教師VSキラキラネーム
天気は快晴、穏やかな風が吹いていて校舎の窓からは花びらの舞う満開の桜を見ることができる。
今日は絶好の入学式日和だ。
俺はピカピカのランドセルを背負った新入生と同じくらいワクワクドキドキした気分だった。
教師になって早3年。ようやく担任を持てることになったのだ。しかも新一年生の担任ときた!
担任を持つことは俺の夢だったので嬉しい反面、緊張もしている。
今日は児童や保護者の方との初めての顔合わせ。
こういうのは最初のイメージが肝心である。粗相でもしようものなら今後の児童や保護者達との関係も危ぶまれる。
俺はネクタイをビシッと締め、背筋を伸ばして教卓へ立った。そしてにこやかに口を開く。
「こんにちは、そして鳴楼小学校へようこそ。今日からみなさんは1年3組としてこの教室で先生と一緒に授業を受けていきます。困ったことがあったらなんでも先生に言ってくださいね。先生と一緒にこのクラスで楽しい学校生活をおくりましょう」
保護者を中心に拍手が起こり、つられて子供たちもその小さな手を叩く。
うん、掴みは上々。初めてにしては良くやれたのではないだろうか。
「ではみなさんには順番に軽い自己紹介をしてもらおうと思います。先生が名前を呼ぶので、呼ばれた人は立って自分の名前とそれからなんでも良いのでなにか一言お願いします。例えば好きな食べ物とか、好きな本とか、好きな遊びとか。では番号順に読んでいきますね」
子供とはいえその個性は様々だ。早めに子供の個性を掴み、その子に合った接し方をすることが大切。自己紹介にはその子の個性の片鱗が見えるものだ。よく観察せねば。
俺は出席簿を取り出し、広げる。
とその時、俺はとんでもないミスをしでかした事に気が付いた。
名簿に振り仮名を振った特製の紙を忘れてきてしまったのだ。
今の子供は簡単には読めない名前が付けられている事が珍しくない。いわゆるDQNネーム、もしくはキラキラネームと呼ばれるアレだ。
教師はキラキラネームに大変悩まされている。
簡単には読めない名前を付けているにも関わらず、読み間違えると文句を言う親が多いのである。しかも今は入学式と言うハレの場。保護者や児童からの視線を一身に浴びている状態でミスを犯すのはなんとしても避けたい。児童の親から怒られるだけならまだしも、下手をすればイジメの原因にもなりかねない。
クソッ、紙はきっと家だ。寝る前に予習しようと紙を出して、目を通している途中で寝てしまった。自分の真面目さが裏目にでるなんて。
どうする。寝ぼけ眼でサッと目を通しただけだから児童の名前はほとんど頭に残っていない。苗字を呼ぶか?
いや、この前まで幼稚園児だった子たちだ。苗字で呼ばれることには慣れていないし、苗字がかぶっている子供もいる。苗字呼びは混乱を招いてしまうだろう。
では出席番号で呼ぶか? いや、もっと混乱してしまうか。番号で呼ぶなんて囚人みたいだという批判が飛んでくる恐れもある。
ここは自分の教師としての経験、そして推理小説で培われた推理力を発揮するしかない。
俺は覚悟を決め、震える手で名簿を持った。
最初の名前は――阿部 真里亞。
「じゃあ……行きます。出席番号1番、阿部 真里亞さん」
「はい! 好きな食べ物は、オムライスです」
よし、クリア。
アベマリア……アヴェマリアを意識したのか? いや、偶然だろうか。
まぁそんなことはどうでも良い。取りあえず一人目はクリア。大丈夫、新米には違いないが俺だって小学校の教師。今まで色々な名前を見てきたのだ。そんなに気を張り詰めなくても良いのかも。
よし、次の名前は――
「出席番号2番の――ッ!?」
井上 光宙
俺は目を擦り、もう一度出席簿に目をやる。見間違えなんかじゃあない。確かに出席簿にはそう書かれていた。
そんな馬鹿な。まさかこれは、伝説のキラキラネーム「ピカチュウ」君なのか?
い、いや。国民的キャラクターとはいえ、そんな名前を付ける親がそうそういるだろうか。
良く考えろ。違う読み方――たとえば「ミツヒロ」の可能性は? 宙をヒロと読めるかは微妙だが、まぁありえなくはない名前だ。どっちだ、ピカチュウか。それともミツヒロか!?
悩んだ挙句、俺はそっと出席番号2番の井上君に目をやる。
彼は黄色い生地にあのキャラクターの顔がデカデカと付いたパーカーを着ていた。
「……井上 光宙君」
「はい! 好きなゲームは怪物ウォッチです!」
……ジバ猫パーカー、買ってもらえると良いね。
よし、次だ。出席簿に目を通す。
上田 マリ
最近は名前がカタカナの子供も多い。外国風の名前によく合うし、教師の立場からすると読みやすくてとてもありがたい。
「上田 マリさん」
「はい! 好きな食べ物はイチゴです」
「大山 エミリさん」
「はい! 好きな遊びはかくれんぼです」
「香川 アリスさん」
「はい! 好きな食べ物はショートケーキです」
「菊池 マリリンさん」
返事がない。
不思議に思って顔を上げると、前の席の男の子が肩を落としながら蚊の鳴くような声で返事をした。
「あっ……」
さんじゃない……君だ。マリリン「君」。
くそっ、マリリンといえばマリリン・モンローをイメージしてしまっていたが、親御さんはきっと違うことを考えて彼にそう名付けたのだろう。
マリリン・マンソンのファンだったのか、あるいはただ語呂が良かったからか。
いやそんなことを考えている場合じゃない!
俺は慌ててフォローを入れる。
「ご、ごめんね! 先生間違えてた、マリリン君だよね。ごめんね!」
マリリン君は苦笑いしながら小さく頷く。そして立ち上がり、好きな食べ物を言ってからすぐに座った。
ちくしょう、迂闊だった!
そうだ、今や名前だけで性別を判断するのは危険な時代。きちんと顔を見て確認しながら名前を呼ぶべきだったのに。俺としたことが。
子供の頃はこうした小さなエピソードがイジメに繋がるのだ。もう失敗はできないぞ。ますます慎重に名前を呼ばなければ……
「つ、次は……小林 箱舟君」
「はい!」
「佐藤 砂糖さん」
「はい!」
「武本 希望箱さん」
「はい!」
「中谷 美味汁くん」
「はい!」
ふぅ、まるでナゾナゾでもしている気分だ。
しかし俺は頭をフル回転させ、なんとか児童たちの難読名前を解読してみせた。
そして残りあと一人。
最後の生徒の名は――山田 花子。
これは余裕だ。ヤマダ ハナコ。これほど俺達が馴染んだ名前もない。
ハナコ以外に読み方も……
いや、まてよ。
本当にハナコしか読み方はないのだろうか?
アリスやマリーなんて名前がそれほど珍しくなくなっている現代、本当に花子なんて名前をつけるだろうか。しかも苗字は山田ときた。
チラリと一番後ろの席にいる生徒に目をやる。彼女が山田さんだ。特に変わったところは見られない、ごく普通の女の子だ。そのすぐ後ろにいる顔のよく似た女性、あの人が多分お母さんだろう。お母さんもごく普通の、悪く言えば地味なくらいのしっかりしていそうな女性だ。歳も30代くらい。
子供には古風な名前を付けそうな女性であるが、案外ああいう人が個性的な名付けをするとも聞く。花子と書いてローズと読むのか、それともマーガレットか? まさかフラワーチャイルド?
よく考えろ、考えるんだ。
俺がもし彼女の夫だったら……
……いや、そもそも名前に個性を求めることが間違っている。
日本一有名な野球選手の名は鈴木一郎だ。名前にこそ個性はないが彼自身は強烈な個性を持っている。
彼女もきっとそう考えたのだ。
……俺はあの女性を信じる!
「山田……花子さん!」
頼む……お願いだ……
そして女の子はゆっくりと顔を上げ……
「はい!」
元気よく返事をした!
「好きなお花はたんぽぽです」
よし!
俺は密かにガッツポーズをする。
やった、やったんだ。俺はこの戦いに勝利した。
しかし俺はまだこの教室にいる全員の名前を読み上げた訳ではない。
大きく深呼吸し黒板に向かう。おもむろにチョークをとりだし、ピカピカの黒板に大きく文字を書いていく。
「青山 大地」
黒板に書かれたそれは、この教室の担任である俺の名前だ。
「これは先生の名前です。みなさん、どう読むか分かりますか?」
この年頃の子供たちの教育レベルには大きな差があることが多い。厚い本をスラスラ読む児童もいれば、絵本を読むのに苦労する児童もいるのだ。
このクラスの子供たちはどうなのか、軽く知っておく必要がある。
児童たちは元気一杯に、思い思いの読み方を口に出していく。
「あお……やま?」
「違うよ! ぶるうふじだよ!」
「えー、ねいびぃひまらやじゃない?」
「ええと、下の名前は……」
「お兄ちゃんと一緒だ! ぐらうんどでしょ?」
「ええ? あーすじゃない?」
「えっ、せいめいがうまれしところじゃないの?」
俺はガックリ肩を落とす。
こりゃあ漢字の授業に苦労しそうだ。