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ホワイトボードラバー 作者:藍上尾わをん

第1章 創世編

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コンパスのキャッチフレーズを教えてください

「名柄。大至急、コンパスを買ってきてちょうだい」
 はあ? という、およそ、一つだけとはいえ年上の人を相手取って口にすべきでない言葉を漏らしてしまった。
 けれどそれも仕方の無いことだと言えよう。
 なにせ、私こと、私立忍舞学園、第四十三代生徒庶務、名柄は、放課後になっていつものように生徒会室に来ただけなのである。
 なのに、生徒会室の扉を開けたら一秒で「大至急、コンパスを買ってきてちょうだい」なのである。
 至急ですらない、大至急である。めっちゃ急いでるじゃないですか。
 その割には、言った本人、私立忍舞学園、第四十三代生徒会長、霧島冴詠は生徒会長用の椅子にふんぞり返って座ったまま微動だにする様子も無い。
「えっとぉ……」
 さすがにこれは会長に対して事情の説明を求めることくらい許されて然るべきだろう。
「会長、コンパスって、どういうことですか? ていうかコンパスって、丸書くやつ? のことでいいんですか? それとも方位磁石?」
「あらなに名柄、まだ居たの? 私は、大至急と言ったはずなのだけれど」
 許されないのかよ。
 会長から、じろりとひと睨みされてしまった。
 だが私の今までの経験上、会長が何か突飛なことを言い出したら、まず間違いなく彼女の特異な趣味が絡んでいると言っていいだろう。
 そういうわけで、私は生徒会室内に設置されている黒板の、いつも『お題』が貼付けられている辺りに視線をやる。もちろんそこには、私の予想をまったく裏切ることなく、会長が本日相対することとなった議題……否否、『お題』が貼り付けられているのであった。
 黒板に四隅をマグネットでぴっちりと固定されているA四のコピー用紙。そこにはこんな文面が踊っている。
『コンパスのキャッチフレーズを教えてください』
 膝から崩れ落ちるかと思った。
 だから、コンパスかよ!
 自分では分からないのだけれど、私はどうやらよっぽどあきれた顔をしていたらしい。会長は、今日のお題を見つめる私の顔をちらりと見るや、言い訳でもするかのように呟いた。
「なかなか良い答えが思い浮かばないのよ。実物でも見れば、また違ってくるかと思って」
 ううむ、そういうものなのだろうか。
 私は大喜利をやるわけではないので分からないのだけれど……とあらかじめ断ってはおくけれど、さすがに目の前にコンパスがあったからって何かが変わるってことはないと思うのですが。
「ちなみに会長が今までに出した答えって、どんなのですか?」
「『無冠の帝王 コンパス』」
「むしろ何か受賞している文房具があるんですかね!?」
 文房具オブザイヤーみたいなのがあるんだろうか。
「『カモシカのような本体、コンパス』」
「そんなたべっ子どうぶつみたいな文房具でしたっけ!?」
カモシカのような脚だからすらっとしたスタイルを表現するのに成立するわけであって、カモシカのような本体にしちゃったらそれはもうカモシカそのものでしょう!
「『国宝の巻物に丸書いたら穴が空いて怒られそう、コンパス』」
「穴が空かなくても怒られますよ!」
 穴が空かなかったらセーフみたいに言ってますけど、たぶん指紋つけただけでびっくりするくらい怒られますよ!
 これにはさすがの素人の私にも分かる。会長は早くも思考が迷走しまくっている。国宝のやつに至っては、キャッチフレーズでなくてただの感想だし。
 そんなわけで目下思考のるつぼに落ち込んでいると思わしき会長様は、自分の回答の書き込まれていたホワイトボードをマーカー消しで拭き取りながら、言うのであった。
「コンパスを買ってきてちょうだい」
 と。

 いや会長が自分で行けよ、とは生徒会室を出てから購買部のある本校舎の一画に訪れてから思い至った。
 生徒会の用件ならばいざ知らず、なぜ本人が勝手にやっている趣味の領分の大喜利での用事を、わざわざ私がこなさなければならないのだろうか。
 しかしながらあの生徒会長様には何か人に命令をする際に有無を言わせぬような威圧感のようなものがある。今回は彼女にそれを濫用される形になってしまった。
 会長にパシらせ癖がついてしまわぬ内に、なんとか矯正しておきたいところではあるが、今日のところは来てしまったのだから仕方がない。生徒会室は本校舎の四階だ。それに対して購買部は、同じく本校舎の、一階にある。わざわざ降りてきてしまった以上、もう買って戻った方がお利口さんというものだろう。
 購買部は食堂と併設する形で居を構える、ちょっとしたコンビニくらいの広さのある学内販売所だ。
 ここでは、食堂で食事をするということすらできない遊び人系貧乏高校生達が飢えを凌ぐために購入する菓子パンなんかを売ってたり、あるいはもちろん参考書や文房具も売っているし、各種資格試験の受験手続きもできる。要は学校内で何か入り用なものがあればとりあえずここに来て探してみれば大体ある、と、そんな場所である。
 お昼時の忙しい時間帯には何人かで切り盛りしているところを見かけるけれど、さすがに放課後を向かえた現在では店番をしているのも一人だけであった。学校の校章がワンポイントで入っているエプロンをかけた、まだ年若いお姉さんがレジスターの前で本を読んで暇をつぶしているのが見える。
 私はさっさと用事を済ましてしまおうと、文房具の置かれた一画へと脚を向け、棚の一段一段を確認していく。
 ホッチキスに、原稿用紙に、シャープペンシルに各色取り揃えられたボールペン。
 授業の必需品の消しゴムに、大学ノートに、定規に、分度器に、うわ羽根ペンまである。誰が買うんだこんなもの。
 それから、あったコンパス……いや違うな、商品名はコンパスって書いてあるけど方位磁石だこれは。紛らわしいぞ方位磁石、文房具コーナーに我がもの顔でいるなよ。どこら辺が”文“具なんだよお前は。
 えーと、それからそれから……。
 ……うん。えーと、無いな。コンパス。
 会長の趣味のためにそこまでしてやる義理も無いのだが、念のためにもう一周目視確認をしてみるが、やはり無い。
 なんで方位磁石や羽根ペンがあって、コンパスが無いんだよ。優先順位がおかしいだろ。いや、確かにコンパスなんて高校生になったら使う機会激減するだろうけどさ。
 しかしまあ、無いものは無い。無いものは買えないのだ。
 それでも、せっかく遠路はるばる(四階から一階へ)来て手ぶらで収穫無しというのも、寂しい話ではある。
 ので、こればかりは決して会長のためではなかったのだけれど、わざわざ四階から降りてきた自分の労力を惜しんだが故に、私は店番をしているお姉さんに声をかけていた。
「あのお、すみません」
「ん?」
 読んでいた本から顔を上げ、女性がこちらに顔を向ける。まだ二十歳そこそこといったところの……お昼に菓子パンを売りさばいているおばちゃんたちよりも、どちらかというと私たち高校生組の方が年齢が近そうな人だった。おそらくはアルバイトなのだろう。
 彼女が読んでいた本に栞を挟んで傍らの作業台の上に置いたのを見て、私は口を開く。
「えーと、コンパス探してるんですけれど……ありますかね?」
「コンパス? あるんじゃないのかな。文房具コーナー見た? あっちらへん」
「あ、見ました。なんか、コンパスしか無かったです」
「コンパス探してるんじゃないの?」
「あ、えと、方位磁石のコンパスはあったんですが。じゃなくて、丸とか書く方の、コンパスです」
「ああ、コンパスね」
 お姉さんはひょいと文房具コーナーを遠目で見た。立ち上がりすらしないままに。
 それからやる気無さげに、んーと唸ってから、
「無いんなら、無いんじゃないかな」
 と。
 さいですか……。
 そのお姉さんはもうそれで話は終わったとばかりに、傍らにたった今置いたばかりの本を再び手に取る。
 なんだよう、そんなにその本の続きが気になるのかよう、と思って本のタイトルを見たら、『さおだけ屋はなぜゆっくり走るのか?』という、どこかで聞いたようでまったく聞いたことの無いタイトルだった。そんなもん、快速飛ばして走るさおだけ屋じゃ、誰もさおだけ買えないからだろ。
 そんな感じでろくに接客する気も無さそうな店番お姉さんだったが、それでもアルバイトとして購買部を任されているという自覚は心の隅に残っていたのだろう。目線を本に落としながらも、彼女は私に話しかけてくる。
「それにしても……コンパスなんて、何に使うつもりなの? 授業?」
「いや、授業ではないですね。私、文系ですし」
「そっか。んじゃあ、なんでまたコンパスなんて……」
 なんて言おうかしばしの逡巡。まあ、わざわざ隠すほどのことでもないし、いいか。
「ちょっとお使いを頼まれまして」
「へえ、誰に」
「生徒会長に……」
「えっ」
 急にこっちを向くもんだから、驚いた。思わずちょっとのけぞる。
「会長が、コンパスを欲しがってるの?」
「え? ああ、はい。まあ、そうなりますね」
 するとお姉さんは、さっきまで頑として椅子の上から動くことが無かったのに、すっくとその場に立ち上がった。
 座っている時には分からなかったが、女性にしては意外と上背があるようで、おそらく百七十はあるだろう。余裕で私よりも大きい。
 彼女はそのまま店の在庫があるとおぼしきバックヤードへとつま先を向けた。
「ちょっと、奥の方を探してくるわ。待っててもらえるかしら」
「は、はあ……」
 それだけ言い残した彼女はバックヤードへと姿を消した。奥の方から、がさがさとかどさどさとか、物を動かしている音が聞こえてくる。
 それどころか、「どうしたの、岬ちゃん。なにか探し物?」「あ、古賀さん。なんか、会長がコンパスを探しているらしくって……」「あら、会長が? そう、コンパスね……どこかあったかしら。あ、これじゃないの?」「方位磁石でなく、丸を書くやつの方だそうです」という会話まで聞こえてきた。
 なんだその変わり身の早さは。こっちから頼んでおいて何だけれど。
 つーか方位磁石どんだけあるんだよ。
 ……斯くして数分後。私の手元には、真新しい青色のコンパスが収まっていたのであった。六百三十円だった。
 バックヤードからの発掘作業を終えたお姉さんは、「いやー見つかってよかったよー」と、にっかり笑いながら、パイプ椅子へと腰を降ろす。
 これで私の用事は終わった。後は四階の生徒会室まで取って返し、会長にコンパスを渡すだけでミッションコンプリート。楽な任務だったとすら言えよう。
けれど私は、なんだか気になってしまって。それで、ついお姉さんに尋ねていた。
「あの……なんか、会長が探してるってなったら、やけに熱心に探していましたね?」
 私としては、会長の名前が出るなりいきなり親身になって動いてくれたのが気になっただけだった。
 けれどお姉さんはどうやら、違う受け取り方をしたらしい。お姉さんはちょっとばつが悪そうな顔をした。
「ごめんごめん。生徒会長さんのこととか関係無しに、ちゃんと探してあげてればよかったね」
 どうやら「私が頼む分には適当な応対だったくせに、会長の名前を出したらすぐ動くのかよ」的な苦情を言っているように思われたようだった。
 お姉さんは恐縮する私に対して、こんな問いかけをしてきた。
「ところで君は、生徒会の人?」
「あ、はい。生徒会の方で、庶務をやっています」
「ふうん。二年生?」
「いえ、一年です。生徒会には今年の春入ったばかりで……」
 ちなみに余談ではあるが、この学校での生徒会選挙は秋に行われている。現職生徒会長の霧島冴詠は、昨年の秋に行われた生徒会長選挙で他の候補に対して圧勝を収めた(人から聞いた話である。その当時私はまだ中学生だった)。そこから数えて、現在任期半年目を迎えているというわけだ。
 一方の私はこの春に入学してからの入職である。生徒会選挙も経ずに、というとおかしな話にも思えるのだが、これにはそれなりの理由がある。まあ簡単に言うと「一年生の意見が生徒会に入らない期間があるのはまずい」という考えからなのだという。
 かつて今言ったような論を唱えた代の生徒会があったようで、その代では新入生の一年生から代表者を一人入学直後に生徒会に入れることで、積極的に新入生の意見を生徒会に取り入れようという施策を行ったのだとか。で、その時の施策が今なお撤廃されることなく残り続けているというのが、一年生である私名柄が早くも生徒会の仲間入りをしている理由なのである。ちなみにこの制度が導入された当時こそ、成績優秀者を生徒会へ、という流れがあったそうだが、今となっては完全なる厄介な制度の押し付け合いだった。事実、私がそうだった。私が生徒会に入った理由は、入学して一ヶ月後に「部活動に入らずふらふらしているやつの中から抽選で選んだ」というふざけたものだった。担任にそんなことを告げられた時には、思わずひっぱたいてやろうかと思ったくらいだった。
 閑話休題。とにかく私が一年生だということを聞いたお姉さんは、そっかそっか、と頷いた。
「じゃあまあ、あの会長の下に着いてるわけだね。まあ、大変だとは思うけど、あれは年上のあたしから見てもすごいやつだと思うからね。貴重な経験になると思うわよ」
「すごいやつ、ですか……?」
 まあ、大喜利の回答に詰まったからってコンパスを買いに行かせるようなすごいやつだとは、思いますが。
「うん、そう。だってあたしアルバイトだけど、ここの面接に来た時、面接官は会長だったし」
「えっ!?」
 なにそれ!? 購買部のアルバイトの面接官!?
 生徒会長って、そんなことまでするの!?
 完全にあっけにとられている私をよそに、購買部のアルバイトとして私よりはこの学園……というよりも霧島政権の先輩であるお姉さんは言う。
「知らない? あの会長さん、学内のことだったら、何だって手を出して改善してしまうのよ。聞いた噂では、用務員さんの学内の点検リストまで管理しているんだとか。購買部の仕入れの管理もしているのよ」
 あの会長さんのおかげで、購買部のここ半年の帳簿は赤字知らずなんだって。 と、お姉さんは笑顔で言うのだった。
 私はちょっと腰が抜けるかと思った。
 そりゃ……そんな人が「コンパスをご所望じゃ」と言うのならば、何が何でも用意せねばという気持ちは、分かる気がした。
 私立忍舞学園、第四十三代生徒会長、霧島冴詠は、どうやら私が思っているよりも、よっぽど切れ者の生徒会長だったのかもしれない。

 というようなことを生徒会室に戻ってきて会長にコンパスを手渡したついさっきまでは思っていたのだけれど、『意外と左右非相称 コンパス』という会長渾身の回答の前に全て霧散した。
 私にわざわざ実物を買いに行かせてまで得られた答えが、それだけかよ。
 結局私がこの日買ってきたコンパスは、それ以降私のロッカーの中にしまわれっぱなしだ。会長も私も、この先使う予定は今のところ無い。
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