それでも僕は純愛と言い切る
ある遠い遠い世界の王国では、末の王女、ポプリのことが悩みの種でした。
「俺にも正妃にも似ていない。まったくどこの男の子なんだか……」
「あの男、最近若い女にうつつをぬかしてるようで。乳母を買収して何かしたのではないかしら。子供は他所にも何人かいるようだし、それくらいは考えるでしょう。私を追い出すためにね。私の本当の子はきっと殺されたのよ」
王である父にも王妃である母にもそう言われる毎日。ポプリは泣きながら一人森の湖に通って泣くのでした。仮にも王女の身でそんな行動が出来るなんて、とあとの人は言いますが、それくらい、ポプリは誰からも軽視されていたのでした。
「……わたしなんて、いらない」
「僕なんて、いらない」
そう言って湖のすみっこで嘆く日々のなかで、誰かが突如その声に応えました。振り返ると、木の影に男の子がうずくまっていました。ポプリと同じくらいの年の、薄汚れた男の子でした。
「あなたは?」
ポプリは上の姉達や跡継ぎの王子なら眉を顰めて目を背けるような少年に、気軽に話しかけました。なぜならポプリも王女には見えないような格好だったからです。両親の喧嘩と臣下達の権力闘争の果てに、いない子としての扱いをされていました。
「……ペイズリー……」
「わたしは、ポプリ。……あなたも、一人なの?」
少年は蚊の鳴くような声で答えたあと、また俯きました。その何もかも諦めたような仕草が答えなのだとポプリは思いました。そして自分と同じ孤独な身の上なのかと考え、親近感を抱きました。
「ねえ、わたし達、お友達にならない? きっと仲良くなれると思うの」
城の関係者でないなら、という言葉を飲み込み、ポプリは明るく言いました。
「ともだち……?」
「そうよ、友達」
「……」
ペイズリーは、どこか熱のある瞳でポプリと見上げました。
◇◇◇
「僕は、ジョゼットさんと一緒に近くの小屋で暮らしてるんだ」
「ジョゼットさん? お母さんじゃなくて?」
「うん……そう呼べと言われたから」
あの日から、毎日彼らは湖で語り合っていた。他の人が聞いたら笑うような当たり前のことから、お互いのことを。
「お母さんじゃないの?」
「違うみたい……。ジョゼットさんは『貴方の両親は死んだから、付き合いのあった自分が育てているんだ』 って言ってた」
「そうなんだ。……いい人、じゃないの?」
「僕みたいなのを育ててくれるから、いい人だよ……って思ってた。けど、やっぱり周りを見ると普通じゃないよね。それに働いていないけど、いつもお金は持ってる。僕に使ってくれたことはほとんどないけど。あれは一体……」
「隣国の貴族の金ですよ」
不意に、湖畔で語らう二人の後ろから声がした。そこには、何人かの騎士がものものしい様子でこちらを見ていた。驚く二人をよそに、騎士の代表がペイズリーの傍に駆け寄り跪く。
「……後継者争いを防ぐために一時避難させていただけだったのに、まさかこんな……。あの女、養育費を着服して豪遊三昧だったようですね。契約不履行の件は雇い主に裁いてもらうとして、ペイズリー様、お迎えに参りました」
他の騎士がポプリをペイズリーから引き剥がす傍ら、騎士の代表はポプリを気にもとめずペイズリーに恭しく接している。
「……そんな、僕は……」
「ペイズリー! ペイズリー! 行っちゃ嫌よ!」
混乱するペイズリーだったが、騎士に押さえつけられているポプリの声で我に返る。
「僕はここにいる! ポプリと離れたくない!」
「そうは仰いますが、ご実家の危機でもありますし、わたくしどもも命令なので。ご両親は貴方を後継者と決定されました。案の定、上の兄君達がこの地位を得るために殺し合いをして取り潰しになりかねないようで。……ペイズリー様、地位はどちらかと言うと便利なものですよ」
代表はそう言うと、ひょろひょろの身体のペイズリーを掴み上げ、森の入り口に待機させていた馬車に押し込む。その間、ポプリは騎士達に阻まれてどうにもできず、ただ泣きながらペイズリーの名を叫び続けた。
「行かないで! ペイズリーがいない毎日なんて嫌!」
「ポプリ! ポプリ! ……いつか、いつか必ず迎えに行くから!」
走る馬車が見えなくなるまで見ていたポプリは、友達がいなくなったと実感が沸き起こると、それを誤魔化すように、湖のほとりに戻り、ペイズリーと見た景色や花、鳥を眺めて思い出に浸るのだった。
◇◇◇
それから十年、ポプリは身体は大人になったが、いつまでも昔を偲ぶようなまともな生活をしていないせいか、いつまで経っても子供のようだった。そんなポプリ相手には、もちろん縁談は来ない。
「……どうにかしたらどうなんだ、お前は母親だろう?」
「少しでも娘と思ってるなら貴方が何とかすれば? 他人だって言うなら別にいいでしょう」
口の回る王妃に王は黙った。両親として何かすべきなのだろうが、ポプリは既に嫁き遅れの年齢で、それを補うような容姿でも地位でもない。上流社会で両親に愛されていない子の風評は致命的だった。無理にでもどうにかするなら、下っ端貴族に嫁がせるか、何も知らない格下の国に行かせるか……。
そんなことを考えていた時期に、それは起こった。
「戦争?」
「はい、既に我が国の領土はかの国に落ちました……」
地方の警備隊の一人がとんでもない話を持ち込んできた。ここ数十年穏やかだった隣国が、王が代わった半年前からやたら好戦的になり、それをまさかと甘く見ていたら領土を奪われた。火急の使者として謁見した警備隊員は、嗚咽を堪えながら砦が落とされた時の様子を語った。何人も殺されたと。先導していたのは王だったと。鮮血をまとった悪魔だったと。
「……なんと。早く取り返し……いや駄目だ、戦いの準備など何もしていない。隣国め、友好条約を破りおって。……しかしそれに甘えていたのも悪い。今頃、兵を動かしても無駄死にだ……しかしどうにか戦火を止める術は。王として国民をむざむざ死なせるわけにはいかん」
「王、その、実はかの国の王いわく『王女を一人差し出せ、そうするならこれ以上の戦いはしない』 と」
王も王妃も人質だとすぐ分かったが、喜んでその手に乗った。差し出すのはポプリ。それならあとで条件を破ったと殺されても、何の呵責もない。ポプリが時間を稼いでいる間に、周りの国と密約を交わし、かの国を包囲しようという算段が二人の頭に浮かんでいた。
◇◇◇
両親の考えはポプリには分かっていた。分かっていたが、生まれを考えればそういうものだとしか感じなかった。ペイズリーがいなくなった時も、そうやって自分を納得させたものだ。むしろ、王族としての扱いを受けていなかった自分が始めて受けた政治の道具的な扱い。これは生まれが生まれでなければされる権利はない。そう思うと、ほんの少しだけ誇らしかった。
結婚という名の人質契約前夜、かの国の王宮に泊まった。両親やうちの跡継ぎの王子も一緒に来ているが、別な部屋に泊まるらしい。そのことは気にせず、自分の城よりも豪華な部屋に見惚れていると、部屋の扉がノックされた。
声をかけて確認する。わたしはギリギリまで時間を稼がないといけない。もし知らない男だったら不貞と処刑されても仕方ない。そう考え「どなた?」 と問う。扉の向こうからは男の声が返ってきた。
「僕だよ、ポプリ」
「そう仰られても……どうか名乗ってください」
「ペイズリー。本当ならあの湖で会いたかったけどね」
それを聞いた瞬間、何かがポプリの中で弾けた。あの別れから一度も忘れたことはなかった。大好きな友人だ。隣国に戻ったけど、その隣国が半年前から酷い荒れよう、きっとずっと連絡のないペイズリーも無事ではあるまいと人知れず涙を飲んだ。そのペイズリーだと聞いて、いてもたってもいられなかった。この結婚だって、ペイズリーが死んだと思っていたから受けたのだ。
「ペイズリー!」
扉を勢いよく開けて、後悔した。そこにいたのはたくましく育ったペイズリーで間違いないが、後ろに三人の若い侍女が蓋をされた皿を控えて待機していた。それが何なのかは分からないが、とりあえず自分は嵌められたのかもしれない。
「? どうしたの?」
「あっ、その。どうしてここに……誰かに見られたら……」
侍女が控えているのに白々しいが、殺される前に全容は知っておきたい。王女の意地だった。
「うん。ちょっとがっつきすぎかなって思ったけど、花嫁に早く会いたくて」
「でも、王に知られたら……」
「僕が王だよ。知らなかった?」
驚いたなんてものではなかった。あの小さくて虐待されていたペイズリーが? と思って、一つの疑念が湧く。
王って、残虐な方って聞いたけど、ペイズリーが?
「……驚いてる? でも当然だよね。王でいる時は別の名前を名乗っていたし。それに評判も……。ごめん、生き残るためには仕方なかったんだ」
その悪いことをして叱られた子供みたいな様子に、ポプリの表情も柔らかくなる。そうだ、ペイズリーだって苦労した。ただでさえ上の世界は黒い。彼だってどうしようもなかったんだろう。だけど、ペイズリーは昔のままだ、昔の……。
「わたしに会いに、来てくれたの? 約束したから?」
「うん!」
笑顔で返事をするペイズリーにどうにもとまらなくなって、その胸に飛び込む。ペイズリーは少しきつい抱擁で返す。
「絶対、生き残ってポプリに会おうと思った。……やっと会えた」
「うん……うん……」
「待たせてごめんね。それで、これ、ささやかな手土産」
ペイズリーがさっきから待機していた侍女に合図をする。すると侍女達は、一斉に皿の蓋を取った。何だろう? 何か大きいものがありそうだとは思うけど……。
目が合った。父と母と、跡継ぎの兄。
の、生首だった。
「……ヒュッ……」
声か息が掠れた。恐怖で叫び声も出ない。
「君を売ったクソ野朗どもの末路だよ。気に入った?」
誰。わたしの前にいるのは誰。
「……ひどい……」
思わず出たのは、目の前の男を非難する言葉だった。でもペイズリーはそうは取らなかったらしい。
「うん、酷いよね。子供がどうなってもいいと思ってるなんて両親じゃない。それに裏で何かやってるようだったから、先手を打って殺しといた。正直もっと苦しめたかったけど、生きてると何されるか分かったものじゃないからね。早めの処理を優先した」
「違う! わ、わたしの両親よ! どうしてこんな!」
ポプリが倫理を期待して問いかけるも、ペイズリーはきょとんとした顔で答えるだけ。
「うん、そうだね。でも、だから? 親は産んだだけじゃ親っていえないよ。育てて、触れ合ってこそ親だろう? こいつらは君に何をした? 何もしていない。こいつらが君のためにしたことなんて、腰振っただけだよ。それだって性欲解消のためで自分のためだ。好きな人の親なだけで遠慮する理由なんてない」
幼馴染が狂っていた。大好きな幼馴染が……。ペイズリーの言葉に、ポプリの心は折れた。
「……これは夢、夢よ。起きたら、いつもの朝で、わたしは朝ごはんを食べたら湖に行くの。そこにはペイズリーがいる……」
幼児退行の上に幻覚を見ているらしいポプリに、侍女の中で真ん中にいた黒髪ショートの娘が主人であるペイズリーに声をかける。
「いかが致しましょう。医師を呼んで、気つけ薬を嗅がせますか?」
ぶつぶつと昔のことを語るポプリを見ながら、ペイズリーは思案のすえ、結論を出す。
「いや……このままでいい。だってこの程度で壊れるなら、僕がこの地位に就くまでにしてきたことを聞いたら、もっと壊れちゃうよ。このまま、可愛いお人形さんでいい。……そうすると色々問題もあるかな。ちょっと部下と話してくるから、あとを頼むよ」
「かしこまりました」
黒髪の侍女は慌てる様子もなく、左右の侍女に命じる。
「貴方は今からポプリ様のお風呂の準備。貴方はベッドの支度。手こずるようなら人を増やして。口の堅い子をね。食事は私が診ます」
「はい、フラン様」
「フラン様の仰せのままに……」
紺の髪の侍女と赤い髪の侍女もフランの命令を聞いて、業務をこなしていった。
◇◇◇
その国の奥の部屋では、時々楽しそうな笑い声が聞こえる。病弱な王妃に若き王が訪ねる度に聞こえてくるものだから、何も知らない新人は微笑ましいものだと笑っている。
その部屋に、侍女のフランは近づいていく。軽食を積んだカートを持って。部屋の前に立つと、ノックをして用件を述べる。
「フランです。ポプリ様の軽食をお持ち致しました」
「入れ」
王が命じて入ると、王妃は王の膝の上に座ってじっとこちらを睨んでいる。特に気にせず、淡々と皿をテーブルに並べていく。
「肉は入ってないな? あれからポプリは肉だと何でも吐いてしまうからな」
「大丈夫です。不足分は代用品で補っています」
「そうか、お前はよく気がつくから助かるよ」
「ありがとうございます。光栄です」
フランは言いながらも手を休めず、仕事を終えるとさっさと部屋をあとにする。扉を閉めると、王妃の笑い声がした。
「行った? 行った? 『お母さん』 今日も怒ってたね。でも人前ではいつも怒らないのよ。今日はわたしの勝ち!」
「昨日も勝ってたじゃないか、ポプリ」
「うん、だからずーっとわたしの勝ちなの」
すっかり狂ってしまた王妃。それでも王は愛しそうに城の奥に仕舞いこんで離そうとしない。時々仕事も投げるほどに大事にしている。……傾国があるとすれば、王妃のようなものかしらとフランは思い、不安からこの職場が無くなった時のことを思案した。職務に忠実であればここほど給金がいいところは無いのだから、それは嫌だなあとぼんやり思う。
部屋の中では、ペイズリーがポプリに軽食を食べさせていた。もそもそと食べながら、ポプリは両親の幻影を語る。
「そういえば、お母さんはわたしのこと嫌いだけど、わたし、ご飯で不自由したことなかったな」
「城内で飢え死に、とかいくらなんでも外聞が悪いからね」
「お父さんも、わたしのこと実子だと思ってないって言うけど、十五の時、兄弟とお揃いのネックレスをくれたの。国の伝統行事の一環だからって言ってたけど、わたし嬉しかった」
「ふぅん……」
「……あれ? わたし、今の年齢……」
ペイズリーは黙って飲み物をすすめる。ポプリは疑いもせずに飲んで、そのまま倒れるように眠ってしまった。
こんな風に時折正気に返りそうになるから、油断ができない。ペイズリーは眠っているポプリを起こさないようにベッドに運び、眠るポプリを見ながら拳を握り締める。
あのままでいいのに。昔のままでいいのに。
悲しい別れなんかいらない。地位を固めるために会えなかった十年なんかいらない。彼女の保護者面する連中なんかいらない。
世界には僕と彼女だけがいればいいのに。どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
「……ペイズリー……」
不意に、寝言で自分の名を言う妻に心躍らせながら、ペイズリーは決意を新たにする。
もっと僕が頑張ればいい。世界が僕らを認めるまで。