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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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訣別

「それでは、歌や舞踏を奉納する者のために設けている時間を、変更するべきだと?」

「はい。彼らの多くは、酒場や路上で芸を披露し、路銀を稼いでいるのが常です。クルシス神への歌舞の奉納時間が、暮れ五つの鐘以降に限定されている現状では、実入りのよさそうな場所を、先んじた同業者に抑えられてしまう弊害があります」

「そこまですると、特定の参拝者を過度に利することにはならないか?」

「そこは程度の問題と考えます」

 クルシス神殿でもかなり大きな会議室に、俺の声が響いた。今、この会議室で行われているのは、クルシス神殿の内部会議だ。会議と言っても、そうかしこまったものではなく、他部門に対して「こうしてはどうだ」と無責任に提案したりする、緩やかなものであるため、俺はこの会議がけっこう気に入っていた。

「まずは、来殿者からデータをとる必要があるな。カナメ助祭が言う通り、クルシス神殿に詣でたために、その日の稼ぎを失ってしまうというのでは、あまりに報われぬ」

 そう結んだのはどの部門の司祭だっただろうか。彼に賛同する声が幾つも上がったことで、この案件に対する方向性が決定される。

「では、次の提案だが……」

 司会役の上級司祭が次の意見を求めると、まだ若い神官がさっと挙手する。俺の顔をちらちら見る感じからすると、転職ジョブチェンジ部門に対する意見だろうか。
 どんな意見が出るのか、と少し身構えながら、俺はその声に耳を傾けるのだった。



「ふぅ……さすがに最後の方は眠かった……」

「カナメ、お疲れさま」

 会議を終えた俺がそう呟くと、後ろからそんな声がかけられた。振り返るまでもなく、クルネの声だ。彼女に言葉を返そうとした俺だったが、それよりも先に、野太い声が割って入る。

「おお、クルネの嬢ちゃんか。なんだか久し振りだな」

 割り込んできたのは、警護責任者として内部会議に出席していたアルバート司祭だ。司祭はいつも通りに雑な笑顔を浮かべて、そして首をひねった。

「……ん? 嬢ちゃん、調子でも悪いのか?」

「そう? いつも通りだよ?」

 司祭は不思議そうにクルネの顔を覗き込んだが、彼女はすぐに笑顔を浮かべると、明るい声でそれを否定した。
 それを聞いて、アルバート司祭が狐につままれたような表情を浮かべる。

「お、おう、それならいいが」

「心配してくれてありがとう。……私、巡回に戻るね」

 クルネはそう言うなり、性急な動きでこの場を離れた。そんな彼女の後ろ姿を見送ってから、アルバート司祭が俺へと視線を移す。

「なんか変だな……。カナメ助祭、お前さん何か知らねえか?」

「いえ……」

 突然の問いかけに、俺は歯切れの悪い言葉で答えた。すると、アルバート司祭は呆れたように溜息をついて俺を見る。

「……ひょっとして、クルネの嬢ちゃんと喧嘩したか?」

「そういうわけではありませんが……」

 クルネが、無理にいつも通り振る舞っているのは明らかだった。そして、その原因は一つしかない。

――俺が異世界から召喚されていたこと。その事実は、発覚から数日経った今でも、彼女に色濃い影響を残していた。……いや、正確に言えば、問題なのは事実の発覚そのものではない。それは、完全に俺の問題と言ってよかった。

「その割には、心当たりがありますって顔をしてるぜ?……ま、無理に聞き出すような趣味はねえからな。もし相談したくなったら、いつでも言ってくれ」

 そう言うと、アルバート司祭はくるりと後ろを振り向いた。その、去りつつある背中に向けて、俺はとっさに声をかける。

「アルバート司祭」

「ん?」

 振り返り、いつも通りとぼけた表情を向けてくる司祭に対して、俺は一つの問いを投げた。

「……唐突な質問ですけれど、もし親しい人間――そうですね、家族や、長年組んでいた仲間が突然失踪したら、どう思いますか?」

「ん?」

「やっぱり許せませんよね?」

 突然の質問に、アルバート司祭は戸惑っているようだった。彼は俺の真意を探るように、少しその目を細めた。

「それは何かの隠喩か? だとしたら悪いが、俺にはお前さんの言いたいことがよく分からん」

「いえ、そのままの意味です」

 俺は真剣な声でそう答える。すると、司祭はしばらく沈黙を続けた後、ふっ、と息を吐いた。

「そりゃ関係性によるだろうさ。だが……そうだな、お前さんが言うような、許す許さないなんて話にはならねえな」

 俺の事情を察したわけではないだろうが、アルバート司祭は真剣に答えてくれるつもりのようだった。彼は少し虚空を見つめた後、言葉を続ける。

「突然いなくなるんだ、そりゃ心配もするし、寂しくも思うだろうが、それを『許せない』と思うような奴は、そんなにいねえと思うぞ?……まあ、金を借りたままドロンとか、そういう場合は話が違うが」

 そう言って、司祭は軽く笑った。

「『今頃どうしてるだろうな。ひょっとしたらもう……』なんて思う時はあるが、あくまで推測の域でしかねえ。そいつが元気にやってることを祈るだけさ」

「そんなものですか……?」

「神官がこう言うのもなんだがよ、誰が欠けようが、世界は在り続けるし、人間社会も回り続ける。
 不慮の事故で死んじまったんなら、そいつに罪はないし、本人に失踪するだけの理由があるなら、それはそいつの決断ってことだ。『許せない』なんて非難される謂れはねえさ」

「けれど、寂しかったり、悲しくなったりはしますよね?」

「当たり前だろ。置いてかれる身になれば、堪ったモンじゃねえよ。……けどまあ、時間ってのは優しいものでな。どんな悲嘆も、時と共に薄めてくれる。ずっとそこに拘泥する人間も中にはいるが、大抵の奴はそうやって生きていくもんだと思うぜ」

 そう語るアルバート司祭の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。彼もまた、その時間の恩恵に与った一人なのだろう。その記憶を想起させてしまったことに、俺は罪悪感を抱いた。

「つまり、俺から言えるのは『そんなの気にすんな』ってことだな! 例え周囲が悲しもうが、胸を張って『悪くない人生だった』って言えるなら、それはそれでありだと思うぜ」

 司祭は今までよりも明るい声でそう言うと、ドン、と俺の肩を強く叩いた。

「司祭……」

 アルバート司祭は優しかった。おそらく、彼の回答には、俺が望む方向への手心が加えられていたはずだ。
 事情も何も分からないだろうに、敢えて俺の背中を押そうとしてくれたのだ。その思いやりに対して、俺は丁寧に頭を下げた。

「アルバート司祭、ありがとうございました。参考になりました」

「おう。なんか知らねえが、まあ頑張れ。少しくらいなら応援してやるからよ」

 そう言うと、司祭はニヤリと笑って付け加える。

「ま、お前さんと嬢ちゃんが喧嘩したら、俺は嬢ちゃんに味方するがな。……警護部門の長として」

 笑い声を上げながら、アルバート司祭は去って行ったのだった。



――――――――――――――――――



 彼からすると、少し手狭に感じる、一人暮らし用の貸し部屋。無骨な剣や防具が置かれながらも、少し華やかな雰囲気が漂っているのは、やはり家主の個性が出ているのだろう。

 そんな感想を抱きながら、リカルドは部屋にいる三人を見やった。カナメ、ミルティ、そして部屋の主であるクルネ。彼らは、先延ばしにしていたあの話の続きをするために、こうして集まっていた。

 クルシス神殿の会議室を使うのは内容的にためらわれ、ミルティの権限で魔法研究所を利用するには、リカルドの立場が微妙すぎた。かと言って、リカルドが利用している宿屋は、その立場上、盗聴されている可能性が否定できない。クルネの部屋が選ばれたのには、そんな事情があった。

「みんな揃ったようだし、始めてもいいかな?」

 さっそく、と言った体で口を開いたリカルドの言葉に、他の三人が同時に頷いた。リカルドが進行役をすることについて、反対意見がないことを確認して、彼は言葉を続ける。

「ごく簡単に、話をおさらいさせてもらうよ。……カナメは、この世界のどこにも存在しない異世界で暮らしていたところを、マクシミリアン導師によって召喚された。
 そして、彼によってシュルト大森林に転移させられた後、あの広大な森を抜けて、辺境のルノール村へ辿り着き、転職ジョブチェンジ屋を始めた。……そこまでは間違いないかな?」

「ああ、その通りだ」

「正直、異世界なんて言われても、未だにピンと来ないんだが……」

「まあ、それはそうだろうな。確たる物証があるわけじゃないし、俺とマクシミリアンが共有している妄想だという可能性もある。今のところ、俺たち二人の主張以外に証明できそうなものはないからな」

 カナメの返事を聞いたリカルドは、彼に向かって意味ありげな視線を返す。

「……失礼ながら、僕もその可能性を考えていたんだけどね。けど、よく考えたら、既に僕はその証拠を見せてもらっていたのかもしれない。そのことに、今さら気づいたんだ」

 リカルドはそう言うと、少し大仰な仕草でカナメの方へ手を伸ばした。

「カナメ、君のステータスプレートを見せてくれないかい?」

「あ……!」

 リカルドの言葉に反応したのはクルネだった。そして、彼女の反応とほぼ同時に、カナメもそのことに思い当たったようだった。

 彼がコトリ、と机に置いた黒光りするステータスプレートには、『異邦人ストレンジャー』という固有職ジョブ名が記されていた。

異邦人ストレンジャー……!?」

 カナメのステータスプレートを初めて見たのだろうか、ミルティが驚いたように呟いた。そんな彼女に説明するように、リカルドは口を開いた。

「あの時は色々あって流してしまったけど、この固有職ジョブ名も、カナメが異世界から来たということなら納得がいく。少なくとも、現代の魔法技術では改竄の難しい、古代文明の遺産が彼の特殊性を保証してくれているんだ。
 ならば、カナメが異世界から来たということについては信じてもいいんじゃないか、僕はそう思う」

「私もそう思うわ。少なくとも、カナメさんが異世界から来たことを前提にして、話を進めることには賛成よ」

 リカルドの発言に対して、ミルティが同意を示す。

「ねえ、クーちゃんもそれでいい?」

「……え?……うん、もちろん」

 少し俯きがちながらも、クルネもそれに同意を示す。それを確認すると、リカルドは、まずミルティに問いかけた。

「ミルティさん。魔法研究所の研究員たる貴女に訊きたいのだが、異世界召喚というものは、魔法理論として完成しているのかい?」

「そもそも、異世界が存在するなんて前提がありませんから、理論以前の問題です」

 ミルティはそう答えた後、考えこむように頬に手を当てた。

「そうね、空間転移テレポートの理論ならあるから……そこに召喚術師サモナーの魔法理論を組み合わせて……ううん、でもあれは……」

「どうだい? カナメを送還することはできそうかい?」

 ぶつぶつと呟いていたミルティに対して、リカルドは明るく尋ねた。できるだけ平静を装って質問をしたつもりだが、カナメにはどう映っただろう。そんなことを考えながら、リカルドはミルティの答えを待った。

「手探りもいいところですから、何とも言えません。異世界の座標なんて、どう捉えたものか見当もつきませんもの。マクシミリアン先生は時空魔導師ですから、感覚的なレベルで理解できていたのかも……」

「ということは、マクシミリアン導師がその気にならない限り、異世界への送還は不可能だと?」

「それは……」

 リカルドの質問に、ミルティの瞳が揺れた。彼女はしばらく沈黙したあと、意を決したように口を開く。

「……マクシミリアン先生はたしかに天才ですし、その思考も突飛なものですが、彼が今までに提唱した理論は、どれも筋が通っています。そして、筋が通っている以上、他者が再現できないはずはありません」

 魔法陣や触媒の準備だけでも、膨大な時間がかかるでしょうけれど、と付け加えて、ミルティはその口を閉じた。

「なるほど、送還できる可能性はあるわけだ」

 口を閉ざしたミルティに代わって、再びリカルドが口を開く。その明るい口調には、微かに苦い響きが混じっていた。そのことを感じ取ったのか、カナメの視線がリカルドへと向けられた。

 その視線を受け止めると、リカルドは大きく深呼吸してから、真剣な面持ちで口を開いた。

「――正直に言うよ。僕は、君に異世界に帰ってほしくない」

「……」

 カナメは何も答えなかった。そんな彼に対して、リカルドは無表情で淡々と話を続ける。

「僕がカナメを神学校へ推薦した理由については、君も知っての通りだ。言葉は悪いが、君を利用して今の飼い殺し状態から脱出したい。それに尽きる」

「それは分かっているつもりだ」

「今の時点でも、僕の辺境での立ち位置や転職ジョブチェンジ事業に関するコネ、そしてアイゼン兄さんの件と、君から受けた利益は大きい」

 だが、とリカルドは言葉を続ける。

「それでも、僕が今の状況を脱出するには、まだ足りない。不甲斐ないと言われてしまえばそれまでだけど、どうせなら最後まで手伝ってもらいたいんだ。
 図々しいことは承知しているけど、君は僕の希望なんだよ。……自分でも気持ちの悪い表現だとは思うけれどね」

 最後にそう付け加えて笑うと、リカルドは乗り出していた上半身を椅子の背もたれに預ける。体重をかけた椅子が、少しきしむ音を立てた。そんな椅子に座りながら、リカルドは考える。

――クローディア王国第十二王子として、言うべきことは言った。……だが、カナメの友人としては何が正解なのだろう。情に訴えて行くなと言うべきなのか、それとも元の世界へ帰るのを応援するべきなのか。

 私的な友人というものがほとんど存在せず、中途半端な第十二王子としての人付き合いが大半であったリカルドにとって、それは判断のつかない事柄だった。

 しん、とした空気の中で、今度はミルティが口を開く。

「ねえ、カナメさん。私は、あなたから受けた恩を忘れたことはないわ。だから、カナメさんが望むなら、元の世界へ送還する研究に全力を尽くします。それこそ、王立魔法研究所の力を総動員させてもね。
 それが、私のカナメさんに対する感謝の気持ちであり、魔法研究者としての矜持でもあるから」

 ミルティの発言を聞いて、リカルドの瞼がぴくりと動いた。リカルドの本音を言えば、彼女が「異世界への送還はできない」と言ってくれるのが一番ありがたい展開だったからだ。

 なんら意見の衝突を見ることなく、カナメをこの世界に留めることができる。リカルドにしてみれば、それは最も理想的な展開と言えた。
 だが、それはあくまでリカルドのエゴだ。そんなことは、言われるまでもなく分かっている。彼は平静を装いながらも、心の中で葛藤していた。

「――でもね」

 と、話し終えたと思われていたミルティが、再び口を開いた。彼女は少しためらうように、自分の手元に視線を移すと、カナメに強い視線を向ける。

「……個人的には、帰ってほしくない」

 最後に、彼女はその一言だけを口にした。向けられた真摯な瞳に、カナメの無表情が崩れた。

「俺は――」

 彼女の言葉に対して、カナメは苦悩の浮かんだ表情で口を開こうとする。

「待ってカナメ……。先に、私にも言わせて」

 そこへ割って入ったのは、今までほとんど口を開いていないクルネだった。彼女は自分の手元へ視線を落としたままで、絞り出すように話し始める。

「……カナメが、自分の世界に帰りたいと思う気持ちは分かるわ。もし私がカナメの立場だったら、帰りたいと思うはずだから」

 クルネは顔を上げると、カナメと視線を合わせる。

「向こうの世界には、カナメの大切な人たちがいるんだよね?……私は、カナメに命を助けられたし、固有職ジョブだって授けてもらった。……ううん、それだけじゃなくて、カナメには本当にたくさんのものをもらった。そんな私には、カナメに意思を曲げてこの世界に残って、なんて言えないよ……」

 クルネは震えた声でそう告げると、再び視線を手元へと落とした。

「……別の大陸なら、会いに行けると思ってた。ついて行くことだってできると思ってた。でも、そんなレベルの話じゃないんだよね……?」

 泣き出しそうな表情を見せたくなかったのか、クルネはそう呟くと、より深く俯いた。彼女の前髪に遮られて、その表情が見えなくなる。

 リカルドは、カナメへと視線を移した。「行かないで」という直接的な言葉こそなかったものの、彼女の本音を察することのできないカナメではないだろう。彼にしては珍しく、動揺を表に出しているのがその証拠だ。

――ここからは僕の出番だ。リカルドは自分にそう言い聞かせると、もたれかかっていた椅子の背から、再び身を起こした。
 友人として言いたいことは勿論あるが、情に訴えるのは、彼女たちに任せておけばいい。僕は、彼女たちが言えない部分を担当しよう。そんな思いを抱きながら、リカルドは口を開く。

「カナメ。君が異世界でどんな境遇にあり、どんな生活を送っていたのか、それは僕には分からない。だから一つ尋ねたいんだが、この世界は、君にとってそんなに価値がないものなのかい?」

「……そんなことはないさ」

 その質問は、少し意地の悪いものだった。人見知りではあるかもしれないが、カナメは人に気を遣うことのできる性格だ。この世界で生きてきた人間を目の前にして、この世界に価値がない、などと言えるはずはなかった。

「この世界で生きる者として、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 リカルドはそう言って笑顔を浮かべた。そして、その目に真剣な光を灯すと、カナメに一つの提案を行う。

「それなら、この世界に移住してはどうかな? 召喚されたからって、向こうの世界に帰らなければならない法はない。
 まして君は、既にこの世界で確固たる立ち位置を得ている。もし君が異世界出身の人間だと知れたところで、誰も排斥できないはすだ」

 それは悪い話ではないはずだった。カナメは若くしてクルシス神殿の特別司祭の地位にあり、その転職ジョブチェンジ能力は、この世界において極めて希少かつ有用だ。彼を羨む人間など、いくらでもいるだろう。

 しかもこの世界には、明らかに彼に好意を寄せている異性までいるのだ。彼女は控えめに言っても容姿端麗だし、その性格にも好感が持てる。人によっては、それだけで故郷に別れを告げることもあり得るだろう。

 一時の人間関係で、人生の岐路を決断してしまうのは悪手だとリカルドは考えているが、それでもプラス要素になることは間違いなかった。

 もちろん、カナメが向こうの世界で絶対的権力を誇る王族であるだとか、将来を誓い合った恋人を残してきているだとか、そんな可能性もないわけではない。だが、今までのカナメの言動を見る限りでは、そういった特殊な事情はないように見受けられた。

「カナメ、もしよければ聞かせてほしい。君が異世界に帰りたいと思っている理由を」

 そう言って、リカルドは強い視線をカナメに向けた。



――――――――――――――――――――



「カナメ、もしよければ聞かせてほしい。君が異世界に帰りたいと思っている理由を」

 リカルドの言葉が、そう広くはない一室に響く。その問いかけは、すぐに答えるには色々なものを内包しすぎていた。

「俺は……向こうの世界では、なんの取り柄もない一般人だったよ。どこにでもいる変わり映えのしない人間の一人として、ただ無目的に生きていただけだ。……まあ、それだってけっこう大変なんだけどな」

 ようやく口から出てきたのは、そんな言葉だった。その言葉を聞いて、三人が一様に驚いた表情を浮かべる。俺が元の世界でも特殊能力を持っていたとでも思っていたんだろうか。だとしたら、それは買い被りというものだ。

 元の世界で、働くことが好きだったかと言われれば、答えはノーだ。「これはやり甲斐のある仕事だ」と自分に暗示をかけて、なんとか一日を凌ぐ。そんな日が集まって一か月となり、そして一年となる。そして、そんな日が続いて一生を終えるのだろう。そう思っていた。

 だから、「どちらの世界が楽しいか」と問われたなら、俺は迷わずこの異世界だと答える。
 転職ジョブチェンジ能力を使えば人に感謝されるし、周囲の人間にも恵まれている。神殿での待遇も、俺の年齢を考えれば破格と言っていい高待遇だ。俺がこの異世界での日々に充実感を覚えているのは、否定しようのない事実だった。

 そのため、またあの灰色の生活に戻らなければならないのかと思うと、うんざりする気持ちは否定できなかった。
……あ、そういえば、無断欠勤のままもう二年も経ってるんだよな。確実に解雇クビにされてるよなぁ。解雇クビにされたうえに、二年以上の無職期間は既に確定している。次の就職がかなりのハードモードになることは間違いなかった。

 そもそも、これから送還の魔法研究をしたところで、帰ることができる保証はない。帰れたのは数十年後、という可能性も低くはないのだ。

「それは意外だが……。それなら尚のこと、この世界に残ったほうがいいんじゃないのかな?」

 リカルドの言葉は正論だった。この世界なら、俺は人格を持った一個の存在だということを実感できる。努力もせずに授かった力で図々しいかもしれないが、それを言うなら、生まれ持った才能や親の財産だって似たようなものだろう。それを行使することにためらいはなかった。

 だから、問題はそこじゃなかった。リカルドに言われるまでもなく、俺はこの世界での生活のほうが楽しいと感じている。多少後ろめたいながらも、それは確固たる事実だった。

「正直に言えば、この世界での生活のほうが楽しい」

 そう答えると、他の三人が驚きの目を向けた。

「だが、向こうの世界には、家族や仲のいい友人、世話になった同僚たちがいる。今までいろいろ世話になっておいて突然消えましたじゃ、あまりにも不義理がすぎる」

 せめて、手紙の一つでも送ることができればいいんだけどな……けど、「異世界に来ました。そっちへは帰りませんが、元気でやってます」とか、俺の名前を騙った悪質な悪戯だととられかねないよなぁ。

「……つまり、カナメとしてはこっちの世界の方が楽しいけど、向こうでお世話になった人たちに申し訳ないから、帰りたいと。そう言うわけだね?」

 そうまとめるリカルドの言葉に、俺は無言で頷いた。それを受けて、彼が再び口を開く。

「……カナメ、君はこの世界へ来てから、誰の世話にもならず、借りを作らず生きてきたのかい?」

「それは――」

 俺は思わず口ごもった。リカルドの言わんとしたことが分かったからだ。

「僕の神学校枠推薦は置いておくとしても、例えば、そこにいるクルネさんだ。カナメ、君の戦闘能力は高くない。辺境でも王都でも、彼女が君の身を守っていたことは間違いないだろう。
 それに、君が辺境のルノール村に腰を落ち着けることができたのも、彼女のおかげだろう? 下手をすれば、君はあの過酷な辺境で行き倒れていたかもしれない」

 リカルドの言葉は正しかった。さらに彼は言葉を続ける。

「ミルティさんにしても、それは同じことだ。今回の異世界召喚の魔法に限らず、君は様々な魔法の話について、彼女に相談していたと聞いた。君だって、それを『まったく世話になっていない』なんて思ってはいないだろう?」

「……」

「もちろん、ここにいる二人だけじゃない。クルシス神殿の人たちや、辺境の人々だってそうだろう。もし君が不義理を働きたくないと言うのなら、この世界で君と関わった人にだって同じことが言える」

 その言葉に、俺の脳裏を様々な人たちがよぎる。誰の世話にもなっていない、そう言えるほど、俺は傲慢にはなれなかった。

「自分の意思と関係なく喚び出された君に言うのはなんだけど、君は既に、どちらかの世界の住人に対して、不義理を強いるしかないんだよ」

 そんなリカルドの言葉に対して、それは詭弁だと、二十年以上いた世界と、たかだか二年しか生きていない世界では、まるで重みが違うと理性が囁く。

 だが同時に、リカルドの言葉に同調したいという気持ちもまた、たしかに存在していた。

「もちろん、君が生まれ、長い間生きてきた向こうの世界とこの世界を比べて、それが等しい重さだと言うつもりはない。ただ、この世界にも多少は義理があると、そう主張しておきたいんだ」

 そして何よりも、とリカルドは続ける。

「君は元の世界に対して、『帰りたい』ではなくて、『帰らなければならない』と考えているように思える」

「……!」

 その言葉は、俺の心に大きな衝撃を与えた。今での人生を思い起こせば、たしかに俺は、「しなければならない」という観念を軸にして生きてきた。諦念を持って生きている人間にとって、願望は毒になり得るからだ。

 そんな俺が「したい」と思うようになったのは、この世界に来てからのことだ。もし、元の世界の知己が今の俺を見ることがあれば、確実に驚くことだろう。それくらいには、俺はこの世界で生きることを楽しんでいた。

 考え込む俺を見て、リカルドは言葉を重ねた。

「……君がどちらの世界にいたいか、それだけの問題だと思う」

 元の世界での出来事が、走馬灯のように頭の中を巡る。ずっと関係が続いている相手もいれば、もはや名前の思い出せないやつもいる。
 だが、俺はたしかに彼らと縁を繋いでいたのだ。ここで彼らを切り捨てるような真似が許されるのだろうか。

――例え周囲が悲しもうが、胸を張って『悪くない人生だった』って言えるなら、それはそれでありだと思うぜ。

 俺の耳に、アルバート司祭の言葉が甦る。人生で、一度くらい我儘を言ってもいいんじゃないのか。他人ひとに気を遣い続けるだけの人生を終えた時、俺は笑顔で旅立つことができるのか。

 相反する思いが、俺の中で葛藤する。

 そうして、どれくらいの間沈黙していたのだろうか。ふと窓の外に視線を向けると、夕暮れの空は、いつの間にか夜空へその姿を変えていた。

 その夜空をじっと見ていた俺は、視線を戻して、静かに瞼を閉じた。夜の街の喧騒が、かすかに耳に届く。その音を聞きながら、俺は静かに心を固めた。

「――この世界に、残るよ」

 俺はそう言うと、元の世界にいる、すべての知己に頭を下げた。胸に苦いものが広がるが、これが俺の選択だ。もし死後の世界が存在しているのなら、その時に全力で謝ろう。……まあ、死後の世界も異世界じゃ別々かもしれないが。

「え……?」

 最初に声を上げたのはクルネだった。彼女は信じられないものを見るような目で俺を見る。

「ほ、本当に……? でもカナメ、家族とか恋人とか――」

「ちょっとクーちゃん、せっかくカナメさんが残るって言ってるのに、なんでそんなこと言っちゃうの?」

「あ……」

 そんなやり取りを交わす二人を見て、俺は軽く笑い声を上げた。

「とはいえ、あっちの世界にいる皆に挨拶くらいはしたいからな。世界の壁を越える方法は探し続けるつもりだ」

 俺がそう口にすると、ミルティが真剣な目で頷く。その方法を一緒に探してくれる気なのだろう。俺は彼女に心から感謝した。

「けど、あくまでこっちで生きることを前提にして、向こうに帰ったとしてもまた戻ってくるよ。だから、確実にこの世界に戻って来れることが分かるまで、向こうの世界には行かない」

 欲を言えば、自由に行き来ができるのが望ましいが、期待しすぎるのはやめておいたほうがいいだろう。なんせ魔法理論の第一人者らしいあの爺さんですら、俺一人を召喚するのが限界だったのだから。
 それでも、できれば連絡手段の一つくらいは構築したいところだった。

「まあ、あっちの世界には姉弟がいるからな。しかも、もうすぐ姉の子供が生まれるはず……いや、もう生まれてるか。だから、俺は音信不通になっちゃったけど、親だって嘆いてばかりじゃいられないはずだ。……恋人に至っては、そもそもいないしな」

「そうなんだ……」

 俺の答えを聞いたクルネは、複雑な表情を浮かべながらも、ほっとした様子だった。

「だからみんな、これからもよろしく頼む」

 俺はそう言って頭を下げた。

 しばらくして顔を上げると、そこには三人の真面目な顔があった。リカルドは少し気まずそうに、ミルティは決意したように、そしてクルネは何かを堪えるような表情で俺を見つめている。

……と思ったのも束の間、クルネの顔がふにゃっと歪んだ。

 次の瞬間、クルネは座っていた椅子からガタッと立ち上がると、隣に座っていたミルティに抱きついていた。ミルティの胸に顔を埋めたクルネから、押し殺した泣き声が聞こえてくる。

 そんな二人から視線を逸らした俺は、楽しそうにこちらを見ているリカルドと目が合った。目が合ったことに気付くと、リカルドはにこやかに口を開く。

「いやぁ、君が残ってくれて嬉しいよ」

 そう言うリカルドは、非常に上機嫌だった。

「投資先に夜逃げされなくなったからな」

「酷いなぁ、僕は友人の一人として、君の決断を歓迎しているんだよ?」

 そうおどけてみせるリカルドが、なんだか憎たらしくなった俺は、ちょっとした嫌味を混ぜる。

「その友人が、帝国との戦争で名誉の戦死を遂げるようなことがなければいいな」

「言ってくれるね……」

 そう言って苦笑いを浮かべながらも、リカルドは嬉しそうなままだった。そんな彼を置いて、俺は窓から夜空を見上げるのだった。



――みんな、ごめんな。叶うなら、またいつか。
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