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異世界転生騒動記 作者:高見 梁川
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番外編 セイルーンの野望(第三話の少し後)

 ――天は二物を与えずという言葉がある。
 母譲りの可愛らしい容貌と、思わず相手も笑顔になってしまうような愛くるしい表情を持つセイルーンにも、たったひとつ見過ごせない悩みがあった。
 目の前にドン、と鎮座する異様な物体に軽く目まいを覚えてセイルーンはがっくりと両手をつく。
 「おかしいわ。こんな炭の塊になるはずじゃなかったのに……」
 容姿にも才覚にも不満のないセイルーンにとって唯一の瑕疵、飯マズという現実を前にして果敢に挑んだ勝負はどうやら彼女の惨敗で幕を下ろしたらしかった。
 こんなはずではなかった、とセイルーンはあるべき理想を思い浮かべる。
 「これ、すごく美味しいよ、セイ姉。料理も上手だなんていいお嫁さんになれるね」
 「うれしい……私、坊っちゃまのためならもっと美味しく作れそうな気がするんです!」
 「セイ姉……」
 「坊っちゃま……」
 潤んだ瞳で見つめ合う二人。
 やがて無言で二人の唇が近づいていき、もつれあうように二人は……。
 「キャーキャー!そんな……坊っちゃま、いきなりなんて……!」
 「そこで何やってるの? セイルーン?」
 「いい、いやああああああああっっ!」
 同僚のマチルダに声をかけられたセイルーンはあらん限りの声を張り上げて絶叫した。
 (――まさか? 聞かれてしまったの? 今の妄想を?)
 一瞬、同じ職場の仲間を人知れず闇に葬り去ることを、セイルーンは本気で検討した。
 「うわっ! 何その炭の塊、ゴミをキッチンに乗せないでよね!」
 良かった。どうやら聞こえてはいなかったらしい。
 「……もしかしてこれ料理だったりしないわよね? いくらなんでも女としてそれは超えちゃならない一線超えてるでしょ」
 「ふええええっ! だって誰も私に料理なんて教えてくれなかったんだものぉぉ!」
 同僚の容赦のない駄目だしにセイルーンは蹲って号泣する。
 ライバルの多いセイルーンにとって、己の女子力の全否定に近い言葉がこたえないはずがなかった。
 「……もしかしてバルド坊っちゃまにプレゼントするつもりだった?」
 こくり、と頷くセイルーンにマチルダが、がしがしと髪をかきあげてため息を漏らした。
 このままでは恋愛とか以前に、伯爵家の大切な跡取り息子が深刻な障害を負ってしまいそうであった。
 「料理なんてのは本当はレシピさえ守ってれば誰でも美味しく作れるものなのよ……とりあえずどうしてこうなったか聞かせてもらえるかしら?」
 ポツリポツリと語られるセイルーンの証言にマチルダは背筋が泡立つのを抑えることができなかった。
 料理は愛情という言葉があるが、愛情の名を借りた暴虐はメイドの名にかけて、決して料理と認めるわけにはいかなかった。
 「あのね、セイルーン。坊っちゃまが好きなものを大量にいれればいいってもんじゃないのよ。料理はバランスが何よりも大切なの」
 無駄に想像力がたくましい人間ほど、勝手に出来上がりを想像して余計な調味料を加えたがるが、セイルーンはまさにその典型であった。
 しかも指先は器用なはずなのにこのセンスの無さはいったいどうしたものなのか。
 (ああ、この娘、見かけによらず重い性格してるからね……)
 マチルダはセイルーンが可愛らしい容姿に似合わず、執念深く情が強いことを承知していた。
 「――とりあえず基本から教えるわ。いくらなんでもこんなもの坊っちゃまに食べさせるわけにはいかないもの」
 「ううっ……お世話になります……」

 マチルダは開始から数秒で自分の決断を後悔した。
 「ちょっと! 何を片手で卵割ろうとしてるの?」
 「えっ? でも母さんがこうして……」
 「主婦歴うん十年の母親の真似してんじゃないわよ!」
 どうやらセイルーンの所業には、料理上手の母親の姿が影響しているらしかった。
 ようやく見た目だけでもまともなものが作られるまでに、丸一日を消費したマチルダは、今後二度とセイルーンの料理には関わるまいと心に決めた。
 「と、とにかくどうにか形にはなったわ。あとは余計なことを一切せずに反復練習あるのみよ!」
 「ありがとう!マチルダ!」
 だがマチルダは知らない。
 料理オンチは味覚に問題があるのではなく、手順を順守できないことにこそ問題があるのだということを。
 「――――で、できたわ!」
 ふっくらと綺麗に焼き上がったカステラを前にしてセイルーンは歓喜に両手を握りしめた。
 苦節一週間、溜めてきたお小遣いを取り崩し、食材費にあてるという負のスパイラルはようやく終わりを告げたのだ。
 「坊っちゃま、喜んでくれるかしら……」
 一大決心を胸にセイルーンはバルドのもとへと向かう。
 今日のバルドは、また秘密基地でテュロスたちと引き継ぎの作業を行っているはずだ。
 おやつを持っていくには丁度いいタイミングであるはずだった。
 見慣れた畑の向こうで、子供たちに指示を出しているバルドがセイルーンの目に止まった。
 「坊っちゃま! 少し休憩しませんか?おやつを持ってきましたので」
 「本当? ありがとう、ごちそうになるよ」
 うれしそうにバルドは微笑むと木陰になった草むらにゆっくりと腰を下ろした。
 「お口に合うかわかりませんけど……」
 「いただきます」
 じっとセイルーンが見守る前で、バルドはカステラを口にした。
 「美味しいよ、セイ姉」
 「良かった……うれしいです」
 ジン、と胸が熱くなる女の幸せにセイルーンは破顔する。
 そんな二人の甘い空気を読まずに、巨体を揺らして覗きこむ影がある。
 ジルコだ。バルドの手元を覗きこんだジルコは、そこに好物のカステラがあるのを発見して、鼻息も荒く手を伸ばした。
 「た、大将! あたしにも分けておくれ!」
 そのまま許可も取らずに一切れのカステラを口へと放り込み、ジルコは飛び上がるようにして悶絶する。
 「辛っ! 辛ひいいいいいいいいいいいいいいい! 水! 誰かあたしに水を、お水うううう!」
 見ている方がつらくなりそうなほどにのたうち回るジルコであった。
 「坊っちゃまは……大丈夫なんですか?」
 「うん? 実は僕、辛党なんだよね」
 コルネリアスでは恋人同士の恋が燃え上がることを願って、ともにセムの実を食べるという風習がある。
 非常に辛い刺激物であるため、家庭の食卓にのぼることはないので、セイルーンもどれほどに辛いかは知らずにいた。
 セイルーンの乙女心が、ほんの少しセムの実を混ぜようと考えてしまったとしても、誰が責められるだろうか。
 「美味しかったよ。まあ、今後の努力は必要だと思うけど」
 真っ赤になって恥じらうセイルーンは、それでも無意識のうちにバルドの右腕をぎゅっと握りしめていた。

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