った。

 ぽんぽんと銀の髪が撫でられる。


「あは、お腹が空いているんだね。よーし、もうすぐお昼だし、とりあえずお姉ちゃん達と一緒にご飯食べる? 馬車に美味しいお肉が……お肉が!?」


 ぎょっとした顔で言葉を切る相手に碧眼の輝きを教える間もなく、幼い少女が再び細い腕の中でぎゅっと抱かれる。

 エリの驚きの眼差しは、遠くとはとても言えそうにない距離で並び立つ高木の一本へと向けられていた。

 樹木の影からハミ出る草木の色と近いヌメっとした肌。みきを堺にして膨らむ頬の上に目が一つずつ。手には水掻きがあり樹の実を乗せている。

 隠れているつもりなのか、生き物は大きな丸い体幹の中心を木の幹へ合わせているようであった。


「かかかカエル、大きなカエルっ。あわわわ、魔物だ、カエルのモンスターがいるよおっ。アレクっ、アレクうううう」


 人の叫びに反応を示したカエルの魔物が、巨体に似合わぬ俊敏さでエリ達の方へ飛び出す。

 木々が揺れ、葉が舞う。

 エリが歯を噛みしめ、体を強張らせた――時である。魔物との間に割って入る者がいた。

 薄く開かれた目が見るそこには、少ない布地の上着が被る筋骨隆々とした厚い背中があり、筋肉の塊たる鍛えられた肉体につく男の頭には帯状のバンダナが巻かれ、長い結びの先がはためく。


「安心しなお嬢ちゃん方。大陸一の武闘家であるこのノブナガさんが来たからには、もう大丈夫だ」


 背中で名乗りを上げる男が後ろのエリ達へ横顔を見せ、腕を上げてグっと親指を立てた直後だった。

 木漏れ日の中に赤い炎の閃光が走り、魔物が激しく燃え上がる。

 爆炎が起こす熱風が、火の粉を乗せぶわりと拡がった。


「熱っ熱っ。アチいっ。おおいっ、ロイヤードっ! 俺が魔物の近くにいるのが見えないのかよっ」


 体格に見合う威勢のいい声は、エリ達が通ってきた街道方向へ叫ばれる。

 木々の隙間を抜けた先、街道と並木の堺目付近に隣り合う人影。

 エリが座り込む場所から細かな容姿は捉え難いが、何かを放つかのように片腕を伸ばす女とつるぎを携える男のそれであった。


『しっかり見えていますわよ。ノブナガはそちらの襲われている方々の盾の役割なのですから、多少の火傷は我慢してくださいまし』


 返される女性の声を探ると、すぐ側で聞こえる。

 ノブナガと名乗る男の側頭部近くの虚空では、縦に浮かぶ大皿と似た大きさの、”円”がくるくると回り、エリから不思議そうな顔を向けられる淡く発光する輪っかは、彼女も知るマジックスペルを刻む。


「勝手に俺をっ、盾役として使うんじゃねえよっ」


『勝手に飛び出して行ったノブナガなのですから、勝手をさせて頂きましたわ』


「体が勝手に動いてたんだよっ。別にお前さんの手を借りなくともっ、俺の拳があれば」


『ノブナガ聞こえるか』


「と、アーサーか。どうしたっ」


 離れた相手と話す大声は変化せずとも、”円”からの声は男性のものへと代わっていた。


『横を見てくれ。どうやら簡単に倒せるような相手でもないらしい。並木の中ではこちらが不利だ。魔物を街道側までおびき出せるか』


 向き直るノブナガの視線を追えば、魔法の炎が燃え尽き収まる場所にてカエルの魔物が平然と佇む。

 恐らく睨み返しているのだろう目のある顔や肌に外傷らしきものは見当たらない。周囲の枝葉を焦がす熱量であったにも関わらず、無傷のようである。


「今度は囮役かよ。そんなまどろっこしいことしなくてもよー、俺の武闘拳技、インパクトショット一発でのしてやぐあがどじゃっ」


 拳を構えていた男が唐突かつ派手な呻き――だけを残し、背中が受けた左右綺麗に揃った戦士靴からの強烈な衝撃で、魔物が待つ前方へ勢い良く吹っ飛ぶ。

 とどめを刺すような飛び蹴りをお見舞いし、慌ただしい状況へ更なる一手を加えたのは、この集団の中エリが唯一面識を持つ人物であった。

 そう戦士アレクだ。

 そのアレクが間髪入れず、あんぐりと口を開けるエリを小脇に抱え、ドドドドドと草や土を巻き上げ走リ出す。


「え、え、何!? つまり、どういうことなのおお――」


 人助けに向かい可愛らしい少女と出会った矢先、大きなカエルの魔物と遭遇し、自身が危うい立場となりて屈強な男が颯爽と助けに現れ突然魔物が燃え上がれば、有無も言わさず善意ある男を蹴飛ばした旅の連れから抱えられ連れ去らわれている。

 旅先のクリスタ到着間際で起こった目まぐるしい一幕は、細い腕で抱かれたままの銀髪の少女ともども、困惑するエリが並木から離脱することによって、閉幕と相成る。





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