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極地の憂鬱3
作:鋳金ダラ



第十一章 汚れた正義を疎む者


 
 
 グレイス=ヴォルバークは、異変に気付く。
(おかしい)
 どこか、おかしい。
(課長が、戦闘に、立っている。まさか、あの『罪人』に、やられたか?)
 巨大な褐色の十字架を担ぎ、歩き出す。
 足下に無様に転がっているリオーナ=オルフェニスタや、血塗れのアレウス=カロッサスに目を向けることも気遣うこともなく、淡々と。
 どうせ、後続の部隊が何とかしてくれるだろう。
 グレイスはそう思った。
 ここに転がっているのは、警察部隊【機械仕掛けのデウス・エクス・マギーナ】にマークされた特務部隊【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の構成員だ。【機械仕掛けのデウス・エクス・マギーナ】は本部全域に展開しているのだから、誰か気付いて拘束するなり、治療を施すなりするだろう。連絡するまでもない。それにこの二人を助けることは自分の役割ではないから余計な世話はいらないはず。アレウス=カロッサスはそう考えていたからこそ、感じた異変の調査を最優先事項に設定した。
 これこそ自分の役割だとグレイスは思いながら、歩を進める。
 と。
 ふと、遙か前方に『気配』がある。
 距離にして五〇メートルほどか、こちらに向かってくるわけでもなく、身を潜めているわけでもなく、ただグレイスを待ち構えるようにその『気配』は動かない。また、その『気配』に殺気は感じられないし、殺気を押さえている感じでもない。
(味方、か?)
 その『気配』は若干ずれているものの、合流地点付近だ。
(誰だって、関係ない)
 敵だろうと味方だろうと関係ない。
 敵ならば倒す。
 味方なら次の指示を飛ばす。
 堂々と、ひたすら前へと歩廊を歩き続ける。
(……)
 突然ポッカリと大きな薄暗い空間に出た。
 その空間は、長年西洋陣営に籍を置いているグレイス=ヴォルバークの記憶にはない巨大な空間だった。
(暗い、な……)
 若干視界は利いた。
 一帯瓦礫だらけの荒廃しきった空間だということは分かるが、荒廃する前、ここが何の施設だったのかなど、それ以上の全体像は掴めない。
 周囲を警戒しつつグレイスは一歩踏み出すが、鼻に嫌な匂いが付いた。
(―――血?)
 空間全体の空気が生臭い。
 地下独特の籠もった空気とその生臭さが合い重なって、酷く不快なこの異臭は経験から『死臭』だと判別できた。しかし本部は地下空間だから換気設備が無いわけがない。第一、魔術照明完備のこの本部に暗闇があるということ自体が不自然なのだ。この騒乱で換気設備や照明機器に不具合が生じてしま
 


 
「遅かったですねぇ」
 


 
 空気が、動いた。
 その声は何処か聞いたことある声だったが、生憎記憶が確かではないために判別できない。
「他のエリアは制圧完了しましたよぉ。これでぇ一安心ですかぁ?」
 カラッと。
 それは小さな小石が斜面から転がり落ちるような音だった。
 グレイスの前方でただそこに留まっていた『気配』の静かな跫音がする。やがて近付く『気配』は『影』となり、終いに『影』は『姿』へと、変わる。
「お疲れ様でしたぁ。どうですぅ? 反逆の気分はぁ?」
 バランスの取れた体躯、赤のニット帽。漆黒のロングコートをその身にダラしなく纏い、レザーブーツが地を鳴らす。
「オリビア=ヴィリアムス……」
「その様子じゃぁ、リオーナもアレウスも……」
 薄い銀眼は、鈍く光を放っている。
「死んでは、いない。まあ、処置が、遅れれば、死ぬがな」
「そうですかぁ。―――でぇ、反逆の理由はなんですかぁ?」
 ケラケラと、オリビアは感興に笑う。
「強いて、言うならば、世界を、救う、ためだ」
「あら、教えてくれるんですねぇ〜。一応、敵なのにぃ……」
「お前など、瞬殺、できるからな。冥土の、土産だ」
「そう、ですぅか……」
 フラフラとオリビア=ヴィリアムスはグレイスとの間合いを詰めていく。
「残念ながらぁ、世界はぁ救えない。貴方はぁここでお終いですよぉ?」
「上の、命令か……」
 皮肉気にグレイス=ヴォルバークは呟く。
「組織人としてぇ、上からの命令は絶対ぃ。それはあなたもよく分かってるでしょうぅ?」
「まあ、な」
 グレイスは静かに、肩に担いでいた十字架の先端をオリビア=ヴィリアムスへと向ける。
「けれど、お前は、俺に、勝てるのか?」
 グレイスは口元を引き延ばして、
「この騒動の中、リオーナ=オルフェニスタや、アレウス=カロッサスのように、最前線で、戦っていないのは、お前だけだ。確か、お前は、『昼行灯』と、揶揄されて、いたな?」
「確かに【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の中でぇ私が一番役立たずですねぇ」
 十字架を構えるグレイス=ヴォルバークに対し、オリビアは警戒態勢を取るわけでもなく、自嘲気味に語る。
「なら、抵抗するな。抵抗すれば、苦痛を、伴う」
「それはぁ出来ない相談なんだよねぇ」
 瞬間、グレイスの表情が強張り、視線はオリビア=ヴィリアムスの右手に集中する。
「……お前、何を、持っている?」
「あぁ、これぇ? これはねぇ〜」
 オリビアが右手に握っていたのは金属製の小さな瓶。
 オリビアはその小瓶をおもむろに小瓶の蓋を開け、その蓋をまるでちり紙を投げ捨てるように何処かへ放り投げた。静かな空間に小瓶の蓋が幾度も甲高い余韻が跳ね回わる。オリビアは警戒を崩さないグレイス=ヴォルバークを無視して、小瓶を口元まで持って行くと、一気に煽り、
 


 
 ―――そのまま『金属製の小瓶』を握り潰した。
 


 
「な、」
 なんだ。
 そうグレイス=ヴォルバークが疑問を口にする前に、オリビア=ヴィリアムスは笑った。蓋同様に、グチャグチャに握り潰された小瓶を投げ捨てて、
「ふう。やっぱり私は『昼行灯』だわ。夜にこれを飲まないと頭がすっきりしない体質ってどうかと思うけどね」
 顔にかかる前髪を鬱陶しそうに首を振って払った刹那。
 口調も、足取りも、纏う雰囲気も、この場を支配している空気も。
 全てが、一瞬にして禍々しいモノへと変わる。
「お前……、」
 全てが逆転する。
 それは良い意味でも、悪い意味でも。
 コインの面を返したように、そこにいる者が『オリビア=ヴィリアムス』だと当たり前のことすら疑ってしまうほどまでに。
 銀眼が、かつて無いほど明確に輝く。
「どう? 御伽噺の世界へようこそ、とでも言っておきましょうか?」
 妖艶に微笑み、この荒廃しきった空間にオリビアの言葉が反響する。
「旧約聖書、創世記。神によって創造された第一人類、アダムとイヴの次男・アベルを殺した長男・カイン。その末裔は闇の一族とされ、教会世界では敵視されてきた」
「ま……さ、か、―――吸血鬼ヴァンパイア?」
「その呼び方は好きじゃないけど、まあこの際どうでもいいわ」
 クスリと笑って、
「まぁ、驚くのも無理ない、か。私の一族は長きに渡って異端審問を名乗る組織に追われてきた。一応、人間と一線を画した能力を持ってるわけだけど、絶対的に人間の数が多い。追ってくるヤツらを殺しても殺しても異端審問は人員を補充する。結局、絶対数の少ない私の一族は数を磨り減らされ、絶滅―――ってのが公式な記録だろうし」
 ケラケラ笑うが、その表情の奧では一切笑っていない。表情の深淵では憎悪に満ち溢れている、そんな笑い方。
「滅びた? ―――なら、貴様は、始祖の、生き残りか」
「今更アンタに私の生い立ち教えてあげる義理なんてない」
 両者の間合いは一メートル強。
 グレイス=ヴォルバークの身体が警鐘を鳴らす。
「そうか」
「そうよ」
 瞬間、グレイス=ヴォルバークは警鐘に従い躊躇することも手を抜くことも無く持てる力、最大限まで解放させた十字架の力を全て注ぎ、十字架をオリビア=ヴィリアムス目掛けて振り下ろした。それは生物なら受け止められないほどの重量、グレイス=ヴォルバークが『殺す』ためだけに振り下ろした全力の一撃で、かつて『メシア』が背負った全人類の原罪の重みをオリビア=ヴィリアムスに向かって振り下ろしたようなもの。『メシア』でも悲鳴を上げたその重量は断末魔を上げる余裕など与えずにオリビア=ヴィリアムスを潰す。
「……、」
 ―――のだが
「『始祖』を甘く見すぎじゃないの?」
 平然と、グレイスが十字架を片腕一本で受け止めていた。
「―――確か、その十字架には『メシア』が背負った人類全ての原罪が宿っているのよね。十字架を使いこなしているアンタがその十字架を人間では解放すれば人間なんてペチャンコって感じで。だけどさ〜、その十字架には弱点があるのよね〜」
 つまらなそうに、特に問題なんてありませんよと言わんばかり、オリビア=ヴィリアムスは人類の原罪全てが宿っている十字架を軽々と片腕で受け止めたまま、真っ直ぐグレイス=ヴォルバークを見据え、
 


 
「十字架の弱点、それは『人間にしか原罪の重量』は適応されないってこと」
 


 
 刹那。
「人間じゃない我が始祖の一族に人間の原罪が適応されるとでも思った?」
 十字架を苦とすることなく払い除け、一瞬にしてグレイス=ヴォルバークの眼前、唇が触れ合う寸前までオリビアは踏み込み、婀娜めく笑みを余すことなくその表情に描き出す。
「時間がない。本気で行かせて貰うけど、怨まないでね」
「……、ぅ」
 プレッシャーに飲み込まれそうになりながら、グレイス=ヴォルバークは自らを奮い立たせるように十字架を振り翳し、
 オリビア=ヴィリアムスはやんわりと右手を握り締め、
万鈞直列サードクライム―――ッ!」
「―――火力昇華リザルトフォーム
 両者の魔法名の解放、二倍にも三倍にも膨れ上がった魔力が鬩ぎ合い、
「御免ね」
 鬩ぎ合いは一瞬にして崩壊、万鈞直列サードクライム火力昇華リザルトフォームの魔力に喰われた。火力昇華リザルトフォーム万鈞直列サードクライムに戦慄する時間すら与えず、
「時間がないのよ」
 最大限まで高まった火力昇華リザルトフォームの拳が十字架を振り上げた万鈞直列サードクライムの腹をただ単純に穿った。ズガンッと銃声に似た爆音が虚空一杯に轟き、拳の命中箇所から衝撃波が波状に身体中を余すことなく駆け巡り、同時に全てを砕き、貫き、滅し、吹き飛ばし、破壊の限りを尽し、重力の縛りから否応なしに解放させられた万鈞直列サードクライムは激甚に叫喚することも叶わず、その身を守る最後の砦・十字架を手放したことすら念頭になく、ただブラックアウトしながら空中を舞い続ける。
「げ、は―――」
 混濁する意識の彼方、パキンと何かが木っ端微塵に砕けた音が聞こえたが、今の万鈞直列サードクライムにとってそれが十字架を踏み割られた音だということを理解する手立てなど無く、やがて重力に導かれるまま地面へと落下した。
「上がいろいろアンタに聞きたいことあるからって中途半端に苦痛な一撃だったよね?」
 地面に転がる万鈞直列サードクライムに、火力昇華リザルトフォームは一瞬で距離を詰める。万鈞直列サードクライムは朦朧とする中、火力昇華リザルトフォームの声を聞く。それは本当に申し訳なさそうな声色だったが、逆に万鈞直列サードクライムにとって恐怖を誇張する要因にしかなりえなかった。
「そろそろ時間切れ。最後に教えてあげる」
 地面に崩れ落ちながら見上げた先には、拳を振り上げる火力昇華リザルトフォーム
「隊長は、私たちと同じ闇を抱えてる大切な仲間。私たちってね、仲間意識は強いのよ?」
 異常な威圧感を秘めた拳は、こうして振り下ろされた―――。


     ◇◆


 ふう、と。
 オリビア=ヴィリアムスは静かに息を付き、踵を返す。
 と、
「―――お疲れさん」
「ふぁ、隊長! こんなぁ所にいて大丈夫ぅなんですかぁ?」
「……、」
「どーしましたぁ?」
「―――時間切れねぇ」
「へぇ?」
「いやな。一番良いところ見させてもらったから、……うん。何かいろいろ納得がいかねぇし、何か『俺らの世界』でもついに『能力発動するとキャラ変わっちゃうよ症候群』の方が出てくるとはな〜って……」
「……よく分からないんですけどぉ?」
「良い。分からなくても良い。てか寧ろ理解するな。理解するとアレだぞ、呪われるからな。最悪出番減るぞ〜」
 よっこらしょっと言った感じで世界崩壊ラストオーダーはゆっくりと時間をかけるように立ち上がり、パンパンと衣服に付いた埃を払う。
「お節介かもぉ知れませんがぁ、ボロボロの服ぅ叩いたらもっとボロボロにぃなりますよ?」
「行・く・ぞ」
「了解ぃ〜」
「……、」
「―――隊長ぅ?」
「悪い……。手ェ貸してくれ…………」
「素直にぃここで救護班は待った方がぁ……」
「いい。頑張る」
 いまいちカッコつきませんねぇと愛想笑いを浮かべるオリビアに対し、世界崩壊ラストオーダーは子供っぽく拗ねたようにそっぽを向いた。












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