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極地の憂鬱3
作:鋳金ダラ



第七章 手探りを繰り返すことに意味はあるのか?




 巨大化させた褐色の十字架が床を叩き割り、粉塵が撒き散らされる。
「上手く、避けたな」
 手応えが、違う。
 人を撲殺した、肉を潰すあの独特の感触がない。
 グレイス=ヴォルバークは粉塵の中、その眉を顰めた。
「上手く、避けたな」
 ジャキッ、と。
 金属が擦れたような、音。
 黒の輝きが、舞っている粉塵の壁を突き破った。
「間合いに、踏み込み、すぎたか……」
 粉塵が、晴れる。
「黙、れ」
 片膝を着き、肩で息するリオーナ=オルフェニスタ。
 その小さな右手に握られている漆黒の輝きを映す拳銃は、絶対必中の魔弾が装填されている拳銃はクレイスのこめかみにポイントされていた。
「動く、な。……少しでも動いたら、―――撃つ」
「…………成程」
 鋭いリオーナの眼光がグレイスを穿つ。
「ふ、」
 刹那。
「はっははははははははははははははッ!!」
 完璧な嘲りの爆笑が木霊する。
「どうした? 『動いた』ぞ? 『動いて』やったぞ? 撃たないのか?」
「……」
 引き金は、引かれない。
「この、至近距離では、さすがに、この俺でも、対応できないぞ?」
「…………」
 拳銃は、火を噴かない。
「宣言通り、殺せばいい」
「………………、」
 魔弾が、射られない。
「お前は、俺を、殺せる。何故、撃たない?」
「……………………、うるさい」
 動かぬ、引き金。
「今、引き金を、引けば、殺せるぞ?」
「…………うるさい」
 震える、照準。
「お前の、敵は、俺だろう?」
「……うるさい」
 歪む、少女の顔。
「成程」
 呟いて、グレイス=ヴォルバークは、口元を引き延ばして嗤った。
 本当に愉快そうに、実に嘲笑的に。
 ただ、ただ。
 そして、引き延ばしに引き延ばした口元を更に引き延ばして、



 
「そう言えば、そうだったな。お前は、人を、殺せない、クズだったな」



 
 リオーナ=オルフェニスタが事態を把握するその直前、十字架が振り抜かれ、再びリオーナは宙に投げ出された。リオーナは体勢を立て直そうと身体をアクロバティックに捻り、照準をグレイス=ヴォルバークにポイント、銃口が火を噴く。無数の魔弾がグレイスに殺到した。
 魔弾。
 銃口、或いは照準機でポイントした箇所に間違いなく命中する悪魔の弾丸。
 伝承はドイツ。
 民話として伝承されてきた『魔弾精製』は、後世になってヴェーバーによって作曲された全三幕のオペラ『魔弾の射手』として世界中に広まった。
 リオーナが狙ったのは、グレイスの右腕。
 彼が、十字架を振り回すために必要な利き腕だ。
 だが、魔術師・リオーナ=オルフェニスタは気付かなかった。
「殺意のない攻撃など、躱すに容易い、ものはない」
 全速で疾走していく魔弾を、クレイスは己の武器たる十字架を振り抜くことで木っ端微塵に迎撃した。
「、ッ!」
 空中で何とか持ち直したリオーナは、お世辞にも綺麗とは言えない着地を決め、肩を揺らして乱暴に呼吸しながら、左に握る拳銃の照準を牽制目的でグレイス=ヴォルバークに合わせた。
 戦況は、誰にでも分かる状態だった。
 魔弾は通用せず、頼みの『隊長』も片隅で生き埋め状態だ。戦力としては到底計算できない。かといって、グレイスの十字架を止める手だてはない。
 ペッ、とリオーナは唾を吐き捨てた。
 分かっている。
(私が、……人を殺せない魔術師だってことぐらい)
 分かっていても、少女は引き金を引いた。
 発砲音は二回。
 空中を高速で駆け抜けていく魔弾を、グレイス=ヴォルバークは十字架で牙を剥く魔弾へ一振りし、魔弾は粉塵へと返る。
「元は、ただの、金属の弾だ。金属が耐えきれない圧力、合わせて、十字架を、振り抜く神速クラスの、スピード。お前の、魔弾は、弱い」
 挑発的なグレイスの声に耳を貸すことなく、リオーナは引き金を次々と引き、無意味なほどに繰り返される単調な攻撃に、グレイスは十字架で魔弾を粉砕していく。
「く」
 リオーナは無意識に呟いていた。
 だが、その無意識の呟きは右から聞こえた音に無意識に止められる。
 カスッ。
 それは、本当に微かな音。
 でも確かにそれは、弾切れを告げる音だった。
「くっ」
 リオーナは器用に左に残った拳銃を連射しながら、右の拳銃の弾倉を捨て、グリップを握ったまま器用に漆黒のロングコートの内にしまってある予備弾倉に手を伸ばす。
 銃器には、数種類のタイプがある。
 リボルバーと呼ばれる回転式連発銃。
 オートマチックと呼ばれる弾倉式連発銃。
 ショットガンと呼ばれる散弾銃。
 サブマシンガンと呼ばれる軽機関銃。
 ヘビーマシンガンと呼ばれる重機関銃。
 スナイパーライフルと呼ばれる狙撃銃。
 アサルトライフルと呼ばれる突撃銃。
 用途、装弾数、射程距離、大きさ、重さ。
 紆余曲折。様々な理由によって、今日まで銃器は実に多様化され、銃器本来の殺傷能力は非常に高く、使いようによっては一度にたくさんの生命を奪えてしまう。
 だが、そんな銃器にも弱点はある。
 それは弾切れだ。
 どんなに殺傷能力を誇ろうと、弾が無ければただの鉄屑なのだ。
 故にいかに早く次弾、または予備弾倉を装填できるか。
 それは銃器を使用する戦いで、最も重要視されている。
「足掻くな。見苦しい」
 魔弾の弾幕を十字架ので一蹴、グレイス=ヴォルバークは前に出る。
「舐めんじゃ……、な・い!」
 叫ながら右の装填を完了させ、そのまま左の拳銃で魔弾をバラ撒きつつ、鬼気迫る表情で銃身を引き千切るように噛み付いてスライドさせ、初弾を装填。そのまま右に握る拳銃をグレイスの左脚に照準し、引き金を無造作に引いた。放たれた魔弾は数十発。全てが全て流星の如く高速でグレイスの両足太股目掛け迅走していく。
「舐めては、いない」
 十字架で迎撃。魔弾をまとめて蹴散らし、
 縦横無尽に十字架を振り回しながら、グレイス=ヴォルバークは一気にリオーナとの間合いを詰めていく。対してリオーナは弾幕を張るが、グレイスの突進は止まらない。
「―――く」
 リオーナは瞬時の判断のでグレイスの肩口に向けて発砲するが、グレイスは軽く身体を捻るだけで難なく躱し、十字架を薙ぐように振った。
「そ」
 もはやどうこうできる問題ではなかった。
 防衛本能とも言えるような咄嗟の判断で、リオーナは十字架の軌道に合わせ、二丁の黒光りする拳銃を盾代わりにしようとする。が、そんなちっぽけな拳銃で十字架の進路を阻むことなんて叶うはずもない。二丁の拳銃がグレイスの十字架が接触したその瞬間、二丁の拳銃は厖大な圧力にコンマ数秒たりとも耐えられず、リオーナの手をも巻き込んでグチャグチャに引き裂き、さらに頑丈な鉄の塊である拳銃すら引き裂いた圧力がリオーナの横腹に叩き込まれた。
「ぐああアああアああアアアアアアアアアあアああああああああ―――ッ!!!!」
 裂けた拳銃の破片がリオーナの両手にめり込んだ。
 だが、それで収まらない。
 『本命』である『打撃的』なインパクトの前に、振り抜かれた十字架より発せられた衝撃波による『間接的』なインパクトによって全身が叩かれ、リオーナは重力を振り切って壁に打ち込まれた。
「ぐ、いぃがアァ……」
 瓦礫に埋もれ、朦朧とする意識。それでもリオーナは必死に傍の瓦礫に血塗れの指をかけながら予備の拳銃を震える手で引き抜いて両手で構えた。リオーナが握っているのは銀色の小型拳銃で、銃身の太さは五センチ以上もある。
「ふっ」
 グレイスはリオーナの醜態に鼻で笑う。
「無様、な」
「う、―――るさ……い」
 ガタガタ震えたまま引き金を引いた。
 コミカルな音と共に口紅ほどの弾丸が発射され、グレイス=ヴォルバークは迎撃のために十字架を振るう。
 が。
 グレイスの十字架に粉砕される前に自ら炸裂、膨大な閃光と煙幕が撒き散らされた。
 一瞬、グレイスは反射的に十字架の攻撃を中断、自らの顔を覆うと硬直するも、それは一瞬だった。グレイスは直ぐに立ち込める煙幕と眩い閃光を十字架で振り払う。生み出された烈風にて煙幕を吹き飛ばされると、一歩踏み出した。
「ふん。逃げたか」
 リオーナ=オルフェニスタが突っ込んで作られた大穴を眺めながら、グレイス=ヴォルバークは詰まらなそうに溜め息を付くと、万年筆サイズの棒きれを懐から取り出す。グレイスはそれをマイクのように口元まで持って行くと、
「俺だ。敵を、一名、確保した。回収部隊を、急行させろ」
 一方的に会話を終了させ、グレイス=ヴォルバークは手の中で十字架を回し、肩に担いだ。


     一


 戦いが始まって、どのくらい経っただろうか。
(隊長との、ティータイムに、襲わ、……れたから三時以降だっ、てことは分かって、……るんだけど……。そろそろ、二時間ぐらい、か、な……)
 今にも墜ちそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、リオーナ=オルフェニスタはフラフラと覚束ない足取りに壁伝いで逃げていた。
(状況は、最悪……)
 血が混じった唾を吐き捨てる。
(銃は、ない……。こんな事なら、予備の銃持ってくれば、……良かった)
 血に塗れ、銀色が良く映えている煙幕閃光弾専用の発射デバイスをリオーナは忌々しそうに捨てた。この体調だ。足枷は一つでも多く除去したかったのだ。
(ホント、―――このコートの、おかげ)
 このコートがなければ恐らくは歩けなかっただろう。さすがは『ジジイ』とでも言うべきなのだろう。彫り込まれている防御の術式はそんじょそこらの二級品ではないらしい。コートを支給してくれたシルクハットの老紳士を脳裏に掠めながら、リオーナは嘲笑する。
(よりに、……よって、……ジジイのおかげで―――、命を繋げるなんて……)
 状況は、最悪だった。
 拳銃は砕かれた。
 魔弾は封じられた。
 手は血塗れで役に立ちそうにない。
 身体は限界に近く、歩くたびに身体のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
 五大元素を利用した基礎的な術式なら組み立てられるが、基礎的な術式でグレイス=ヴォルバークに立ち向かえるとは思えない。
 第一、敵はグレイス=ヴォルバーク一人だけではない。
(とりあえず、……アレウスたち、と)
 フラフラな足取りの中、
(合流、しな、……きゃ)
 手から溢れ出ている鮮血が少女が辿った道を赤く染めていた。


     二


「失敗したな」
 曇ったリバー=サイバティックの声が聞こえてくる。
「はは、すげぇだろ? ってか、今閃いた方法なんだけどな」
「九死に一生を得るぅ、ってぇヤツですねぇ……」
 得意げにアレウス=カロッサスはへたり込みつつ自失気味に嗤い、アレウスの背後に立っていたオリビア=ヴィリアムスが力なく適当に言う。
 アレウスの眼前にはトンネル事故が起こった現場のような光景が広がっている。瓦礫と土砂で構築された土砂のバリケードがアレウス・オリビアとリバーの両陣営を完璧に遮断していた。
「でもぉ、人形使いのクセにぃよくまあ『人形を犠牲にする』ってぇ判断が出来たわねぇ。人形使いがぁ大切なぁ人形犠牲にするぅなんて聞いたことないしぃ」
「しゃーないだろ? そーでもしねぇと俺が御陀仏だっつーの。つーか、冷静に考えてみろ。人形はいつでも創り直せるけどな、人間の命はどうにもできねぇんだよ」
 アレウスはバリケードの一端を見た。そこには人形使い・アレウス=カロッサス自慢の『術者依存型人形セミマトン』タイプの人形・ハーパイストスの顔面の欠片と腕の破片が彼の眼前に寂しく転がっている。
「術者が瓦礫に押し潰されようとする直前で魔糸を切断」
 声は、瓦礫を挟んで聞こえてくるリバー=サイバティックの物。
「同時に人形に仕込まれた爆薬を残らず爆発させ、―――その爆風を利用して無理矢理推進力を得、土砂を回避する。無茶も良いところだけれど、なかなかの状況判断力と決断力だね」
「そりゃどーも」
 皮肉混じりの笑みを浮かべ、アレウスは立ち上がる。
「さて、どーするよ、吟遊詩人? お前の視界には俺はいねぇぞ?」
「そうだね。君の言う通り、僕の力は『見えている範囲の万物を言葉と旋律によって自由に操作できる』というモノだから『今僕の視界に入っていない』君に攻撃を加えることが出来ない。―――本当に、君を潰すために土砂崩れを引き起こしたというのに、自分の首を絞めることになるなんて」
 バリケードを挟んで、深い、霞んだように嘆息が聞こえる。
「ホント、余裕だなぁーオイ?」
 そのあまりの余裕に、無意識の内にアレウス=カロッサスは数歩下がった。
(ち、何だよ。コイツは……)
 吟遊詩人は『言葉』と『旋律』によって、術者の『見える範囲』の万物を操る能力を持つ魔術師の名称である。極東の小さな島国の宗教にある『言霊』と原理は似たものがあり、言葉自体が万物を操れる壮大な術式なのだ。
 だがその壮大な術式には、二点の弱点がある。
(奴らは『視界にある物』だけしか対象に取れない)
 アレウス=カロッサスは自らに言い聞かせるように思いを致しながら。
(奴らは『生命を直接殺すこと』が出来ない)
 頭の中にインプットされている情報を引き出し、整理する。
 吟遊詩人の能力は万能ではない。
 弱点があるのだ。
 一つは、吟遊詩人は『視界にある物』だけしか対象に取れないこと。
 一つは、吟遊詩人は『生命を直接殺すこと』が出来ないこと。
(だから、リバー=サイバティックは直接俺を殺すことはしない)
 一歩、後退する。
(だから、リバー=サイバティックは直接俺に『死ね』と発しない……)
 吟遊詩人は、元々神々の神話を言い伝え、彼らの法律を守るために存在する神官だ。
 神に仕える神官が、民衆の法を司る神官が、人殺しという罪を犯してしまえば本末転倒だ。
 故に、神は彼ら神官・吟遊詩人に人を殺す力を与えなかった。
 真相は定かではないが、アレウス=カロッサスはそう記憶していた。
(リバー=サイバティックから俺は見えない)
 リバーとアレウスの間には土砂と瓦礫の城壁が二人を、空間を遮っている。
(だから、俺には危害を加えられない)
 吟遊詩人・リバー=サイバティックは『視界にある物』だけしか対象に取れない。
(それに、直接俺を殺すことはできない)
 吟遊詩人・リバー=サイバティックは『生命を直接殺すこと』が出来ない。
 状況は、こちらが有利だ。
 それは『絶対的』とは言えない、危ういものだが、それでも事実『有利』なのだ。
「オリビア」
 ―――なのに。
 ふぁ? と。
 後ろから飛んできた間抜けを極めたようなオリビア=ヴィリアムスの惚け声を聞く。
「下がれ。そんでもって隠れろ」
 ―――なのに、何故こんなに不安で堪らないのだろうか。
 ギリッと、アレウスは唇を噛む。
「うん。賢明な判断だね」
「……そりゃーどーも」
 クスッと、実に感に障るその声にアレウスは苛立ちながら、
「殺しは、しないさ。君は仮にも重要参考人の一人。丁重に、人道に乗っ取ってこの案件を処理するつもりだから安心すると良い」
「古典的な台詞なんかに安心できやしねぇよ。殺さないってことはあくまで『殺さない』んだ。殺さない程度なら何でもやるって意思表示してるのと一緒なんだよ。―――腹立つんだよ、優等生気取った野郎は」
 そうか。
 そう、土砂と瓦礫の城壁の向こうから、冷めた声が聞こえる。
「詩人は詠う―――」
 ハッとした。
 それと同時、アレウス=カロッサスはただ漠然と本能的に『助からない』と感じた。
「―――我が前方に立ちはだかる土砂よ―――」
 一斉掃射が来る。
 砂、小石、コンクリート、岩。
 全てを弾丸とした一斉掃射が。
「―――我が前方へと―――」
 マズイ。
 この場でオリビアを庇うことなんて出来ない。
 自分の命を守ることだけで、精一杯だ。
 一瞬だった。
 電光石火の閃き。
 電撃的にアレウスの脳裏に駆け巡った最悪最低のシナリオが今現実になろうとしている。
 呼吸音が、聞こえた。
 それは土砂と瓦礫の城壁に遮られている空間の向こう側にいる人間が発している小さな小さな、普段なら特段意識などせず、聞こうともせず、時たま自分もその呼吸音を発しているという絶対的な事実を忘れてしまいそうなくらいな、小さな音。なのにどういうことか、それははっきりと確実にアレウス=カロッサスの脳髄に刷り込まれていき、
「―――飛
 


  
「こりゃあのジジイに怒られるな」
 


 
 リバーの、呪が、旋律が、ピタリと止まった。
「始末書書くの手伝えよ? 銀髪!」
 場違いな声。
 場違いな、陽気な、雰囲気。
 その声の主は、笑って言った。

 
     三


 グレイス=ヴォルバークの指示により、指定された地点へと派遣された警察部隊【機械仕掛けのデウス・エクス・マギーナ】のF小隊五名は音もなく目標地点へと到達する。
 一四六課に設置された即席司令部より指示されたその地点は想像以上に荒廃していた。壁のあちこちに大穴が空いており、連絡を絶った同僚たちが倒れ伏し、床には人間を解体したかのような血溜まりがそこら中、水溜まりのように点在している。
(……酷いな)
 F小隊のジェフは素直にそう思う。一瞬、倒れている同僚たちの手当をしようと考えたが、自分に与えられている任務は同僚の手当ではない。後ろめたいが、任務は任務だ。
(悪いな。後で救護班が来る。それまで頑張ってくれよ)
 一言詫び、すぐ近くにいるF小隊の同僚に目と指でコンタクトを取った。
「(……ターゲットは?)」
「(ヴォルバークさんの報告によるとこの地点だ)」
 ジェフは数秒思考を巡らせ、すぐに小隊の同僚に散開を命じた。
 同僚たちは一斉に周囲の捜索を開始する。任務達成は早い方が良いというジェフの判断による命令だ。
(さっさと任務を果たさないと何が起こるか読めないからな……)
 ジェフは腰元に下げてある特殊警棒を引き抜く。もしかしたら息を吹き返したターゲットが攻撃してくるかも知れない、というこれは万が一を危惧しての行動だった。
(……ん?)
 捜索に移ろうとした直後、前方に倒したジェフの視界に黒い布のような何かが映った。それは明らかに瓦礫の色ではない。
(黒? ―――ターゲットは確か黒のコートを着用していたな……)
 黒い布は瓦礫の山から覗いていた。
(もしかしたら……)
 瓦礫の一部を蹴り飛ばす。どうやら黒の布はこの瓦礫の下敷きになっているらしい。ジェフは特殊警棒を片手に警戒を崩さず、足を使って瓦礫を蹴って除去していく。
(……?)
 警戒の中瓦礫を撤去し、現れた『者』の一部に対してジェフは思った。
(何だこれは……? これじゃあ人間じゃなくてまるで人形じゃあ―――)

 
     四
 

 黒が、はためく。
 漆黒のロングコートに身を包んだ少年は、一気に紅髪の青年の懐深くへと突っ込み、微笑を浮かべながら重心を低く、左の拳を振り抜いた。
「な、」
「その反応ってことは『俺』はテメェの部下にでもやられたのか?」
 微笑。
 漆黒の少年が繰り出した左の一撃を赤髪の青年はギリギリ何とか躱し、黒い少年と距離を取った。リバー=サイバティックは敢えて事情を飲み込もうとはせずに『こういうことだ』という前提を脳内に構築、平常心を出来るだけ保って呪を紡ぐ。
「詩人は詠う。大地よ、ケープ=ヴィステリアを飲み込め」
 四方から腕が伸びた。それは巨木の幹ほどある巨大な腕。雄々しき下膊、指はゴツゴツとしていて捕まれたが最後、人間の薄く繊細な皮膚なら簡単に引き裂いてしまうだろう。
 そんな、大地の腕を目の辺りにしてもなお、黒の少年は笑っていた。
 赤毛の青年は、腕を振るった。
 四本の雄大な腕は一斉に動き出し、
 


 
 ―――やがて止まった。
 


 
「な、ばか」
「四つの球体、其れは四つの腕の回りにて炸裂する」
 瞬間、まるで空間を引き裂いてやってきたかと錯覚させるように、四方から伸びる大地の腕と大地本体を結んでいる根元付近にソフトボールサイズの球体が出現、一瞬にて膨張し、一斉に炸裂した。相変わらず黒のコートに身を包んだ少年は笑っている。
「びっくりだよな〜」
 四つの腕が、クシャッと何も出来ないまま無様に、腕を構成していた砂や石がガラガラと音を立てて崩れていく。
「吟遊詩人が詠う歌は絶対。どーして『俺』を狙ったのに『俺』に当たらないなんておかしいもんな〜」
 他人事のように笑いながら宣言、一気に間合いを詰めて懐に侵入、ダンッと、軸足を力一杯踏み込み、右の拳を強く握り締めた。
「―――てか、そもそも『ケープ=ヴィステリア』って誰なんだろうな」
 慌てて呪と旋律と紡ごうとしていたが、その前に黒き少年の右拳が見事リバーの下顎を撃ち抜いた。


     五


 グッと、嘔吐感を堪える。
「ゲッ……」
 身体を引き摺るようにして逃走を続けていたリオーナ=オルフェニスタは口元に手を押し当て、同時に必死で込み上げてきた苦く強烈な酸味を伴った『ソレ』を強引に胃へと送り返し、壁にしがみつくように蹲った。表情に余裕は一切無く、顔中嫌な汗が拭っても拭っても吹き出てきて、熱い吐息を絶え間なく吐き続けている。
(ぎぎぎぎぎ、……、これじゃ、ぁ―――ダメ、もう、思い、帰ってこな、いで……)
 少女の脳裏に、あの記憶が甦ってくる。
 ―――ゴツゴツした拳。
 ―――その岩のような拳が身体に突き刺さる激痛。
 ―――血塗れで転がる自分を嘲笑う、あの男。
 これ以上、負傷すれば終わりだ。
 リオーナは、混濁する視界と思考の中、そう判断し、懸命に一歩踏み出す。
 しかし、一歩踏み出しただけなのに再び苦く強烈な酸味を伴った『ソレ』がせり上がってきた。
 彼女が抱えるのは、幼き日々の忌まわしき『アノ』出来事。
 ゴミみたいに転がっていた、転がされていた、忌まわしき記憶―――。
(ぃぎぎぃいぃぃい……ッ!)
 リオーナは身体をくの字に折った。襲いかかってくる吐き気を辛うじて体内に止め、再び『歩き出せる程度』に回復するまでそのままの体勢で耐える。ただひたすらに耐えた。ビクビク身体全体が痙攣しているのがよく分かる。
(だめ、だから……)
 フラッシュバックを振り払って、再び少女は歩を進める。
(とりあえず、)
 味方と合流しなければならない。
 自室に一度戻り、拳銃を持ち出すという選択肢もあった。リオーナに割り当てられた部屋には、魔弾を使用する彼女の魔術的特徴上、何処かのマフィアの武器庫に匹敵するくらいの大量の重火器が保管されているのだ。そこになんとか辿り着き、再び魔弾でグレイス=ヴォルバークに対抗しようかと数瞬思うが、その考えは即座に打ち消された。
 今の体力に精神状態から考えて、それは無理なのだ。
 第一に手の負傷状態を考えれば、まともに物も握れないような状況だし、リオーナたちを拘束しようと動いている警察部隊【機械仕掛けのデウス・エクス・マギーナ】の包囲網で各通路が封鎖されているはずだ。万全の状態であれば、実戦経験豊富なリオーナの敵ではない。何せ彼女は東洋の魔術師たちに恐れられた、第七課所属の特別強襲部隊【我が主よ、何故私をお見捨てになったのですか(エリ・エリ・レマ・サバタクニ)】のメンバーだったのだ。いくら対魔術師戦のエキスパートである【機械仕掛けのデウス・エクス・マギーナ】の隊員だと言っても、二四時間三六五日最前線に投入され続けている部隊の人間に敵うはずがないだろう。
 が、残念ながら少女の状態は『平常』とは程遠い。
 今の彼女だったら戦う前にして、簡単に拘束されてしまうだろう。
 足下もおぼつかず、身体を揺さ振り続ける激痛と疲労感、そして突き刺すようなトラウマから来る吐き気へと繋がる不快感。手がやられているために拳一つ作りだせないような状況で戦闘など無理だ。
(く、アレウスも、オリビア、……も肝心な時に……)
 再び、リオーナは顔を上げ、壁伝いに歩き出す。
(―――……合流しなきゃ)
 追いつめられ、疲弊した限界寸前の脳をフル稼働させて、リオーナは今後の方針を導き出していく。
 だが、少女は気付いていなかった。
 少女が周囲に気を配らず、無防備に『疲弊した限界寸前の脳をフル稼働させて』今後の方針を練っていたことが、仇となったのだ。
 


 
「産業廃棄物、が」
 


 
 少女の背後で、巨大な十字のシルエットが不気味に揺れた。













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