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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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決着

「ここか……?」

「わたしも、そう思います……」

「私も同意見よ」

「キュゥゥゥ……!」

 貴族街の中でも王城に近い、上級貴族の屋敷が立ち並ぶ一角。そこにそびえ立つ巨大な屋敷からは、明らかに異質な魔力が放たれていた。

「なんだか疎外感を感じるわ……」

 俺たちの意見が一致をみる中、どこか寂しそうに呟いたのはクルネだった。……まあ、彼女は戦士職だから、魔力を感じられなくても仕方ないよなぁ。
 むしろ、特技スキルのおかげで無理やり感知できてる俺とか、戦士職のくせに種族特性か何かで魔力の流れを把握しているキャロの方がおかしな話だった。

「ところで、このお屋敷はどなたのものかしら?」

「さてな……。こんな立地のいい場所に、これだけ広大な敷地を持っているということは、王国貴族の中でもかなり位の高い人間だろうが……」

 ミルティの言葉に対して、俺は腕組みをして考え込んだ。別に貴族の名前が知りたいわけではない。そっちは後で調べれば分かる話だ。
 問題は、その位の高そうな貴族の屋敷にどういう建前で踏み込むか、ということだった。俺たちは衛兵でもなんでもない。当然ながら、貴族邸へ立ち入って調査する権限などあるはずがなかった。

 幸いなことに、敷地を囲む柵はそう背が高いわけでもなく、乗り越えるのは決して難しくなさそうだった。おそらく、平時は警備兵が多数巡回しているのだろう。

 そんな柵と庭を見ながら、俺は考え込んだ。見た感じでは、この屋敷がモンスターに襲われている様子はない。ここへ来るまでもそれなりの数のモンスターを倒してきたが、この建物だけはやけに静かだった。見たところ、庭園には誰の姿もない。

「カナメ! 魔物がそっちへ行ったわ!」

 そんな俺の思考を遮ったのは、クルネが発した警告の声だった。見れば、俺目がけて全長二メートルはありそうな猪型モンスターが突進して来るところだった。
 と、直線的な突進を回避した俺の脳裏に、一つのアイデアが浮かんだ。なんだか苦しい気もするけど、そこは統督教の力でごまかしてもらおう。

 俺はそう決心するとクルネたちに声をかける。

「こいつを屋敷の庭園に放り込むぞ!」

「え!?……うん、分かったわ」

「もう、無茶するわね……」

 クルネとミルティから了承の返事を受け取った俺は、再び突進してくる猪と対峙すると、ミュスカへ向かって声を張り上げた。

「ミュスカ! 障壁を頼む!」

「は、はい!」

 俺の言葉に応えて、ミュスカが俺の周囲に魔法障壁を展開する。うっすら輝く壁が出現したことを確認して、俺は突進してきた猪モンスターの攻撃を受け止めた。
 ガギン、という衝突音と共に、猪モンスターの動きが止まった。その隙を逃さず、俺はキャロに指示を出す。

「キャロ! あの庭へ蹴り飛ばしてくれ!」

「キュッ!」

 俺が言う通りに、キャロは動きの止まった巨大猪を蹴り上げる。だが、推定数百キロはありそうな巨体は浮き上がったものの、庭園の柵を越えるには至らないようだった。

「はっ!」

 そこへ、剣を鞘に納めたクルネが現れた。彼女は鞘付きの長剣を振りかぶると、全力でモンスターの身体を打ち抜く。

旋風衝ウィンドブロウ!」

 クルネによって斜め上方へ打ち上げられたモンスターは、ミルティの風魔法によりさらに吹き飛ばされる。そして、数百キロの巨体が屋敷の庭園へ墜落した。

 それを確認した俺は、急いで屋敷の正門へ向かった。正門に敷設されている小屋には二つの人影があった。

「大変です! ここを開けてください!」

 走り寄ってくる俺に気付いたのか、小屋から二人の男が姿を現していた。いずれも武装しており、俺に対して怪しむような視線を送ってくる。

「なんだお前は! 今この一帯は非常事態である! 去れ!」

 その言い分は実にごもっともだった。そんな彼らに対して、俺は緊迫した表情を浮かべたまま口を開く。

「ついさっき、そこの庭園にモンスターが侵入したのを見ました! 物凄く巨大な猪型モンスターです!」

「なんだと!?」

 俺の言葉を聞いて、門番二人の顔色が真っ青になる。彼らが庭園の方へ視線をやると、ちょうどいいタイミングで巨大猪が姿を現していた。その姿を認めた二人の顔色が今度は真っ白になった。

「私たちは教会の『聖女』様と共に、突然発生したモンスターを討伐して回っているところです! 早くしないと手遅れになります!」

 俺はそう言いながら、後ろにいたミュスカを手招きする。彼女の姿を見た門番たちは、すがるような視線を向けてきた。……うう、心が痛い。

「どうする!?」

「勝手に門を開けられるかよ! お館様に確認せねば……!」

「その前に、俺たちがあの魔物に殺されるぞ!?」

「たしかに……それに、『聖女』様なら大丈夫だろ――うわ、こっちに気付いた!」

 顔を見合わせて口論していた二人の門番だったが、モンスターが彼らをロックオンしたことを悟り、覚悟を決めたようだった。

「『聖女』様! 助けてください!」

 そう言いながら彼らは正門を開いた。人が一人通れるだけの狭い隙間だったが、俺たちが入るには充分だった。

「ひいっ! 来た!」

雷撃ライトニング

 突撃してきた猪モンスターに向かって、ミルティが雷を放った。彼女の指先から迸った雷撃が、巨大猪の右側面をかすめる。

「グオォォォァァァ!」

 負傷させられたことに怒り狂ったモンスターは、怒気をはらんだ雄叫びを上げた。だが、先ほどの雷撃を警戒しているのか、すぐに突進してくる様子はなかった。

 さすがはミルティ、俺の意図をよく理解してくれている。彼女が本気を出せば、いくら巨大な猪モンスターであろうと絶命させることは難しくないだろう。
 だが、それでは困るのだ。せっかく敷地内に入れたというのに、その理由を早々に排除するような愚を犯すわけにはいかなかった。

 ミルティが時間を稼いでくれている間に、俺は門番をしていた二人に話しかける。

「ここは危険です! 私たちが時間を稼いでいる隙に、お二人は早く屋敷へ逃げてください!」

「お、おう! すまない!」

 俺の言葉に従って二人が一目散に駆け出す。その様子を見送って、俺は内心でガッツポーズをとった。よしよし、これで邪魔者はいなくなったぞ。
 そんなことを考えながら、俺はミュスカに問いかける。

「……ミュスカ、魔力の発生源はどこだと思う?」

「たぶん、あの離れだと思います……」

 俺の質問を受けたミュスカは、しばらく目を閉じて精神集中した後、そう言って屋敷の隣にある小さな建物を指差した。よかった、俺も同意見だ。

 俺はモンスターと睨み合っているミルティ、クルネに近づいて耳打ちする。

「……あの離れが怪しい。戦いのどさくさで突っ込めないか?」

「うん、やってみる」

 そう言うなり、クルネはモンスターに斬りかかった。その剣が脇腹を浅くかすめて、赤黒い血液が飛び散る。激昂して襲いかかる巨大猪を上手く捌きながら、クルネは次第に怪しげな離れへと近づいて行った。

 そんな彼女を見守るように離れへと接近した俺は、やがて建物から窓の中が見えるところまで距離を詰めた。すると、窓の奥でこちらを凝視している人影が視界に映る。

「あれは……!」

この距離では確証はないが、どうも可能性は高そうだった。俺は決心すると、クルネに向かって叫ぶ。

「クルネ! 頼む!」

 俺がそう叫んでから、クルネに誘導された巨大猪が離れの入り口を破壊するまでには、そう時間はかからなかった。
 凄まじい激突音と共に建物の入り口が粉砕され、その玄関部分が露わになる。さすがにダメージを受けたのか、巨大猪は低い唸り声を上げながら、よろよろと立ち上がった。

 その姿を見て、ダメージを与えすぎたかと心配した俺だったが、その心配は無用だった。なぜなら、破壊された玄関から目標たる男が姿を現したからだ。

「お前たち何をしている! モンスターの一匹くらいさっさと倒さんか!」

 偉そうに命令してきたのは、かつて遭遇したことのある帝国貴族、ワイデン子爵その人だった。



 子爵の年齢は四十すぎくらいだろうか。これと言って特徴のない風貌だが、その目だけはやけにギラギラしていて、そのアンバランスさが妙な存在感を発している。

 正直に言えば、この騒ぎを追いかけていれば、子爵とどこかで遭遇するとは思っていた。そのため、俺の心に驚きはない。開戦直前の敵国の首都に潜り込んでいる貴族と、タイミングよく起きたモンスター発生事件。この二つに関連がないとは思えなかった。

「おいお前! 聞こえなかったのか!」

 どうやらワイデン子爵は、俺と一度会っていることに気付いていないようだった。それならば、と俺は初対面の人間として口を開く。

「おお、こちらにも人がいらっしゃったんですね、それは失礼しました。……ところで、どちら様でしょうか? このお屋敷のお客人ですか?」

「私はこのラムバーク侯爵家に招かれている者だ! そんなことより、さっさとこのモンスターを仕留めろ!」

 ふむ、この屋敷はラムバーク侯爵とやらのものなのか。子爵を匿っていた人物の情報を頭の中に叩き込むと、俺は無理やり会話を続ける。

「ご安心ください、もうモンスターに力は残っていません。……それよりも、貴方にお伺いしたいことがあるのですが」

「調子に乗るな! 冒険者か何か知らんが、さっさと魔物を始末して出て行け!」

 取りつく島もないとはこのことだ。ワイデン子爵にこちらの話を聞く気は一切ないようだった。……もうすぐ巨大猪も倒れそうだし、早めに話を進めたほうがよさそうだな。そう考えた俺は、子爵のほうへ一歩踏み出した。

「今、この貴族街で、モンスターが大量発生しているのはご存知ですね? 実は、その事態の一因と考えられる魔力が、この屋敷を中心として発生しているとの通報があったのですよ」

「なんだと……!?」

 俺が適当にでっち上げた話を聞いて、ワイデン子爵の顔色がさっと変わった。やっぱり関係していたか。まだ結論を下すには早いが、こいつが関わっていない可能性は非常に低かった。

「しかも、その魔力の発生源は本館ではなく、この離れからとのことです。……失礼ですが、中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ふ、ふざけるな! 薄汚い冒険者風情が貴族の邸宅に上がり込む気か!」

 子爵の顔に露骨な嫌悪の表情が浮かぶ。だが、その表情の裏には焦りの色があった。そこで、俺は奴を揺さぶるべく正体を明かす。

「……私は統督教の神官です。人々を襲う災厄を見過ごすわけにはいきません。ぜひともご協力をお願いしたい」

 すると、統督教の名を聞いた子爵が忌々しそうに舌打ちをする。

「神官だと……ちっ、宗教屋が国同士の争いに出て来るな!」

……うん? こいつ、語るに落ちたな。そんな内心を表に出さないよう気を付けながら、俺はとぼけた表情を作りあげた。

「おや、これは異なことを。国同士とは、どういう意味でしょうか?」

「ぐ……!」

 その言葉を聞いて、子爵は自分の失言に気が付いたようだった。彼は顔を真っ赤にしてぷるぷると手を震わせている。そんな子爵を見ていた俺は、ふと視界の隅で動く影を捉えた。

 それは人の姿だった。モンスターはもう瀕死だと判断したのか、それともワイデン子爵と話をされるのはまずいと感じたのか、とにかく、この屋敷の主らしき人物が本館の玄関から姿を現していたのだった。

 どうやら、あまり時間はなさそうだ。そう判断した俺は、早々に核心に切り込むことにした。

「私たちは王都に住まう人々のため、モンスター大量発生の原因を究明しなければなりません。ご協力をお願いします、ワイデン子爵(・・・・・・)

 俺がその名を口にした瞬間、彼の動きが止まった。

「な……!」

 事ここに及んでも、自分の正体がバレているとは夢にも思っていなかったらしい。彼は信じられない、といった面持ちで俺を呆然と見つめる。

「そうそう、魔導師のご老人も一緒に行動していたと聞いていますが、彼はどちらでしょうか」

 さらに追い打ちをかけると、子爵は驚愕の表情を浮かべた。見た感じでは、ここにマクシミリアンはいない。にも関わらず、俺がその存在を知っているということは、ワイデン子爵にとって大きなショックであるようだった。

 いったいなぜ、と言わんばかりの子爵に対して、俺はちょっとした芝居を打つ。

「通報があったと、そう申し上げましたよね? いかにこの国の権力者とはいえ、衛兵に見られてはまずいこともありますからねぇ。
 その点、私たちは官憲ではありません。自らの行いを深く反省し、悔い改めた貴族について、その責任を公に問いかけるようなことはしないのですよ。……まあ、反省の色次第ですがね」

 俺はいやらしくニヤリと笑うと、近づいて来るラムバーク侯爵らしき人物へ、ちらりと視線を向けた。
……うん、我ながら下衆な神官っぷりだなぁ。ワイデン子爵みたいな人物が相手なら、こういうスタンスの方が説得力があると思ったんだけど、それにしても聖職者としてどうなんだろうな、これ……。

「まさか、侯爵が……?」

 だが、その甲斐はあったようだ。俺の言いたいことを理解したのだろう、ワイデン子爵の顔色が、みるみるうちにどす黒く染まっていく。

「さて、どうでしょう? 敬虔な信徒を守るのも、我ら統督教の勤めですからね。これ以上は何も申し上げられません」

 俺はおどけた口調でそう答えると、わざとらしく肩をすくめた。

「この期に及んで私を裏切っただと……!? まともな判断もできぬ愚物めが……!」

 お、どうやら引っ掛かってくれたようだ。血走った瞳で侯爵を睨みつけるワイデン子爵を見て、俺は内心でニヤリと笑う。

 もちろん、ラムバーク侯爵からの通報なんてないのだが、侯爵しか知らないはずの情報を簡単に提示されたことで、疑心暗鬼になったのだろう。
 彼の素性やマクシミリアンの情報、そして潜伏場所。どれにしても侯爵関係者以外には分からない話だし、彼がそう考えるのも無理はなかった。

「さて。詳しいお話は、貴方に相応しい場所でお伺いしたいものですね」

 俺はそう言うと子爵に近づいた。すると、子爵は突如身を翻して、建物の中へと走っていく。

「追うぞ! そのモンスターはこのまま放置して、侯爵たちを足止めしてもらおう」

 みんなに向かってそう言うと、子爵を追って家の中へ入った。階段をドタドタと上がっていく子爵の後ろ姿を見ながら、俺も階段を駆け上がる。

 いくら貴族の邸宅とはいえ、離れは小ぢんまりしたものだった。俺たちはすぐに、ワイデン子爵が逃げ込んだ書斎らしき部屋へとなだれこむ。

「お前たちも! ラムバークも! あの忌々しいクソじじいも! どいつもこいつも私を虚仮にしやがって!」

 部屋に入った俺たちを出迎えたのは、そんな子爵の叫び声だった。口角から泡を飛ばしながら、彼は半ば狂人のような眼で俺たちを睨みつける。

「道具に残っている魔力を全部使ってやる! 魔物にはらわたを食いちぎられて、惨たらしく死ね!」

 そう叫んだ子爵が手にしていたのは、いかにも怪しげな四角い物体だった。一辺は五十センチくらいだろうか、独特のフォルムと、びっしりと書かれた魔法陣が、その物体を魔道具だと教えてくれる。

 そして、すでにその魔道具は起動しているようだった。クルネがとっさに剣を抜いて斬りかかるが、子爵の周囲で発生している空間の歪みが、不思議な音を立てて剣撃を阻む。

「あの魔法陣は……召喚術系統!? けど、そんな高度な魔道具を作れるはずが……まさか、古代文明からの発掘品?」

 子爵が手にした魔道具を見て、ミルティが驚いたように説明してくれた。なるほど、非常に分かりやすい展開だな。となると、あの魔道具を壊すわけにはいかないか。大切な証拠品だ。

 俺がそんなことを考えていると、ふいに視界が暗くなった。なんだろう、そう思う間もなく、俺たちの足元が崩れる。

「うわっ!?」

「きゃあ!」

 そんな悲鳴を上げながら、俺たちは二階の高さから落下した。咄嗟のことでろくに反応できなかったが、幸いにも大きな怪我は負わなかったようだ。

 みんなは無事だろうか、そんな思いで周囲を見回した俺は、突然床が崩落した理由と、そして辺りが真っ暗になった理由を理解する。

 俺の目の前にいたもの。それは、あまりに巨大な三頭獣ケルベロスだった。

「ひはははは! 死ね!」

 全長は四メートル近くあるだろうか。その三頭獣ケルベロスに向かって、ワイデン子爵がそう命令する。それに反応して、俺たちは思わず一歩下がった。三頭獣ケルベロスがこの世界に存在するなんて知らなかったが、アレはどう見てもS級モンスターだろう。

 そんな魔物が奴の意のまま動くとなれば、それは驚異だった。俺は三頭獣ケルベロスの動きを注意深く見守る。

「……あれ?」

 だが、三頭獣ケルベロスは動かない。いや、むしろその命令に従うどころか――

「ミュスカ! あいつに障壁を!」

「え!? は、はい!」

 ミュスカが俺の指示に従って子爵に魔法障壁を張るのと、三頭獣ケルベロスが子爵に噛みついたのは、ほぼ同時だった。大口を開けた三頭獣ケルベロスは、思いがけない抵抗に遭って動きを止める。

石檻ストーンプリズン!」

 その様子を見て察したのか、ミルティが三頭獣ケルベロスを囲むように石の牢獄を作り上げた。それを見た俺がクルネへ視線を送ると、彼女は分かっている、というように俺に頷いてみせた。

「な、なんだと!? どういうことだ!」

 腰を抜かしたのか、へたり込んでいるワイデン子爵を片手で担ぐと、クルネは俊敏な動きでその場を離脱する。よしよし、こいつに死んでもらうと何かと困るからな。魔道具ともども、無事な状態で確保しないと。

「話が違いすぎる……! 操れないどころか、私を襲ってくるだと……?」

 なにやら呆然自失の体で呟いているワイデン子爵だったが、とりあえず彼は無視だ。ぐるりと周りを見回すと、一度は近づいてきていたラムバーク侯爵たちの姿が、また見えなくなっていた。三頭獣ケルベロスの姿を見て逃げ戻ったのだろう。

 なんにせよ、これならワイデン子爵を奪われることはなさそうだ。俺は子爵の手足を縛りながら、そう安堵していた。死の恐怖に直面したせいか、縛られることに抵抗する様子もなく、子爵はぶつぶつと何かを呟き続けていた。

「「「ガルルルゥゥゥッ!」」」

 三頭獣ケルベロスの三つ首がそれぞれに吠えたかと思うと、奴を閉じ込めていた石の檻が砕け散った。次いで、その中から姿を現した三頭獣ケルベロスがこちらへ襲いかかってくる。

 と、まっすぐ突進してくるように見えた三頭獣ケルベロスは、突然横方向に飛び退った。それに一瞬遅れて、直前までその足があった空間を銀閃が薙ぐ。それは、横合いから斬りかかったクルネのものだった。

「速い……!」

 クルネはそう呟くと長剣を構え直した。スピードが身上の彼女にそう言わせるとは、並大抵ではない。俺は三頭獣ケルベロスの警戒度をさらに上方修正した。これは、早く片付けないと危険すぎる。

 そう判断した俺は、皆に声をかける。

「大技を当てる! あいつの動きを止められるか!?」

「わかったわ!」

「期待してるわよ」

 俺の言葉に頷いたのは、クルネとミルティだった。ミュスカがなぜかきょとんとしているのは……あ、そういえば自己転職(ジョブチェンジ)の話なんてしたことなかったな。
 まあ、治癒師ヒーラーのミュスカが今できることはあまりないし、説明は後にしよう。

 俺はそう結論づけると、久しぶりに魔力変換の特技スキルを発動させた。シュルト大森林でも経験した、不気味な魔力が俺の身体に流れ込んでくる。目が回ってクラクラするのに耐えながら、俺は魔力を集め続ける。

光剣ルミナスブレード!」

 その間に、三頭獣ケルベロスに対して、クルネが巨大な光の剣を叩きつけた。広大な攻撃範囲を誇るその攻撃を驚異的な反応で回避すると、三頭獣ケルベロスはクルネに向かって飛びかかる。

 三頭獣ケルベロスの標的となったクルネは、無理に剣を合わせることなく、大きくその場を飛び退いた。三つ首の一つが、今しがたまで彼女がいた空間を抉る。その凄まじい速度と質量は、噛みつくまでもなく相手を破壊してのけるだろう。それくらいの凶悪さが、そこにはあった。だが――

「グァゥ!?」

 クルネを仕留め損ねた三頭獣ケルベロスが着地した瞬間、その二本の前脚がずぶり、と地面に沈む。前脚だけではない。三頭獣ケルベロスの周囲の地面が流砂と化し、その身体全体を沈み込ませる。

 確認している余裕はないが、確実にミルティの魔法だろう。凄まじいパワーを持つ三頭獣ケルベロスだったが、流砂の中ではそれも役に立たない。

 それを確認すると、俺は三頭獣ケルベロスに向かって走った。ミルティから、流砂の魔法はかなりの魔力を消費すると聞いた記憶がある。そう長くはもたないだろう。

 三頭獣ケルベロスまであと数歩というところまで近づいた俺は、格闘家モンクの上級職たる求道者シーカー転職ジョブチェンジした。魔法職ではなく戦士職を選んだのは、身体能力に優れた固有職ジョブで、攻撃を確実に当てるためだ。

 剣匠ソードマスター竜騎士ドラゴンナイトでもよかったのだが、生憎と剣も槍も持っていなかったため、今回は素手でも能力を十全に発揮できる固有職ジョブがベストだったのだ。

 俺は流砂化していないぎりぎりのところまで接近すると、吸い上げた魔力を特技スキルの力に変換しながら声を張り上げた。

「ミュスカ! 手前の地面に障壁を張ってくれ! 足場にする!」

 返事は聞こえなかったが、すぐに俺の目の前に障壁が発生する。流砂のおかげで、障壁の位置や形がはっきりと分かった。

 次の瞬間、俺は全力で地を蹴って、三頭獣ケルベロスの懐へと飛びこんだ。三つ首の一つが、顎を開いて襲いかかってくるが、ここでチャンスを逃すわけにはいかない。左手を裏拳気味に叩きつけることで、俺はその攻撃を相殺した。左腕からばっと血が噴き出たが、あんな化け物と正面衝突して、腕を食いちぎられなかっただけでも僥倖だろう。
 守護戦士ガーディアンほどではないにしても、さすがは上級戦士職だけあって、その防御力は規格外だった。

至高の一撃(シュプリームブロウ)

 そして、空間を引きずるような異様な感覚と共に、俺は三頭獣ケルベロスの胸部目がけて、右拳を叩き込んだ。拳から迸っていた異常に眩い光が、その肉体に吸い込まれる。そして、その直後。

 凄まじい破裂音と共に、三頭獣ケルベロスの身体が爆散した。俺の拳に宿っていた力の奔流は、そのまま巨大なエネルギー塊となって空へ突き抜けていく。
 後に残されたのは、もはや原型を留めていない、三頭獣ケルベロスだったモノの残骸でしかなかった。

「うわぁ……」

 その光景を見て、俺は思わず声を上げた。なんだろうこの既視感。かつて地竜アースドラゴンと戦った時の反省から、魔力を吸い上げるのは程々にしたつもりだったんだけど、それでも調整に失敗してしまったようだ。

 三頭獣ケルベロスの心臓部を狙ったため、拳の軌道が上方を向いていたことがよかったのだろう。もし真正面に拳を突き出していたら、この貴族街の形が変わってしまっていたはずだ。もしそうなっていた場合の犠牲と賠償額を考えて、俺は一人でゾッとしていた。

「カナメ! その腕大丈夫なの!?」

 と、そんなことを考えていると、クルネが血相を変えてこっちへ駆け寄ってきた。……いや、大丈夫じゃないです。ずっと現実逃避してたけど、左腕から凄まじい激痛が押し寄せてきて、めちゃくちゃ痛いです。

大治癒キュア!」

 そんな俺の状態を見て、ミュスカが慌てて治癒魔法をかけてくれる。さっきまでの激痛が嘘のように和らいでいくのを感じて、俺は改めて魔法のありがたみを思い知った。

「……助かったよ。ありがとう、ミュスカ」

「いえ、そんな……遅れてすみません」

 謙遜するミュスカの前で、俺は左腕を軽快に曲げ伸ばししてみせる。血だらけの腕は一見すると重傷だが、もはやその動きに不具合はなかった。

「カナメさんったら、とんでもない隠し技を持っていたのね……」

 腕の具合をチェックしていると、いつの間にか隣に来ていたミルティがまじまじと俺を見つめてきた。そういえば、魔力変換と上位職特技(スキル)の合わせ技は、このメンバーではクルネしか知らなかったのか。

 色々説明が足りなかったのに、よく信じてくれたものだ。俺は彼女たちに心から感謝すると、あらためて三頭獣ケルベロスの遺骸を見下ろすのだった。
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