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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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奇襲

「神殿長、鍛冶ギルドの副ギルド長がお見えです」

「……第二応接室へお通ししてくれ」

 クルシス神殿長を務めるプロメトは、部下にそう指示すると、目を通していた書類を裏返した。次いで引き出しから小さな鏡を取り出し、自分の格好が神殿長に相応しいものであることを確認する。

 彼は元々きっちりした性格であり、鏡で確認するまでもなく、今のままで人前に出られる状態であることは分かっている。
 とはいえ、七大神の一柱を祀る本神殿の長ともなれば、気を遣って遣いすぎるという事はない。あまり好きな表現ではないが、イメージ戦略というものが重要であることは充分承知していた。

「鍛冶ギルドか……」

 プロメトは少し苦々しい表情を浮かべながら、小声で呟いた。

 鍛冶ギルドの用件は分かっている。来殿者に戦士職の人間が多いクルシス神殿と手を結び、その戦士たちにギルド所属の武器屋を斡旋してほしいのだろう。王都のギルドともなればその構成員も多く、こういった販売促進活動もギルドの重要な業務だった。

 元々はベルゼット副神殿長が持ってきた案件であったのだが、彼がこのところあまり姿を見せないため、こういった業務が全てプロメトの下へ集まってきているのだった。その事実に彼は溜息をついた。

 本来なら筆頭司祭に副神殿長の代わりを務めてもらいたいところだが、残念ながらその席は空席となっている。プロメトがぜひ筆頭司祭に、と見込んでいた神官はベルゼット副神殿長と折り合いが悪く、修行の旅に出ると言ってもう長い間戻ってきていない。

 他にも能力を見込んでいる者たちはいるものの、彼らはまだ位階が低く、『格』の関係で副ギルド長の相手をさせる訳にはいかないだろう。

 プロメトは発端となったベルゼット副神殿長の顔を思い浮かべる。彼は固有職ジョブ持ちでありながら、クルシス神殿の神官となった非常に稀有な人物だ。
 彼は教会の『聖女』に対抗しうる能力を持つ者として神殿派の中でも重宝されており、本来はあまり権勢の強くないクルシス神殿の発言力を強めるのに一役買っていた。

 また、彼はその固有職ジョブ能力だけでなく、その考え方においても凡庸な男ではなかった。クルシス神殿の収益構造を分析し、より多くの、もしくは新たな収益を上げようと色々な計画を提案した。今回の鍛冶ギルドの件もその一つだ。

 もちろん反発する者も多かったが、特に若い神官を中心として彼には人気があり、現場叩き上げの神官としては異例の、四十歳という若さでこの本神殿の副神殿長を務めるに至ったのだ。

 最近あまり姿を見ないのは事実だが、神殿長と副神殿長の二役には決まった職務分担がなく、予定さえ入っていなければ概ね自由行動が認められる。そのため、プロメトとて彼の不在を責められないのだった。

 そんな事を考えながら、プロメトは掛けていた椅子から立ち上がった。そろそろ応接室へ向かってもいいだろう。あまり早く姿を現すと相手に侮られるが、遅ければ当然失礼になる。

 そんな計算を無意識下でしていた自分に気付くと、プロメトは苦笑を浮かべた。いつの間にか世慣れたものだと不思議な感慨に浸る。神殿に入ったばかりの時分の自らの気持ちなど、もはや思い出すこともできない。

 そういえば――とそこでプロメトは数日前の事を思い出した。久しぶりに神学校の生徒と話す機会を得たが、彼らはどんな気持ちでこの神殿を見ていたのだろうか。

 殊に、男子学生の方は辺境に神殿を建立するという夢を持っていた。神学校生にしては珍しく、収益構造の質問をしてきた時には、副神殿長を想起して多少警戒したものの、かの辺境で神殿を開くつもりであるならば、その事にも気を回して当然といえた。

 辺境出身の神学校生など聞いた事がなかったが、たしかに辺境出身の彼なら、統督教初の辺境進出を成功させるかもしれない。そしてそれは、統督教内でのパワーバランスに間違いなく影響を与えるだろう。

「……まあ、それも彼がクルシス神殿を選んでくれた場合の話だが」

 そう呟くと、プロメトは神殿長室の扉に手をかけた。



―――――――――――――――――



「副神殿長にご面会……ですか……?」

「面会と言いますか、前に助けてくださったお礼をしたいと思いまして」

 クルシス神殿の受付で、俺は戸惑う受付嬢にそう言葉を返した。それを聞いて、受付嬢は納得したように手をぽんと叩いた。

「あ! ひょっとして、あなたは数日前に神殿訪問にいらっしゃった神学校生の方ではありませんか?」

「ええ、仰る通りです」

 彼女の言葉に俺は少し驚いた。意外と覚えられてるものだなぁ。そんな感慨を抱いている間にも、受付嬢は話し続けている。

「あれは当神殿の施設内の話ですし、私たちが止めるのは当然ですから、どうぞお気になさらないでくださいね」

 む、そう来たか。だが、それでは少し離れたところで俺を注視しているクルネに副神殿長の姿を見せることができない。さて、どうしたものか――

 俺がそう考え始めたところ、解決策は向こうの方からやってきた。

「どうした」

「あ、副神殿長! 実はこの方が、以前に副神殿長に助けてもらったのでお礼を言いたいと仰っていまして……」

 俺の後ろから声をかけてきたのは、他ならぬクルシス神殿副神殿長ベルゼット・ノヴァーラクその人だった。

「ノルヴィス神学校のカナメ・モリモトと申します。この前は、私の連れがこの神殿で来殿者にしつこくされていたところを助けてくださって、本当にありがとうございました」

 そう言うと、俺は軽く胸に手を当ててから頭を下げた。これは、近くで見ているクルネへの合図だ。目の前の男が副神殿長だと彼女にも伝わっている事だろう。

「気にすることではありませんよ。この神殿内での迷惑行為の防止は私たちの仕事の一つですからね。」

 固有職ジョブ持ちにしては珍しく、ベルゼット副神殿長は丁寧な態度で答えを返してきた。事情を知っている身からすると、その丁寧な態度もカモフラージュの一環ではないかと疑ってしまうのだが、さすがに色眼鏡のかけすぎだろうか。

「そう仰って頂けると助かります。……お忙しい中お時間を頂きまして、ありがとうございました」

 俺はそう言うと、もう一度頭を下げた。そして踵を返した俺の背中に向かって、ベルゼット副神殿長が声をかけてくる。

「お礼を言うために、わざわざ来殿してくれたのですか?」

 その言葉に俺は内心ギクリとした。だが、ここで動揺するわけにはいかない。俺はいつもの笑顔を貼り付けた。

「実のところを申し上げれば、このままもう一度こちらの神殿を拝見させて頂こうと思っております。もちろん一般来殿者が立入可能な範囲内に留めるつもりですが、よろしいでしょうか?」

 俺の答えを聞いて、ベルゼット副神殿長は一瞬きょとんとした。だが、すぐに笑顔を浮かべて口を開く。

「ええ、もちろん構いませんよ。人が迷いやすい造りになっていますから、お気を付けて」

「はい、ありがとうございます」

 俺は目礼すると、今度こそ彼から遠ざかっていった。本来のプランでは、神殿の門を出てからクルネと合流して、彼女たちが泊まっている宿屋へ向かう予定だったのだが、ベルゼット副神殿長にああ言ってしまった手前、神殿内をいくつか見て回っておいた方がいいだろうな。

 そう判断した俺は、どこかから見ているかもしれないベルゼット副神殿長に備えて、いくつかの一般開放フロアを真面目に観察して回る。
 そのおかげで、クルシス神殿を後にした頃には、もう夜になろうかという時刻になっていたのだった。






「カナメ、おつかれさま」

「クルネもな」

 俺は二日連続で、クルネ達が泊まっている宿屋へと足を運んでいた。理由はもちろん、クルネの目から見て、あの副神殿長が件の魔法剣士マジックナイトと同一人物だったかどうかを聞くためだ。

「それで、どうだった?」

 俺は他のパーティーメンバーにも軽く挨拶をすると、早速用件を切り出した。これでもクルシス神殿に就職しようかという身だ。組織のナンバーツーが麻薬を売り捌いて利得を得ているとなると、色々と考えなければならないことができてしまう。

「……ほぼ間違いないわ。副神殿長さんがあの魔法剣士マジックナイトね」

 だから、クルネの答えを聞いた俺が残念そうな表情をしたのは仕方のない事だろう。噂を集めた感じでは、あの副神殿長は優秀な人材に思えただけに残念だ。もし彼を失うと、俺を護ってくれる予定のクルシス神殿の力が低下するのは明らかだった。

「カナメさん、なんだか残念そうだね」

 そんな俺の反応を見て声をかけてきたのは、弓使いのカーナだ。俺は彼女の言葉に頷くと、あの副神殿長がクルシス神殿でどういう存在であるかを簡単に説明した。

「それじゃ、カナメとしては捕まってほしくないの?」

 最初に反応したのはクルネだった。俺は首を横に振ると、彼女の問いかけに答える。

「まさか。この手の話は、後になればなるほど組織に与えるダメージも大きくなるからな。今なら王国法での禁止薬物指定はまだされていないし、統督教への背信行為だけですむ。傷口は浅いだろう」

 もっとも、統督教内でのパワーバランスには大きく影響してしまうだろうけどね、と俺は心の中で付け加えた。ただでさえ、クルシス神殿の発言力増加に一役買っていたエース級が抜けてしまうのに、さらに統督教の最高幹部通達に逆らっていたというおまけ付きだからな。

「ところで、この後はどう動かれるご予定ですか?」

「依頼主に結果を報告します。本来、私たちに依頼されているのは薬の出処調査ですからね。あの副神殿長との繋がりはまだ確認できていませんが、薬の原料についての出処もだいたい掴んでいます。調査報告としては充分でしょう」

 俺の問いに答えたのはマイセンだった。おそらく、依頼主とやらに調査結果を報告した場合、どこかしらの宗派へ届け出るよう頼まれるだろうな。
 わざわざ冒険者を間に挟むような人間だ、まさか依頼主の所属する宗派へ届け出をさせるような指示は出さないだろうが、どこへ届け出るかによって、だいぶクルシス神殿の立場は変わる。

 できれば神殿派のどれかにしてほしいところだが、それを決めるのは依頼主だ。もしパーティーに任せるというのであれば、なんとかクルネに頼んで他のメンバーを説得したいところだなぁ。

「……誰か来るぞ!」

 そんな事を考えていた矢先だった。突然、ノクトが小さいがよく通る声で警告を発した。

「なに!?」

 その言葉を聞いて、俺を除く全員が武器を手に取った。その反応はさすがというべきだろう。俺もとっさにキャロを手元に引き寄せようとするが――。

 ――あ。キャロは宿屋の庭に放してきたまんまだ。

 俺は平和ボケしていた自分を呪った。どうにも、この王都に来てから気が緩んでるな。俺は気を切り替えて、部屋の扉を見つめた。

 その扉がギイ、と音を立ててゆっくり開く。

「……人の身辺をこそこそ嗅ぎ回る、薄汚い鼠の巣窟はここか?」

 そこに立っていたのは、ベルゼット副神殿長その人だった。






 事態はあまりよくなかった。なんといっても、向こうに奇襲を仕掛けられた形だ。本来なら、ベルゼットに魔法を使わせないことを主眼に置いて連続攻撃を重ねる予定だったが、すでに奴は自己能力強化セルフブーストの魔法を発動済みだろう。

 その時点で、こちらの不利は確定していた。俺は早々に奥の手を切ろうとしてベルゼットを――。

「ぐ……! がはっ!」

 その瞬間、俺の腹部に焼けるような痛みが走った。何が起きたのかを理解する前に、腹部からあり得ないような量の鮮血がほとばしる。
 手にかかった自分の血の熱さを感じて、ようやく俺は自分が斬られた事を理解した。どさっ、と身体が床に崩れ落ちる。

「カナメっ!?」

 クルネの悲鳴が聞こえる。……駄目だ、クルネはベルゼットに集中しろ。そう言おうとした俺だったが、その口から出てきたものは声ではなく、血の塊だった。

「ほう? 武器も持たない奴がいると思えば、お前は今日の神学校生か。……ということは、この裏で手を引いている宗派がいるわけだな。お前、俺が尋問するまで死ぬんじゃあないぞ」

 そう言ってベルゼットは酷薄な笑みを浮かべた。いつもなら皮肉の一つでも言い返すところだったが、今は傷の痛みに呻く事しかできなかった。
 駆けつけてくれたマイセンが止血をしようとしてくれているが、傷口が深く広いため、どうにも処置が難しいようだった。

「許さないっ……!」

 クルネが剣呑な声と共に放った斬撃を、ベルゼットは余裕を持った動きで回避した。さらにアルミードとグラムも攻撃に加わるが、それでもベルゼットの余裕は失われていなかった。

 武器を打ち合わせれば打ち合わせるほど、クルネ達に細かい傷が増えていく。自己能力強化セルフブーストの効果時間が切れるまで粘るのも有効な戦術ではあるが、このままでは先に誰かが重傷を負って、戦線を離脱してしまうだろう。そうなれば残る二人が崩れるのは目に見えていた。

 ――俺は何をやっているんだ。

 そんな予想が脳裏をよぎった時。俺ははっと我に返った。俺が受けた傷はおそらく致命傷に分類されるレベルだ。そんな傷を負わされれば、痛みに押し潰されるのは当然だろう。

 ……だが、それでいいのか。こんなやられっぱなしの状態で、敵に一矢も報いることができないようなザマで死ぬというのか。

「……っ!」

 自分の血溜まりに向いていた視線を、俺は意地でベルゼットへ向けた。身体に力を入れたことで激痛が走り、新しい血が噴き出る。段々暗くなってきた視界では、もはや奴の姿もよく見えない。……だが、それで充分だ。

「……覚悟、しろよ……!」

 それは人の耳に届くような声にはならなかった。きっと、一番近くにいるマイセンでさえ聞き取れなかっただろう。だが、そんなことはどうでもよかった。俺は薄れゆく意識の中で、慣れ親しんだ能力を行使する。



 俺はベルゼット(・・・・・)転職ジョブチェンジさせると、そのまま意識を手放した。



―――――――――――――――――



 敵の方が上手だった。グラムはそう認めざるを得なかった。相手の周囲を嗅ぎ回っていたつもりが、逆にこちらを調査されていたとは思ってもみなかった。

 初めは、あのカナメという青年が後を尾けられたのかと思ったが、ベルゼットがカナメを見た時の反応からすると、尾けられていたのはパーティーの誰かだろう。そう思うとグラムの胸は痛んだ。言わば彼は巻き添えにあった形だ。

 ベルゼットの判断は的確だった。武器を持っておらず、戦闘力が一番低そうな人間を真っ先に狙ったのだ。結果、カナメは致命傷を負い、マイセンが彼に貼りつく事になってしまった。
 元々、薬師マイセンは直接戦闘に向いた男ではないが、その能力は工夫をすれば戦闘でも充分有用なだけに、彼の欠場は痛手だった。

 室内の近接戦闘には向かない弓使いのカーナをマイセンと交代させてもよかったのだが、それではおそらくカナメが死ぬ。できればそれは避けたかった。

 グラムは、クルネを主軸としてアルミードと共に攻撃を仕掛け続ける。前回はさっぱり見えなかった相手の剣筋だったが、今のグラムなら知覚できる。それはあらかじめマイセンから渡されていた、知覚能力を向上させる秘薬の効果だった。

「くっ……!」

 右腕を浅く切り裂かれたアルミードが声を上げた。彼も同じく秘薬を口にしており、知覚能力が強化されている。だが、身体能力がそれについていかないのだ。それはグラムも同じことで、だからこそ剣士ソードマンであるクルネに勝敗の行方が託されているのだが――

「はっ、どうした女? 前回より弱くなっているのではないか?」

 ベルゼットの言う通りだった。先程から、クルネの剣筋は明らかにおかしかった。速さはいつもと変わりないように思えるが、動きが単調すぎるのだ。いくら動きが素早かったとしても、剣の振り下される場所が分かっていれば弾かれるだけだ。

 彼女の不調の原因がカナメにある事は間違いない。クルネはいつも彼のことを恩人だと言っているが、それだけの存在でない事はあのアルミードですら分かっている。
 そのカナメが、目の前で致命傷を受けて血溜まりの中に沈んでいるのだ。動揺するなというのは難しい話だろう。こうやって戦線を支えているだけでも奇跡的と言えた。

 だが、このままでは負ける。それを確信したグラムは、捨て身の攻撃を仕掛けることを決意した。師直伝の衝撃強化グレートインパクトには、相手への打撃力を増す以外にも使い方がある。

 それは、移動法としての衝撃強化グレートインパクトだ。地面や床を蹴る際に特技スキルを使用することによって、爆発的な突進力を得ることができるのだ。ただし、足の骨にかかる負担が凄まじいため、一度使えばもう戦線に復帰することはできないだろう。

 グラムは覚悟を決めてタイミングを測った。正直なところ、それでも相手の反応速度を上回ることができるという保証はない。だが、このまま押し切られるよりはマシだ。

 そう思った瞬間だった。グラムは、横手から強い圧力プレッシャーを感じた。ベルゼットの隙を窺い、視線を一瞬だけそちらへやると、そこにはマイセンと、そして血まみれになったカナメの姿が映った。その姿にグラムは驚いた。

 ――あれは死にゆく男の目ではない。何かをやろうとしている男の目だ。

 グラムがそう思ったのと、ベルゼットの動きがおかしくなったのとは、ほぼ同時だった。

「なんだ……!?」

 ベルゼットの動きが途端に鈍くなった。その剣筋から鋭さは失われ、打ち合わせた剣に重みも感じられない。まるで、初めて剣を持った子供が剣に振り回されているようだった。

 その事に一番動揺しているのは、ベルゼット本人だろう。彼の見開かれた目がそれを物語っている。それを見てとったグラムは、とっさにクルネに視線をやった。

 ――駄目だ。クルネは気付いていない。

 カナメの負傷に未だ動揺しているクルネは、そんな男の様子には気付いていないようだった。だが、いや、だからこそ、彼女の剣はベルゼットの命を確実に奪う軌道を描いていた。

「クルネ!」

 グラムは足で床を蹴った。ズン、という衝撃と共に宿屋が揺れ、クルネの剣の軌道が逸れる。軌道を逸らされた切っ先はベルゼットの上半身を盛大に切り裂いたが、致命傷は免れたようだった。

 それを見たグラムは、ベルゼットが剣を持つ右腕に容赦なく衝撃強化グレートインパクトを叩きつける。骨を砕かれたその手から、剣がカラン、と落ちた。

「……終わりだな」

 その喉元にアルミードが剣を突きつけた。ベルゼットにはもう、抵抗する気はないようだった。その顔に浮かんでいる表情が憤怒や絶望、悲嘆ではなく、驚愕であることにグラムは興味を引かれたが、今はそれを追及しているべき時ではなかった。

「カーナ! 造血薬をもっとください!」

 血塗れのカナメを抱きかかえているのは、薬師のマイセンだ。彼は手に持った薬草や薬剤をカナメの身体に押し当てると、その特技スキルを発動させる。すると薬はその姿を光に変え、カナメの身体に染み込んでいった。

 マイセンの特技スキル即効クイックリメディだ。彼はこの特技スキルのおかげで、本来はゆっくり時間をかけて効果を発揮するはずの薬や薬草の力を、即座に発揮させることができるのだった。

 だが、そんな強力な特技スキルを使用するマイセンの顔色は冴えない。その様子からすると、彼でも延命が限界のようだった。グラムと目が会ったマイセンは、彼の想像が正しい事を裏付けるように、こくりと頷いた。

 彼を死なせる訳にはいかない。グラム達はそう決意すると、夜の王都を走り回るのだった。



―――――――――――――――



 ふと目覚めると、俺は知らない一室に寝かされていた。

「……あれ……?」

 俺は混乱している記憶の中から、最新のものを引っ張り出そうと頭の中をかき回す。たしか、ベルゼット副神殿長がいきなり現れて、俺は――

「っ!」

 俺は反射的に、自分の腹部に意識をやった。だが、そこから痛みは感じられなかった。不思議な違和感こそ感じるものの、あの時の激痛が嘘のようだった。

 なおも信じられない俺は、身を起こして腹部の傷を確認しようとする。だが、その行動は思わぬ抵抗を受けて失敗に終わった。

 なぜなら、ベッド横に置かれた椅子に座ったまま、俺のベッドに向かって上半身を投げ出している姿があったからだ。しかも、俺の左右に一人ずつ。

「あれ……? クルネは分かるとして、なんでミュスカがいるんだ……?」

 そう、俺を左右から挟むようにして眠っているのは、クルネとミュスカの二人だった。俺は彼女たちを起こさないように、そっと身を起こす。

「ん……」

 だが、二人が思いのほか身を乗り出していたせいか、こっそり身を起こすのには失敗してしまったようだった。俺の右側で寝ていたミュスカの目がゆっくり開かれた。

「あ……! カナメ君、目が覚めたんですね……!」

 ミュスカは俺を目にすると、嬉しそうに微笑んだ。そしてすぐ、その表情が気遣わしげなものへと変わる。

「あの、カナメ君、傷のあった場所は大丈夫ですか……? 久しぶりの大治癒キュアでしたから、その……」

 ミュスカの言葉を聞いて、俺はようやく彼女がここにいる理由に思い至った。というか、むしろそれしかないよな。

「ありがとうミュスカ、もうすっかり治ったみたいだ」

 俺は彼女の言葉に答えた。今も違和感は続いているが、これは治癒魔法で癒された時には必ず生じるものだ。わざわざ触れるような事でもないだろう。

「……よかった……」

 ミュスカはほっとした様子だった。そんな彼女に俺は疑問をぶつけてみた。

「けど、どうしてミュスカがここにいるんだ?」

「……あの、そちらのクルネさんが突然教会にいらっしゃって、カナメ君が死にそうだから助けてほしい、って……」

 なるほど、たしかに一番確実な手段だな。王都にいる『聖女』は本教会で暮らしているのが常だし、クルネたちのパーティーは岩蜥蜴ロックリザード討伐の一件で、教会には多少顔も利くのだろう。
 イベント時ならともかく、普通だったら教会の『聖女』に治癒魔法を行使してもらうには、事前の申請と結構な額の寄進が必要なはずだ。……ん? 寄進?

「そうだったのか。……ところでミュスカ、一つ聞きたいんだけどさ」

「なんですか……?」

 俺の質問に、ミュスカはなぜか不安そうな顔だった。……いや、俺の方が不安な顔をしたいところなんだけどな。

「今回の治癒って、幾らくらいなんだ?」

「……え?」

 ミュスカの目が丸くなった。何のことか分からない、といった様子の彼女を見て俺は言葉を補足した。

大治癒キュアまで使ってくれたんだろ? 俺自身、あれは致命傷だと思ったしな。ということは、その、なんだ、何セレルくらい支払えばいいのかな、って」

 俺の言いたいことが伝わったのだろう、目を丸くしていたミュスカの表情がゆっくり変わる。

「……カナメ君、どうしてそんな事言うんですか……?」

 あれ? なんだかミュスカ怒ってないか? 怒ってるとまではいかなくても、確実にむくれてる気がするんだが。彼女が見せる珍しい表情に、俺は少し戸惑った。

「どうしてって、そりゃ――」

「――今のはカナメが悪いわよ」

「うぉ!?」

「きゃぁ!?」

 突然俺たちの会話に割って入ったのは、まだ寝ているものだとばかり思っていたクルネだった。予想外の声に、俺とミュスカは驚きの声を上げる。クルネ、なんだか少し顔が赤い気がするけど大丈夫かな。
 そんな事を考えている間にも、クルネがずい、と上半身を乗り出してくる。

「仲間や友達が瀕死の重傷を負っていたら、カナメだって助けようとするでしょ? その時お金を請求したりする?」

「……いや、俺はしないけど、ミュスカには立場ってものがあるだろうし。『聖女』が無料で、友達にぽんぽん治癒魔法を使っていたらまずいだろ?」

 そう言うと、ミュスカは少しだけ機嫌を直してくれたようだった。

「……カナメ君が、気を遣ってくれたのは分かりました」

「そうか、よかった」

「……でも、ちょっとだけ、寂しかったです……」

 ミュスカがちょっと恨めしそうな視線で俺を見る。……おかしいな、どうしてこうなった。ひとまず、今回の治療費はミュスカの好意で無料、という解釈でいいんだろうか。とても今は確認できる雰囲気じゃないけど、後でクルネの意見も聞いてみよう。

 そんな事を考えていた時だった。突然部屋の扉が開かれた。

「おお、気が付いたか色男!」

 そこに立っていたのは、クルネのパーティーメンバーの一人、ノクトだった。何だか声が聞こえた気がしたから見に来たんだ、という彼に俺は礼を言った。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。助けてくださって、ありがとうございます」

「あん? 何言ってやがる。むしろ今回の件に巻き込んじまったのはこっちだからな。礼を言われる筋合いなんてねえよ」

 そう言うと、ノクトはそっぽを向いた。……あれ、ひょっとしてこの人照れてる?

 なんとなくクルネの方へ視線をやると、彼女も楽しそうにノクトの様子を眺めていた。どうやら俺の予想は当たっていたようだった。

「ところで『聖女』さんよ」

「……はい、なんでしょうか?」

「容体の急変に備える、ってあんたの言葉に甘えて、こんな夜更けまでいてもらったが、どうやらそいつも大丈夫そうだ。俺たちの何人かで教会まで送っていこうか?」

「あ、その……」

 ミュスカは口籠ったまま、俺の方をちらっと見た。どうやらまだ心配してくれているらしい。

「俺はもう大丈夫だ。ありがとうミュスカ」

 俺がそう言うと、ミュスカは納得したように頷いた。

「ノクトさん、ミュスカをよろしくお願いします」

「言われるまでもねえ。……クルネ、お前はそのまま宿屋に残っててくれ。俺とアルミード、グラム、カーナの四人で行ってくる」

 おお、メンバー構成が本気だな。クルネがいないとはいえ、この王都で彼らに敵う相手なんてそうはいないだろう。……まあ、ついさっきまで、その例外と戦ってたわけだけどさ。

「……カナメ君、また明日ね」

 そう言って部屋を出ていくミュスカに向かって、俺は手を振った。やがて、扉がぱたん、と閉められる。

「……いい子よね」

 閉められた扉を見ながら、クルネが呟いた。

「そうだな」

固有職ジョブ持ちなのに偉そうじゃないし」

「うん、珍しいな」

「すごくかわいいし」

「……そうだな」

 ……なんだろう、話の流れ方が不穏な気がする。どこかで話題を変えよう。俺はそう決意した。

「カナメの事を伝えたら、制止する教会の人を振り切って来てくれたし」

「え? 何があったんだ?」

 俺がそう尋ねると、クルネは俺が意識を失っている間の事を説明してくれた。よしよし、いい話題転換が図れたぞ。

「あの状態のカナメを助けられるのは治癒師ヒーラーしかいないと思ったから、私はすぐに教会へ走ったの。そしたら、教会の衛兵が『こんな時間に約束もなしで聖女様に取りつぐことはできない』っていうから……」

「まさか、衛兵をなぎ倒したのか」

「私をなんだと思ってるのよ……まあ、最終手段としては考えてたけれどね」

 俺の言葉に、クルネがジト目で反論してきた。俺を助けるために頑張ってくれたんだもんな、茶々を入れるのはやめよう。

「実はね、岩蜥蜴ロックリザード討伐遠征が終わった時に、ガライオス特別司教からこっそり勲章みたいなものをもらってたの。『もし困ったことがあれば、これを教会に見せるとよいのである!』という言葉と一緒にね」

 おお、そうだったのか。なんだかガライオス先生っぽいな。クルネの似ていない声真似に微笑ましいものを感じながら、俺は続きを促した。

「それを見た衛兵が、なんとかミュスカさんに用件だけは伝えてくれたの。そしたら、今度は教会の奥の方から騒ぎが聞こえてきて……」

「騒ぎ?」

「そっちに目をやったら、走ってくるミュスカさんと、それを追いかける数人のお付きっぽい人が見えたわ。
 そして、私の前まで走ってきた彼女が、『他の者に示しが』とか『聖女様ともあろう方が』って言ってる人たちに『例え何と言われようと、私はカナメさんを助けに行きます』って断言してくれたのよ」

 おお、あのミュスカがそんな事を言ってくれたのか。さぞかし精神力を削ってくれたんだろうなぁ。明日、もっとちゃんとお礼をしておこう。

「それでもミュスカを引き留めようと手を出す奴がいたから、私がミュスカを抱き上げて、そのまま教会から出てきたの。カナメの容態は一刻を争うレベルだったから、そのままここまで走ってきちゃった」

 てへっ、とでも言いそうな軽い雰囲気で、クルネはそう言葉を結んだ。……なんだか、見ようによっては誘拐みたいだけど、考えてみれば全部俺のためなんだよな。俺は改めて彼女に感謝した。

「……クルネ、心配をかけたな。本当にありがとう」

 俺は少し姿勢を正して、感謝の言葉を口にした。実際、彼女が全力で教会まで走ってくれなければ、俺は死んでいた可能性が高い。

「カナメ……」

 不意に、クルネの瞳に涙がたまる。彼女が手元にあるシーツをきゅっと掴んだのが見えた。俯いた拍子に涙がこぼれ落ちるのと、彼女が口を開いたのは同時だった。

「……心配……したんだから……!」

 顔を涙で濡らしたクルネが俺に抱きついてきた。彼女の体重が俺の胸に預けられる。髪が顔に当たってくすぐったいだとか、ずっと戦っていたのにいい匂いがするだとか、そんな感想を抱きながら、俺は彼女の髪を撫で続けた。

 子供のように泣きじゃくる彼女が落ち着くまでには、まだ時間がかかりそうだった。



「ところでクルネ。一つ確認しておきたいんだが」

 クルネがだいぶ落ち着いてきたところで、俺は話を切り出した。

「な、なに?」

 俺の言葉を聞いて我に返ったのか、クルネはぱっと俺から離れると、慌てた様子で元の椅子に腰かけた。顔が真っ赤なのは指摘しない方がいいよな。……というか、さすがに今回は俺も恥ずかしかったし、ここは痛み分けだ。

「ベルゼットは今どうしてる?」

「両手両足を鎖で縛って見張ってるわ。マイセンが睡眠薬を嗅がせたから、暴れたり逃げ出したりする事はできないはず」

「どこかへ移送する予定はあるのか?」

「明日の朝一番で、依頼主に会ってそのあたりの話をするつもりよ。ただ、マイセンの予想では、私たちに委ねるつもりなんじゃないかって」

 なるほどなぁ。俺もマイセンの意見に賛成だった。依頼主はどこかの宗派だろうし、「クルシス神殿の副神殿長を捕まえました」なんて言われても扱いに困るのは目に見えている。それならいっそ、衛兵に突き出して傷害の罪か何かで引っ張ってもらった方が向こうとしては楽だろう。

「どこかへ突き出す前に、もう一度ベルゼットに合わせてもらう事はできるか?」

「もちろんいいけど……。どうしたの?」

 クルネが不思議そうな顔で聞いてくる。

「その前に一つ聞きたいんだが、ベルゼットは戦闘中、突然動きがおかしくなったりしたか? 弱くなったいうか何というか……」

「ええ、その通りよ。マイセンあたりが強力な能力低下デバフ作用のある薬を撒いたのかと思ったんだけど、後で聞いたら知らないって言うし……。少なくとも、あの現象がなければ私たちは勝てなかっ――」

 そこで、クルネがはっとした表情を浮かべる。彼女は何度も瞬きを繰り返しながら、口を開いた。

「ひょっとして、あれはカナメがやったの? けどどうやって? 新しい特技スキルを覚えたの?」

「相変わらず俺の特技スキルは一つだけだよ。そうじゃなくて、クルネもよく知ってる能力の方だ」

 その言葉を聞いても、クルネにはピンと来ないようだった。まあ、今まで気付いてなかった俺には、偉そうなことは言えないけどね。なので、俺は素直に答えを口にした。

「ベルゼットを『村人』に転職ジョブチェンジさせてやったんだ」

「そうなんだ、『村人』に――ええ!?」

 珍しいな、クルネがノリツッコミをしてくれたぞ。……じゃなくて。予想外すぎたのか、そのまま話を聞き流しかけたみたいだな。クルネの表情が驚き一色になっている。

「成功するかどうかが分からなくて黙ってたけど、どうやら使えるみたいだな。意図的に抵抗された場合にどうなるかは、今後の研究課題になるけど」

「じゃあ、突然動きがおかしくなったのは……」

固有職ジョブの力が失われたんだから、一気に身体が重くなったように感じるはずだ。なんせ、俺がそうだからな」

 俺は意味もなく胸を張った。固有職ジョブ喪失後の脱力感を一番よく知っているのは、間違いなく俺自身だろう。魔法職固有の魔力感覚の喪失感もなかなかもどかしいが、戦士職喪失後の身体的脱力感はそれ以上にダメージが大きい。

 生まれた時から魔法剣士マジックナイトだったベルゼットからすれば、剣を振り回すのにも苦労した事だろう。

「それって、前から可能だったの?」

「いや、ほんの数日前にようやく気付いたんだ。ひょっとしたら、能力的には前から使えてたのかもしれないけど」

 それは、本当に数日前の話だった。ミルティと魔法理論の話をしていた時に、彼女が「治癒師ヒーラーにもなれたらもっと研究が捗るのに」と言うので、興味本位で彼女の資質を再び覗いてみたのだ。

 そうすると、意外な事にミルティには治癒師ヒーラーの資質が備わっていた。初めて出会った時には見い出せなかった資質なので、この七、八カ月の間に資質を満たしたのだろう。
 魔術師マジシャンとして魔力操作に慣れる一方、ミュスカに教えたような治癒魔法理論の実験も行っていたことが原因だと推測している。

 その話をミルティにすると「また魔術師マジシャンに戻れるなら治癒師ヒーラーになってみたい」という事だったのだが、魔術師マジシャンに戻せる確証がなかったため、その場はお預けにしていたのだ。

 だが、そのミルティの言葉がきっかけとなり、俺は固有職ジョブ持ちを『村人』に転職ジョブチェンジさせる事ができるんじゃないか、そう考えるようになったのだった。

 なんとなく一方通行の固有職ジョブツリーを想像してたからなぁ。それが双方向だと判明したのは、ベルゼットへの人体実験があってのことだった。……くそぅ、奴の姿を見た瞬間に転職ジョブチェンジさせていればあんな痛い思いをせずにすんだのにな。それが悔やまれる。

 俺がそんな話を要約して伝えると、クルネは興味深そうに聞いていた。そして、話し終えると口を開く。

「ねえねえ、私にも他の固有職ジョブの資質があったりするの?」

 俺は彼女に乞われるまま、能力を使って資質をチェックした。……うーん、残念ながらミルティのようにはいかなさそうだな。ひょっとしたら戦士ウォリアー騎士ナイトが出るのかと思ったんだけど。
 ただ、彼女の剣士ソードマンの資質に少し違和感を感じるのは事実だった。この感じ、前にもあったんだけど誰だったかな……。

 俺は剣士ソードマンの資質の話を伏せて、それ以外の結果をクルネに伝えることにした。だが、意外なことに、結果を聞いたクルネに残念そうな様子は見られなかった。

「だって、私は剣士ソードマンが一番馴染んでるもの。今さら騎士ナイトだとか言われても困るわよ」

 そういうものなのか。コレクター感覚で自己転職(ジョブチェンジ)をしてる俺には、ちょっと耳が痛い話だなぁ。それともこれが矜持というやつなんだろうか。

「ところでクルネ、話を戻そう。なんでベルゼットに会いたいかってことなんだが」

 だからというわけではないが、俺は話を元に戻すことにした。これは、クルネにも知っておいてほしい重要な話だからだ。俺は意識して真剣な声色を出した。

「俺は、この『固有職ジョブ持ちを村人に戻す』能力の事を人に知られたくない。だから、奴を魔法剣士マジックナイト転職ジョブチェンジさせる」

 固有職ジョブ持ちを『村人』に引きずり下ろす能力。これはあまりにも危険な能力だった。今までのように『村人』を固有職ジョブ持ちにするだけであればともかく、その逆となれば、それは固有職ジョブによる既得権益を享受している人間にとって、直接的な脅威となる。

 なんせ、今まで権力の象徴であり飯のタネだった固有職ジョブ能力が、俺の一睨みで消滅してしまうかもしれないのだ。それがどれだけ危険なことか考えるまでもない。

 いくら俺にそのつもりはないと言ったところで、疑心暗鬼に駆られた固有職ジョブ持ち達は俺の命を狙うだろう。軍が出動する可能性だって低くはない。そんな事はごめんだった。

 だが、これが固有職ジョブ持ちを増やすだけの能力であれば、話は変わってくる。固有職ジョブ持ちは希少であるがゆえ、彼らを雇いたくても雇えない貴族は大勢いる。
 そんな彼らにとってみれば、俺は持ち駒を増やしてくれる便利な道具だろう。それなら、命を狙われる可能性もぐっと減るはずだった。

 そんな話をしていると扉がノックされた。クルネが扉を開けると、薬師のマイセンが扉の前に立っている。

「お取込み中に申し訳ありません。クルネ、しばらくベルゼットを見張っていて頂けませんか?」

「お取込み中ってなんだよ……」

 そんな俺のツッコミを無視して、マイセンは言葉を続ける。

「そろそろベルゼットに嗅がせた睡眠薬が切れそうなのですよ。どうやら彼は薬物耐性が高いようですね。そこで、新しい睡眠薬を調合しようと思いまして、それまでベルゼットを見張って頂けないかと」

「分かったわ」

 マイセンの説明を聞いて、クルネは即答した。そして俺の方を振り向く。

「カナメはどうする?」

「一緒に行くよ」

 クルネの質問に答えると、俺はベッドから立ち上がろうとする。そんな俺の様子を見てマイセンが口を開いた。

「構いませんが、気を付けてくださいね? 鎖で縛っているとはいえ、相手は魔法剣士マジックナイトです。どんな魔法を使ってくるか分かりません」

「分かりました」

 実際には、『村人』になっている今のベルゼットに魔法など使えるはずがないのだが、そこまで言う必要もないだろう。

「では、頼みましたよ」

 マイセンの言葉に頷いた俺たちは、ベルゼットのいる部屋へと向かった。






 縛られたベルゼットは、ベッドの上に転がされていた。床の上でないのはそれなりの敬意を払った結果だろうか。
 まだ睡眠薬は効いているようだが、たしかに眠りは浅くなっているようだった。俺たちが扉を開閉する音にもしっかり反応している。

「カナメ、どうするの?」

 クルネが小声で聞いてくる。今すぐ魔法剣士マジックナイトに戻すのか、という意味だろう。俺は少し悩んだ。
 明日ベルゼットを引き渡すとなれば、今のうちに転職ジョブチェンジさせておく必要がある。だが、それは奴に逃げ出すための力を与えることにもなる。俺は少し悩んだ末、結論を出した。

「……やっぱり今はやめておくよ。衛兵なり何なりに突き出す時に、改めてやろう」

 それが結論だった。ここまでして逃げられましたではシャレにならないし、何より枕を高くして寝られない。

「でもカナメ、神学校があるでしょ?」

「明日は休む。半日か全日か分からないが、この結末を見届けないと安心できないからな」

 俺はそう答えると肩をすくめた。その時だった。

「――ふん、こんなガキに見張られるとは、俺も落ちたもんだぜ」

「……起きましたか」

 声の主は一人しかいない。俺はベッドに視線をやると声をかけた。じゃり、という鎖の音と共に声が発せられる。

「お前は……。あの傷で生きていたのか、運のいい奴だな」

 ベルゼットは意外そうな顔を俺に向けた。確実に死んだと思ったのだろう。俺はいつもの笑みを顔に貼りつけた。

「おかげ様で。……ところでベルゼット副神殿長、一つお伺いしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

 俺は丁寧に質問した。まさか目を覚ますとは思っていなかったが、それならそれで、俺は彼に聞いてみたいことがあったのだ。

「……」

 ベルゼットからの返事はない。俺はそれを無視して口を開いた。

「私が調べた限りでは、貴方は優秀な神殿経営者に思えます。その固有職ジョブ能力も相まって、最短記録で本神殿の神殿長になることも確実だったはず。その貴方が、なぜこのような事を?」

 ベルゼットはずっと沈黙していた。だが、突然ぽつりと呟く。

「そんな些末事に興味はない。クルシス神を不当に扱う馬鹿どもに一泡吹かせるためには、金がいるんだよ。他の六大神殿も、教会も、もちろん伝承派や土地神派もな」

 俺はその言葉を聞いて、おや、と思った。てっきり私利私欲の輩だと思っていたのだが、方向性はともかく、意外とクルシス神への信仰が篤いようだったからだ。俺はふと彼の言葉に興味を覚えた。

「不当に扱うとはどういうことですか?」

「……」

 だが、今度こそベルゼットは完全に沈黙した。あの手この手で話しかけたが、結局それ以上の情報を引き出すことはできなかった。
 それからどれほど経っただろうか。俺が話を聞き出すのを諦めたころ、扉がノックされた。扉を開くと、そこには予想通りマイセンが立っていた。

「二人とも、お待たせしました」

 そう言うと、彼は手に持った薬瓶を嬉しそうに掲げた。おそらく調合したての睡眠薬なのだろう。

「カナメ、もういいの?」

「うん、諦めたよ」

 俺たちのそんな会話にマイセンが首を傾げたが、彼はそれ以上追及してこなかった。マイセンが睡眠薬を使用し、再びベルゼットを眠りの世界に落とす。それを確認した俺たちは、マイセンと交代で部屋に戻ったのだった。
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