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異世界転生騒動記 作者:高見 梁川

第三十八話  絡み合う思惑

 アントリム子爵領の南部を支配しているのはハウレリア王国伯爵である、フェルナンド・サヴォアである。
 すでに五十路を迎え髪には白いものが目立ち始めているが、知性的で落ち着いた容貌は年齢に相応しい上品な貫禄をフェルナンドに与えている。
 マウリシア王国と国境を接してはいるものの、彼がセルヴィー侯爵とは違い、政治的には比較的穏健な勢力に属している理由は、やはりアントリムで子爵一族を全滅させてしまったことに対する負い目の念が大きかった。
 何といっても貴族にとって、その血を絶やすということは、何よりもやってはいけない禁忌である。
 だがそれ以上に、領民のために助かる生命を投げ出した、アントリム子爵一族に対する敬意もあるのであった。
 「だというのに…………」
 聞けば新たにアントリムの領主となったのは、コルネリアス伯爵の嫡男であるという。
 ということは、領主の成長とともに、アントリムはコルネリアスと合併される可能性が濃厚だ。
 ――――この事態に非常に神経を尖らせている人間がいる。
 言わずと知れた対マウリシア王国強硬派、セルヴィー侯爵であった。
 「アントリムの新領主は危険人物であるから、情報を集め、隙あらば陥れる弱点を掴みたい」
 なるほど、侯爵の言うとおり敵の弱みを掴めるならそれにこしたことはないだろうが、それを実行するとなると至難の業である。
 歴史的にアントリムの南部に位置するサヴォア伯爵家と、西部のロベール男爵家は、いざマウリシア王国と開戦となれば最前線となることが宿命づけられた地域である。
 ともに孤立を避けるためには、協力し合わなければならない間柄であった。
 フェルナンドが、セルヴィー侯爵からの要請を無碍にはできない理由もそこにある。
 せめて怒らせない程度にはセルヴィー侯爵に対する義理を果たさなくてはならなかったのだ。
 「……厄介なことにならなければいいが……」
 フェルナンドもまた、アントリム子爵が只者でないという噂だけはすでに聞き及んでいた。
 藪をつついて蛇を出す愚は避けたいというのが本音である。
 ハウレリア王国とマウリシア王国との関係が良好であった時代には、アントリムは両国の文化の交流点であり、流通の中継地であったこともあった。
 実を言えば、ハウレリア王国の景気はマウリシア王国との関係が良好であったときのほうが良いのだ。
 だからこそモンフォール公などは、経済交流に重きを置いた対マウリシア融和路線を唱えるわけなのだが。
 いかんせん、戦役の犠牲者が多すぎる現在、マウリシアとの協調が王国の主流を占める可能性は低かった。
 「ソバトはおるか?」
 「御前に」
 長く裏の仕事を任せている陰の者をフェルナンドは呼んだ。
 「どうせ大した情報はあるまいが……侯爵の顔を立てんわけにもいくまい。手のものを潜りこませてアントリムを探れ。くれぐれも事を荒だてるでないぞ?」
 表情の読めない小柄な男が丁重に頭を下げて答えた。
 「御意」

 そんな会話がされているとも知らず、もし彼らが見たら目を剥くような光景がアントリムの大地に広がっている。
 アントリムの西部に広がる平野部を、大きく横切るように建築が進むそれは、コンクリートによるトーチカと鉄条網の塹壕線であった。
 地球でローマの昔から存在したコンクリートの製法は何故か失われ、再び歴史に姿を現すのは十八世紀も末になってからのことである。
 さらに現代にも伝わるポルトランドセメントが開発されたのは十九世紀の半ばになってからのことだ。
 どうして千三百年もの間コンクリートの技術が失われたのかは定かではないが、古代の技術でも再現が可能な技術であることは確かであった。
 「ありえねえ……」
 騎士学校で教えられた防御戦の概念とは全く発想が異なる防御施設、だがその有効さに気づかないほどブルックスは愚かではなかった。
 座学の成績は悪くとも、こうした実戦に適した判断の鋭いブルックスには、建設の進む防御線の厄介さがよく理解できるのだ。
 「この有刺鉄線って奴だけでも十分に厄介だぞ。これだけで大軍でもある程度は拘束が可能だろう」
 ブルックスとともに国境の哨戒にあたっていたネルソンもまた、同意する。
 本来であればアントリム程度の小領が実施できるような土木作業ではないのだが、アントリムでも始まった砂糖の生産の利潤や過剰なまでに投下された資本が、ありえないはずの大工事を後押ししていた。
 有刺鉄線は歴史的にそう古いものではなく、十九世紀も半ばになってフランスで発明された。
 その有用さは現代でも一般的に使用されていることでも明らかであろう。
 殺傷能力こそ低いものの、衣服にひっかかり、軽傷を負わせやすいうえ撤去が面倒である、とその防御効果はひどく高い。
 銃眼を備えたトーチカや見張り台と合わせれば、恐るべき破壊力を生み出すことは想像に難くなかった。
 しかも恐ろしいことに、バルドはこの防御線を縦深化して、城まで失血を強いる消耗戦略を構想している。
 「……お前ならどう戦う?」
 眉をひそめたブルックスに問われて、ネルソンは腕を組みしばし俯く。
 座学では騎士学校でも三本の指に入ると言われたネルソンにも、根本的な対策は浮かばなかった。
 木の柵程度であれば燃やしてしまえばよいが、有刺鉄線もコンクリートも火ではまったく対処できない。
 「まともに戦うほかあるまいよ。どれだけ味方に損害がでようとも」
 負傷者を搬送し、工兵を出して有刺鉄線を撤去し、犠牲を払いながらもトーチカを白兵戦で占領する。
 戦術家として悪夢のような戦い様であった。
 性質が悪いのは、この防御陣地を突破しても、いざ今度は撤退しようとするときに、再び障害物となるという事実である。
 かといって実戦のなかで、わざわざ完全に撤去するなどできようはずがなかった。
 西部から侵攻してくるかもしれないハウレリアの指揮官に、ネルソンは思わず同情した。
 騎士学校のころから知っていたはずなのだが、彼の主君は常識の想定というものを守るつもりのない困った男であった。
 「アントリムについてきてくれ、と言われたときには戦死も覚悟したもんだが……俺が敵の指揮官なら十倍の兵力を揃えても攻め込みたくねえ」
 「――――全くだ」
 賭けてもいいが、これほどの防御陣地が築かれようとしているなど、実際に目にした人間以外信じない。
 呆れた眼差しを交わし合うと、ブルックスとネルソンは肩をすくめて笑った。
 どうやら新兵を早くこの陣地で運用するため、訓練を始めなくてはならないらしかった。
 後日、彼らの予想通り、フェルナンドにアントリムの恐るべき変貌を報告したソバトだが、それが噂程度の情報であったために、主君に話半分ほども信じてもらうことが出来なかったのである。

 ふた月ほどが経過すると、アントリムの躍進はようやく噂になりつつあった。
 いかに辺境の片田舎であっても、いや、むしろそうであるからこそ流入する資本と消費財の量は隠しようがない。
 ただ流入するだけなら、バルドの無駄遣いのためと言えなくもないのだが、逆に砂糖や綿製品が輸出され始めると、これを田舎のことだからと無視するのは難しかった。
 そのためハウレリア王国もマウリシア王国からも、内情を探ろうという密偵が引きもきらずに押し掛けている。
 だがハウレリア王国の密偵は拡充された傭兵による国境の警戒で、迂闊に国境を越えることさえ難しくなっており、マウリシア王国側はアントリムの防波堤としてブラッドフォード子爵マティスがスパイのチェックに協力していた。
 かろうじてフォルカーク准男爵家には正確な情報が届いていたが、こちらはこちらでアントリムの好景気の恩恵を得ていたために事を荒立てる必要性を感じていなかったのである。
 同じころ、マイルトン准男爵家ではアガサの居場所がアントリム子爵家であり、しかもすでに家宰の地位についているという話を耳にして当主のヘインは激怒していた。
 マイルトン家を出奔したアガサは、貴族の地位こそそのままだが、実家の保護のないただの女性であり、たとえ誘拐されても助けとなる者はいないはずだった。
 これが商家相手であれば、誘拐してアガサは実家に戻ったと手紙のひとつも送りつけてやれば事件化することは難しかったに違いない。
 しかし格上の子爵家が相手となると問題は異なる。
 強引に奪えば家臣に手を出したとして、逆にマイルトン家が裁きを受けかねなかった。
 「くそっ……あのあばずれめ。いったいどこでアントリム子爵に取りいったというのだ……」
 アガサがか弱い女性(少なくとも体力的には)であることを良いことに、さっさと誘拐して性奴隷よろしく狒々親父に売り飛ばそうと考えていたヘインは見事に当てをはずされたのである。
 万が一にもないことだが、アガサにマイルトン家の家宰に戻ってもらうという選択肢もこれで消えた。
 給料も遣り甲斐も、アントリム子爵家のほうが断然高いは明らかであった。
 しかし、これを僥倖と捉えた人物もいた。
 ――――その日マイルトン家を訪れた使者は、とある提案をヘインに行い、これを了承させることに成功したのだった。
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