ただいま
駄文とか今更(諦め)
高級感溢れる家具に、壁には大きな窓。
窓から見える景色は、ここいら一帯が見通せる程の高さがある。
そんな一室で、椅子に座る男性と、対面にまっすぐ立つ男がいた。
「すみませんでしたッ!」
立っていた男は腰から深々と下げ、申し訳なさそうにしている。
「いや、大丈夫。人は誰だにだってミスはある」
「で、ですが……」
「なに、この失敗は経験に活かせばいいんだ。だから、そんなに自分を責めるな。いいな?」
男性から優しい言葉をかけてもらい、男は頭を上げる。
その眼には、涙が溜まっている。
少しでも気を抜けば、今にも流してしまいそうだ。
「は、はい……」
「佐島君、今日はもう帰った方がいい。いつも残業ばかりで、疲労が溜まっている」
「で、ですがそれは……!」
男の慌てた声に、男性は手を使い静止させる。
「これは私からの命令だ。心配するな、今日中の給料も払う」
「い、いえ……! お、お給料なんて!」
「君は頑張り過ぎた。社員の健康状態を確認しなかった、私にも責任がある。誰も君を、責めたりなんかしないよ」
「……はい」
男は下を向き、トボトボと歩いて部屋から出て行った。
なぜ、男がこんな事になっているのか。
それは数時間前に遡る。
****
大学生だった俺は、大手企業に内定を果たした俺は、毎日毎日大忙しだった。
仕事は基本残業続き。残業手当は出るが、疲れ切っていた。
だけど、どんなに疲れていても、俺は仕事を乗り越えている。
「大丈夫? 忘れ物ない?」
「大丈夫だよ。書類とか全部バッグに入ってる」
「うん。それじゃ、気を付けて行ってね」
「ああ、行ってきます」
同棲中の彼女。
それが何よりも励みになった。
今朝も、『行ってきますのキス』をしてから会社に向かった。
俺の仕事は、在庫や売り上げの管理で、会社自体は世の中に必要とされるものを作ったり、運用も兼ねている会社だ。
事件は、会社に着いてから一時間で起きた。
「おはようございます」
「ああ、佐島おはよう。今日も一日頑張ろうな。5Sもちゃんと守るように」
「分かってます。それに、私業務職なので命は保証されてますよ」
「それもそうだな」
仕事の先輩とあいさつと雑談をしてから、自身の席に着き仕事を始めた。
先ずは在庫管理。それが終わったら書類制作。
一通り完了したら、会議室へと向かうこととなっている。
──だが、問題は起きた。
****
「え……?」
『いやね、品物が一つ多いんだよ。まあ、早い段階で気付いて良かったけど』
「す、すみません!」
『ああ、別にいいよ。お客様と他の会社さんにわたる前で良かった』
「本当にすみません」
『まあ、次からは気を付けてね』
「はいっ!」
俺は受話器を耳に当てながら何度も頭を下げた。
そして、問題はそこじゃなかった。
「『ノーミス・ノーリスク』を……」
俺が勤めている会社は、ミスや危険行為はしないことで有名だった。
それを座右の銘にし、事故は会社創立から今まで守っていたのだが、俺がそれを壊してしまった……。
「まあ気にするな佐島。ミスは誰にだってある」
「はい……」
先輩は俺の方に手を置き励ましてくれるが、正直その優しさは辛い。
「とりあえず、社長のところに行ってきます」
「いるか分からいけど、行ってらっしゃい」
クビかなと思っていると、自然と足取りが重くなる。
これでこの会社を辞めることになって、どうやって生活費を稼ごうか。
そんな事を思いながら、社長室へと向かった。
冒頭へ戻る。
****
会社から立ち去るときに、一緒にやってきた同僚、お世話になって来た先輩からたくさんのエールを貰った。
だが、今の俺にはそれは怒られるよりも心に大きな傷を作る。
励まされるより、怒鳴される方が気が楽だ。
朝乗ってきた車に乗り、自宅へと向かう。
****
「ただいま……」
「あれ? どうしたの?」
「いや、さ……」
歯切れが悪くってしまう。
だけど、ちゃんと話さないといけない。
「今日さ、仕事先で大きなミスをしたんだ。それで──」
「大丈夫だよ」
俺の言葉を遮り、優しく抱き締められた。
「沙耶……?」
弱々しく彼女の名を言う。
彼女は、俺の頭を撫でてくる。
「大丈夫。私は、貴方さえいればそれだけで十分。他には何も要らない」
「だけど……だけど俺……」
「もう、貴方は悩み過ぎだよ。それより、お仕事疲れたでしょ? ご飯食べよう?」
「でも……でも……ッ」
「いいの。今はいいの。失敗したのなら、今は明日考えよう。ね?」
彼女の言葉に、俺は何も言えなくなった──
****
夜になり、俺たちといつも通り一緒の布団に入る。
二人で抱き締め合いながら、眠るのが、いつものことだ。
「……なあ、沙耶」
「ん? どうかしたの?」
普段は沙耶が俺の胸に顔を埋めながら寝てるが、今日は俺が弱っているからか、いつもとは逆となっている。
「クビになって、今住んでいる場所から離れることになったら、着いてきてくれるか?」
「もぅ~……なんでそんな詰まらないこと聞くの?」
「つ、詰まらないって……」
沙耶の明るい声と、いつもの姿を目で見て、少しだが元気も出てきた。
「もちろん、着いて行くよ。たとえ、地球の反対の国である、アメリカまで行くことになっても、私は着いて行く」
「……ハハッ。地球の反対はブラジルだろう」
「あれ? そうだっけ?」
「いやいや、なぜそれを忘れる……」
沙耶の元気付ける言葉や笑顔が、とても救いになる。
俺は腕の力を更に込め、もう少し強く体温を感じてから言葉を続けた。
「でも沙耶には、大学があるだろ?」
「止める」
「決断早え!」
返事に一秒も必要としない即答である。
「貴方がいない生活なんて、私は耐えられないよ」
「……ああ、俺もだよ」
その言葉はどれ程の救いだったかなんて、誰にも話していない。
だけどこの時の会話は、お爺ちゃんになっても決して忘れはしなかった。
****
次の日会社に行くと、
「お、来たか」
「し、社長! お、おはようございます!」
「ああ、おはよう。今日は、これを君に渡したくてね」
「え……?」
まさか、わざわざ俺の仕事場まで来てクビにさせるとは……。
そう思って封筒を受け取り中を見てみると、
「え……こ、これって……」
そこに書かれているのは、驚きの内容だった。
『昇格申請』
それは、俺をクビにさせない言葉。
手が震え、涙が出そうになるが何とか堪える。
「これ、受けてくれるか?」
「で、ですが私は……」
「いいんだよ。それに、昨日の失敗は昨日の失敗だ。今日の君は、昇格をするかしないかの選択だよ」
「……つ、謹んで、お受けします……」
腰が直角になるまで下げた。
俺自身、それほどまでに下げたかった。
「そうか、受けてくれるか。では、書類などを渡すから少し待っていてくれ」
「はいっ!」
言葉は出なかった。
ただ、心から嬉しくてしょうがなかった。
──そして
****
「ただいま~」
「お帰りパパー!」
家の中から、娘が笑顔で俺に抱き着いてくる。
俺はそれを受け止めて、娘を持ち上げて肩車をして中に入って行く。
リビングに行くと、沙耶が料理をしていた。
昇格して、沙耶が大学を卒業して直ぐに俺たちは籍を収めた。
今では、毎日が幸せだ。
「ママー! パパが帰って来たよー!!」
「はいはい。ちゃんと分かってるよ」
「見て見て! パパに肩車してもらってるのー!!」
娘は大はしゃぎだ。
それもそうだろう。時刻は昼前。
俺は有給を取って、明日と明後日は家族揃っての旅行なんだから。
「ただいま、沙耶」
「おかえりなさい、アナタ」
嫁の笑顔と、娘の元気な姿を見て、俺は仕事を頑張れる。
だから俺は、心の中でもう一度呟く。
『ただいま』
これ3000文字いってるんですよね。
……思った以上に多かったので笑ってしまいました。