第十章 孤独な月輪を抱く堕ちた聖女
純白と厖大な衝撃波、迸る力の乱流、濛々と立ち込める粉塵、跡形もなく壮大な崩落音を立てて崩壊し、その床にクレーター状の大穴が彫り込まれた処刑の場。
「―――ッ! あ〜クソ……」
大穴の片隅、通常の壁面より大幅に強度を増して作られていたはずなのに木っ端微塵に砕け散っている壁の破片を傍にして、少年は顔を顰める。
《石頭》
「粘り強いと言ってくれ」
再び仰向けで転がる少年・世界崩壊は消耗激しく呟いた。彼が纏う【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の証したる漆黒のロングコート、黒のスーツも襤褸布同然、左肩が大きく裂けて、鮮血が幾つも筋を作り出していた。とてもじゃないが、この消耗状態は『根性出せば戦える』と言えるほど安易なものではない。
《詭弁。虚勢》
「……仰る通りで」
起き上がろうと力を込めるが、身体は言うことを聞かない。それどころか身体全体に電流を流したような激痛が駆け巡り、思わず顔を顰めた。
(限界だ、な)
無論、『天帝』の力はこんな程度では尽きない。だが、その膨大な力に世界崩壊の体力が付いてこない。
(やっぱ、……キツ、かったな)
自分自身をイメージして創り出した世界崩壊の影分身。
あの切羽詰まった戦況で咄嗟に思い付いたアイディアにしては良かったなと、世界崩壊は激痛に苛まれながら、思考の片隅で思う。
(ここ、まで……消耗するなんて想定外だったけど)
当たり前と言えば、当たり前だ。完璧な自分の分身を六つ出現させたのだ。ピンポン球程度の爆発物や、鉄パイプ一本とは訳が違う。世界崩壊が創造した分身たちは、結局自らに宿る『天帝』の力を原料にして作られている。さらに分身たちが動くには絶えず彼らに力を供給し続けなければならない。力の源である『天帝』の力はほぼ無限大に等しいだが、常に『天帝』の力を解放し続けなくならず、未だ人間の部分を多く持ち合わせている世界崩壊にとって身体への負担は馬鹿にならなかった。
(今度から、六つ同時出現は……封じ手にしよう)
《未熟者》
(だ、まれよ……)
と。悪態も早々する。今は仲間内で揉めている場合ではない。
「―――おい、……生きてるか?」
「幸い、ね」
瓦礫に遮られて声の主・リバー=サイバティックの姿は見えないが、声から疲労感が伺えた。
「引き分けか……」
「……そのようだ、ね。―――だがそれはあくまで『僕と君との戦闘の結果』だ」
その瞬間、消耗しきった声がこの一瞬だけ勢いを取り戻す。
それは、間違っても虚勢ではない。
世界崩壊はその『根拠』に小さく舌打ちした。
「……君も、聞こえるだろう? この―――、足音が」
「……、」
「君の、負けだ。君は、僕との一騎打ちは勝負が、……付かなかったけれど、もうすぐ僕の部下が、爆音を聞いてここに、駆け付けるだろう……」
迂闊だった。
敵は人海戦術がある。リバー=サイバティックに応援部隊が来る可能性を考慮しておかなければならなかった。世界崩壊は安易な自身の行動を怨む。
「この、僕を、ここまで追いつめた君は、素晴らしい才能の持ち主だ」
足音が近付く。その数、一〇や二〇ではない。
「―――だが、君たちは、罪を犯した」
足音が近付く。その数、一〇や二〇ではない。
「罪は、罪」
足音が近付く。その数、一〇や二〇ではない。
「家族が、恋人が、友人が。金銭が、権力が、欲望が。―――どんな要因が君たちを狂気に走らせたかしれないが……」
足音が近付く。その数、一〇や二〇ではない。
「法に、背いた―――なら、……ば」
足音が近付く。その数、一〇や二〇ではない。
「我らが、裁く」
突如として、無数の白銀が眼前に煌めいた。
剣先が仰向けに転がる世界崩壊の上半身に集中して向けられ、無情で冷徹な蔑視した目線が世界崩壊を射抜くように向けられる。
《未熟故之終末》
ギリッと歯を食いしばる。
「残念、だったね」
いつの間にか世界崩壊を取り囲む男たちの中に、一人の男に支えながら立つ、ボロボロの赤毛の青年がいる。
―――リバー=サイバティック。
数人の部下と思われる男に支えられてやっと立っている、そんな状態に見える。
「……課長。お怪我は?」
支える男が、心配そうにボソボソと呟く。
支えられているリバーは顔面に付着している血潮を指先で払いながら、
「見ての通り。満身創痍さ」
「医療班は既に手配してあります」
「……すまないね」
ふう、とリバーは安堵したように息を付く。
「罪人の処遇は如何しますか?」
「……とりあえず、本部を、滅茶苦茶に、してくれたんだ。『現段階なら』その手の、……罪状で拘束は可能、だろう」
「了解」
リバーを支えている男は目やちょっとした指の合図で、世界崩壊を取り囲んでいる男たちが一斉に次の行動を取った。無駄のない動作で二人の男が剣を腰元の鞘へ戻し、世界崩壊の二の腕を掴み、強引に立たせた。残りの男たちは世界崩壊に突き付けている剣先を動かさず、急所を中心に牽制するように突き付けている。
「連れていけ」
一巻の終わりだった。
(ち、)
状況は間違いなく最悪だ。
されるがまま。
リバー=サイバティック配下の男たちに今まさに連行されようとしていた世界崩壊は、ギリッと歯を食いしばり、力が入らないのにも拘わらず、それでも無理矢理拳を強く握り締めた。
(どうする。このままじゃ、コイツらの思う―――壺だ)
必死に、崩れかけている思考を回す。
(アレウスと、オリビアは……。リオーナの、救援に回したんだった。ちっ。俺も通信術式を覚えておけば連絡を取れたモノを……。式は、いや。影分身の後遺症で身体が言うこと聞かねぇから無理、か。―――クソジジイの手は借りたくねぇが……、この際仕方ない、か……?)
リバーとの戦闘で、世界崩壊は『天帝』の力を解放しすぎて、疲労からか身体は動かない。懐にさっき使用した『燕たち』の予備があるが、身体が動かず、腕を拘束されている状態では取り出すことも叶わない。
(……仕様が、ねぇ)
こうなったら原始的且つ単純に、一瞬の隙をつくしかない。
世界崩壊を拘束している彼らは間違いなく罪人確保のプロ・警察部隊【機械仕掛けの神】の構成員だ。しくじることは恐らくないだろう。あったとしてもあまりに些細なミスで、世界崩壊が見落としてしまう可能性だって否めないし、その『ミスが起こったタイミング』に世界崩壊が戦える状態まで、最低でも歩けるまでに回復しているかどうかすら分からない。もし、この男たちに一瞬の隙が生まれたとして、その時点、瞬間、刹那に世界崩壊が歩けるまで回復していなかったらただ黙ってその隙を眺めているだけしか出来ないだろう。
だが、やるしかない。
世界崩壊が思い描く『理想的な展開』になる可能性は限りなく低い。
それでも、やるしかない。
―――やるしか……な、い、の、だ、が…………。
(―――ん?)
世界崩壊はここに来て想った。
(どうして、拘束されてるに拘わらず、俺は『ここまで考えられる時間』があるんだ?)
さっさと鳩尾にでも拳を打ち、気を失わせて運ぶか、魔術で眠らせて牢獄にでも運んでしまえばいいのに。世界崩壊はそう思った。
(―――おかしい)
状況を改めて再確認。
(変、だ。何か、引っ掛か
そこで、世界崩壊の思考は途切れた。
理由は単純。
ズシャッ、と。肉を引き裂くような、何とも言えないグロテスクな濁りきった音が彼の耳を打ったからである。
「あ?」
思わず、声が出た。
時間が止まったような、錯覚を覚える。
「課長。お疲れ様でした」
リバー=サイバティックを支えている男は冷徹に、ジャケットの中にいつの間にか握っていた短刀で、リバーの腹部に突き立ていた。
「……ぐぁ、」
小さな呻吟、リバーに短刀を彼に突き立てたその男は瞬時に刃を引き抜き、彼を支える力を抜いた。途端に支えを失い、なおかつ腹部に大きな痛手を負ったリバー=サイバティックは重力に忠実に崩れ、瓦礫だらけの床に大量の血潮が撒き散らされる。
「さて。次はお前だ」
刃を朱く染めるリバー=サイバティックの血を払うこともせず、淡々と男は二の腕を掴まれ、拘束されている世界崩壊に歩み寄り、同時に人差し指でこめかみを数回叩く。と、彼の背後で待機していた男たちは無言で何処かに走り去っていく。
それはまるで、
「予め、……この騒動全て計画されてたのか?」
「流石に、西洋最大組織の長が見込むだけはあるな。やはり、栄光八手様の邪魔だてするのは貴様か」
「ほど、えろひむ……?」
「貴様風情が知るべき存在ではない」
男はゆっくりと血塗れのその手で世界崩壊の手を掴み、持っていた短刀の柄を握らせた。
「さて。シナリオはこうだ。第七課課長・リバー=サイバティックは戦闘で『罪人』と戦闘、その結果『罪人』の凶刃に倒れ、死に際に傍らに落ちていた剣で最後の力を振り絞り『罪人』を貫き、相打ちした。残った【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の三名は激しく抵抗し、自軍の損害が甚大になり、やむなく警察部隊【機械仕掛けの神】は三名を殺害。どうだ? 素晴らしいシナリオだろう? これで件の情報漏洩事件は決着する」
朗々と男は語り、合図。部下は自らの抜き身の剣を差し出し、男はそれを受け取り、そのまま男は世界崩壊の胸元、丁度心臓の辺りに切っ先を向けた。
そして。
男は剣を改めて握り締め、タメを作り―――
「お前ら、」
が、その動きは不用意に投げ掛けた世界崩壊の呟きによって、剣の動きがピタッと停止する。
「組織の人間か……?」
「―――なぜ?」
「計画が、緻密すぎる。それに、お前の口ぶりじゃ上司がいるらしいし、な」
「想像は勝手だ」
ちっ、世界崩壊は小さく舌打ちする。
状況は果てしなく不利、まさに死の瞬間だ。
世界崩壊の身体に宿る『天帝』が助け船を出してくれるわけでも、あのしつこく【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の隊長になれと迫ってきた老紳士が通りかかるわけでもなく、ましてや深手を負ったリバー=サイバティックが不死鳥の如く復活し、この男たちを一掃してくれるわけでもない。
世界崩壊は絶対的に弱い。
弱者だ。
その身に『天帝』を宿しているにも拘わらず、あろう事かただの人間たちに命を脅かされている。
この『非日常の世界』では神は絶対だ。
人間が扱う魔術は皆揃って神様の真似事。
そんな真似事しかできないちっぽけな人間に、絶対的な神様の力を持つ世界崩壊は殺されかけているのだ。
(とんでもねぇ、お笑い種―――
「隊長ぅ?」
思考は、再び中断される。
そればかりか。
バカみたいなマヌケ声に、男の剣が止まり、世界崩壊を拘束、牽制していた男の部下たちが一斉に声の方向へと振り返る。
赤のニット帽に、ブラウンの腰まで届く見事なウェーブなロング。バランスの取れた細身の体躯に、特務部隊【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】の証したる漆黒のロングコート、その下にはチューブトップにタイトのミニスカートに膝まであるレザーブーツ。
オリビア=ヴィリアムス。
薄い銀眼は、珍しく驚愕という感情に揺らいでいた。
一
「お取り込みぃ中ぅでしたかぁ?」
ブラウンのウェーブロングが小刻みに揺れる。
「それよりぃ大変なんですよぉ〜。リオーナがあの十字架野郎にぃやられててですねぇ〜、でぇアレウスがぁちょっと隊長ぅ呼んで来いってぇ……。てぇ、あれぇ? 隊長ぅ何してんですかぁ?」
と、呑気に首を傾げる。
「……如何なさいますか?」
「確認するまでもないだろう。この女は【分捕りは早く、略奪は速やかに来る(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)】のオリビア=ヴィリアムス。ターゲットの一人だ」
断言。
「殺せ」
号令以下、三人の剣を握る男がオリビア=ヴィリアムス目掛け、宙に舞った。
ガシャン、と。派手で鋭いな金属音が虚空に轟く。三人が振るう剣は、寸刻前までオリビアが立っていた地点へと正確に振り下ろされて、当のオリビアは数歩下がった場所に、前傾気味の姿勢になりバランスを崩しながらも銀眼を驚愕に揺らしていた。が、次の瞬間、正面から、後方から、上空から。剣を握る三人が一気に散開し、各々、割り当てられた箇所から白銀の剣を振り翳す。
(ち、)
やむを得ない。
世界崩壊は判断、絶対的に『万全』とは言えないし、体力もほんの僅かしか回復していない。
しかし、世界崩壊にとってもはやそんなことは関係なかった。
今、何とかオリビアは三人の攻撃を紙一重で躱しているが、それは何処まで続くか分からない。いくら戦闘慣れしているプロの魔術師と言えど、三対一ではかなり分が悪い。
状況進行は、ただ悪い方へと進行している。
アレウスがわざわざオリビアを走らせてまで救援要請をしてきたとなれば、想定外の戦力を有する敵と遭遇したのかも知れない。またオリビアが口走った台詞からリオーナ=オルフェニスタが戦闘を行える状態にない可能性が非常に高い。
(ここで状況打開の一手を打ち出さなければ、もう俺らは立て直せない)
拘束者は二名。腰に剣を差し、それ以外、特に自身に防御の術式を展開しているわけでも無さそうだ。
牽制者は三名。それぞれ剣先を世界崩壊の急所付近に向け、少しでも世界崩壊が体勢を崩せば斬る、という構えだった。
「ち」
それは世界崩壊の舌打ちではない。
リバー=サイバティックを貫いた男の声だ。
「何をもたもたしているんだ! そんな昼行灯さっさと殺せ!!」
「了解、した」
声の正体を確かめる暇など与えられず。
ゴウッ! と烈風が、世界崩壊に突っ込んだ。
「ご、ア―――ダ、ガッ―――」
まるで台風のような、家屋の屋根、自転車、看板、街路時を纏めて攫っていくような狂風が、世界崩壊を皮切りにリバーに刃を突き立てた男、世界崩壊を拘束する男、剣で世界崩壊を牽制している男たち、終いには付近に散乱する瓦礫の山ごと纏めて重力の拘束を強引にもぎ取り、吹き飛ばし、世界崩壊は先程のリバー=サイバティックとの戦闘で生き残った壁面に衝突、ようやく烈風から解放された。
(な、いっ、たい……)
足先から脳天まで身体全体に行き渡った激痛に悶絶していた世界崩壊がノロノロと必死で顔を上げると、
「―――詩人は、詠う」
声の主は刺された箇所を手で押さえ、その手を真っ赤に染めながら、赤毛の男が立っていた。
「大地よ、三者を、―――握り潰せ」
グワッ! と、現れた三本の巨大な腕。それは直ぐさまオリビア=ヴィリアムスに刃を向ける三人の男たちを鷲掴みに攫い、躊躇無く力任せに握り潰した。
(ま、じ、かよ……)
ふらつく視界の先で、グチャグチャになって『とっても面白い音を立てている』皮膚と人肉の集まりに、多分、脳髄だったんだろう、プニプニしている気色悪い物体、朱の中での唯一の白、際だって白い滅茶苦茶に折れ曲がった人骨がまるで机に堪った消しゴムのカスをハラハラと払った後の床のようにグロテスクな諸物体が散らばった。それは数メートルも離れた地点での出来事だった。しかし、大分吹き飛ばされたにも拘わらず、吐き気を催す程に気色の悪い腐乱臭がフワリと世界崩壊の鼻を打ち、最終的にはまるで物事が終わったことを知らしめるように剣の破片と想像できる金属類がガシャッと音を立てて床に落ちる。
「ふ、まさか……こうなるとはね」
赤毛の男、腹部から盛大に血を流しているリバー=サイバティックはフラつきながらも立ち上がり、嘲笑気味に、けれどもしっかりと世界崩壊を見据えていた。
「これが、真実で、本物の黒幕も、はっきり、……した」
激痛に苛まれ、世界崩壊は瓦礫に埋まりかけながらも、
「この騒動の、首謀者は―――」
しっかりと、見る。
「た、隊長!!」
世界崩壊の視線を向けた相手は、
「大丈夫ですかぁ!?」
パタパタと、二人に歩み寄る。
「大丈夫なわけ、……ないだろ?」
力なく、世界崩壊は戯笑する。
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