猫のこと
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夜、わたしはコタツにあたってとろとろしていた。毛布を頭まですっぽり被り、傍から見れば、きっとわたしはコタツに埋まっているように見えるんだろう。コタツの反対側にはミネコがいて、彼女の長い尻尾がわたしの足に触れていた。
ミネコは今年で齢三歳になる三毛猫である。名前の由来は、ミケネコであるから、そのまんまミネコ。なんとも安直である。これにはわたしも同情する。ミネコはこの名前がいまだに気に入らないらしく、名前を呼ぶと牙を見せてシャーと威嚇してくる。
天気予報によれば、今夜は雪が降るらしい。夜にしんしんと降り積もるが、朝には木や土の上に僅かに残っている程度だという。
寒くて寒くて、わたしは動きたくない。ミネコほどではないが、いつまでもコタツで過ごしていたいとさえ思ってしまう。
外にはやがて雪に変わるであろう雨がすでに降り始めていた。雨は白くけぶって、夜の闇を少しだけ薄めてくれている。
しばらくテレビを見ていると、玄関からドアの開く音がした。
「ひゃー。もう、びしょびしょだよ。わーもう寒い寒い。あーもうなんで傘壊れるかなあ」
廊下の向こうから京子の悲痛な声が聞こえてくる。リビングを出て玄関に向かうと、そこには濡れねずみになった京子がいた。京子は片手に骨の折れた傘をぶら下げて、濡れて肌に張り付く靴したを脱ぐことに悪戦苦闘していた。まず、手にもった傘をどこかに置けばいいのに。
「おかえり」
「うん? あ、朋ちゃん、ただいま。悪いけどさあ、洗面所からタオル持ってきてくれないかな?」
「はいはーい」
「おー頼んだぞう」
一旦廊下を引き返してリビングの手前にあるドアを開ける。使い干されているバスタオルを一枚掴んで、わたしは再び京子の元に向った。
「わーありがとー朋ちゃん。助かるよ」
それから彼女が一通り身体を拭いた後シャワーを浴びている間、わたしはリビングに戻り再びコタツに埋れていた。少しの間廊下に出ただけなのにここまで手足が冷えるとは。頭の先までコタツに潜り、全身で暖をとる。ああなんと素晴らしきかなコタツよ。まさに文明の利器たる家具である。
京子がシャワーを浴び終えてリビングに入ってきた時も、まだミネコはコタツの向こう側で眠っていた。コタツで包まる猫。彼女は人間のイメージする、まさに典型的な猫である。
「わ! わあー! ミネコ! もーまた入ってきたの!? まったくもー⋯⋯」
ミネコを見つけた京子が驚きの声をあげる。しかしそれもそのはず。ミネコは我が家の飼い猫ではないのだ。彼女はノラ猫である。一度わたしがうちに招き入れて以来、居心地がよかったのか、よく通うようになった。普通に通う分には京子も快諾できるであろうが、ミネコは必ず身体中を汚してやってくるので困り果てているのだ。
眠っているミネコの身体をつつきまわしながら、京子は長い溜め息を吐いた。
「ていうかさあ、朋美も入れないでよ」
もちろん、毎回ミネコを我が家に招き入れているのは紛れもないわたしである。
「入れるにしてもさあ、せめて身体くらい綺麗に洗ってから⋯⋯」
わたしに彼女をそのように懐柔することは無理である。もう、何度も試みたがダメだった。ミネコは水が大嫌いなのだ。
「ごめんよ」
「はあ。もういいよ。毎度のことだしね。こいつは後でお風呂で思いっきり洗ってやるとして、とりあえずご飯にしようか」
そう言うと京子はキッチンに向った。水の流れる音と包丁がまな板を叩く軽快な音と、フライパンの中で油が跳ね回る音が連続して聞こえてくる。京子の鼻歌が油の音よりも大きく聞こえるようになった頃、こうばしい匂いがわたしの鼻腔をついた。
「今夜は野菜炒めだよー。はい、これは朋ちゃんの分」
湯気が立ちのぼる食器をコタツの上に並べ、京子は箸で皿をつつき始める。わたしも目の前の食事にありつくことにした。京子はテレビのバラエティ番組を眺め、時折りくすくすと笑っている。わたしはバラエティはあまり好きではない。グルメ番組が好きである。テレビ画面に映る食べ物はどれも美味しそうだ。
ふいにミネコが鳴き声をあげた。京子と二人で振り返ってみれば、彼女はまだ寝息をたてている。どうやら寝言のようだ。
「きっと食べ物の夢でも見てるんだよ」
「そうね。ふふ。あ、そうだ。寝顔の写メ撮っとこ」
この後ミネコは散々な目に遭う。京子によって半ば強制的にお風呂に入れられたのだ。お風呂からあがった後も興奮は収まらず、体毛を濡らしたミネコは牙を見せて暴れ回り、最後にはふてくされて眠ってしまった。ノラ猫のくせに妙にふくふくとした彼女のお腹をさすり、京子は「ちょっとやりすぎたかな」と言って苦笑していた。
ミネコが姿を見せなくなって、今日で三ヶ月が過ぎた。季節はすっかり変わり、今は暖かな春である。
今日もいつも通り京子と二人で食事をした。三ヶ月前までは時折この場にミネコもいたが、彼女はもういない。もともと通い猫だったのだ。いつ姿をくらませてもなんら不思議ではなかった。猫はかなり気まぐれなのだから。
京子は今日も溜め息を吐いていた。ミネコがいなくなってから彼女は元気がない。どうも、ミネコが去ったのは自分に原因があると考えている様子だった。
「京子が落ち込むことないよ。ミネコなら、どうせまたひょっこり現れるって」
わたしは夕食を頬張りながら言う。この言葉は、京子がミネコのことで思い悩んでいる時にもう何度も言った言葉だ。
「ん。そうだね。いくら私が悩んでも仕方ないよね」
「そうそう」
「ごめんね。私のせいでお友達いなくなっちゃって」
「別に気にしてないよ」
「そうだね。またお友達欲しいね」
⋯⋯もう。どうしてここは伝わらないかなあ。
わたしの言葉を、何でも都合のいい様に解釈しないでほしい。人間て、いつもこうだ。
「京子、ご飯おかわり」
「ダメだよ。太るから」
⋯⋯それに、猫のこと、分かってないのか分からない。
朋美「ニャー(おかえり)」
もちろん彼女の夕食はキャットフードです。