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異世界転生騒動記 作者:高見 梁川

第三十八話 国境

泣きながら自分のベッドに飛び込むと、シルクはひとしきり泣いた。
まるでこれまで大地と信じていた足元が崩れ、奈落に飲み込まれていくような、底知れない絶望感に、シルクは自分がどれだけバルドに惹かれていたかを自覚した。
同時に、なぜセイルーンやセリーナの婚約を前にしながらも、常に一歩引いた立ち位置で見ていられたのかを。
――――シルクとバルドは結ばれない運命にある。
その結論から目をそらしていたかっただけのことであった。
少なくとも、そうしている間は、もしかしたらバルドと結ばれる可能性もあるのでは、と夢想していられる。
そんな自分の中途半端な姿勢を、父は咎めたのだろう。
突き詰めて考えてみれば、トリストヴィーの次代を担うシルクと、ハウレリア国境の要であるコルネリアス家の婚姻は地位的にも政治的にも障害が大きすぎた。
これまでにも他の貴族で、一人息子と一人娘の婚姻がなかったわけではない。
しかしその場合、二人の子供が跡継ぎとして、一方の養子に出されるのが通常である。
跡継ぎが生まれるまでの間、娘を嫁に、あるいは息子を婿に差し出したほうの家は嗣子がないまま取り残されてしまう。
もちろん、二人以上子供が生まれない場合も家は断絶か、他家から養子をとって跡継ぎとするしかない。
そんな不安定な立場を許容できるほど十大貴族ランドルフ家や、今やマウリシア防衛の要でもあるコルネリアス家は低い地位ではなかった。
万が一にもどちらか一方が断絶するようなリスクを、国王ウェルキンですら認めるはずがなかった。
両家はマウリシア王国の政治戦略になくてはならない存在なのだから。
(だから――私が諦めるしかない)
そう、最初からわかっていたはずなのだ。
でも、もしかしたら――バルドならもしかしたら、なんとかしてくれるのではないか?
そんな甘い期待を、シルクは今もなお捨てることができなかった。
自分はこんなに弱く、愚かな女であったろうか。
(ごめんなさい、お父様……もう少し……もう少しだけ私に時間を……)

「すまない、田舎に引っ込んでいた義兄なんだが、親方のところで使ってやってくれないか?」
「おうっ! ダリオの親父か。確かに今は人手不足で困っていたところだ。正直助かるぜ」
「ソルベと申します。誠心誠意働かせていただきますので……」
ソルベと名乗った男は誰あろうソバトである。
辺境ではこうした人材の斡旋は珍しいことではない。
その場合、斡旋した人間の信用が、そのまま斡旋された人間の信用となる。
ダリオの人物評価は、ガウェインでは非常に高く、その彼が推挙した人間だからこそソバトは国境地帯に出入りする物販の商人にもぐりこむことが出来たのだった。
もちろん、斡旋された人間が不手際を起こした場合、斡旋した人間も連帯して責任を負わされる。
そのためよほど信頼できる人間しか斡旋しないのが普通だ。
国境守備隊への食材の納品を任されている、トラド商会の親方があっさりとソバトを信用した理由はそこにあるのだった。
(さて、ここまでは予定通りだが……)
いくら出入りの商人といえども、国境の守備陣地を間近に見せてくれるほど、奴らも愚かではあるまい。
(出来ればダリオには迷惑をかけずに済ませたいのだがな……)
ソバトがスパイであることが明らかになれば、ダリオは下手をすれば死刑になるだろう。
それが感傷であることがわかっていても、ソバトは旧友の未来を壊すことは避けたいと思っていた。
もちろん、任務の遂行に必要とあらば、彼を犠牲にすることを躊躇するつもりはなかったが。
(噂に聞く間者殺し――どこまで騙しとおせるかな?)
各国から送り込まれる間者たちを、ことごとく葬り去ってきたアントリムの間者殺し。
真実のベールを暴くことができるか、あるいは自分も葬り去られてきた骸の一部となり果てるか。
ソバトはたとえ自分の身が朽ち果てようと、主君に情報を届ける覚悟を固めた。
それが代々サヴォア伯爵家に仕える諜報頭の誇りにかけて、それだけは全うしなくてはならなかった。
この時期、アントリムに目をつけていたのがサヴォア伯爵家だけであろうはずがない。
本来もっとも動きたかったのが、セルヴィー侯爵であることは間違いないが、武断で知られるセルヴィー侯爵家には諜報の非公然部門がない。
組織的に諜報を運用しているサヴォア伯爵家が例外なのであり、大半は血縁関係による情報収集と情報屋のように外部から金で仕入れるのが主であった。
そのため、セルヴィー侯爵家は情報を集めてはいるが、直接間者を送り込むことは控えていた。
トーラスたちが全滅したあの一件から、まだほとぼりが冷めていないことも大きい。
だからといって手をつかねて傍観するという選択肢はセルヴィー侯爵家にはなかった。
サヴォア伯爵家に調査を依頼したのもその一環であるし、もうひとつ、かろうじて集められたわずかな情報をもとに、恐るべき相手を引き入れることに成功している。
すなわち、ハウレリア王国特務機関、通称「タミルの眼」の協力を得ることに成功したのだ。
当初は、コルネリアス家の発展やマウリシアとサンファンの同盟などに目を奪われていた「タミルの眼」であるが、アントリムに送り出した間者が誰ひとり戻ってこないことに、ようやく危機感をあおられ始めていた。
そして戦闘行動も得意とする手練が、アントリムへと送り出されたのはつい先日のことである。
単純に国境を越えた場合、これまでの間者と同じ運命を辿る可能性から、ソバトと同様、彼らは身分を偽ってアントリムに偽装侵入していた。
「随分と大した量ですねえ……」
ソバトは運びこまれる食糧の量に、演技ではなく驚愕した。
これほどの量となると、少なくとも五百人、いや、千人に近い量になるのではないか。
「驚いたか? まあ、こんなちっぽけな辺境じゃあ、驚くのも無理はないか」
そういう親方は機嫌よさそうにソバトが驚く顔を見守っている。
「ついこの間まではまさにそうだったさ。王国にも見捨てられた、ちっぽけで寂れた、誰も見向きもしないような田舎町だった。それが領主様が変わられてからは、まるで生まれ変わったようさ」
「アントリム子爵バルド様、ですね」
親方はソバトの言葉にうれしそうに破顔した。
「おう、良く知ってたな。以来この見捨てられた田舎町にも、兵士が増え、仕事が増え、人が増えて何もかもが順調にいってる。お前さんがダリオを頼ってきたのは正解だったと思うぜ?」
しかしそう素直に頷けないのがソバトの立場である。
敵の発展は味方の損失であり、アントリムの戦力が増えることは、ハウレリア王国の国防の障害と同義であるからだ。
聞けば聞くほどバルドという人物は、このまま放っておくのは危険な人物であった。
ソバトの知る限り、これほどの短期間で領内を復興した政治家はいないし、これほど短期間で防衛力を拡充した軍人もいなかった。
その両方をまがりなりにも成し遂げているのが今のアントリム領である。
(ただでさえコルネリアスが手強くなっているのに、さらにアントリムまで要害と化したら、ハウレリアの戦略が根本から狂ってしまう)
「しかもご領主様は気前がよくてな、牛馬を安い値段で俺達に貸してくださる。なぜか王都の商人が質のいい肥料まで売りにきてくれるし、収穫が今から楽しみだ。きっと今までにないくらい大豊作になるだろうぜ」
「腹いっぱい食えるってのは、なんとも素晴らしいことで」
「おう、今年は少しばかり贅沢しても罰はあたらないぜ? はっはっはっ」
ソバトはあるいはバルドと王都との繋がりを調べるべきであったか、とわずかに後悔した。
まさかこれほどに大規模な経済政策が連動しているとは、夢にも考えなかったからである。
しかし人員の少ないサヴォア伯爵の諜報レベルでは、さすがにそこまでを望むのは難しいことをソバトは承知していた。
今はこのアントリムの警戒度をはっきりさせることが最優先事項であった。
「おっ! 見えてきたぞ!」
「…………なんですかい? あれは……」
高さ五メートルほどの見張り台はいい。白っぽいもので覆われた塁壁のようなものが延々と延びている光景にソバトは目を見張った。
明らかに子爵領の規模を超えた防御施設であった。
兵士の頭数さえいれば、この程度の塁壁でもハウレリアの侵攻を防ぐには十分な力を発揮するだろう。
いくらなんでもそんな兵士数がいるとは信じたくないが……。
「皆さんの食糧をお持ちしました。これが発注票で」
「うむ、わかっているとは思うが立ち入り禁止の中には入るなよ」
「もちろん心得ております」
親方の身分証と、アントリム行政府の発行した発注票を確認した兵士は、商隊を受け入れるべく、門を解放した。
およそ詰所にいる者も含めて数十人というところだろうか。
この程度であれば、最悪逃亡するのも不可能ではなさそうだが……。
そんなことをソバトが考えていると、商隊は人夫用に作られた宿舎へと案内されていく。
軽く千人は収容出来そうな、大量の宿舎が立ち並んでいることに、ソバトは改めて驚愕した。
人影の見えないことを考えれば、今はみな作業中ということなのだろう。
これほど大量の人間が、宿舎まで用意されて継続的に働いているというのはただごとでない。
どうにかして最前線の様子がつかめないものか。
残念ながら親方についてきているほかの従業員も、この宿舎から先は見たことがないようであった。
(わからん……確かに警戒は厳重だが、この程度で部下が一人も帰れんとは思えんが……)
ダリオの力を借りたとはいえ、ソバトの腕なら数十人程度の警戒をかいくぐることは、決して不可能ではないように思われる。
(何か仕掛けがあるはずだ……この俺も気づかぬ何かが……)
黙々と荷降ろしの作業をこなしながらも、ソバトの思考は間者殺しの謎を推理することでいっぱいであった。
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