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天悪っ!! ―― 天使と悪魔の恋のお話 ( 改訂版 ) ―― 作者:背谷 燈

第二章 ―― 魔王ハルトの誕生記 ――

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第四話 魔王は死へと歩みを進める

 
 その蒼い瞳には、揺らめく松明の炎と、目の前に居る百人からなる軍勢の姿が映っていた。その前には白い全身甲冑に身を包んだ者が十名、呻きを上げながら、石畳に転がっている。蒼い瞳を宿す者はそれらを目に映しながら、それでも恐れを一切見せぬ強い眼差しを持って目の前の軍勢を見つめていた。
 小柄な身体には純白のゆったりした服を纏い、美しい絹の様な黒髪は惜しげも無く下され、その白い肌は松明の炎で仄かに黄色く彩られている。


 その少女――魔王は、己の椅子の前に立ち、己の命を奪いに来た者に一切の恐怖を見せず、ただ、静かに佇んでいる。
 その姿は、魔王と言う存在にも関わらず、聖人と例えても相応しい程の神々しささえ漂わせていた。


「……ま、おう、様……早く、お逃げ、を……」

 白い甲冑を纏った者が一人、紅い髪に、同じく赤い瞳の青年が、呻き声の間に言葉を吐き出し、剣を杖代わりに立ち上がる。整った面立ちに歯を食い縛るその顔は、血に塗れていて尚美しい。青年は何とか立ち上がると、その足で石畳を踏みしめて、振るえる身体で剣を構えた。

「……逆賊が……! 魔王様の、身には、指一本たりとて、触れさせん……!」

 その言葉は、荒れる呼吸の合間をぬって叫ばれた。
 他の九名は、顔を上げるのが精一杯で、青年の様に立ち上がる力すら残っていない。

「いやいや、忠臣もここまで来ると狂っているとしか思えんな。いやぁ魔王様が羨ましい限りだ。私にもこんな忠臣が居てくれる事を願うばかりだよ」

 軍勢の中から前に出た黒い甲冑に身を纏った、細い面立ちに髭を蓄えた男が、下卑た笑い声を上げながら一歩進み出る。

「だがな、ゲルト。大局を見るがいいのでは無いか? もうそこの小娘に魔王たる資格は無い。そこに居るのは只の小娘だ」

「減らず口をぉっ!」

 ゲルトと呼ばれた青年が、髭面の男に向かって石畳を蹴る。剣が握られていない左手は折れているのか、力なくだらりと下がっていた。
 ゲルトは残された力を全て絞り出すように髭面の男の首へと剣を薙ぐ。だが、その剣は髭面の男の首を切り飛ばす前に、その間に現れた兵士の一人に剣戟と共に止められた。

「――おや?」

 髭面の男に、ゲルトの血が舞い、僅かにその頬を塗らす。


「――誰が私を汚して良いと言った愚か者がぁっ!」


 男の蹴りがゲルトの腹部に突き刺さり、ゲルトはまるで風に舞う木の葉の様に吹き飛び、魔王の足元へ叩きつけられた。

「……魔、王、さ、ま……お、逃げ……を……」

 もはやその身体に力を込めても、僅かに震えるだけで動かない。それでもゲルトは空ろな目で魔王を見つめ、懇願する。

「……あな、たは、この、世界の、光……どう、か……お、逃げ……を……」

 魔王はそのゲルトの様子に、目を細めて微笑むと、ゆっくりとした動作でしゃがみこみ、血で濡れたゲルトの髪をそっと撫でた。

「……ありがとう。皆の気持ち、十分に分かった。だから、これ以上、私の為に苦しまないで欲しい」

 ゲルトは魔王のその言葉に目を見開いた。

「私は、私を守ろうとしてくれた君たちの為にも、決して逃げない」

 そう言い告げると、魔王は死を前にして、それでも慈愛すら宿した笑顔をゲルトに向ける。


「――君たちは、生きて」

「……ぁ……あぁ……」


 ゲルトの紅い瞳に、迷い無く死へと向かう魔王の笑顔が映った。そして、その目尻から、幾筋もの涙が溢れ出して、血と共に、石畳に落ちていく。魔王は微笑を浮べながら、その白い手が血に汚れるのも厭わず、優しくその涙を拭うとゆっくりと立ち上がった。
 倒れている白い騎士達から魔王に声が掛かる。その声はいずれも魔王に逃亡を促すものだった。だが、魔王はその声にも微笑を絶やさず、ゆっくりと、一歩一歩、自分の死に向かって歩みを進める。

「――私は弱かった。でも、皆が居てくれたから、強くある事が出来たんだ」

 歩みを止めず、死へと向かいながら、それでも慈愛溢れる微笑さえ浮かべて、魔王は己を必死になって守ろうと尽力してきた全ての者に告げる。

「だから皆。私が死んでも、皆は誇って欲しい。君たちは自分の命を賭して、主たる私を守ろうとしてくれた」

 また一歩、魔王が己の死に近づく。

「――私の誇りは、私に、君たちと言う存在が居てくれた事だ」

 後数歩も歩みを進めれば、そこには抗えない死が待っている。
 だが、それでも魔王の慈愛溢れる笑顔は崩れない。
 その目には強い意思を。
 その歩みには決して揺るがない決意を。

「……ありがとう、そして、さようなら。私の、誇り達」

 その言葉に、白い騎士達から絶叫が上がる。
 その声を背中に受けながら、魔王は自分の死の場所へと、辿り着いた。

「――ボニファルツ、私の命と魔王の座を君に渡す代わりに、幾つか頼みがある」

 髭面の男――ボニファルツは魔王のその言葉に眉を上げて尋ねた。

「その潔さに免じて、聞ける事なら聞いて差し上げましょう?」

 魔王はその顔から笑みを消して、真剣な眼差しをもってボニファルツを見上げ、言葉を告げた。

「君の事だから、恐らく民に圧政を敷くのだろう? 圧政を敷くな、とは言わない。だが、民の事も少しは考えて欲しい。民が怒りに満ちた時、死した私の名を辱しめても良い。この世界が幾重にも散らばる事が無い様に、その心を持って、導いてくれ」

 その言葉にボニファルツは眉を上げ、肩を竦めた。

「他には?」

 魔王はボニファルツの言葉に頷くと、言葉を続けた。

「私の誇り達を殺さないで欲しい。今彼らは君と同じく私の話を聞いている。私は最後に、彼らに君に従えとここで命令する。彼らは……私の誇り達は、私の言う事を必ず聞いてくれる。今度は、彼らを君の誇りとして、仕えさせて欲しい」

 その言葉にボニファルツは堪えきれない様に肩を震わせて笑い声を上げた。
 白騎士達は、その全てが魔王へ再考の声を投げかける。だが、魔王の表情は決して揺るがない。

「くくっ……! 良いでしょうとも。使える者を殺すのは私とて忍びない。精々使って差し上げましょう。他にまだ何かありますかな?」

 魔王はボニファルツの卑しい笑みをその蒼い瞳に映しながらも、柔らかく微笑んで、静かにボニファルツへと頭を下げた。



「――この世界を、宜しくお願いします」



 その言葉に、ボニファルツの笑い声が止まった。

 魔王はゆっくりと頭をあげ、ボニファルツの呆然とした顔を見つめると、全てを受け入れた聖母の様な表情で、ゆっくりと目を閉じた。

「――その器だけは、魔王と呼ぶに相応しいものでしたな」

 舌打ちの後に紡がれた声には、軽い苛立ちが感じられた。
 目を閉じた魔王の耳に、剣が抜かれる音が響く。
 白騎士達が上げる絶叫が届く。
 それでも魔王の聖母に足る慈しみの微笑みは崩れない。

 ――父様、母様、今、お傍に参ります。頑張った私を、どうか、褒めて下さい――。

 恐怖が無い、と言えば嘘になる。
 死んでも良い、と言えば嘘になる。

 だが、魔王は見せなくてはならない。

 自分を命を賭して守ろうとしてきた者達が、胸を張って生きていけるように、最後まで誇れる主でいなければならない。
 自分の誇り達が、これから先、道を見失わないように、主として、自分がその道を照らさなければならない。
 自分の誇り達が、自分自身の誇りを見失わないように、導かなければならない。


 ――その為になら、己の死など、恐怖の内に入らない。


 ボニファルツは両手に握った剣を魔王に向かって振りかざす。

「さよならですな、まお――」


 その剣が振り下ろされようとしたその瞬間――

 ――激しい轟音と共に、その場が大きく揺れ動いた。


「――地震かっ!?」

 その余りの揺れに足元をふらつかせながらボニファルツは魔王から数歩下がった。
 魔王も突然の揺れに目を見開いて、周りを見渡している。
 石壁にある松明が余りの揺れで数本乾いた音を立てて石畳に叩きつけられる。
 その揺れはどんどんと大きくなり、やがてその場にいた者全ては立つ事が出来なくなり、膝を着いた。

「――このままじゃ、崩れるっ……!」

 ここに来て、初めて魔王の言葉に焦りが生まれた。

「皆! 非難を!」

 魔王は自分を殺しに来た者達も含めた、その場にいる者全てに声を張り上げる。だが、魔王の声にも、余りの揺れの激しさにまともに立ち上がれる者すらいない。

「――くっ! 頑張って! 張ってでも良いから非難を急い――」


 魔王がそこまで声を紡ぎ上げた瞬間――

 ――魔王の少し前、ボニファルツが立っていた場所が爆発した。
 
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