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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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魔法研究生

 神学校には教員室というものがある。その名の通り、神学校の教員が授業時以外に本拠とする場所だ。数百年の歴史をもつノルヴィス神学校だが、数年前に大規模な建て替えが行われたため、意外とその設備は新しく綺麗なものが多い。教員室もその例にもれなかった。

「はぁ……」

 そんな教員室で、一人の男が机に突っ伏していた。中肉中背というにはやや痩せ気味な体型は、彼の苦労人そうな風貌とよく合っていた。

 男の名はマーカス・アルテイン。この神学校に所属する教員の一人だ。その苦労性を窺わせる風貌とは裏腹に、かつてはとある神殿の副神殿長を務めたこともある彼は、神学校でもそれなりに敬意をもたれている。

 だが、そんな彼を悩ませるものがあった。マーカスは手にしたリストを再び覗き込むと、もう一度溜息をついた。

「あら、マーカス先生、おはようございます。お早いんですね」

 ちょうどその時、彼しかいなかった教員室に新しい人物が入ってきた。同時に、暗かった教員室に明かりが灯る。

「おはようございます、セナ先生」

 教員室に入ってきたのは、そろそろ中年に差し掛かろうかという女性教員だった。特に目立つ容貌というわけではないが、清潔感のある髪形や服装は好感が持てるものだった。そして、彼女は非常に勘がいい。

「……ひょっとして、今日から受け持つ特待生のことを心配していたのですか?」

「そんなところです」

 別に隠し立てするようなことではない。そう考えたマーカスは、同僚に向かって軽く苦笑を浮かべた。

 今日は神学校の新学期初日だ。去年、受け持っていたクラスの生徒を卒業させたマーカスは、通常であれば新しく入学する最下級生の担当になるはずだった。

 だが蓋を開けてみれば、学校長から下された辞令は『特待生クラス担任』。ワケ有りな生徒が多く編入されるためあまり人気のない、いや、最も人気のないクラス担任だった。

「……まあ、今回は有名な子が一度に集まってますからね。だからこそ、今回の特待生クラスはマーカス先生にしか務まらないと、学校長も判断なされたのではないかしら」

 セナも今期特待生の顔ぶれは知っている。王都で『天才児』と呼ばれ、神学界では知らぬ者がいないとされる変わり者。代々大司教を輩出する家系に生まれ、とある事件で謹慎させられていた過激派の少年。
 最近まで存在を秘匿されていた治癒師ヒーラーにして『聖女』候補たる少女。ダール神殿のエリート家系でありながら、神学校を退学し数年間失踪していた青年。

 ぱっと思いつくだけでも特待生のうち半数が曰くつきだ。もしセナがこのクラスを担当することになった場合、おそらく目の前のマーカスと同じような表情をしていたことだろう。

「学校長は私をからかっているだけな気もするのですが……。まあとにかく、噂に惑わされて本人を見ないような真似はしたくありませんからね。まずは白紙の心で臨みたいと思っていますよ」

 マーカスは人の良さそうな、それでいて苦労性を滲ませた笑顔を貼り付けた。せめて、他の特待生は穏やかな性格だとよいのだが……。

 そう願いながら、彼は手に持っていたリストを裏返した。






「参りましたね……」

 放課後の教員室で、マーカスは天井を見つめながら呟いた。思い出しているのは、もちろん今日の特待生クラスだ。

 軽い自己紹介をしてもらうはずが、教会派と神殿派の名家同士で争い始めるわ、唐突に神々の遊戯(カプリス)は行われるわ(認めたのはマーカスだが)と、悲観的な予測には自信のあるマーカスでさえ想像していない展開になってしまった。

 そして、その展開に大きく絡んでいたのが、あの辺境出身の青年だ。

 辺境出身というわりに、その丁寧な物腰や言動はあまり辺境の民らしくなかった。黒目黒髪の珍しい容貌も手伝って、異国の出身と言われた方がまだ納得できるくらいだ。
 それでいて、時には激情的な一面も見られるしで、なんというか、色々とアンバランスな生徒だった。

 そして何より神々の遊戯(カプリス)で見せたあの身体能力と、ペットのあり得ない破壊力。あの巨柱を一撃で粉々に粉砕するなど、固有職ジョブ持ちですら可能かどうか怪しい。

 本来であれば、二人で行う神々の遊戯(カプリス)で勝敗が決することは少ない。お互いが自分の得意な土俵を用意するのだから、一勝一敗になる確率がもっとも高い。そんな事も考えながら許可を出した神々の遊戯(カプリス)だったが、結果は予想外だった。

 神々の遊戯(カプリス)慣れしているシュミットが勝つ可能性を考えて、いくつか彼を沈黙させる準備はしていたものの、まさかカナメが勝つなど予想もしていなかった。そういう意味では、彼がシュミットの退学を声高に主張しなかったのは、非常にありがたかった。

 ともかく、色々な面において彼は特殊だった。救いがあるとすれば、彼自身は争いを好む性質ではなさそうだというところか。

「……本当に、世の中には色々な人がいるものですね」

 彼は自分に言い聞かせるように呟くと、当番である校舎の巡回に出るべく立ち上がった。






「人探し……ですか?」

 マーカスが校門付近を見回っていた時だった。突然、彼は一人の少女に声をかけられた。

「そうなんです。一人は黒目黒髪の男性で、もう一人は辺境出身のカナメ・モリモトさんという方なのですが、ご存じではありませんか?」

 心当たりのありすぎる固有名詞を耳にして、マーカスの目が少し見開かれた。

 彼に声をかけてきたのは、柔らかそうな青髪が特徴的な、ややおっとりした印象を受ける少女だった。いや、美少女といった方が正確だろうか。
 現に、こうして彼女と話している最中にも、下校する男子生徒の視線が長い間彼女に留まっているのが分かる。

 そして、彼女が身に着けている制服は、たしか王立魔法研究所の制服だったはずだ。身元については心配する必要はなさそうだ、とマーカスは判断した。

「その二人がどうかしたのですか?」

 とはいえ、そう簡単に生徒の情報を流すほどマーカスは迂闊な性格ではなかった。

「その、お礼が言いたく……いえ、そうじゃなくて、同郷の人がこちらに入学したと聞いたものですから、最近の故郷の様子を彼から聞きたいと思っただけなんです」

 しどろもどろになっている少女の様子は、怪しいと言われても仕方のないものだった。だが、マーカスが見たところでは、彼女は悪事を考えているようには見えなかった。

「ふむ……? ということは、あなたも辺境出身だということですか」

「はい、そうです」

 少女はまっすぐな瞳で質問に答えた。それは自らを辺境の出だと認めることであり、王都に来た辺境出身者としては珍しいことだった。だが、マーカスはそれを好ましく感じた。

 彼女になら、カナメの在籍の有無を伝えるくらいは問題ないだろう。そもそも、何かしらの悪事を企んだところで、あの彼を陥れるのは非常に難しいはずだ。

「たしかに、カナメ君は当校の生徒ですよ。もう帰ってしまったかどうかは分かりませんが」

「そうですか……。あの、ところで黒目黒髪の人はいませんか? たぶん神学校でも珍しい容姿だと思うんですけれど……」

 それを聞いて、マーカスはおや、と思った。同郷のカナメの話題を続けるのかと思ったが、そうではないようだった。むしろ、黒目黒髪の人物の方が人探しのメインであるような印象すら受ける。

「黒目黒髪の生徒ですか……。心当たりがありませんね」

 当然のことながら、マーカスの頭に浮かぶのはカナメの容姿だ。だが、彼以外に黒目黒髪の生徒がいるかというと、少なくともマーカスの記憶にはなかった。

「そうですか……」

 少女は気落ちしたように呟いた。その憂いを帯びた表情のせいだろうか、彼女に注がれていた下校生徒たちの視線がさらに増えたことに気付いて、マーカスは心中で苦笑した。気落ちした表情がこんなに注目を浴びるとは、美人とは大変なものだ。

 マーカスがそんな事を考えている間に、彼女は心の整理をつけたようだった。何かを吹っ切るように頭を振ると、やがてマーカスに対して笑顔を向けた。

「親切に教えてくださって、本当にありがとうございました」

 そう言うと、彼女は身を翻して校門から去って行った。その後ろ姿を見て、マーカスはふと思いついたことがあった。

「まさか、黒目黒髪の男性とカナメ君が同一人物なんて事は……。いえ、考え過ぎですかね」

 魔法研究所といえば、優秀な人間が多く集まる学問所だ。そこに通うような生徒が、そんな間の抜けた人探しをするはずはないだろう。

 自分の考えが正解であるとは露知らず、マーカスは自分の考えを振り払った。



――――――――――――――



 神学校二日目の授業は、初日の騒動が嘘のように平和に終わった。シュミットが俺に難癖をつけてくるんじゃないかと心配していたのだが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだった。

 シュミットは昨日に引き続き、授業が終わった途端に教室から姿を消した。その瞬間、どこかほっとした空気が教室に流れる。

 ……うーん、なんだかこの空気は嫌だなぁ。こんな緊張状態が一年以上続くくらいなら、ここは年上の俺が歩み寄って何とかしたほうがいいかな……いや、やっぱり駄目だ。思い出すだけで腹が立つ。とりあえずこの考えは保留にしておこう。

 俺はそう結論付けると、授業に使っていた教科書や道具類を片付けることにした。

「あの、カナメ君……。また明日ね」

 そこへ声をかけてきたのは、昨日のことで多少は打ち解けた感のあるミュスカだった。彼女の長い金髪が、俺の視界をちらちら遮る。

 わざわざ俺のところまで言いに来るあたり、彼女も律儀な性格をしてるようだ。

「ああ、お疲れさま」

 俺が返事をすると、彼女はなぜか嬉しそうな様子で頷くと教室を出て行った。……あ、そんないい表情で外に出ると……。

「きゃぁ……!」

 すぐに彼女の控えめな悲鳴が聞こえた。……やっぱり。昨日と同じように視線を集めてしまって、それに耐えられなかったのだろう。内気な美少女はこういう時大変だよなぁ。しかもちらっと見えた感じでは、親衛隊みたいな集団もいたような……。

 とはいえ、毎日俺が彼女をガードするわけにもいかないだろうし、ここは一人で頑張ってもらって、耐性をつけたほうが彼女のためだろう。俺は彼女の健闘を祈った。

「なあカナメ。一つ聞きたいことがあるんやけど」

 心の中で祈りを捧げていると、いつの間に近づいてきていたのか、コルネリオが真剣な表情で声をかけてきた。なんだろう、そんなシリアスモードに入るような流れがあったっけか。俺は今日の出来事を振り返ってみたが、特に思い当たることはなかった。

「自分、いつの間にミュスカちゃんとあんなに仲良うなったんや……!」

 そこかよ! 俺は無言でツッコミを入れた。まったく、そんなところで鋭い目つきを無駄遣いしないでいただきたい。それなりに焦ったんだからな。

「どう見てもミュスカちゃんが心を開いてたやないか……! 俺かて、あの子が笑うたらさぞかしかわいいに違いないって、見た時から思うてたんやからな!」

 いや、そんなに熱弁を振るわれても困るんだが。

「はっ……! そういえばカナメ、昨日ミュスカちゃんが帰った直後に慌てて帰りよったな」

 おお、意外とよく見てるな。さすがは大商会の息子、実家で鍛えた観察眼は侮れないようだ。
 とはいえ、あれは単に神々の遊戯(カプリス)の件で謝りにいっただけなんだけどなぁ。そう言っても信じてもらえなさそうな雰囲気が、コルネリオから漂っていた。

 ちなみに、他のクラスメイトは少し呆れたような視線を彼に向けていた。……特に女性陣の視線が痛いな。これ以上コルネリオの評価が下がるのもかわいそうだし、場所を変えた方がよさそうだ。

「コルネリオ。とりあえず、寮に帰りがてら話さないか?」

 俺の気遣いが伝わったのかどうか、ともかくコルネリオは俺の提案に二つ返事で乗ってきた。まだ教室に残っている面々に挨拶をすると、俺はコルネリオと教室を後にした。



「それだけであんなに心を開いてくれるもんか? ……カナメ、なんか隠してへんか?」

 俺は事実をところどころ隠蔽しながら、昨日のミュスカとの出来事をコルネリオに話して聞かせた。もちろん、ミュスカのプライベートに関わる部分は全部カットだ。

 だが、相手は豪商の血を引く男だ。それだけであっさり納得するはずがなかった。

「ミュスカのプライベートに関わる部分は、俺から話すわけにはいかないだろ」

「いや、それはそうかもしれんけど、そこをちょこっと……」

 なおも食い下がるコルネリオを誤魔化しながら、俺は校門の外へ足を踏み出した。神学校の規模に相応しい、重厚で巨大な校門を目にするとなんとなく身が引き締まる思いがする。

 だが、そんな感想を抱いたのは俺だけだったらしい。隣を歩く友人はずっと同じテンションで喋り続けていた。

「なあカナメ、ヒント! ヒントを――」

 そこでコルネリオの言葉がふいに止まった。なんだろうか。その視線が俺の斜め後ろに固定されていることに気付き、俺は後ろを振り返った。

「あ……! やっぱり、こちらの生徒さんだったんですね」

 そこに立っていたのは、入都した日に出会った青髪の少女だった。






「コルネリオ、悪いが一人で帰ってもらってもいいか?」

 俺は目の前の少女を見てしばらく悩んだ後、コルネリオにそう伝えた。もちろん目の前の少女とデートをしたいとかそういう意味ではなく、別の要件があるのだが……。

「なんでや……。なんでカナメばっかり綺麗どころと仲良うなっとるんや……」

 もちろん、コルネリオがその言葉を信じるはずはなかった。だが、なんだかショックを受けたようで、彼は俺たちを置いてぶつぶつと呟きながら去っていく。……なんだか罪悪感が半端ないな。

「あの……。お邪魔だったのならごめんなさい。また出直します」

 とぼとぼと歩いていくコルネリオを見て、少女は申し訳なさそうに口を開いた。

「いえ、貴女が気にすることはありませんよ」

 俺はそう答えると、あらためて彼女を観察した。

 間違いなくあの時の少女だ。おっとりした目元が印象的な整った顔立ちといい、人の目を引くスタイルといい、そうそう忘れられるものではない。

 確実に俺より年下であろう彼女だったが、どこか大人びた風情が漂っており、それが彼女の年齢の予測を立てにくくしていた。まあ、それでも二十歳を超えていることはないと思うけどね。

「あの、もしよければ、この間のお礼をさせてもらえませんか?」

「へ?」

 そんなことを考えていたせいだろうか。彼女がしてきた予想外の提案に、俺は間の抜けた声を返してしまった。

「近くに素敵な喫茶店があるんです。男性にも人気だと聞きますから、お嫌でなければご馳走させてもらいたいのですが、いかがですか?」

 む。喫茶店か。そういえばこの世界に来てから、喫茶店系の店には入ったことがないな。外食業従事者としては非常に興味をそそられるところだ。

 一度しか会ったことのない女の子と喫茶店に入るのは非常に落ち着かないが、俺も彼女に用事があることだし、喫茶店へ行くという提案はありがたいものだった。

「それは魅力的ですね。ただ、さすがにご馳走していただくのは気が引けますから、自分の分は自分で支払うことにしませんか?」

「え? それじゃお礼にならないような……」

 いやいや、女の子と二人で喫茶店とか、元の世界じゃあり得なかったシチュエーションだからなぁ。むしろ、お金を払わないと経験できないレベルかもしれない。
 それを考えれば自分の食事代くらい安いものだ。それに、あまり知らない人に奢ってもらうのは落ち着かないしなぁ。

「素敵な喫茶店の情報を頂けるだけで充分ですよ」

 ……我ながらわざとらしい台詞だったかな。まあ、彼女の反応からすると問題はなさそうだ。

そして俺たちは、中心街のやや外れにある喫茶店へと向かうのだった






「……いい動きをするなぁ。」

 さすがは人気の喫茶店というべきか、店内は大盛況だった。来るのがあと少し遅ければ、今頃は店の前にできている行列の一部になっていたことだろう。

 その混雑した店の中を機敏に動き回り、それでいて慌ただしさを感じさせないウェイターやウェイトレスの立ち居振る舞いに、俺はひたすら感心していた。

「変わったところに注目するんですね」

 そんな俺の呟きが聞こえたのか、向かいに座っている少女がくすっと笑った。おっと、店内の観察に集中しすぎてしまったかな。特段責められている感じはしないが、さすがに目の前の彼女を無視して店内観察は失礼だったかもしれない。

「お店に入ると、ついそういうところに目がいってしまうんですよ。店員の動きや人員配置なんかはつい観察してしまいます」

 そう言い訳をして、俺は運ばれてきたばかりのコーヒーカップに口を付けた。

「……美味い。」

 俺は少し驚いた。湯気と共に立ち昇ってくる馥郁とした香り、口に含んだ時の豊かなコク、そして絶妙なバランスで加わる苦みと酸味。なるほど、男にも人気があるというのは、おそらくこのコーヒーのことなのだろう。俺は一人納得した。

 ちなみに、『コーヒー』という単語は、固有名詞というよりも一般名詞に近い扱いを受けているようだった。豆の名前らしき文字はさっぱり読めなかったが、『コーヒー』という単語は普通に読むことができたのだ。

 味もほぼ同じだし、どんな世界でも人間は似たような嗜好品を作り出すものなのかもしれない。

「気に入ってもらえてよかったです」

 そう言って、彼女もフルーツティーを口に含んだ。この子、本当に幸せそうに飲むなぁ。

 と、そこでふと沈黙が訪れた。……うう、気まずい。こういう沈黙を笑顔でやり過ごせればいいのかもしれないが、残念ながら俺にそんなスキルはない。とにかくこの沈黙を破ろうと思って、俺は口を開いた。

「そういえばあの後、エロじじ――もとい、あのご老体から嫌がらせを受けたりはしませんでしたか?」

 無理やり探し出した話題だが、その事が少し気になっていたのは事実だった。

「大丈夫です。あの日以来、先生にお会いする機会がありませんでしたから」

 それって、単に顔を合わせてないから嫌がらせを受けてないだけなんじゃ……?だが、わざわざそれを指摘して彼女を不安がらせることもないだろう。それに、もう一つ気になることがあった。

「あのご老体は先生なのですか?」

「先生といっても、普段私たちを指導しているわけではなくて、魔法理論の仮説を立てたときに、それを実証してくれる魔術師マジシャンなんです」

固有職ジョブ持ちでしたか……」

 俺は彼女の言葉を聞いて色々納得した。前に出くわした騎士ナイトもだいぶ嫌な奴だったからなぁ。ミュスカのような生い立ちならともかく、物心がついた時から持て囃されていた固有職ジョブ持ちは性格が歪む傾向にあるのだろうか。

 まあ、それはそれとして、俺はもう一つ興味をそそられた部分を聞くことにした。

「魔法理論の仮説と仰ったようですが、もしよければお伺いしても?」

 質問してしまってから、俺はふと我に返った。よく考えてみれば、まだ名前も知らない少女に振る話題としては適当ではない気がする。

 だが、少女はむしろ嬉しそうに目を輝かせた。あれ、なんかスイッチ入っちゃった?……まあいいか。彼女は楽しそうだし、俺は聞いてて勉強になるし、誰も困らないだろう。

 どうやら、彼女は魔法研究所というところの研究生のようだった。魔法研究所はその名の通り魔法を研究するところなのだが、魔術師マジシャンはその存在自体が貴重であり、また貴族や王国軍が率先してスカウトしてしまうため、魔法研究所に魔術師マジシャンはいない。

 研究生たちは皆『村人』であり、魔法理論の実証については王都に住む魔術師マジシャンに手伝ってもらうしかないのだという。そして当然、それには依頼料が発生する。

 その事実に俺は驚いたが、よく考えてみれば元の世界の科学実験だって、理論を組んだら実証するのは機械だったりするもんな。そういった分業は意外と当たり前なのかもしれないな。

 彼女は『終末戦争』時代よりも前に記された魔法書を解読・再現することを現在の研究テーマとしているが、ゆくゆくは自分で新しい魔法を編み出したいのだという。

 そう楽しそうに説明していた彼女だったが、突然その表情が曇った。

「せめて、少しでも魔法研究に理解のある、ううん、常識のある魔術師マジシャンがいればよかったのに……」

 なるほどなぁ。あのエロじじい個人の性格の問題じゃなくて、業界の体質そのものが残念な構造なんだな。
 俺が魔法業界の体質に呆れている間に、彼女はフルーツティーを口に含んだ。その沈んだ表情は、つい手助けしたくなるようなものだった。

 ……うん、彼女なら大丈夫かな。俺がそう判断して話しかけようとした瞬間だった。わずかに早く、彼女の方が口を開いた。

「でも、ひょっとしたら何とかなるかもしれないんです」

 彼女はそう言うと身を乗り出してきた。いきなり近づいてきたことにびっくりしたが、彼女が小声で話し始めた事で、何らかの秘密めいた話なのだろうと納得する。

「あの、神学校の生徒さんにこんな事をお伺いするのもなんですけれど、教会の『聖女』以外に転職ジョブチェンジ能力を持っている人がいる、って言ったら信じますか?」

「え……!?」

 彼女の言葉に俺は驚きを隠せなかった。そんな俺を見て、彼女は静かに頷いた。

「私も信じられないんですけど、情報元は信用できます。……けれど、そんな都合のいいことが本当にあるものでしょうか。
 しかも、転職ジョブチェンジの聖女様は数日に一人しか儀式をなさらないのに、その人は複数の人を転職ジョブチェンジさせることができるらしくて……」

「……」

 その言葉に対して、俺は何も言えなかった。もしかして、王都には教会と俺以外にも転職ジョブチェンジ能力を持っている人間がいるのだろうか。俺が沈黙しているのを見て、彼女は言葉を続けた。

「正直にいえば、私は不安なんです。情報をくれた友達は騙されてるのかもしれないって」

 それは彼女の衷心からの言葉なのだろう。情報提供者が友人だとバレてしまっていることにも気が付いていないようだった。

「それに、もし本当に転職ジョブチェンジ能力を持っているとしても、その人がどんな交換条件をつけてくるか分かりません。莫大な金銭なのか、それともあの先生のような、ううん、もっとひどい――」

 そう言って彼女は自らの身体を抱きしめた。それ以上彼女が言葉を発することはなかったが、言いたいことは分かった。あの時は慣れた様子で先生とやらのセクハラを受け流していたが、実際には相当こたえていたのだろう。

 まずは彼女の不安を取り除こう。同業者には申し訳ないが、先に見つけたもの勝ちだ。

 そして、俺は今度こそ彼女に提案を――。

「ぬっ!? き、貴様は!」

 まさに声を発しようとしていた俺に対して、今度はしわがれた声が投げかけられた。もちろん声の主は少女ではない。またもや商売の邪魔が現れたようだった。

 俺は声がした方を振り向き、そして顔をしかめた。ちらっと少女の方に視線をやると、明らかに青ざめているのが分かる。

 そう、声の主は少女の『先生』とやらだった。






「……これはどういうことだ。このワシをまるで犯罪者のような目で見た無礼な男と、その時ワシの隣にいた女生徒が仲良く向かい合っているとは。説明してもらおうかね?」

 『先生』は居丈高な、それでいてねちねちとした態度で少女に言葉を投げかけた。

 どうやら、この場をごまかすのは難しそうだった。俺の黒目黒髪が珍しいものだということが分かってきたし、少女は何度もこの『先生』に仮説の実証を依頼していると言っていた。人違いですませるには、条件が悪すぎた。

「店を出よう」

 俺はそう言うと、少女の返事を聞かずにその腕を取った。近くにいたウェイトレスに勘定を二人分渡すと、そのまま店を後にする。

 すると、俺たちの後を『先生』が怒声と共に追いかけてきた。よし、計算通りだ。その辺りでごろごろしているはずのキャロが見当たらないのが残念だが、探している暇はなかった。

「あの……?」

 ようやく我を取り戻したのか、腕を引かれながら少女が声をかけてきた。まあ、彼女の気持ちは分かる。ここで逃げ出したところで身元は割れているのだ。となれば、逃げだすのは相手の怒りを買うだけで何のメリットもない。だが、今は詳しく説明している暇はなかった。

 『先生』を振り切ってしまわないように気を付けながら、俺は人気のない方へずんずん進んでいく。
 すると、やがて赤茶色の分厚い石壁に差し掛かった。行き止まりだ。おそらく、この石壁は王都の中心部と外周部を隔てるあの外壁だろう。

 俺は周りに人がいないことを確認すると、怒気をみなぎらせて追いかけてくる『先生』を待ち受けるべく振り返った。

 見れば、ちょうど曲がり角から『先生』が姿を現すところだった。身体強化魔法を使ってくるかと思っていたのだが、使えないのか使うまでもないと考えたのか、生身の状態で追いかけてきたようだ。

 『先生』は俺たちから七、八メートルほど離れたところで足を止めた。そして、怒りの表情と下卑た表情が半々で混ざった醜悪な表情で少女に話しかけた。

「……少女よ。君は自分のした事が分かっていないようじゃな。このワシほど魔法研究に理解のある魔術師マジシャンなどおらんというのに、その恩義も忘れ、その無礼な男と共謀してワシを貶めようというのか。

 ……であるからには、今後はワシの手助けが得られぬことも覚悟の上と、そう考えてよいのだな? 実証されていない魔法理論を、いったい誰が認めてくれるのか楽しみじゃのぅ」

 その言葉を聞いて、少女は唇を噛みしめる。それでも視線を逸らそうとはしない彼女の精神力に、俺は内心で拍手を送った。

「もっとも、それくらいではこの稀代の大魔術師(マジシャン)フェネラル・サーズマンを侮辱した罪は贖いきれるものではない」

 そう言うと、フェネラルと名乗ったエロじじいはにやりと口元を歪める。

「今後は、魔法研究所からくる理論実証の依頼を全て断ってしまおうか? ……そうなれば、どうなるじゃろうなぁ?
 魔法学の研究は停滞し、君の同僚や先生方もさぞかし困る事じゃろうて……」

「そんな……!」

 フェネラルの言葉に、気丈に耐えていた少女の声が震える。彼女自身の問題であれば耐えることもできたかもしれない。だが、魔法研究所全体に甚大な迷惑がかかるとあっては、平静を保てるわけがなかった。

 そんな彼女の様子を見て、フェネラルは満足そうに笑った。そしてこの上なく下衆な様相で口を開く。

「まあ、そのあたりの方針は今後の君の態度によるな。……そうだ、今晩のディナーをワシと一緒にどうだね? ワシの家で君をもてなしてあげよう」

 そう言うと、フェネラルは好色な視線で少女の身体をじろじろと眺めまわした。その様子からも、今晩のディナーとやらが食事の誘いだけでないことは明白だった。少女の瞳が始めて揺れる。

「わ、私は――」

「その辺にしておいてはいかがですか? そのように好色な顔をしていては、せっかくのご尊顔が台無しですよ?」

 さすがにこれ以上、彼女に負担をかけるわけにはいかなかった。俺はフェネラルから少女を庇うように一歩前へ出ると、意識をこちらへ向けさせるよう、少しばかり彼を挑発した。

「貴様ぁ……!」

 ひょっとすると、固有職ジョブ持ちのお偉いフェネラル先生は、否定されることに慣れていないのかもしれなかった。彼は顔をどす黒く染めて、ぶるぶると震えはじめる。

 だが、俺はここで一つ判断ミスを犯した。まさか、フェネラルが突然凶行に奔るとは思っていなかったのだ。彼の煽り耐性の低さを甘く見ていたらしい。

風裂球ゲイルオーブ!」

 突然生み出された球状の鎌鼬が俺に迫る。意外とスピードが遅く、かろうじて避けられない速度ではないが……駄目だ、俺が避けると後ろの少女に当たってしまう。この野郎、彼女まで巻き込むなんて正気か?

 だが、今ここで転職ジョブチェンジして対処する訳にはいかない。俺はとっさに魔力変換の特技スキルを発動させるが、荒れ狂う鎌鼬を消し去るほどの効果は望めなかった。

「ぐっ……!」

 俺の全身に、刃物で切り付けられたような痛みが走った。かろうじて首から頭部はガードしたものの、無数の傷口から血が流れ出て全身を赤く染める。……ちくしょう、これは本気で痛い。

「きゃぁっ! 大丈夫ですか!?」

 血だらけになった俺を見て、少女が俺の正面へ回ってくる。どうやら、彼女は傷を負わずに済んだようだった。彼女は止血でもしようとしてくれたのか、ハンカチを取り出す。

 だが、俺はその行動を手で制止すると、彼女に向かって語りかけた。

「本当は契約内容に合意してもらってから、と考えていたのですが、今は緊急事態です。……貴女を信じます」

 そう言うと、俺は彼女を転職ジョブチェンジさせた。






 転職ジョブチェンジ屋を始めてから数か月。俺は転職ジョブチェンジが可能な条件について、ある程度目星をつけていた。

 その条件とは、その人が今までどんな職業(固有職ジョブではない)に就き、そしてどのように鍛練を行ってきたかによるという、ある意味では当たり前の事だった。

 だが同時に、これは転職ジョブチェンジできる機会がほとんどないこの世界では、誰も気づくことができない法則だとも言えた。

 例えば、剣士ソードマン転職ジョブチェンジしたクルネは自警団の一員として実践を積み、剣の鍛錬を怠っていなかったし、戦士ウォリアーのラウルスさんはその場その場で状況に応じた武器を持ち、村を襲うモンスターを撃退していた。
 弓使い(アーチャー)のエリンなどは元々が狩人であり、日々の仕事が弓使い(アーチャー)としての鍛錬であったはずだ。

 もちろん、槍使いとして長年修練を積んできたのに魔術師マジシャンとしての力しか見いだせなかったアデリーナのように、天性の才能との不一致はあるのかもしれないが、ひょっとしたら彼女だって五年後、十年後まで槍の修練を積んでいれば、槍使い(ランサー)として転職ジョブチェンジできていたのかもしれない。

 では、そういった意味での魔法職の鍛錬とは何か。『村人』はまったく魔力操作ができない。ならば、他に考え付くのは魔法理論を学んだり、空想と紙一重だが、魔力が扱えると仮定して同じ動きをトレースしてみることではないだろうか。

 つまり何が言いたいかというと、彼女には魔法職の固有職ジョブ転職ジョブチェンジするだけの資質が充分備わっていたのだ。



「え……? これって……!」

 俺の転職ジョブチェンジ能力の行使により、突然備わった力に目を見開いていた彼女だったが、さすがは魔法研究者、自分の身に何が起きたかをすぐに理解したようだった。

 俺やアデリーナの例で考えると、突然魔力操作の方法が理解できるようになったのは共通だが、すぐに行使可能となる魔法には個人差がある。おそらく本人の適性やイメージ力の問題なのだろう。だが、彼女なら俺たち以上に上手く固有職ジョブの力を扱えるはずだった。

「貴様、何をした……!? 風裂球ゲイルオーブを受けてその程度ですむとは……!」

 一方、フェネラルは俺がまだ立っていることに驚愕していたようだった。だが、すぐに我に返ると新しい風裂球ゲイルオーブを生み出す。

「……させない!」

 その瞬間、少女が動いた。彼女が風裂球ゲイルオーブに向かって指を差すと、極限まで密度を高めた空気流が鎌鼬の塊を吹き散らした。魔力の制御下から外れた鎌鼬は、その状態を維持できずただの空気へと戻っていく。

「なんだと……!?」

 突然の事態に、フェネラルは目を白黒させた。それはそうだろう、彼とて腐っても魔法職だ。少女が魔力を使い魔法を行使したことを一番理解しているのは、間違いなくフェネラルだった。

 その後もいくつかの魔法を放とうとしたフェネラルだったが、その全てが少女によって阻まれる。火球を生み出せば水流で消され、生成した氷槍は火球でただの水に戻される。謎の光弾が放たれた時には焦った俺だったが、少女は難なく闇色の壁を展開して光弾を防いでしまった。

 魔法職に転職ジョブチェンジしたばかりとは思えない腕前でフェネラルの魔法攻撃を迎撃していた少女だったが、ここにきて初めて攻勢に出る気配をみせた。彼女の身体全体から青白い燐光が漂う。

 だが、それを好機と捉えたのか、フェネラルは今までよりも小さな風裂球ゲイルオーブを生み出した。致死性の威力はないだろうが、その分今までより素早く生み出された風裂球ゲイルオーブは、少女の魔法より早く完成していた。腹立たしいが、フェネラルの判断は的確だった。

「……!」

 その瞬間、俺は再び魔力変換の特技スキルを行使して、魔法の威力を減衰させた。元々威力を絞って放たれていた風裂球ゲイルオーブは俺たち二人の身体にいくつも裂傷を刻み付けたが、深手となるような傷を負うことはなかった。

 だが、その魔力変換の影響は思いもよらない形で現れた。

「きゃあっ!?」

 少女が今までにない焦った叫び声を上げる。気付かないうちに攻撃されたのか、と彼女の方に視線を向けた俺は、一瞬固まってしまった。見れば、フェネラルも目を丸くして固まっている。

 少女の周囲を無数の雷が取り巻いていたのだ。しかも、その動きには乱れがあった。俺の魔力変換が原因なのか、それとも傷を負ったことが原因だったのかは分からないが、おそらくこのままでは暴発する。

「上だ!」

 俺はとっさに空を指差した。彼女は俺の言葉に従うように両手を天へ向けて、荒れ狂う力を暴発させた。

 その刹那、凄まじい轟音と閃光を放って、地上から天へ太い雷の柱が突き立った。間近で起きた雷に、俺たちの視力と聴力が麻痺させられる。

 ……危なかった。こんなのを水平にぶっ放したら、街にどれだけの被害が出たか分からない。俺は今更ながら、その事実にぞっとした。

 なぜ転職ジョブチェンジしたての彼女が、こんな強大な力を扱えるのかという疑問はあるが、俺の固有職ジョブ転職ジョブチェンジに関する考察が正しければ、それほどおかしなことではない。

 なんとか五感が回復した俺が目をやると、もはやフェネラルは戦う気を失っていた。それはそうだろう。あの極大の雷が水平に放たれていれば、どう考えても彼は死んでいた。

 この辺りが落としどころかな。そう考えた俺は、敵意がない様子で、なおかつ卑屈に見えないよう気を付けながら、フェネラルの傍へ近づいていった。

「……フェネラル先生、このあたりでやめておきませんか?」

 まずは軽く様子を窺ってみる。また攻撃を仕掛けてくる可能性を考慮して、全身のバネをためておくことは忘れない。だが、彼から攻撃を仕掛けてくる気配は感じられなかった。

「貴様、この稀代の大魔術師(マジシャン)フェネラル・サーズマンを愚弄する気か……!」

 とはいえ、これで手打ちにするにはフェネラルのプライドは高すぎたようだ。そこで、俺は一計を案じた。失敗したらしたでいいや。この距離なら、魔法より先に殴りつける事はできる。

「愚弄する気なんてありませんよ。むしろあのように多種多様な魔法を使いこなすその技術は、さすがフェネラル先生だと感動していたところです」

「貴様、何を……?」

 俺の突然の豹変ぶりに、フェネラルは混乱しているようだった。それはそうだろう、さっきまで命の取り合いをしていた相手が、突然自分を褒め讃え始めたのだ。それを平然と受け入れる人間なんて、よっぽどおめでたい頭の持ち主くらいなものだ。

「そんなフェネラル先生を相手に隠し事をするなど、やはり私どもには難しいと痛感致しました。ですので、先生には特別に私どもの正体をお伝えしておこうと思います」

「正体だと? 貴様たちはいったい……?」

 よし、かかった。俺は内心でそうほくそ笑むと、いつもの笑顔を貼り付けて言葉を続けた。

「実は、私たちは王国の密命を受けて活動している身なのです。何しろ密命ですから、王都で活動するために別の顔を持たなければならないという訳でして」

 もちろんそんな事実は一ミリもない。だが、俺の魔力変換特技スキルによる魔法攻撃の弱体化や、何より少女の放った極大の雷は、そんな出まかせを信じさせるに足るインパクトを持っているはずだ。

 あれだけの力を持っている人間なら、わざわざ魔法理論の実証に魔術師マジシャンを頼る必要などないのだから。

 フェネラルも同じことに思い至ったのか、何やら一人で頷いている。まさか、彼女の魔術師マジシャンとしての能力が今開花したばかりだとは思うまい。

「それにしても、さすがはフェネラル先生ですね。これだけ手傷を負ったのは初めてですよ」

 もうひと押しだ。そう判断した俺は、フェネラルを褒めまくった。人間、自分をヨイショしてくれる人間には甘くなる。まして、元々自尊心の高い人間なら尚のことだ。

 おだてられて嬉しかったのか、フェネラルの頬が目に見えて弛んでいる。

「まあ、ワシ相手では仕方なかろうて。君たちも若いのにいい腕をしておるよ」

「フェネラル先生にお褒め頂き恐縮です。……そして我が儘を申し上げますが、先生に不遜な態度をとってしまったことをお許しください。
 一般市民のフリをしなければならなかったこともありますが、彼女は仕事仲間であると同時に私の恋人でもあるものですから、さすがに自制が効きませんで……。若さゆえの過ちとしてご寛恕くださいますと幸いです」

 俺の言葉に、隣で黙って聞いていた少女の顔がさっと赤くなるが、ここは許してもらおう。他に整合性のある理屈が思い浮かばなかったのだからしょうがない。

「……う、うむ。まあ何だ、ワシも少し馴れ馴れしかったかもしれんな。美しい女子おなごゆえ、つい調子に乗ってしまったようだ」

 さすがにセクハラの自覚はあったようだ。気まずくなったのだろう、意外なほどあっさりとフェネラルは非を認めた。まあ、相手が美人だからって、それは免罪符にはならないけどな。

「ありがとうございます、フェネラル先生の寛大なお心に感謝します」

 そう言って頭を下げると、フェネラルは満更でもなさそうだった。

「それともう一点、聡明なるフェネラル先生なら申し上げるまでもない事とは存じますが、くれぐれも私たちの事を他の人間に口外されませぬよう。私どもも密命を受けている身、表に出ると何かと面倒なことになってしまいます」

 俺のそんな出まかせに、フェネラルは大きく頷いた。何もかも分かっているぞ、という風情でいるフェネラルが面白くてしょうがないが、なんとか神妙な面持ちを維持する。

「うむ、当然のことだな。安心したまえ。私がそのような浅はかなことをするはずはない。……さて、ワシはそろそろ失礼するとしよう」

 そう言うと、フェネラルは身を翻した。やや性急な感はあるが、おそらく彼の心中は混乱しているのだろう。早いところ見知った場所で一息つきたいはずだ。

 そんなことを考えながら、俺は『稀代の大魔術師(マジシャン)フェネラル・サーズマン』が去っていくのを見送ったのだった。






「……カナメさん」

 フェネラルの姿が完全に見えなくなったタイミングで、俺は不意に名前を呼ばれた。もちろん、今ここで俺の名前を呼べるのは一人しかいない。

 ……あれ? なんで俺の名前を知ってるんだ?

 そんな疑問が表に出ていたのだろう。少女は口元に手を当てると、可笑しそうにくすくすと笑った。

「やっぱりそうだったんですね。まさか、あなたがカナメさんだったなんて思ってもみませんでした。……ふふっ」

 なおも笑い続ける少女に、俺は目をぱちくりさせるのが精いっぱいだった。

「まだ名乗っていませんでしたよね? 私はミルティ。ミルティ・フォアハルトです。クーちゃん……いえ、クルネからカナメさんの事はお伺いしていました」

「ミルティ……あ」

 それはクルネの幼馴染で、王都の情報収集に協力してくれた子の名前ではなかったか。それなら、転職ジョブチェンジ能力を持つ人間の話を知っていてもおかしくないし、俺の名前を知っているのも当然だった。

「貴女がミルティさんでしたか。その節は本当にお世話になりました。おかげさまで、この王都へ来る決断をすることができましたよ」

 俺は心からお礼を言った。彼女の情報がなければ、今も辺境で右往左往していた可能性は高かった。

「それに――」

 そう言いかけて、俺は視界が暗くなるのを感じた。しまった、そういえば全身傷だらけの血塗れなんだっけか。アドレナリンのおかげか慣れなのか、多少は余裕があるように思えていたが、思ったよりも深刻なダメージを受けていたようだった。

「か、カナメさん!? しっかりしてください!今すぐお医者さんを……」

 呼んでくる、と続けようとしたミルティを、俺は首を振って止めた。全身の痛みや倦怠感と戦いながら、俺は自分を転職ジョブチェンジさせる。

大治癒キュア

 固有職ジョブの力が宿った瞬間に、俺は回復魔法を使った。俺の基礎体力が大したことない為か、それだけで負傷が完全回復した。魔力はごっそり持って行かれたけど、どうせ十秒しか使えない力だ。出し惜しみしても仕方ないだろう。

 次いで、俺は目を丸くしているミルティに治癒ヒールを唱えた。みるみるうちに彼女の傷がふさがり、健康的な白い肌が再生する。

「あの、これってカナメさんが……?」

 ミルティは驚いた様子で怪我のあった箇所を確認していた。色々と服が破れてしまっているので、あまり視線を向けるわけにはいかないが、治癒魔法はうまくいったようだった。

「十秒だけなら、私自身も転職ジョブチェンジすることができるんです。その代わり、その後半日くらいは転職ジョブチェンジ能力そのものが使えなくなりますけどね」

 俺は、もうすっかり説明し慣れた転職ジョブチェンジ能力の制限事項を語った。

「あら? じゃあ、最初の風裂球ゲイルオーブを受けた時に転職ジョブチェンジしていれば、ここまでダメージを受けずにすんだのでは……?」

 そう言って、ミルティは頬に手を当てたまま小首を傾げた。柔らかそうな髪がふわりと揺れる。

「先に転職ジョブチェンジの力を使ってしまうと、貴女を転職ジョブチェンジさせることができなくなってしまいますからね。先に貴女を戦力にしておきたかったんです」

 それに彼女の事だ、もし俺が単独で転職ジョブチェンジしてフェネラルを倒した場合、その後に起こるであろう魔術師マジシャン不在問題が気になるだろう。

 彼女自身が魔術師マジシャンとなればその辺の問題も一気に解決するわけだが、どんなに俺が正体を明かして説明したとしても、実際に転職ジョブチェンジできるようになるまでの半日間、彼女は魔法研究所に対する罪悪感に苛まれていたはずだ。

「そうだったんですか。じゃあ、あの最後に言っていた王国の密命というのは……?」

「もちろん大嘘です」

 俺は小声で、だがはっきりと答えた。

「ここで禍根を残してもろくな事がありませんからね。フェネラル先生が単独で復讐しにくるならいざ知らず、お仲間の固有職ジョブ持ちを抱き込んできたり、どこかの貴族あたりに頼み込んでこっちを潰しにこられると対処が難しくなります。
 魔法研究所だって、あの先生以外にまでボイコットされると大変でしょう?」

「そこまで考えて……」

 説明するとミルティは感心したようだった。ビビりといえばそこまでだけど、敵を作らないのが一番だからなぁ。シュミットについても、今回みたいに上手くことが運べばいいのに。

「ところでカナメさん、成り行きで魔術師マジシャン転職ジョブチェンジさせてもらっちゃいましたけど、対価はどうお支払いさせてもらったらいいですか?」

「あー……」

 そうだった。あれよあれよという間に転職ジョブチェンジさせなきゃならない場面になっちゃったから、その話を全然してなかったな。

「うーん……。勝手に転職ジョブチェンジさせておいて、お代を徴収するのもどうかと思うんですよねぇ」

「そんなことありません! クーちゃんの手紙でカナメさんの能力を知った時から、誰か魔法研究所の人間が魔術師マジシャンになれたらいいなって思っていたんです。
 その時は魔法研究所の皆からお金を出してもらうつもりでしたし、遠慮はしないでください」

 ミルティに引くつもりはないらしい。俺だってお金をもらえるのは嬉しい限りだが、以前に情報収集を担ってくれたことや、同じ辺境の仲間意識もある。それに、お金をもらってしまったらクルネに怒られるような気がするしな。

「じゃあ、こういうのはどうですか? もし私がミルティの協力を必要としている時には、力を貸してくれることを約束してください。
 私には大した戦闘力がありませんからね。魔術にも興味がありますし、協力を依頼するシーンは多いと思いますよ。それにもう一つ、調べ物でお願いしたいことがあります」

 俺はそんな内容で手を打つことにした。ミルティはそれでも不満そうだったが、無理強いするのは本末転倒だと思ったらしく、最後は笑顔で了解してくれた。

「……じゃあ、せめてその血塗れになった服の代わりくらいは私に買わせてくださいね? 私を庇ってくれた結果ですし」

 なぜかミルティは嬉しそうだった。そんな彼女の表情を見ると、なんだか断るのも悪い気がしてくる。俺はその提案を了承すると、ボロボロになった上着を彼女に差し出した。

「血だらけで申し訳ありませんが、もしよければ使いますか?」

「え……?」

 ミルティは首を傾げながら差し出した上着を受け取る。

 ……彼女が自分の服の惨状に気付いたのは、その直後だった。
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