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天悪っ!! ―― 天使と悪魔の恋のお話 ( 改訂版 ) ―― 作者:背谷 燈

第五章 ―― 魔王ハルトの改革記 ゴルゾーン編 ――

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第二十四話 黒鳥は動き出す

そろそろ疲れてきた……。
 
 最近のハルトの日常は絵に描いたように同じだった。

 朝早くに貧民街を出て、幾つか定めた拠点に赴き、街の傷病人を手当てして、対価となる食べ物を貰い、陽が暮れそうなったら貧民街へと戻り、子供達と一緒に食事を取って、浄化の魔法で子供達を清潔にし、タッカの鍛錬に付き合い、そして寝る。

 最近ハルトの許を訪れる傷病人は大分少なくなってきた。それはそれで喜ばしい事なのだが、その一方で子供達の食料が不足してくる危険性が出てくる。
 もっともハルトはそれを見込んで、客足が鈍る前から『保存の利く食料品、又は冬服』と対価を求めているので、完全に客足が無くなったとしても凡そ一ヶ月程度の猶予はある。

 だがその猶予は僅か一ヶ月だ。

 ハルトは客足が鈍り始め、ある程度考える時間が出来始めた頃から、何かしら貧民街の現状の改善が出来ないものかと思案していたが、中々上手く行く案は浮かんでこない。

 そもそも今のハルトには余りにも制限が多い。

 その最も足る所は『魔王』と言う存在だと言う事を隠す事だ。だが、例えこの制限が無くなったとしても『常識の範囲内』と言う、常識の外側にいるハルトにとっては余りにも厳しい制限が付く。

 常識の範囲内の事を収める為には、当然常識の範囲内に居る事が大前提だ。
 つまり、ハルトは既に大前提から外れている。

 ハルトは、ハルトと言う自分の存在自体に制限を感じていた。その様な制限の中で、どれ程改革案を考えようと、大前提が重く圧し掛かり、万事が上手く行く解決案など出る訳も無い。

 今日の客足は凡そ三十人余りだった。
 最近では怪我人よりも病人の方が割合が多い。
 もっともハルトにとっては、既に脳腫瘍の様な重篤なケースでも病気の内には入らない。少なくても今の所、ハルトの手に余るようなケースは出ていない。
 つまりハルトにとってはどの様な病気であろうと問題ではない。
 三十人を超える人数を治療し終えたのは、午前中も早い時間だった。

 ハルトは万が一来るかも知れない傷病人を待ちながら、ぼんやりとした表情で、その紅く染まった目に、悠然と広がる青い空と、そこに浮かぶ、秋の終わりを感じさせる雲を映していた。

 傷病人が減る事は大きな喜びだ。だが、その一方では子供達の食糧問題が出てくる。
 残された時間は、もう後僅かだろう。

 ハルトはため息をつき、被っていたフードを引き己の顔をその奥へと引き込むと、僅かに俯く。

 その気配がずっとハルトを窺っていたのは既に気付いていた。そして、その気配が静かにハルトへと歩み寄る。


 やがてその気配はハルトの前に歩み出ると、静かな口調で、穏やかな声をハルトに上げた。


「……いつぞやは命を救って頂き、本当にありがとうございました。いずれ礼を、とは思っていたのですが、中々都合が付かず、この様に遅くなりましたこと、先ずお詫びさせて頂きたい」

 ハルトはフードの奥で、足だけ見える男に言葉を返す。

「何の事? あぁ、以前俺が助けた人かな? 別に俺は当たり前の事をしているだけだし、それに皆から対価は貰っているし、んなの気にしなくて良いよ」

 その声に聞き覚えがあったハルトはそらとぼけて見せる。
 だが、ハルトの目の前に立った痩身の男――ゼノンはその言葉に己の言葉を返す。

「お忘れでは無いでしょう。あの時、貴方は私達を救って下さった。更には、死に至る者の命を繋いで下さった。私達はその事に、多大なる恩義を感じています」

 ハルトはその言葉に俯かせていた顔を上げて、僅かに見える男の顔に見覚えがある事を確認する。

「んと、正直何人助けたかなんて、もう覚えてないんだ。それに、今も言ったけど、俺は当たり前の事をしているだけなんだから、気にしなくて良いんだよ」

 笑顔で告げるハルトの言葉に、ゼノンは僅かに目を細めて見せた。

「……何故貴方は表面ばかりを救い、この街の根本を正そうとしないのですか?」


 ――その言葉にハルトの眉がピクリと動く。だが、それはほんの一瞬、次の瞬間にはハルトの表情には笑顔が戻っていた。


「表面ばかり、と言ってもね……。俺に出来るのはこれ位だし、そんな根本を正す様な大層な力は持ってないよ」

 ゼノンはフードの奥に隠れ、僅かに見えるハルトの口元に浮かぶ笑みを見つめながら言葉を続ける。

「貴方の力なら、例え領主の私兵全てを相手にしても、容易に下せるはずだ。そして、それがこの街の民を救う最も近い道だと、貴方自身が最もよく知っている筈でしょう」

 しかしそれでもハルトは笑顔を崩さず、フードの中に右手を差し込み、その頬を掻くに留まる。

「えっと、済まんのだけど、あんたが何を言っているのか俺には全く理解出来ない。俺に出来るのは精々が病気や怪我で苦しんでいる人達を救う事くらいで、その根本を正す力なんか無い」

 そこまで言うと、ハルトは一息ついてから言葉を続けた。


「あんたが言う様な、そんな凄い力なんか無いし、無力な存在だよ」


 そう、ハルトは自分に課せられた制限の中では余りにも無力だ。
 この状態を放置しては置けない、と言う考えの中で、しかし自ら動く事は出来ない、と言う制限。


 ――文字通り、今のハルトは何を為す事も出来ない無力な存在だ。


「……貴方が立ち上がれば、それだけでこの街の民は救われる。貴方はそれを知っていて、それをせず、上辺だけを助け、その根本にあるものを正そうとしない」

 その言葉に、ハルトの中で苛立ちが生まれた。
 ハルトはそれを落ち着かせるべく深く息をつくと、ゆっくりと立ち上がって笑顔でゼノンに告げる。

「悪いけど、客じゃないなら帰ってくれないかな。たまには俺もノンビリしたいし、あんたの訳の分からない話に付き合うつもりは無いんだ」

 言い告げるとハルトは今日の治療の報酬を大きな風呂敷に纏め始める。ゼノンはそれを止める事も無く、目を細めながら眺めていた。
 やがてハルトはそれら荷物を纏めると、大の男でも両手で担ぐ程のものを指先に引っ掛け、肩に担ぐ。

「ま、俺にはあんたが何を言ってるのかは全く分からんのだけど、多分人違いじゃないかな。俺は精々傷病人を救う事で精一杯な旅人だ。そう言う話は腕に覚えのある奴にした方が良いよ」

 ハルトは笑顔で『じゃあね』と告げるとゼノンの脇を通りすぎた

「……少なくても、五百人」

 ゼノンは通り過ぎたハルトに振り返りもせず、その背中に向けて声を掛ける。
 そしてその声はハルトの歩みを止めさせた。

「……何が?」

 ハルトもまたゼノンに背中越しに問いかける。ゼノンはその声を待ってゆっくりと振り返り、ハルトに問いを投げかけた。


「――あの場所には、何人の子供が生き残っているのですか……?」


 ハルトはその数の意味を一瞬取りこぼし――。

 ――そして、その数の意味を理解した。


 ふわり、と押さえきれないハルトの意思が風を呼び、ハルトのフードを優しく捲り、その紅く染まった髪を僅かに逆立たせる。
 そしてその数の意味は、ゴルゾーンの救世主と呼ばれる男の、慈愛に満ちたその背中を、只の一瞬で、近づく事すら出来ない恐怖の象徴に塗り替えた。
 それは様々な恐怖を味わってきたゼノンの背筋すらゾクリトさせる。しかしゼノンはその心中で笑みを浮かべた。

 ゴルゾーンの過去。その犠牲になった子供の命の数。

 目の前の男は慈愛に溢れるが故に、その数を許せない筈だ。

 何が目の前の男の足枷になっているのかまでは分からない。だが、その足枷がこの男の自由を奪い、立ち上がろうとする意思を疎外している事は分かる。
 ならばその背中を、純然たる事実で押す。そして、その足枷を壊す。

 ――そうすれば、目の前の男は立ち上がらざるを得ない。

 事実、犠牲となった命の数は、今にも男の足の枷を壊そうとしている。

「――貴様、何が望みだ」

 肩越しに振り返る、ハルトの血に染まったかの様な真紅の瞳に宿る冷徹な意思、そしてその声が宿す絶対零度の温度に、ゼノンは凍りついた。


 背中からでは分からなかった、その瞳、そして声、それらに宿る絶対零度の凍て付く意思。その恐ろしさは、今までゼノンが味わってきた恐怖を全てあわせたとしても、到底足りるものではない。
 それはもはや、死と言う概念すらも超えた、消滅に対する恐怖。


 だが、ゼノンは一度喉を動かすと、その圧倒的な恐怖に立ち向かうように、己の意思を告げる。

「……どうか、ご助力を」

 しかし、その言葉は、ハルトの目に怒りを浮かばせ、ゼノンは更なる恐怖に陥れられた。身体は震え、喉は渇き、しかし竦む身体は逃げる事すら適わない。

「――俺が貴様らに付けば、貴様らは確かに勝てるだろう」

 ハルトはその瞳に冷徹な眼差しを浮かべたまま、言葉を続けた。

「だがそれは俺の勝利だ。俺はそんな形での勝利は求めていない」

 冷徹な意思にゼノンの本能が逃げろと叫ぶ。だが、ゼノンはそれに理性をもって抗う。

「……な、ならば、貴方の求める勝利の形とは、一体、何なのですか……?」

 ハルトはその言葉に、僅かに目を細め、己の葛藤の中にあった言葉を言った。


「……民の勝利だ」


 ハルトの思わぬ言葉に、ゼノンの目が僅かに見開かれる。ハルトはそれを見つめつつ言葉を繋げた。

「この戦いは、民が自らの手で勝利を掴み取らなければならない。この戦いを、救いの手で終わらせてしまえば、民は二度と立ち上がる事が出来なくなる。自分達の力を、信じることが出来なくなる」

 ハルトはその目に鋭いものを宿して、ゼノンを射抜く。


「――それは、俺の本来の在り方から、許される事じゃない」


 ハルトの本来の在り方。それは言うまでも無く『魔王』と言う在り方だ。ハルトが行おうとしている導きは、全ての者が等しく意思を持ち、己の中の最善を行い、そして、人に生き方を委ねさせないと言うものだ。

 ニーナに放った言葉が、ハルトが導く理想の全て。

 故にここでハルトが立ち上がり、ゴルゾーンを救ったとしても、それはハルトの力での勝利であり、民の勝利ではない。そして、民の勝利でなくては、この戦いの勝利に意味は無い。民自身が意思を持ち、己の最善を為し、そして自分達の運命を切り開かなければ、そこに本当の勝利は無い。

 そして、それこそがハルトを縛る大きな制限。

 ゼノンはハルトの意思が己達の意思と比べて余りにも壮大なる所に、恐怖に竦みながらも胸を打たれていた。


 ――だが、その理想を知ったからこそ、ここでハルトを諦める訳には行かない。


「……それでも、ご助力を願いたく思います」

 ハルトがその目を見開き、その瞳で意思を告げる。


 ――死にたいか、と。


 恐怖に支配され、竦み上がる身体で、しかし、ゼノンは己に退く事を許さない。
 ここで退いてしまえば、タルクァルの存亡の道は無い。例えここでハルトによって殺められようと、生きてタルクァルに戻ろうと、もはやタルクァルの未来は無い。

 ――ここでハルトを得ない限りは。

「我々は、民に求められて戦ってまいりました。確かに、現在ではもはや我々に失望してらっしゃる方も多いのは事実です。ですが、例え僅かであっても、まだ我々を応援し、求めてくださる民がいらっしゃるのです」

 ゼノンは恐怖に飲み込まれそうな理性を何とか言葉を紡ぎ続ける事で引き止める。

「だからこそ我々は今でもこうして戦っていられる」

 その言葉に、ハルトの口が小さく動いた。


「……黙れ、そこの男。殺すぞ」


 その冷え切った声に含まれた、明確な殺意にゼノンは言葉を詰まらせかけるが、しかしここで退く事は出来ない。例えこの先に死があろうと無かろうと、ハルトの獲得が出来なければ、ゼノンはタルクァルと共に理想に殉じる事になる。


 ――同じ死であるのならば、最後まで可能性に掛ける。


「どうか、お願いします。一度で良い。一度で良いですので、我らが当主に――」


 そこまで言い掛けて、ゼノンは全身から力を抜かれ、石畳に両膝をついて、次いで両手を突いた。白い石畳に、ゼノンの顔から溢れ出す汗が幾つも染みを作る。激しい呼吸を繰り返しながら、ゼノンは身体に異常が無いか意識を向けるが、呼吸が苦しい意外に異常は無い。

 しかし、その寸前まで感じていた恐怖は、既に微塵も感じなかった。

「――ったく……」

 呆れ果てた様なその声に、ゼノンは俯かせていた顔を上げた。その目に、痛そうに頭を抱えるハルトが映る。だが、そこに先程まで居た恐怖の象徴はいない。

「……退かせるつもりで思いっきり脅したんだが。まさかこれでも退かないなんてな」

 ため息を付きつつ、ハルトはその息に言葉を乗せた。
 勿論殺す意図は無かったが、相手に十分な殺意はぶつけていた筈だ。だが、それでもゼノンは退かなかった。
 それらを考えれば、恐らくハルトの想像以上にタルクァルは逼迫しているのだろう。

「……ま、話聞くだけなら、問題ないか」

 ハルトは半ば自分に言い聞かせる様に呟くと、ゆっくりとした足取りでゼノンに近づき、膝を折ってゼノンと同じ高さに目線を合わせる。

「ゼノンさん、だったっけ?」

 ゼノンは間近に迫ったハルトの笑顔に、僅かに困惑を浮かべながら激しく息をしつつ頷く。
 ハルトはそれを見て目を瞑り、静かに告げた。

「ゼノンさんの覚悟は良く分かった。話、聞くよ」

 ゼノンはその言葉に目を見開くが、ハルトはそっと目を開くと更に言葉を続ける。

「だけど、協力出来るって約束は出来ない。その、レスカさん? と話してみて、タルクァルの在り方に賛同出来なきゃ俺は力を貸せない。それで良い?」

 ゼノンは俯いて一つ息をつくと、ハルトを見つめながら頷いた。

「――お話を聞いていただけるのなら」

 ん、とハルトは頷くと、ゆっくりと立ち上がり、優しい笑顔でゼノンに告げる。

「じゃぁ連れてってくれ。レスカさんの所に」

 その言葉に呼吸を落ち着かせてからゼノンは立ち上がると、ハルトに頷いてみせ、ゆっくりと踵を返し、歩み始めた。
 その後をハルトがフードを被りなおし、その奥へと顔を導いてから追い始める。


 ――その二人の様子をハルトにさえ悟られず見つめていた者は静かに呟いた。

「……もはや、一刻の猶予もないか……」

 その男は踵を返す。

 とある少女の足を止める為に。
でもあと十話は逝きたい。
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