きっと世界で、こんな悪条件がそろっているのは、自分だけだと思うことがきっと誰にでもあるのだろう。
とにかく、人から愛されたかった。何ができなくてもいいから、ただ人から。
・・そう思ったことのない人間は、きっと幸せだ。だが、それと同時に不幸である。
「次、秋月、この問題の答え」
来た。どうして私に当てるのか。当てないで、ほしいのに。
別に問題に答えられないわけじゃない。
問題に答えるときの自分の緊張で裏返った声が嫌なのだ。
もともとかわいらしい少女の声とは無縁の、老婆のような声である私の声、裏返って可愛くなるなんてことは絶対にありえない。
「・・初項が4で交差は−3です」
ほら、また笑い声が聞こえた。絶対に私を笑っている。
人はよく「考えすぎ」だというが、シーンとしたこの教室、このタイミングで他に何か笑うことがあるだろうか。答えは、絶対にない。
「よし、完璧だな」
完璧なんかじゃない。
完璧だったなら、私は、私は・・。
こんなところでこいつらみたいなふざけたやつらに馬鹿にされるはずないじゃない。
どうして馬鹿にするの。他人と違うことがそんなにいけないことだというの?貴方達には、他の人とは違うことが何一つないって言うの?
秋月成実<<あきづきなるみ>>
名が体を表すとはこのことだ。今となってはそうでもないが、私が生まれた頃はまだ「女子の名前には美という字を入れる」というスタンスが主流であった。
もし、私もそのスタンスで名づけられていたのなら、きっと皮肉だと笑われていただろう。
親は「美しさは、与えられるものではなく、自ら得るものだ」という考えでこの感じを当てたそうだが、多感な年頃の私にはこう感じられてしまう。
「・・本当は、生まれたときから愛らしくなかった私を哀れに思って美という字にしなかったのでしょう?」
一重まぶたに太い眉、親知らずもすべて生える余裕のある顎。ああ、なんと愉快なことだろう。一行に満たない文字数で、私の外見をすべて語ることができるなんて。
周りの女の子を見てみれば一目瞭然、私の外見の醜悪さがわかる。ぱっちりとした二重まぶたに細い眉、華奢な顎・・ああ、決して私が得られないもの。どんなに望んだとしても変えられないもの。
そして、声もまた、同様に変えようがないもの・・。
一言しゃべれば、笑いが起こる。知らない相手に話せば、「風邪ですか?」と心配される。巷では「ハスキー・ヴォイス」ともてはやされるが、それも私にとっては迷惑な話である。
ああ、どうして私だけがこんなに苦しまなければならないの。
他の奴らはあんなに楽しそうに馬鹿笑いをしているというのに・・。
去年のクラスはもっと静かで真面目だったのに・・文系なんて選ぶんじゃなかった。国語が好きだったから文系を選んだというのに、こんなにやる気のない連中とともにされるとわかっていたら、初めから理系に行っていた。
いつから文系は馬鹿の行く、クラスになったんだ。
この前の漢文の話にあったわ。自分は前世でミミズを殺してしまった。だから、そのミミズの生まれ変わりである帝に、現世で殺されるのだと。
私も前世で何かしてしまったのか。どうして、こうも苦しめられるのか。
「ウザイ、ウザイんだよバーカ」
私が欲しくてたまらない、愛らしい声から紡がれるのは、人を卑下し、自分の品性も下げる言葉。
ああ、せっかくの愛らしい声なのに、私には出せない音なのに、どうしてそんな醜い言葉しか言えないの?
どうして?
人は言うわね。
「子供の言葉遣いが悪くなってきてる」って。
でも、その子供達を育てたのは、貴方や、貴方の子供達ではないの?
自分は関係ない。本当にそう言いきれるの?その汚い言葉の裏に、何が隠れているか、考えたことはないの?
それとも、初めからそんな風に考えられる人は、テレビやメディアの世界でしゃしゃり出てないで、自分の家庭を大切にしているの?
私は、こんな醜い声だからこそ、人よりも美しい言の葉を紡げるように努力してきたつもり。外見で愛されることは決してないから、せめて内面だけでも慕われるようにと、最善を尽くしてきたつもり。
だけどね、時にそれが無駄だったんじゃないかって思うの。
人は言うわね
「勤勉であるのが望ましい」って。
でもね、勤勉になればなるほど、人は遠ざかっていくわよね。
どんなに頭がよくっても、醜い外見では誰も愛してくれない。
やっぱり、人は外見でしか、人を愛せないんじゃないかと思うの。
だって、清少納言も書いているのよ。「かわいい子なら、なお愛される」って。
ああ、誰もがそんな風に生まれてこられたなら、いいのにね。
神様は差別するものなのよ。
「あーあ、勉強なんてしたって意味ねぇだろ」
今度は男子の声、今度のクラスは不真面目な奴が多くて、不愉快でたまらない。勉強する気がないのなら、さっさと学校を辞めるなり、消えるなりしてくれればいいのに。
刺激が欲しいというくせに、肝が据わっていないから冒険もできないの。
でも、これは彼らのせいではないと思うの。だって私達に勉強をしろとやかましく言う大人だって、成功している人は少ないもの。
具体的に何をすればいいのかを伝えないでひたむきになれるほど、彼らは素直じゃない。
こんなことを考えるから、私は変わっていると言われるのかしら。
自分で「変わっている」と認める前に、ひとつ聞きたいことがあるの。
「変わっている」って何?何と比べて、変わっているの?
「馬鹿とはさみは使いよう」というけれど、はさみだけじゃないわ、ものさしだって使い方を間違えれば、検分を見誤るのよ。世界は広い、自分達の狭い世界がものさしの全てだと思ったら、大間違い。ものさしは私達が考えているより遥かに大きくて、広い。
だから、自分とは違う人がいる。自分とよく似た人もいる。
昼休み、借りていた詩集を見て、ふと思い出した。
昔、読んだ詩集にあったわ。
「皆違って、皆いい」って。
今の時代も親しまれている言葉よ。個性を認めるおおらかな言葉を言っているようで、一見聞こえは良いけれど、私にはこう聞こえるの。
「それって、皆は、自分達と違う人がいたって(どうでも)いいじゃない」
そう思っているから、人は自分達と違う何かを持っている人を無意識のうちに避けようとするんでしょう?
肌の色、宗教、考え方・・そうやって囲いを作っては、自分だけの狭い世界を作り上げていく。自分とは違う何かを受け入れようとはぜず、ただ、蔑むばかりなの。
家に帰って、テレビを見ると、可愛らしいアイドルが、男性の司会や芸人に笑顔を振りまいていて、好感を得ている。逆に女性の芸人は、酷い扱いを受けている。
ああ、学校の先生、大人、多くの人が言うわね。
「人にとって大事なものは外見ではなくて、中身だ」って。
でも、そんなのは嘘。どんなに頭が悪くても、愛される外見であるのならば、人は愛してくれるものよ。
そしてどんなに優れていても、醜ければ誰も愛してはくれないし、必要とはしてくれない。
不快になってチャンネルを変えると、ニュース番組が放送されていた。
リポーターが深刻そうな顔で言っている。
「本日、○○市の○○高校に通う男子生徒が自殺しました」
自殺・・選びたくなるのも無理はないかもしれない。
私だって、あんなふざけたクラス、早々に分かれたい。まだ、あのクラスには半年はいなければならない。・・来年は受験だというのに、迷惑だ。
その後、保護者、教師などの発言を聞いて、やはり、そうであるのかと悲しくなった。
「何のそぶりも見せなかったのに・・まさかこんな・・」
大人は、親はいうわよね。
「子供のことなら何でもわかる」って
でもね、貴方達が理解しているのは、貴方の中の子供。子供はいつまでも親の思い通りにはならないことに早く気がつかない限り、この連鎖を食い止めることはできないのよ。
いっそ死ねたらいいのに、とさえ思うこともあるわ。それでも、私が自分の意思で死を選ばないのは、ここで私が死んだら、クラスのあいつらに負けたことになるもの。
あんなふざけた連中の為に、これからある可能性を捨てるなんてもったいないことはできない。
かといって彼らを死に追いやることもしない。理由は、やはり上に同じ。
それに、あと半年もしたら学年も変わる。半年の我慢でお別れかと思うと案外楽なもの。
ああ、こんなことを言っても、私の顔が美しくなるわけでもなければ、愛らしい声に変わるわけでもないのに。
結局今は、ただこうして暗い気分の中世の中を斜めの視線から見て、上げ足をとるだけ。誰でもきっと、子供の頃にしたはず。
きっといつかは、私もこんな苦しみを忘れて、大人になっていくのでしょう。そして、この苦しみもわからなくなっていく。
子供が生まれたら同じ事をいうのでしょうね。「私には、子供のことなら何でもわかる」って。そんなのは幻想でしかないのに。
私の子供なら、同じ悩みを背負うはずなのに、きっとそれには気がつかない。
ああ、この連鎖は終わらない。子供の頃には誰もが思っていたことなのに、大人になれば忘れてしまう。
子供にだけわかる、悲鳴。
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