取憑
夜道を青年が一人歩いている。
青年にはお気に入りがあった。こういう言い方をすれば、それは人でありそれは食べ物であり、そしてそれは全ての好みを指している、といった具合の曖昧さをどうしても感じてしまう。しかしながら今の状況から考えるに、お気に入りとは夜の静寂や一人で歩くということであり、とりわけ最も適切なものは“場所”であると限定することが可能だと思えないこともない。
ともするなら、どうして曖昧な物言いなのか。
その場所とは別段特別な様ではなく一見してただの路地、しかしじっくり見てもやはりただの路地にしか見えない。だからそこは、やはりただの路地なのだろうと考えられる。実際青年の目にもそう見え、ならば見所のないような場所が最終目的地になるはずもなく、ただ何気なく通過するだけを目的とするしかない。そんな場所のどこがいいのか青年にも説明できないし、自分自身不思議でしょうがないというのが正直なところだった。本当にその場所に惹かれているのか、時間帯や他のきっかけによる条件とあいまってたまたま視界に入る可能性が高いだけなのか、それすらもぼんやりとしているのだった。
はっきりしていることはただひとつ。その場所が気になっているということだけだ。だから何か限定せずに、お気に入りというものはきっとあるのだろう、ということなのだ。好きなものはしょうがないじゃないか。そう青年は納得していたし、対象は何であれ実際それが本質なのではないだろうか。
そう、青年にはある意味執着している場所があるのだ。
だからだろうか。青年が月夜の散歩中にその場所に差し掛かったとき、いつもと違うわずかな違和感を感じられたのは。
「──ん!?」
青年は反射的に違和感の方に視線を送った。しかしそこには薄暗い空間の他は何も無かった。青年は気にしないことにして歩き出したが、内心やはり気になる。無視してその場所を通過する頃には、違和感が自分への視線なのではないかと考えがまとまって確信となっていた。
別の夜。それがお気に入りの性ということなのか、青年は自然とその場所に足を運んでいてた。また感じる視線とともに、視界の隅にチラッと入ったような気がする小さい影らしきもの。顔を向けるもやはり薄暗い空間以外は何も無かった。青年は不気味なものを感じる・・・、というか正直別の感情も沸きかけていた。
別の日も同じ場所で同様の体験。それが何回続いた頃だろうか。いつしか青年は、違和感を感じると体が震えるようになっていた。それでも足が遠のくことのなかった青年が、ある日突然震える手を握り締め無言で走り出した。その場から遠ざかるのではなくその影らしきものに向かってだ。
「だれだ!」
荒々しい表情と声。青年は正直イラッときていた。確かに不気味なものに対する恐怖心がないわけではなかったが、それ以上につい足を運んでしまう場所に存在する違和感がうっとうしくなっていたのだ。だから、体の振るえとは怒りや苛立ちの感情の高まりであり、もちろんそのまま放っておく気はなかった。
そんな明らかな怒りをあらわにしつつ青年はすばやく辺りを探る。
「出て来い!いるのは分かってんだよ!」
とは言うものの、その声が特定の場所ではなくその場所全体を捉えているのは、どこにあるかわからないものを探すときの鉄則だ。
間をおき辺りに気を配りつつ、思い過ごしならそれでもいいと思うものの、なぜか青年には何かが自分を見ているという自信があった。それがお気に入りのなせる業なのか、そんなことはどうでもよく、青年としてはただ在る無しは別としてイライラの原因を払拭したいだけだった。
──と、
「・・・ちょっと違うでしょ。普通怖がるとかするものよ」
どこからか、闇の内よりひとりの少女がスッと顔を出した。
「なんだお前は・・・!」
予想外といえば予想外。こうもはっきりとしたものが出てくるとは青年は思っていなかった。青年の考えとしては、怒りを撒き散らしたものの何も見つからず、結局のところ自分の想いが強すぎたために感じなくていいものを感じてしまったのだと、ちょっとした哲学のように片付けるつもりだったのが・・・。
不満そうな表情のパッとしない、いかにも現実的な少女を胡散臭そうに眺めると青年は、
「なんかお前、微妙な感じだな・・・。──で、何のようだ」
冷めていく自分を感じながら本題に入った。苛立ちが収まっていく分冷静さは増している。何気ないようで、怒りが直接伝わるように意思的に冷たく言った言葉だ。
「あなたを見かけたとき何か、これだ! って思って」
少女は何も感じなかったのか、妙に明るく意味不明なことを口走りニコッと笑った。
少女とぶつかった視線をずらし少し間を空ける青年。その間少女の言葉の意味を考えてみる。これだ、これだ、これだ、・・・って、
「何が!!」
結果、再び苛立ち始めるだけだった。結局青年には何のことか解らないわけだが、
「だから、取憑こうと思ってたの!!」
何でわからないの、と少女は逆に不思議そうに見つめてきた。
「はああ・・・。何だ? 幽霊か」
深く息を吐く青年は、少女への態度を決めかねているようだ。対し一貫した態度で、取憑くイコール幽霊という安直な考えに、少女は素直に賛同しないようだった。
「さあ、でもあれでしょ。幽霊って恨みとかつらみとかで取憑くでしょ?わたしがそう見える?」
そう言いつつ、少女は無い胸をグッと張って青年に自分を見せつける。
「いや、間抜けそうには見える」
即答。
「あう・・・。そもそも生きてたっけ感じはないし。まあ、──ただ取憑きたいだけ?」
「だけ? ってな・・・。じゃあお前はいったい何者なんだ」
青年の問いに、少女は頬に人差し指を軽く当て首をかしげる。
「だからわからないよ。・・・そうだ! 取憑いてみれば何かわかるかも」
パアッと表情を明るくして、いかにもかわいく提案するも、
「いや却下。何されるかわからないし・・・」
再び即答。
「じゃあわたしが何者だかわからないじゃないの」
軽い口調だが、冗談を言っているわけではないことは青年にも伝わった。
だったらと、青年は少女に向かって手を伸ばす。初めは恐々と突付くように指先で少女の頭を、そして普通に触れられることを確認すると、今度はおもむろに頭を鷲づかみにしてみた。そのまま無造作に手を動かし十分に楽しんだ後、離したその手をいろいろな角度で黙視し、続いて両手で少女の顔を引っ張ってみる。
「ただの生きてる人間という可能性は?」
感触に体温。別に怪しいところは無かったということだ。何より一番最初に考えるべき可能性ではあったが・・・。
「んん・・・。考えたこともなかった、っと・・・」
少女はクイッと首を動かし顔の手を引き離しにかかる。うかつにもその態度がちょっとかわいいと思った青年は、
「・・・いいから放っておいてくれ」
とりあえず関わらないことにし、去っていった。
青年はそれからしばらく、その場所を通らないようにしていた。
理由は特にない。少女に会いたくないからなどということは別段ないし、考える時間がほしかったということもなかった。自然解決を図ったのはあながちなくもないが、むしろ自ら何とかしようとしていた青年にはどうもしっくり来ない気がする。ただなんとなく、それか無意識のうちに頃合を探っていた、というところだろうか。
その証拠に、──いや単にお気に入りだからだろうか、気がつくと青年はその場所に立っていた。
「ふっ・・・」
青年は自嘲気味に笑った。視界の隅に少女がフッと現れても、視線を持っていくだけで驚いた様子は見せなかった。時間を空けたことがよかったのか、むしろ待っていたかのように落ち着き、自然体で少女と向かい合っている。
一瞬か数分か、それは時間という概念が解らなくなるまでに、二人は無言で対峙していた。結果としては見つめ合っていたことになるが、意味合いとしては少し違う。見ていたのではなく感じようとしていたのだ。それが特別なことなのか、それとも単に見つめるだけで分かり合えるような仲ではないということなのか、それは解らないにしても疑問を感じるようなことはなかった。
初めに口を開いたのは少女だった。
「──どうも生きた人とは違うみたいなの」
突然去ってしばらく顔を出さなかった青年に文句のひとつでも言うわけでもなく、少女はスタスタと青年に歩み寄る。そして、
「をぅ!?」
「取憑かせてっ!」
突然バッと無理やり青年に取憑こうとする。
「何しやがる!」
手を伸ばす少女とそれを防ぐ青年。取憑くといっても、傍目には若者がじゃれ合っているようにしか見えないが、どちらも真剣という点が違う。そして段々どちらもむきになっていき、攻防も感情も高まり、さらには息も荒くなっていく。
取憑くということが、今少女がしているような物理的に引っ付くことなのか青年にはよく解らない。そして少女にも、取憑くということが今青年にしているようなことで正しいのかどうか解らなかった。ただ自分の青年への想いの表現として最も適切だと思ったのが、取憑くという言葉だった。そしてそれは青年にくっ付くことのような気がした。その先も考えられずに・・・。だから取憑いてみるのだ。
「いいじゃない!」
少女が青年の首に腕をまわそうとするも、少女の手首を押さえて青年はガード。そしてにらみ合う。
「くっ・・・。久しぶりに会って挨拶もなしにいきなりかよ!」
「あらこんばんわ! 久しぶりねっ!」
抵抗するも、体当たりでガッと抱きついてくる少女には勝てなかった。
「っそ・・・!」
青年は少女を無理にはがし逃げた。
なぜ逃げる。それは少女と話がしたかったから。青年には少女の取憑くという行為がどこか違うような気がした。抵抗したのも自分の中に何か引っ掛かりを強く感じて、ともかく少女と話がしたかったからだ。だから本気で逃げた。
少女ももちろん追ってくる。
しかし、──少女はあるところで立ち止まった。
「ここから先にいけないのよ!!」
その悲痛な声に青年は振り向く。
「・・・ってことは地縛霊?」
青年は少女の前に立った。
「違うそんな感情はないよ」
見えないが確実に存在している境界線。
寂しげに少女はそこに手を添える。
「なら何なんだ」
静かな自分の声が青年にしみ込む。
青年は少女の手に自分の手を合わせた。
「だからわたしを連れてって・・・」
少女は言ってみた。
青年は無言で少女の手を引っ張る。
何の抵抗もなくどこまでも行けた。
「あなたの想いが持たせたわたしという意思のあなたへの想い・・・」
青年の想いはその場所に取憑いていた。
了 |