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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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提案

「私には、人を転職ジョブチェンジさせる力があります」

 クルシス神殿の神殿長室に、俺の声が響いた。しん、と石造りの部屋を静寂が満たす。

……ついに言ってしまった。そんな感慨と共に、俺はプロメト神殿長の反応を待った。
 杞憂だとは思うが、転職ジョブチェンジ業務はクルシス神の教義に反する等と言われてしまった場合、俺は非常に困ったことになる。そう思うと全身に緊張が走った。

 プロメト神殿長は探るような目で俺を見ると、ゆっくりと口を開いた。

「……つまり、君は転職師ジョブコンダクター固有職ジョブを宿していると、そう言っているのかな?」

 ん? 転職ジョブチェンジ能力を持っている人間は転職師ジョブコンダクターと呼ばれているのか。しかも神殿長の言いぶりからすると、転職師ジョブコンダクター固有職ジョブの一種のようだな。俺はそんなことを考えながら言葉を返す。

固有職ジョブ名はいささか異なりますが、他者を転職ジョブチェンジさせられる能力を宿しているという意味であれば、その通りです」

「ほう……?」

 固有職ジョブ名が異なる、というところで神殿長は目を細めたが、今はそれを追及するつもりはないようだった。転職ジョブチェンジ能力さえ本物なら、固有職ジョブ名など気にしないということだろうか。神殿長は、強く興味を引かれた様子で口を開いた。

「非常に興味深い申し出だ。もしそれが事実であれば(・・・・・・)、クルシス神殿はベルゼット元副神殿長に勝るとも劣らない、希少な人材を得たことになる」

 神殿長の発言は非常に前向きなものだった。だが、「事実であれば」の箇所に込められた語調の強さが、俺の言葉を疑っていることを暗に示していた。
……まあ、いきなり信じこまれるよりは、そっちの方が安心できるんだけどね。ここで何の確証もなしに「おおそうか! でかした!」とか言い始める人だったら、一緒に仕事をするのはちょっと遠慮したいくらいだ。

「お疑いは当然のことです。本来ならば、神殿長に転職ジョブチェンジして頂くことが一番手っ取り早い証明方法ではありますが、恐れながら、プロメト神殿長には転職ジョブチェンジできる固有職ジョブがありません」

 俺はそう言うと、懐からステータスプレートを取り出して、神殿長の前の机にコトリと置いた。俺の固有職ジョブ名を目にしたのか、神殿長から驚いた気配が漂ってきていたが、俺は構わず口を開く。

「これは秘密にしておいて頂きたいのですが、この転職ジョブチェンジ能力は他者のみならず、自分自身に対しても行使することが可能です。……この通りです」

 言うなり、俺は自分に転職ジョブチェンジ能力を行使した。魔術師マジシャンの力が俺に宿り、久しぶりに魔力感覚が覚醒する。この固有職ジョブを選んだのは、目の前で魔法を使うのが一番簡単な証明だと思ったからだ。

 俺は右手に意識を集中すると、その先に氷塊を生み出した。直径五十センチの氷塊が急に出現したことをうけて、神殿長が目を見張る。プロメト神殿長にしては珍しく、その表情には驚愕の色がありありと浮かんでいた。

「神殿長、お渡ししたステータスプレートをご覧ください」

 だが、この大道芸だけで終わってしまう訳にはいかない。俺は神殿長にプレートを見るよう促した。言われるままプレートに視線を落とした神殿長からは、先ほどにもまして驚愕する気配が伝わってきた。

魔術師マジシャンだと……!?」

 と、ここで時間切れだった。魔術師マジシャンの力が消滅し、浮いていた氷塊が落下する。おっと。こんなものが床に落ちたらえらいことだ。なんとか氷を受け止めることに成功した俺はほっとする。

 俺はそのまま、消しそびれた氷塊を部屋の外の廊下に置きに出た。さすがに神殿長室のお高い絨毯を水浸しにする訳にはいかないからね。……にしても、重いなこれ。あと冷たい。
 俺が氷魔法を選んだのは、暴発しても被害が少ないように思えたからだ。けれど、まさかこんな後始末が待っているとは思わなかったな。反省。

 そんなことを考えながら廊下から戻ってくると、神殿長は何事かを考え込んでいるようだった。俺が戻ってきたことに気付くと、向かいのソファーを勧めてくれる。

「……カナメ君。正直に言えば、まだ信じられない気分だ。あの氷塊にせよ、プレートの表示にせよ、何かのトリックがあるのではないかと、今も思考の片隅で考え続けているのは事実だ」

 俺が勧められたソファーにかけると、すぐにプロメト神殿長は話しかけてきた。俺が黙っていると、神殿長は言葉を続ける。

「そして少なくとも、君が他者を転職ジョブチェンジさせられるという、最も重要な点はまだ確認できていない」

 その言葉に俺は頷く。まあ、今回は唐突な話だったからなぁ。固有職ジョブの資質持ちを用意するなんて無理な話だ。これはいったん仕切り直しかな? 俺がそう思った瞬間だった。

「……だが、君の話が真実であるという前提で、詳しい話をすることには何の問題もないだろう」

 そう言うと、神殿長はソファーに深く掛け直した。どうやらそれなりには信用してもらえたらしい。そのことに少し嬉しさを覚えながら、俺は神殿長が口を開くのを待った。

「カナメ君、単刀直入に聞くが、君はその能力をどう使っていこうと考えている? まさか何も考えていない訳ではないだろう?」

「……私はノルヴィス神学校に入学する前に、辺境で転職ジョブチェンジ屋を営んでいたことがあります。そこでは、教会のように限られたごく一部の人間を相手にするのではなく、希望者に対して広く門戸を開いていました」

 もちろん最低限の人間性や、それなりの金銭を持ち合わせていることが条件ですが、と付け足すと、プロメト神殿長は静かに頷いた。何も言わないのは続きを促しているのだろう。そう判断すると、俺は言葉を続けた。

「私は、全ての人に転職ジョブチェンジの機会があって然るべきだと思います。資質があるにも関わらず、生まれや財力のせいで転職ジョブチェンジできないという現状には、どうにも違和感を感じるのです」

「つまり、クルシス神殿の業務の一つとして、広く希望者に転職ジョブチェンジの奇跡を与えるつもりだと、そういう解釈でよいかな?」

「はい。もちろん、それなりにお布施を頂くつもりではありますが、希望者の事情によっては分割払い方式を採用してもよいかと考えています」

 俺がそう答えると、神殿長はどこかほっとしたようだった。ひょっとして、俺が「無料で人々を転職ジョブチェンジさせるのが私の使命です!」とか言うと思ったんだろうか。当然ながら、俺はそんな聖人君子ではない。
 そんなことを考えていると、神殿長が姿勢を正して話しかけてきた。つられて俺も姿勢を正す。

「カナメ君。君の考えは分かった。私としても、この件は非常に興味深い。このクルシス神殿で転職ジョブチェンジの奇跡を扱うことができれば、それは非常に大きなアドバンテージになる」

 そう言うと、神殿長は視線を俺から逸らした。何を見ているのだろう、とその視線を追うと、そこには七大神が描かれた絵画が掛けられていた。その絵画を見ながら、神殿長は口を開く。

「ダール神殿は、現状では異を唱えることはあるまい。神殿派の長として、急激にクルシス神殿が力を落としたことを懸念しているからな。むしろ、教会が独占していた転職ジョブチェンジの奇跡を神殿派が扱えるということになれば、彼らは歓迎するはずだ」

 だが、と神殿長は続ける。

「ガレオン神殿とフェリネ神殿は、ダール神殿に次ぐ勢力を持っていたという矜持がある。そのため、最近勢力を伸ばし、彼らと肩を並べるに至ったクルシス神殿に対しては、あまり協力的とは言えない。新たに転職ジョブチェンジの奇跡を取り扱うといえば、難癖をつけてくる可能性もあるだろう」

 その言葉に俺は頷いた。火を司るガレオン神殿と、水を司るフェリネ神殿。たしか、水神フェリネは慈愛の象徴でもあったはずだが、神殿の方はだいぶ現実的であるようだった。

「また、グラシオス神殿とノマド神殿が表立って敵対することはないだろうが、エネロープ神殿がどう動くかは予想できない。かの女神に似て、あそこの運営方針はなかなかに気まぐれだ」

 なるほど、大地神と闇神は静観で、風神がよく分からないと。突然もたらされた七大神殿の情報を、俺は必死で頭に叩き込んだ。この知識が役に立つような場面に立ち会いたくはないが、知っていて損することはないだろう。

「つまり、エネロープ神殿を味方につけることができれば、意見を通すことができるということでしょうか?」

 俺がそう言うと、プロメト神殿長は肩をすくめてみせた。

「過半数を取るという意味では、その通りだ。ただし、グラシオス神殿とノマド神殿が本当に静観するかどうかは分からん」

 うわぁ。なんて面倒くさい。結局、確実にいくためには複数の神殿を味方につける必要があるわけか。そんなことを考えていると、神殿長がとどめの言葉を放った。

「そして何より、転職ジョブチェンジの既得権益を持っている教会が黙っていないだろう。教会に比べれば、ガレオン神殿もフェリネ神殿も仲良しごっこの範疇だよ」

……ああ、やっぱりそうですか。ボロ儲けの独占事業をやってたようなものだからなぁ。新規参入はできるだけ阻みたいよね。しかし、なんだか神殿長の話を聞くたびに気分が落ち込んでいくな……。

 そんなことを考えていた俺は、ふとプロメト神殿長がこちらに強い視線を向けていることに気付いた。今になってどうしたんだろうか。そう思った俺が口を開くよりも先に、神殿長が言葉を発する。

「カナメ君。教会の『聖女』達のことは知っているな?」

 それは唐突な質問だった。俺が戸惑っている間にも、神殿長は言葉を続ける。

「彼女たちは教会の象徴として、民衆の期待という非常に大きなプレッシャーと常に戦っている。その心労は私でも想像がつかない」

「仰ることは分かります」

 俺は岩蜥蜴ロックリザード討伐の凱旋パレードを思い出す。ミュスカが『聖女』に認定された時、王都の人々の興奮ぶりには凄まじいものがあった。そのプレッシャーで彼女が倒れるんじゃないかと、本気で心配したものだ。

「その重責を担っている五人の『聖女』の一人が、転職ジョブチェンジの『聖女』だ。もし君がその能力を明らかにしたなら、同様の重圧に晒される可能性は高い。
……カナメ君、率直に聞こう。君はその重圧に耐えられるか?」

 ああ、そのことを確認したかったのか、と俺は納得した。ひょっとして、さっきから神殿長がネガティブな話ばかりしていたのも、俺の反応を見る目的があったんだろうか? まあなんであれ、正直なところを答えておこう。

「私はお客様の転職ジョブチェンジの手助けをするだけです。特に気負うつもりはありません。……ですが、外交的な業務と無関係でいられないことは分かります」

 俺がそう答えると、神殿長は重々しく頷いた。そして神殿長が口を開く前にさらに言葉を続ける。

「……とはいえ、私はまだクルシス神殿に入って間もない身。自分自身の修養や転職ジョブチェンジ業務をおろそかにする訳にはいきません。……その辺りについては、プロメト神殿長がご配慮くださると信じております」

 うん、これくらいは言っても許されるだろう。正直を言えば、ずっと神殿で転職ジョブチェンジに没頭していたいくらいだし、これでもけっこうな譲歩をしたつもりだ。俺程度の精神力では、『聖女』のような広告塔になるのはつらいものがあるからなぁ。

「そうか……」

 神殿長はそう呟くと、顎に手を当てて考え込み始めた。元々細い目がさらに細められる。いったい何を考えているのだろうか。神殿長室に再び沈黙が訪れる。

「ふむ……」

 それからどれくらい経っただろう。神殿長はゆっくり俺に視線を戻すと、その口を開いた。

「……新しい部門の人員配置を考えなければ、な」

 そう言って笑ったプロメト神殿長の顔は、少し楽しそうに見えた。



―――――――――――――――――――――――



「それじゃ、ついに能力を打ち明けたのね」

 眩しい夕焼けが次第にその力を失い、王都の空が夜へと切り替わり始める。そんな王都の商店街の中を、クルネは楽しそうに歩いていた。隣を歩いているのはクルシス神殿の神官となったカナメだ。

 やはり仕事が忙しいのか、彼が一月前に神殿に勤め始めてからというもの、二人が会う頻度は減っていた。最後に会ったのは半月ほど前だろうか。転職ジョブチェンジ屋で毎日顔を合わせていた頃とは大違いだ。

「ああ。どう転ぶかは分からないけどな」

 そんなことをクルネが考えていると、カナメが曖昧な笑顔を浮かべた。だが、彼と付き合いの長いクルネには分かる。この顔はそこそこ自信がある時の顔だ。カナメにとっての重要な一歩は、どうやら無事踏み出せそうだ。そう思うと、クルネも嬉しくなってくる。

「じゃあ、お祝いに今日は美味しい物を食べに行こうよ。ちょうど報酬をもらったところだし、奢るよ?」

「や、だから祝うにはまだ早――」

「じゃあ、お祝いじゃなくてもいいから、一緒に美味しいものを食べようよ」

 カナメの言葉を遮って、クルネは今晩の予定を無理やり決定した。とはいえ、この時間にカナメと会った場合、大抵は一緒に夕食を食べることになる。そういう意味では、いつも通りといえばいつも通りだった。

 最近見つけたお薦めの料理店の中でも、一番雰囲気がよさそうなところはどこだろう。できれば、長居しても嫌な顔をされないところがいいな。そんなことを考えながら、クルネは自分の記憶を探るのだった。



「ふーん、神殿ってそんなに大変なんだ……。なんだか貴族みたいね」

 二人が腰を落ち着けたのは、最近クルネが気に入っている料理店の一つだった。あまり大きな店ではないが、アットホームな雰囲気が気に入っている。出てくる料理も一見すると地味なものが多いが、食べてみるとそれぞれに工夫が凝らされており、見た目からは想像できない美味しさがあった。

 その中でもお気に入りのスープを口にしながら、クルネはカナメの話に相槌を打った。雑貨屋の娘として育った彼女からすれば、カナメの転職ジョブチェンジ能力を知って利用しないことなど考えられなかった。

 村に一件しかない雑貨屋では、扱う商品が周囲へ与える影響など考える必要もなかったが、神殿ともなればそうもいかないのだろう。理屈ではそう納得できるものの、クルネにはどうもピンと来なかった。

「他の神殿の人たちが駄目だって言っても、勝手に始めちゃえばいいんじゃないの? それぞれの神殿は独立してるんでしょ?」

「たしかに押し通すことはできるだろうな。ただ、そうなれば相手は不快に感じるだろうし、新しい『業務』を遠回しに妨害してくる可能性もある。敵なんていないに越したことはないからな。できるだけ穏便にすませたい、というのがうちの方針だ」

 そう言うと、カナメは新しく運ばれてきた香草焼きに手を伸ばす。その様子を眺めながら、クルネはふと呟いた。

「もし、カナメがそれで有名人になっちゃったら……もうこんな風に一緒にご飯を食べたり出かけたりできなくなるのかな……」

 そんなクルネの呟きを聞くと、意外にもカナメが真面目な顔で反論してきた。

「『例の儀式』をする際には、複数の神官を配置するだとか顔を隠すだとかで、しばらくの間は正体がバレないようにしてくれるつもりらしい。……まあ、どうせそのうちバレるだろうけど、それでも少しは時間が稼げると思う」

「けど、それだって一年や二年しかもたないんじゃないの?」

「うーん……俺は長くても二、三か月だと思ってる」

「二、三か月って……」

 その答えを聞いてクルネは憮然とした。それではあまりに短すぎる。そう言おうとした彼女だったが、カナメが口を開く方が早かった。

「……というか、もし俺が有名人になったら、クルネは一緒に食事をしてくれないのか?」

「そ、そんな訳ないじゃない!」

 つい大きめの声を出してしまい、クルネは慌てて周囲を見回した。だが幸い、店員も他のお客も気にした様子はなさそうだった。そのことを確認すると、彼女は再びカナメに視線を戻した。

 その時だった。店の扉がギィ、と開いた。次いで騒がしい声が聞こえてくる。

「おい酒だ!つまみも忘れんなよ!」
「今日は浴びるように飲んでやるぜ!」

 どうやら、入ってきたのは男性の二人組のようだった。どんな職業に就いているのかしらないが、そこそこ腕っぷしに自信がありそうな風情だ。実際、彼らの挙動は荒事に慣れていそうな人間のそれだった。だが店員も落ち着き払ったもので、男たちに対して、にこやかに空いている席を案内していた。

 だが、そこで店員を悩ませる事態が発生する。男二人は案内された席に座らずに、その近くで食事をしていた若い女性二人組の席へと近づいていったのだ。
 彼らの顔に浮かんだ表情からすると、知り合いということはないだろう。男二人は、彼女たちの隣に無理やり座ろうとしていた。

「ねえカナメ、あれって……」

「たぶんそれだろうな。……あの手の人間には、そういうことをしなきゃならない種族本能でも備わってるのかなぁ。あのお客さんも店員も災難だ」

 カナメもクルネと同意見のようだった。女性たちのテーブルに座り込んだ男二人を見て、クルネは思わず腰を浮かせる。

「……クルネ、ちょっと待ってくれ」

 だが、カナメのその一言によって、クルネは再び椅子に腰を落ち着けた。どうしたの、と彼に問いかけようとした彼女だったが、ふとその理由に気付く。彼らの後ろに、一人の男が立っていたのだ。年の頃はカナメと同じくらいだろうか。その動きや鍛えられていそうな体格からすると、衛兵や冒険者の類かもしれなかった。

「ん? あの人どこかで見たような……」

 なにやらカナメが首を捻っているのを横目に、クルネが彼らのテーブルに注目していると、彼らの後ろに立っていた青年が口を開いた。

「そこのお二人、他にもテーブルは空いていますよ」

 それが、女性二人に向けられた言葉なのか、男二人に向けられた言葉なのかは分からない。だが、少なくとも男たちの怒りを買うには充分だった。

「なんだてめえはよ。消えろ」

 男の一人が椅子から立ち上がると、二人の間に険悪な空気が流れた。それから十秒ほど経っただろうか。突然、二人組の片割れが腕を振り上げる。誰かの悲鳴が店に響いた。

「ちっ……」

 やはり、止めに入った青年はそれなりに鍛練を積んでいるようだった。相手の攻撃をそれなりに上手く捌いている。だが、青年は目の前の敵に集中するあまり、もう一人の男のことを失念していたようだった。

「覚悟しやがれ!」

 音を殺して忍び寄ったもう一人の男が、死角から青年に飛びかかった。不意を打たれた青年が羽交い絞めにされる。これはまずい。そう判断すると、クルネは今度こそ立ち上がった。

 クルネが彼らへ近づくまでの間に、すでに青年は顔面と腹部を強打されていた。口の中を切ったのか、青年の口の端から血が流れている。だが、男たちにやめるつもりはなさそうだった。このままいけばよくても重傷だろう。

 クルネは彼らの下へ辿り着くと、青年を殴りつけていた男の腕を掴む。突然の闖入者に驚いた様子の男だったが、彼はクルネの姿を見るとニヤッと笑った。

「なんだ姉ちゃん、代わりに酌でもしてくれるのか?」

 だが、そのニヤニヤ顔はすぐに引き攣ることになった。剣士ソードマンたるクルネの握力は、常人の及ぶところではない。男は悲鳴を上げながら身をよじった。

「いででででっ! てめえ、何しやがる!」

「嫌がる人に絡まないでください。……もう、せっかく美味しくご飯を食べてたのに」

 クルネは暴れる男を片手でいなすと、そう窘める。本来ならば激昂するところだろうが、男もクルネの身体能力の高さには気付いているのだろう。しばらく唸り声を上げていた男はやがて諦めたのか、クルネを睨みつけるとそのままドスドスと音を立てて店の外へと出ていく。

「おい!?」

 それを見たもう一人の男も、慌てて店を飛び出していく。殴られていた青年は大丈夫だろうか、とそちらに目をやれば、彼は店員に応急処置をしてもらっているところだった。
 それを確認したクルネは、感謝の言葉を告げる店員に笑顔を返すと、カナメが座っているテーブルへと戻った。

「お疲れさま、クルネ」

 カナメはそう言うと、飲み物を差し出してくれた。そう喉が渇くような運動はしていないが、せっかくの心遣いだ。クルネは差し出されたコップに口をつける。

「失敗したなぁ……。最初にクルネが立ち上がった時、止めなければよかったよ。あの人には悪いことをした」

 クルネが一息ついたのを見計らって、カナメは口を開いた。

 カナメの気持ちは分かる。青年には、あの場面で男たちに声をかける度胸があって、しかもそこそこ腕が立ちそうな身のこなしをしていた。だからこそ、クルネも一度座り直して事態の推移を見ていたのだ。

「たぶん、一人だけが相手なら大丈夫だったんでしょうけど……」

 そんな話をしていた時だった。ふと、二人のテーブルに影が差した。見れば先ほどの青年が机の横に立っている。青年は、クルネと視線が合うと頭を下げた。

「助けてもらって、ありがとうございました」

「気にしないでください。二対一じゃ不公平ですもんね」

 そう言うと、クルネは控えめな笑顔を浮かべた。やはり、青年はカナメと同じく二十代前半といったところだろう。冒険者かとも思ったが、彼が纏う雰囲気はクルネの仲間たちのそれとは違っていた。おそらく、冒険者ではなく王国に仕える兵士の方だろう。
 クルネは依頼で王国兵士と共同戦線を張ったこともあったが、その時の記憶から判断すると、目の前の青年は優秀な人物だと思われた。

 と、そこまで考えてから、クルネは青年がまだ立ち去ろうとしないことに気付いた。なんだろう、と彼女は首を傾げる。一人を食事をしていると、ちょくちょく男性に声をかけられることがあるが、そういった目的ではないだろう。そんな人間なら、そもそもあの場面に割って入るはずがない。

「あの……?」

 いつまでも固まっている青年に対して、クルネは声をかけた。すると、青年ははっと我に返ったようだった。少しだけ逡巡する様子を見せた後、彼は口を開いた。

「自分はミハエル・ブレンディアと申します。あの男たちを退けたお手並みは見事でした。それで、その……」

 そこまで言うと、ミハエルと名乗った青年は口ごもった。だが、やがて意を決したように口を開く。

「……自分に、一手ご指南を願えませんでしょうか」



「なあ、どうするんだ?」

「ねえ、どうしよう?」

 二人の声が重なった。この場にミハエルはいない。突然、クルネに「強くなる方法を教えてほしい」と頼み込んできたミハエルだったが、クルネがまだ食事中であることを仄めかすと、「失礼しました!」と顔を真っ赤にして謝ったうえで、自分のテーブルへと戻っていったのだった。

 だが、彼は前言を撤回するつもりはないようで、ばつが悪そうにしながらも、こちらにちらちらと視線を向けていた。

「悪い人じゃないと思うのよね」

「そうだな、それには俺も同意する」

 あの男たちに喧嘩を売ったのもそうだが、それ以上に好印象だったのは、店の人たちに対して、騒ぎを起こして申し訳ない、と誠実に謝罪していたところだ。こんな時、「お前たちの代わりに揉めごとを収めてやったんだ」と飲食代をタダにするようゴネる輩を多く目にしてきたクルネからすると、その行動は好ましく思えた。
 元が雑貨屋の娘だからか、店員に対して紳士的な態度をとる人物には、少し補正が甘くなるクルネだった。

剣士ソードマン固有職ジョブ持ちだって言えば、それで終わる話なんだけど……」

「まあ、一瞬で話は終わるよなぁ」

「あれだけ期待されてそれじゃ、なんだか申し訳ない気がするのよね」

 そう言うと、クルネはデザートに出てきた果物を口に入れた。独特の香りと甘酸っぱさが口の中に広がる。
 その味をゆっくり楽しんでから、クルネは口を開く。

「ねえカナメ、『例の業務』の話はまだしちゃ駄目なのよね?」

「そうだな、まだ早いんだが……。けど、あの人ならすぐに聞きつけるだろうしなぁ」

「……え?」

 カナメの言葉が理解できなかったクルネは、思わず聞き返した。カナメの言い方は、まるで――

「あの人、うちの常連さんなんだよ」

「そうなの!?」

 つまり、熱心なクルシス神徒なのだろうか。どちらかというと、彼には教会やダール神殿の方が似合っていそうなだけに、その言葉は意外だった。

「だから『例の業務』を始めたら、いの一番に来そうな気がしてたんだが……ちょうどよかった。どうやって渡りをつけたものかと思っていたところだ」

 そう言うカナメの顔は、クルネには見慣れたものだった。この顔は何かを企んでいる時の顔だ。その判断にクルネは自信があった。

「それで、何をすればいいの?」

 そのため、カナメが次に口にするだろう言葉をクルネは先取りした。それを聞いて、カナメが苦笑を浮かべる。

「今はまだ、連絡先が分かれば充分だ。まだ全ては可能性の話でしかないからな。……クルネ、頼んでもいいか?」

「うん、分かったわ」

 久しぶりにカナメの役に立てると知って、クルネの心は少し躍るのだった。



剣士ソードマン……ですか……!?」

 料理店の近くにある人気の少ない路地裏で、ミハエルは驚いたように口を開いた。どうやらその可能性はまったく考えていなかったようで、ぽかんとした表情を浮かべている。

「そうなんです。だから、ミハエルさんが考えているような特殊なトレーニングをしているわけではありません」

 もちろん、クルネは転職ジョブチェンジする前から訓練を続けていたし、それは剣士ソードマンになってからも同様だ。だが、それをミハエルが実践したところで、固有職ジョブ持ちの域に達することはできない。

 それくらいならば、特技スキルの習得に専念する方がまだ望みはある。特技スキルであれば、『村人』の身であっても覚えられる可能性は残されているのだから。
 そして、彼女のパーティー仲間のように特技スキルを最大限に活かすことができれば、その戦闘力は決して侮られるものではない。

 だが、そう説明してもミハエルの心は晴れないようだった。そもそも、特技スキルの習得からして非常に難しい話なのだ。固有職ジョブ補正の効果で特技スキルを覚えやすいクルネや、全員が特技スキル持ちであるアルミードたちの方が特殊なのだと、彼女は改めて思い知った。

「実は、自分はクルシス神殿に日参しておりまして、月に一度行われる特技スキル習得の儀式にも欠かさず参加しているのですが、やはり特技スキル習得は難しいものだと痛感しています」

 ミハエルの言葉を聞いて、クルネはついカナメへと視線をやった。見れば、彼はかすかに苦笑を浮かべていた。自分の神殿が行う祈祷に効果がないと言われているようなものだ。信仰心がないカナメをしても、さすがに平然とはしていられなかったらしい。

「ところで、クルネさんはどちらの貴族様にお仕えしているのですか? 一応自分も宮仕えをしている身なのですが、その辺りはさっぱり不勉強でして……」

 そこへ、気分を変えるようにミハエルが問いかけてきた。選択肢が貴族一択なのは仕方のないことだろう。

「私は冒険者ですから、仕えている人はいません」

「なんですって!?」

 クルネの返答は、再びミハエルを驚かせてしまったようだった。彼からすれば、固有職ジョブ持ちは全て王国に仕えているという認識なのかもしれない。

「……失礼しました。予想外でしたので驚きましたが、その昔、名を馳せた冒険者集団も全員が固有職ジョブ持ちでしたね」

 冒険者であることを驚くのは失礼だと思ったのだろう、慌ててミハエルが言葉を続けた。冒険者が低く見られる風潮には慣れているため、クルネは特に気にしていなかったのだが、彼はそうもいかないようだった。
 そんな彼に、今度はクルネが質問する。

「ミハエルさんはどちらにお勤めなんですか? 先程宮仕えだと仰っていましたよね?」

 クルネがそう問いかけると、ミハエルの表情が生真面目なものに変わった。

「自分はクローディア王国第四王子たるアイゼン様にお仕えしています。下っ端ではありますが、騎士として叙任されている身です」

 その言葉にクルネは驚いた。リカルドのおかげで王子という肩書に少しは慣れたものの、さすがに第四王子と第十二王子では格が違いすぎる。

「アイゼン王子と言えば、家格にはあまりこだわらず、優秀な人材を求めることで有名なお方でしたね」

 そこで、今まで会話に参加してこなかったカナメが口を開いた。王子の評判など全く知らないクルネは、彼が会話に入ってきてくれたことにほっとする。

「そうなんです。ただ、それを快く思わない貴族が多いのも事実。アイゼン様を支えるためにも、自分たち騎士は強くあらねばなりません」

 そう答えるミハエルの様子を、カナメは興味深そうに観察していた。王子の話題をネタにいくつか会話をしたカナメは、やがてクルネに対して軽く目配せする。
 もう人物観察は終わった、という意味だろう。そう察したクルネは、ミハエルに別れの挨拶を切り出した。

 すると、彼は最後に一つだけお願いがある、と口を開いたのだった。

「一戦だけ、自分と手合せをお願いできませんか」

 固有職ジョブ持ちに対して、自分の力がどの程度通用するのかを確かめたいのです。そう言ったミハエルの表情は真剣だった。クルネは頷くと、その言葉に応えるべく愛剣を構える。



 それから十分ほど後のこと。

「……ねえ、ミハエルさん大丈夫かな? ちょっとやりすぎだった?」

「本気でやらないと意味がないんじゃないか? そのうち復活するよ」

 剣を抱いたまま意気消沈しているミハエルを残して、クルネたちは去っていったのだった。
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