呪われし姫は、満月の夜に血を啜る
雪は深く降り積もり、世界を銀色に染め上げていた。凍った世界に冷たい満ちた月の光がしんしんと降り注ぐ。灯りの少ないこういう冬の夜は、どうしようもない心細さと遠くまで見渡せないことによる恐怖心がわずかに湧き上がってくる。王様や貴族、ブルジョワな人々が、湯水のように金を使い連日連夜灯りを灯し、闇を遠ざけるように、にぎやかな音楽の波と酒の海におぼれるのは、この闇を恐れているからかもしれない。
誰も足跡をつけていない白い世界に、雪と同じくらい白い髪を夜風にたなびかせた赤い瞳の少女が、小さな足跡を一歩一歩と刻んでゆく。目的もなくふらふらと足跡を刻む少女は、緻密に整えられた芸術的な庭園に目もくれず、歩き続けた。雪が舞う夜に、出歩く少女をとがめる人は、この場所には誰もいなかった。
少女―――リリアノエルにとって夜は、唯一窓の少ない館から自由に出歩き、外の空気を胸いっぱいに吸い込むことができる、数少ない自由でいることを許された時間帯だった。
そう遠くない場所に見えるのは、舞踏会の会場である王城。目に見える場所にあるのに、とても遠くまぶしく感じ、思わずリリアノエルは目を眇めてしまった。あそこには、リリアノエルと血の繋がりがある者たちがいるのだということを、館に働く者達から聞かされた。
十数年余り生きてはいるものの、血縁者の顔を見たこと、声を聞いたことは両の指で数えきれるほどにしかない。今宵も、招待客に挨拶をし、あの見る者を魅了してやまない大ぶりの宝石と金細工の飾りを身に着け、お針子たち渾身のドレスを身にまとい、あるものは優雅にあるものは華麗に、あるものは初々しく踊り明かすのだろう。
羨ましいと思わないわけではない。そう思って歯がゆく思って日々もあったけれど、すべてあきらめてしまった。結局、体中筋肉痛になりながらも必死に身に着けた踊りの技術や礼儀作法、その他もろもろは、日の目を浴びることはないのだろう。この十数年、生きてきて諦めというものを身に着けた。期待して、裏切られて、傷つくのはリリアノエル自身で、そして張り裂けそうな胸の痛みに耐えながら涙を流すのもリリアノエルだけなのだから。向こうは、何も感じていないのだと知ってしまっている。罪悪感を持ってほしいわけではない。ただ、ほんの少しでもあの凪いだ心にさざ波を立てることができたら、それだけで満足だった。こんな風に、考える自分に嫌気ださし、桜色の唇から白い吐息がこぼれた。
裸足で歩いていたからか、ジンジンと足が痛くなる。
「私は何のために、存在しているの?」
《呪われし帝国の十三姫》。それが、リリアノエルだった。太陽に嫌われ月に愛され、生きることも死ぬことも許されない呪い。リリアノエルの雪色の髪、血のように赤い瞳は、太陽神の祝福を授かれない証で、リリアノエルをこの世に生み出した父に愛されず、このように離れの館に隔離される理由そのものだった。忌むべき容姿なのかもしれない。けれど、亡き母が愛してくれたこの身を嫌うことだけは、できなかった。それをしてしまったら、母への冒涜の様になってしまうと心のどこかで声を上げている自分がいるからだ。
随分と冷えてしまった。太陽が昇るまでまだまだ時間はあるが、そろそろ、あの窓のない部屋に戻る頃合いなのかもしれないと手足のかじかみ具合をみて思う。太陽の光は、リリアノエルにとって、致死の猛毒で、どんなに焦がれても見ることは叶わない代物。この呪いが解けるのなら、どんなにいいのだろうか。
ふっと、夜風が血と死の香りを運んでくる。
誰かが、この近くで血を流し、死神の訪れを待っている。望まない死神の訪れなら、救いの手をさし伸ばしてもいいかもしれない。気まぐれだった。誰かを助けることでもしかしたら何かがかわれると心のどこかで淡い本当にかすかな期待を、飽きずにまたしていたからかもしれない。
急いでたどり着いたこの館で唯一、外の通りとつながっている目の前にある門は、とても大きくてリリアノエルの細い体ではびくともしない事は明白であった。それに、門を開ける時の独特の金属の金属音で外出がばれてしまうだろう。館の中での自由は許されても外での自由は許されてはいない、飛び越えることもよじ登ることも普通では、叶わない門を前にリリアノエルは覚悟を決める。
リリアノエルは普通の人間ではなく、《呪われた怪物》だ。それゆえに、外出を制限され、太陽の光を浴びることができない。目を閉じて深く、冷たい空気を吸い込む。指先から順に体がほどけていくイメージ、ほどけた体の部位一つ一つにリリアノエルの意思を宿し黒いコウモリに姿を代えていく。変わったそばから、翼をはためかせ夜の空を飛び門を超えて血の匂いを追う。
大通りから外れた小道に点々と朱が散っていた。この先だと思い、変化を解き、足から順に人型に戻っていく。ゆっくりと蜃気楼のようにそこに少女の人型が闇夜の中に形づくられる。肩から腰まで斜めにざっくり剣で切られ、青年が着ていた黒い服はぐっしょりと緋色を吸って今にも息が絶えそうな様子で煉瓦の建物に背中を預けていた。
「まだ、生きているわよね?」
「……」
リリアノエルは、黒髪の青年の首筋にそっと手を当てる。脈は、まだあった。今にも死にそうな人に対し、ひどい扱いだと思ったが、パチンと青年の頬を打つ。青年は、ほおに走ったかすかな痛みを不快に思い、うっすらと目を開けてくれた。焦点の定まっていない蒼穹の瞳に、語りかける。
「私の声が、聞こえているかしら? 単刀直入に聞くわ。あなたはまだ生きたい? その身を化け物に落としても、その身に枷がかけられても、それでも死にたくないのかしら?」
どこか遠くで、デビュタントしたばかりの令嬢を家へ送り届ける馬車の車輪が回る音がする。青年は、目の前に突然現れ頬を叩いた、奇妙な容姿を持つ自分より年下の少女の言葉に聞き入っていた。少女の声は、今にも機能を失いそうな青年の耳に不思議とよくと通るのだ。まるで、魂に直接語りかけてくるかのような声。
「あなたが、吸血鬼になっても生きたいと願うのなら……私の血の従者にしてあげるわ」
リリアノエルの赤い瞳はとても真摯でどこか寂しそうで、とても虚言を吐いているようには青年には思えなかった。そのさびしそうな表情をさせている原因はいったい何なのだろう。知りたいと思った。そう思うとまた、死にたくないのだという気持ちが強く噴き上がる自分には、まだやり残したことがあるから、死ねないのだという思いがリリアノエルが駆け付けるまで青年の命のともしびを持たしていた。たとえ、悪魔と契約してでも……死後地獄に堕ちてもかまうものか。それほどまでに強い想いが、リリアノエルを惹きつけた。
「た……頼む」
赤い瞳が禍々しくも艶めかしく光る。青年の首筋に、リリアノエルの桜色の唇からはみ出す二対の牙を立てる。首筋から流れる深紅の玉が、リリアノエルの喉を淫靡な音を立てて通る。青年の身体にリリアノエルの体液が、そっと混ざっていく。それは、劇薬。人が決して手を出してはいけない呪われし存在。
「えぇ、たった今から、あなたは私の永遠の従者よ」
その声は、今までリリアノエルが発したどの言葉よりも鮮やかに色づいていた。
感想や評価があったらぜひお願いいたします。学校の課題小説で、「回る」「踊る」「通る」「光る」の4つのテーマのうち一つ選んでも全部使ってもいいというものでした。「回る」……車輪?運命の輪が回り始めた滴なニュアンスで……どうでしょうか。