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転職の神殿を開きました 作者:土鍋

転職の神殿を開きました

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「あ、カナメ君……!」

 『名もなき神』が示した刻限が迫ってきた頃。魔法研究所の敷地に入ると、聞き慣れた声に呼び止められた。

「ミュスカ、やっぱりここにいたのか」

 それが目的の人物であることを確認して、俺は笑顔を浮かべた。それにつられるように、ミュスカも笑みを返す。

「ミルティから、今日はここに来る予定だって聞いてたからな。ほら、さすがに教会には顔を出しにくいし」

 そう言って肩をすくめる。もはやクルシス神と一緒くたにされている部分もあるせいで、下手に教会に乗り込んでいったら道場破りに思われかねない。

「カナメ君、わたしに会いに……?」

「そうなんだ。ミュスカ、結界師バリアメイカーの……ブレイズさんだっけ、彼の調子はどうだ?」

 それは、今度の戦いに備えてスカウトした人材の一人だった。障壁魔法に特化した特殊魔法職である結界師バリアメイカー。あの無数のモンスターから辺境を防衛する上で、喉から手が出るほど欲しかった人材だ。

 そして、障壁魔法ならミュスカだろうと言うことで、転職ジョブチェンジしたての結界師バリアメイカーに対して、彼女が魔法を教えることになっていたのだ。

「……そうですか」

 ミュスカの笑顔が固まった。だが、すぐに頭を振ると、彼女は庭で精神集中をしている男性に視線を向ける。

「ブレイズさんは凄いです……上級職のわたしと同じくらい、大きな障壁が作れます」

「それは凄いな……さすが特殊職と言うべきか」

「ミルティさんにも、充分な戦力になるって言われました……!」

 そう言うミュスカは少し得意げだった。自分の弟子が評価されて嬉しかったのだろう。……ミュスカが師匠とか先生とか呼ばれるイメージはさっぱり湧かないが。

「そうか、ミュスカの指導がよかったんだろうな。頑張ったな」

「はい……!」

 珍しいことに、ミュスカは謙遜せず満面の笑顔で応じた。そのことに気付いてこちらまで嬉しくなる。そして、俺は本題に入った。

「それで……ブレイズさんは、途中でふっと魔力が切れるだとか、そんなことはなかったか?」

 そう尋ねると、ミュスカは不思議そうに首を傾げて考え込む。

「なかったと思います……もちろん、魔法の使い過ぎで、魔力がなくなったことはありましたけど……」

 その言葉に俺は安堵する。彼の資質を視ても、たしかに結界師バリアメイカー固有職ジョブが宿っていた。

 実は、彼の結界師バリアメイカーとしての資質はまだ開花していない。あくまで資質の欠片があっただけだ。

 だが、非常に重要な固有職ジョブだったことと、魔法職は転職ジョブチェンジ直後は一つか二つの魔法しか使えないことから、彼は修行のため、特別措置として資質を超えた転職ジョブチェンジをしていたのだ。

 ただ、その割に俺の負担はほとんどなく、なんだか意識に引っ掛かりがあるな、程度にしか思えなかったため、ひょっとして固有職ジョブが『村人』に戻っているのではないかと心配していたのだった。

「そうか、それならよかった」

 これで懸案事項が一つ片付いたな。ということは、やっぱり神気が強化されたことによる負担の軽減と考えてよさそうだ。明るい見通しに、自然と笑顔が浮かぶ。

 すると、ミュスカがこちらを心配そうな眼差しで見つめていることに気付いた。

「ミュスカ、どうかしたのか?」

「カナメ君……あの、『名もなき神』が来るまで、あと三日です……」

「そうだな、奴が約束を守るなら、だが」

 とは言え、これまで何も動きがないのだ。今更、一日や二日だけ予定を早めるとは思えなかった。

「『名もなき神』と戦うんですよね……? その、カナメ君は戦闘系の固有職ジョブじゃないから、心配です……」

 その言葉で、俺はようやくミュスカの表情の意味を悟った。なんだか感覚が麻痺してきているが、もう直前なんだよな。

「ありがとう、ミュスカ。でも大丈夫だ。なんせ、これでもかと言うくらい魔法衣や魔道具をもらったからな。他にも手はあるし、なんとかするさ」

「はい……」

 頷きながらも、ミュスカの表情は晴れないままだった。彼女はじっとこちらを見上げたまま、沈黙する。

「あの、カナメ君……?」

「ん?」

 ようやく口を開いたミュスカだったが、そこで再び動きが止まる。そして、さらに時が流れて……彼女は、何かを振り払うように首を振った。

「……ちゃんと、帰ってきてくださいね。そうしたら、どんな状態になっていてもわたしが治しますから……」

「ああ……ありがとう」

 俺は真剣な顔でミュスカに頷きを返すと、魔法研究所の建物へと向かった。






「――お疲れさま。カナメさん、もういいわよ」

 その言葉を聞いて、俺は触れていた特級危険物から手を離した。専用の台に安置されたそれが動かないことを確認すると、軽く息を吐き出す。

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。もうだいぶ性質が変わっているから、この街が吹き飛ぶようなことはないわ」

「それならいいんだが……」

 俺は改めて台の上を見る。そこに輝いているのは、ミルティの腕輪に取り付けられているのとは比べ物にならないくらいの巨大な竜玉だ。
 下手に扱えば、この街どころか辺境が吹き飛ぶ。そんな危険物を前にしては、なかなか平常心を持てるものではない。

「マイセンさんとミレニア司祭も、明日には最終チェックをしてくれるそうよ」

 この竜玉に絡んでいる面々の名前を挙げて、ミルティは安心させるように微笑んだ。

「私が『魔神』の固有職ジョブ持ちとしてするべきことも今日で終わったし……間に合ってよかったわ」

 そう言ってミルティは竜玉に視線をやる。

「竜玉が安定するまで、もう少し様子を見る必要がありそうね。……カナメさん、そっちの椅子へどうぞ」

「ああ、ありがとう」

 薦められるまま椅子に腰かけると、ミルティはいつの間にか用意していたお茶を出してくれた。向かいに座ったミルティは、やがて口を開く。

「カナメさん、『名もなき神』への固有職ジョブ対策はどう?」

「少なくとも、手を出せる域にはなってるよ。ただ、こればっかりは実験するわけにはいかないからなぁ……」

「大事件になるし、戦力を減らすことにもなり兼ねないものね」

 憂いを帯びた表情で、ミルティはお茶のカップを持ち上げる。

「……ごめんなさい。そっちのほうも手伝えればよかったのだけれど、結局、カナメさんに全部押し付けてしまったわね」

「それは俺の仕事だし、気にしないでくれ」

 固有職ジョブのことが分かるのは俺だけだからな。ルーシャには相談に乗ってもらったが、彼女は遺跡から離れることはできない。実質的に俺一人の問題だった。

「竜玉やら何やらの件で、ミルティには充分すぎるほど手伝ってもらってるさ。むしろ、何かお礼をしないとまずいと思ってるくらいだ」 

「そう……」

 翳りのある表情で呟くと、ミルティはコトリとカップを机に戻した。

「それじゃ、お礼をもらっていいかしら」

「……え?」

 そう訊き返す間に、ミルティは椅子から立ち上がる。そして机を回り込むと、彼女は俺の隣の椅子に座り直した。

「……カナメさん、手を借りるわね」

 そう言うなり、俺の手を彼女の両掌が包み込む。さらっとした、少しひんやりとした感覚が手から伝わってきた。

「ミルティ?」

 戸惑ってミルティを見るが、彼女の視線は下を向いたままだった。不思議な静けさがしばらく研究室を満たし……やがて、彼女はぽつりと呟く。

「……順番が逆だったら、どうだったのかって。何度もそう思ったわ。王都に留学することもなく、そのままルノール村に留まっていたら。
 ひょっとしたら、私のほうが先にカナメさんと出会っていたかもしれないって。けど――」

 俺の手を包んでいる彼女の両手に、キュッと力が籠もる。相変わらず視線を下げたまま、ミルティは言葉を続けた。

「そんなことを考えても、今は変わらないわもの。……それに、ミスティム公国でクーちゃんが『名もなき神』からカナメさんを庇った時に、私は何もできなかった。
 クーちゃんは戦士職だから、私とは身体の反応速度が違う。そう考えることはできたわ。……でも、私は動こうともしなかった」

「それは――」

「それに、分かっているもの。カナメさんは超然としているところがあるけれど……もし選ぶことになれば、躊躇わないでしょう?」

 そして、ミルティは小さく首を横に振った。

「だから……私が求められるのは、この距離まで」

「……」

 なんと言っていいか分からず、俺はただその場に座していただけだった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。やがて、下を向いていた彼女の視線が俺へと戻る。そして同時に、彼女は弱々しい笑顔を浮かべた。

「――なんて、冗談よ。本当は、今の時間を使ってちょっとした魔法をかけていたの。『名もなき神』に対抗できるように、って」

 表情にそぐわない明るい声で説明すると、ミルティは立ち上がり、安置してあった竜玉に近寄る。そして、しばらく力の流れを観察すると、納得したように頷いた。

「こっちも落ち着いてきたわ、もう大丈夫そうね。……カナメさん、付き合ってくれてありがとう。今日の作業はこれで終わりよ」

 そして、彼女は研究室の扉を開けた。いつもより性急な動きだったが、俺はミルティに続いて部屋を出る。

「私は来客の予定があるから、ここで失礼するわね。外まで見送れなくてごめんなさい。クーちゃんがエントランスにいるはずだから……」

 そう説明すると、彼女は慌ただしく身を翻した。

「……ミルティ、ありがとう」

 歩き去るミルティの背中に向けて、感謝の言葉を口にする。そして、俺はエントランスへと歩き出した。






 『名もなき神』の示した刻限まで、あと一日と迫った辺境は、実にバタバタとしていた。いつ魔物の群れが襲来しても対応できるようにしつつ、明日に備えて英気を養う。そんな矛盾した命題に各自が立ち向かっていた。

 そして俺はと言えば、朝から辺境を飛び回っていた。

「皆さんの固有職ジョブ資質は、まだ発現途上にあります。ですが、『聖戦』の特技スキルにより、()()()()()()()()宿()()()()

 その言葉に、事情を聞かされていたはずの候補者たちがざわめく。彼らは統督教によって集められた者の中で、固有職ジョブ資質を欠片でも持っていた人材だ。
 神気が強まったせいか、今ではごく僅かな固有職ジョブ資質でも感じ取れるようになっているため、送り込まれた人材の大半は資質持ちとして辺境に残ってもらっていた。

 ちなみに、『聖戦』の特技スキルというのはただのでまかせで、実際には資質を超えた転職ジョブチェンジを大量に行うという力技だ。後で『村人』に戻しても問題ないようにするため、そんな凄そうなスキルをでっち上げたのだった。

「あの……一時的とはいつまでのことですか?」

 そんな中で、候補者の一人が手を上げる。朴訥そうな青年だが、斧の扱いにかけては右に出る者がないという。

「この戦いが終わるまで、という意味です。戦いが終わり次第、皆さんの固有職ジョブは『村人』に戻ります。……ただし、この戦いの間に固有職ジョブ資質を開花させた方については、そのまま固有職ジョブが残ります」

「おお……!」

「本当に……!?」

 その言葉を聞いて、彼らの表情に興奮の色が混じる。そんな彼らの興奮も冷めやらぬ中で、俺は転職ジョブチェンジの儀式用の祝詞を唱える。

 唐突に始まった儀式だったが、その場の全員が神妙な顔をして黙り込む。そして祝詞が終わると、俺はその場にいる全員を転職ジョブチェンジさせた。

「おおおおお! 本当だ! 本当に戦士ウォリアーになってるぞ!」

「こっちは騎士ナイトです! 身体の感覚が全然違いますね!」

「すごいわ! あんな遠くまで見通せるじゃない!」

 彼らは自らの身体を、そしてステータスプレートを見ては歓声を上げる。魔術師マジシャン系は数が少なかったことと、事前に魔力に慣れておく必要があったため、先に転職ジョブチェンジさせていたが、やはり多くの固有職ジョブは戦士系だ。彼らが一斉に歓声を上げる様は、実に壮観だった。

「聞いてはいましたけれど……凄まじい力ですわね」

 その様子を眺めていると、俺の視界にアデリーナが現れる。ここシアニス村に配備された人間は、シアニス港をはじめとして、辺境南部の重要拠点を防衛する戦力となる予定だった。

「なんせ、クルシス神の奇跡だからな」

 そう言って俺はニヤリと笑う。正直なところ、一般職レベルであれば、資質を超えた転職ジョブチェンジは負担というほどではない。ただ、上級職については多少負担がかかっているのだが……。

「それでは、わたくしの固有職ジョブが変わったのも奇跡のうちですの?」

「……やっぱり気付いたか」

「気付いたか、じゃありませんわ! 彼らと一緒に、わたくしまで転職ジョブチェンジの感覚に襲われてびっくりしましたわよ」

「えっ!? アデリーナさんも転職ジョブチェンジしたの!?」

 そんな会話をしていると、興味津々と言った様子でクルネが混ざってくる。そのクルネに、アデリーナは自分のステータスプレートを提示する。

魔導卿マジックロード……!? こんな固有職ジョブがあるの?」

魔法剣士マジックナイト魔槍戦士マジックランサーの上級職だな。武器種の限定はないはずだが……」

「たしかに、槍を持っても違和感はありませんわね」

 そう言って彼女が振り回しているのは、フェイム謹製の魔槍だ。下手に当たればそれだけで死にかねないな。

 俺が少し距離を取ると、アデリーナは不服そうに頬を膨らませた。

「心配しなくても、カナメさんに当てるようなミスはしませんわ」

 そんな会話をひとしきり交わした後、アデリーナは真面目な表情で頭を下げる。

「カナメさん、南部の防衛はわたくしに任せてくださいまし。近くの村の人々をシアニス村に集めましたから、そう防衛線を薄くすることもありませんわ。ですから……カナメさんもお気をつけて」

 その言葉に、俺は笑顔で頷く。

「ああ。また、みんなで上位竜狩りにでも行こうぜ」

「それはごめん被りますわ……」

 そんな会話を最後に、俺たちはシアニス村を後にしたのだった。






 気が付けば、もう夜になっていた。辺境中を駆け回り、転職ジョブチェンジさせ、ついでにみんなを鼓舞する。とても慌ただしい一日だった。

 これで明日『名もなき神』が来なければ見事なくたびれ損だが、二重スパイの情報ではやはり明日『名もなき神』が姿を現すとのことだったし、俺もそんな予感がしていた。
 奴は酷薄だが、プライドも高い。自分で言い出した期日を曲げることはしたくないはずだった。

 神殿のみんなへの話も終えて、神殿長代理としての今日の職務を完遂した俺は、まずキャロの寝床を整える。食事はクルネとすませてきたため、後は寝るだけだ。

「問題は、今日寝られるかどうかだなぁ……」

 自分の小心者っぷりはよく分かっている。悪い想像ばかりを繰り返して、一睡もできない可能性はあった。

「キュゥゥ……」

 そんな俺とは対称的に、もはやウトウトしているキャロを抱き上げると、整えた寝床にそっと置く。すると、キャロはものの数秒で眠りについた。

 俺はしばらくキャロを撫で続けて自分の心を落ち着かせると、そっとその場から離れる。

 コンコン、とノックの音が聞こえたのはその時だった。

「カナメ、こんな時間にごめんね。その、入ってもいい……?」

 来客は、少し前に別れたばかりのクルネだった。俺が頷くと、彼女はどこか慌てた様子で扉を閉める。そして、寝床で丸くなっているキャロを見て穏やかな笑みを浮かべた。

「あ、キャロちゃんはもう寝ちゃったんだ」

「ああ、帰って来るなり寝たぞ。もしキャロを撫でに来たんだったら悪かったな。……あ、適当に座ってくれ」

「……ありがとう、そうするね」

 そう答えたクルネは、リビングを通り過ぎて寝室の椅子に腰かけた。それに付き合って、俺は自分のベッドに座る。視線が合うと、クルネは慌てた様子で口を開いた。

「カナメ、身体のほうは大丈夫なの? ……ほら、今日はだいぶ転職ジョブチェンジさせてるし」

「そうだな……この程度なら、維持してもクルシス神に乗っ取られることはないと思う。統督教の宣伝工作のおかげだな」

 それは強がりではなく、本当のことだった。万有素子の性質上、クルシス神としての構成要素も強まっているのだろうが、同時に俺の転職ジョブチェンジ能力も強化されているようで、神級職をまとめて転職(ジョブチェンジ)することでもない限り、俺の意識が飛ぶことはなかった。

「まあ、明日はクルネとラウルスさんを転職ジョブチェンジさせるつもりだからな。戦況によっては三人目を考えるかもしれないが、そうなると自我を保てる自信はないな」

 正直なところを伝えると、クルネの表情が曇った。それを見て、余計なことを言ったと反省する。

「カナメにばかり辛い思いをさせて、ごめんね」

「それを言うなら、クルネだって剣神に転職ジョブチェンジするたびに侵食されてるだろう? お互い様だ」

 そう答えると、クルネは静かに首を横に振った。

「侵食だけの話じゃないわ。今回だって、カナメは『名もなき神』のせいで辛い目にあって……でも、私は隣で見ていただけだったもの」

「そんなことはない。あの時、クルネに励ましてもらったおかげで、俺はこうして堂々としていられるんだ。そうじゃなければ、今頃は縄で縛られて『名もなき神』への供物になっていたかもしれない」

 俺はあの日のことを思い出す。クルネが涙ながらに諭してくれなかったら、自暴自棄になっていた可能性は高かった。

「だから、クルネには感謝してる。……それだけじゃなくて、出会った時からずっと、クルネには助けられてばっかりだ」

 それはお世辞でもなんでもない、心からの言葉だ。それが伝わったのか、クルネは柔らかな笑みを浮かべる。

「今だから言うけど……もしカナメが生贄にされそうだったら、一緒に逃げるつもりだったの。大陸の端っことか、海を越えて別の大陸に。そしたら、さすがに追いかけて来ないかな、って」

「それは心強いな。……けど、それじゃクルネが辛いだろう。俺はこの世界の生まれじゃないからいいが、クルネを巻き込むのは申し訳ないからな」

 そんなことになっても、せめてクルネには幸せになってほしい。そう答えると、なぜかクルネの雰囲気が変わった。

「……カナメって、時々そういうことを言うよね」

「え?」

 彼女の調子が突然切り替わったことに対応できず、俺は聞き返すことで精一杯だった。

「そうやって一人で先へ行って……私は置いて行かれて……」

 クルネはしばらく沈黙した後、俯き加減で小さく呟く。

「……カナメがいないと嫌なの」

 それは小さな声だったが、はっきりと聞こえた。彼女は顔を真っ赤にしながらも、顔を上げて俺を見つめる。

「私は……カナメとずっと一緒にいたい。たとえ護衛じゃなくても、ずっと隣にいたい」

 クルネはぎこちない様子で椅子から立ち上がると、俺のすぐ傍に腰かけた。あまりに密着したため、二人の肩や腰が触れ合う。二人分の体重がかかり、ベッドが軽く軋んだ。

 そして、クルネは俺の左腕を抱きしめるように抱え込む。俺の肩口に顔を埋めているため、その表情は見えない。

 だが、その耳は真っ赤になっていたし、小さく震えてもいた。

「クルネ……?」

 そう呼びかけると、クルネはびくりと身を震わせた。クルネが俺の腕を抱きしめるように保持しているため、そこから彼女のぬくもりと柔らかさが伝わってくる。
 それに、この香りは香水だろうか。普段の彼女からは感じない甘い香りが、うっすらと漂っていた。

 それらをできるだけ意識しないように注意しながら、俺はクルネを見つめる。

「カナメ……」

 やがて、俺の肩口に顔を埋めていたクルネは、恥ずかしそうに顔を上げる。その整った顔立ちは出会った頃より大人びていて、新しい彼女の魅力を作り出していた。

 上気した頬は、普段の彼女とは異なる色気を醸し出していたし、すらっとした首から胸元にかけてのラインはとても綺麗で、つい目を奪われそうになる。そんな、普段は意識しない彼女の身体の細部にまで目がいってしまい、俺は慌てて目を逸らした。

 ――珍しく寝室を選んだクルネが、顔を真っ赤にしながらも俺に密着している。しかも、彼女は俺の腕を強く抱きしめているし、その瞳は潤んでいる。

 それらの事実を認識した途端、心臓の鼓動が激しくなる。おそらく、今の俺の顔はクルネに負けず劣らずの色合いになっていることだろう。

 神子なんて呼ばれているが、俺は聖人君子でもなんでもない。この状況下では、そういうことを意識せざるを得なかった。

 理性を総動員させていると、クルネは俺の腕から少しずつ手をずらし、ゆっくりと俺の身体に手を回しはじめた。彼女と触れ合う面積が、少しずつ大きくなっていく。

 そのゆっくりした速度は、クルネの羞恥心との戦いでもあるのだろう。時折伝わってくる震えが、そのことを示していた。

 どうすればいい。ずっとごまかしていたが、俺だってクルネの好意には気付いている。

 ならば問題ないだろうと、何者かが耳元で囁く。それは、この上ないほど魅力的な提案だった。

 ……だが。

 名残惜しい気持ちを堪えてクルネの腕を振りほどくと、俺は彼女の肩を掴んで距離をとった。

「あ……」

 その行動にショックを受けたのか、呆然としている彼女に向かって話しかける。

「クルネ……その、なんと言うか……」

 俺の思いをどう告げたものだろうか。そう悩んでいると、クルネはぱっと弾かれたように立ち上がった。

「カナメ……そうだよね、私の勘違い……思い上がりだよね。嫌な思いをさせてごめんね……」

 つう、とクルネの双眸から涙が零れる。そして寝室を飛び出した彼女を、俺は慌てて追いかけた。

「クルネ!」

 鍵をかけていたのが幸いして、俺は開錠に手間取るクルネに追いついた。そして――今にも扉を開けようとしていた彼女を、後ろから抱きしめる。

「カ、カナメ……!?」

 突然のことに狼狽したのか、クルネが慌てたように身を捻じる。剣匠ソードマスターの身体能力で振り回された俺は、手は離さなかったものの、壁に叩きつけられて盛大に咳き込んだ。

「あ……だ、大丈夫!?」

 そのことに動揺したクルネだったが、俺は手を離さず彼女を抱きしめ続ける。彼女が腕を振りほどこうとする気配はなかった。

 静寂の中で、自分の心臓の音だけが聞こえる。背中越しのせいか、クルネの心臓の動きはかすかにしか感じられない。そのことを残念に思いながら、俺は彼女に話しかけた。

「クルネ、すまなかった。その……一つだけ信じて欲しいんだ。俺はこの世界で一番クルネを信頼しているし、それに……」

 俺は言いよどむ。だが、今更逃げるわけにはいかなかった。

「もし人生の伴侶を選ぶなら、クルネしかいないと思ってる」

「……っ!」

 その瞬間、クルネが息を呑んだ。

「でも、それは俺に資格があればの話だ。俺はこの世界の人間じゃない上に、クルシス神の侵食も激しい。『名もなき神』に狙われてもいる。
 こんな状態で……そういう関係になるのは、クルネのためにならないと思う」

 そう言い終えると、俺たちの間に再び沈黙が訪れた。緊張と高揚、そして不安と心地よさを含んだ時間が、ゆっくりと流れる。

「カナメ、ありがとう。……その、嬉しかった」

 そう言って、クルネは俺の両腕に手を添えた。

「……私ね、怖かったの。『名もなき神』との戦いで、カナメがどこかへ行ってしまうんじゃないかって。クルシス神に乗っ取られるとか、異世界に帰っちゃうとか、そう考え出したら止まらなくて……」

「そんなこと――」

「だから、私がカナメと……その、そういう関係になれば、ちゃんと帰ってきてくれるんじゃないかって……」

 後ろからでも分かるほど、クルネは羞恥で赤くなっていた。そんな彼女が愛しくなって、俺は少しだけ腕に力をこめる。

「ん……」

 やがて、クルネは俺の腕の中で身体を回転させた。そして至近距離で向き合うと、まるで咲き誇る花のように華やかな、それでいて凛とした笑顔を浮かべる。

「私はもう大丈夫だから。必ずカナメを守って、『名もなき神』を一緒に倒すから」

 そう告げてから、クルネは名残惜しそうに身体を離した。

「ああ……クルネ、気を付けてな」

 扉を開けたクルネに、そう声をかける。剣匠ソードマスターに言うべき言葉ではないだろうが、どうしてもそう言いたかった。

「うん、ありがとう。……それじゃ、また明日ね」

 別れの言葉とともに、クルネは背中を向ける。

 彼女の姿が見えなくなるまで、俺はその後ろ姿を見送っていた。






 クルネの姿が見えなくなり、部屋に戻った俺は、リビングの椅子に座ったままぼうっと天井を見上げていた。あんなことがあった後だ。寝室に戻るのはなんだか気恥ずかしかった。

 ちらりとキャロを見ると、相変わらず熟睡している。いつもならつられて眠くなるのだが、明日のことやらで緊張しているのだろう。眠れる気はしなかった。

 そんな時だった。ゴンゴン、と再び部屋がノックされた。相手がクルネでないことは、扉の叩き方で分かるが、さすがに誰のものかまでは分からない。

 俺は覗き窓からこっそり外を窺い、訪問者を確認する。……そして、苦笑を浮かべた。

「……三人とも、こんな時間にどうしたんだ?」

 そう言いながら扉を開ける。そこに立っていたのは、コルネリオ、リカルド、クリストフの三人だった。彼らは俺の顔を見るなり、一斉に口を開く。

「よお、ヘタレ」

「やあ、ヘタレ神子」

「今回は、さすがにヘタレと呼んでも差し支えないんじゃないかな」

「……は?」

 いきなりのヘタレ三連唱に、俺は目を瞬かせた。

 その隙にと、彼らは連れだって部屋に入ってくる。コルネリオが持っているのは酒瓶だろうか。俺がその手に視線を向けると、コルネリオは嬉しそうに持ち物を掲げた。

「ごっついええ酒やで。度数は低いけど旨みの塊や。明日のこと考えたら、強い酒はあかんやろうからな」

 そう言って、俺の棚から勝手にグラスを四つ持ち出す。そして、その四つに秘蔵らしき酒を注ぐと、俺たちの前に一つずつ置いた。

 ひょっとして、俺を励ましてくれるつもりだったのだろうか。そんな彼らの気遣いに感謝して、俺はグラスを手に持つ。

「ほんなら……カナメの想像以上のヘタレっぷりに乾杯!」

「「乾杯!」」

「なんでだよ! そんな音頭があるか!」

 ……感謝した俺が馬鹿だったかもしれない。そう思いながらグラスに口をつける。

「なんでも何も、考えてもみいや。決戦前夜やで? 生きて帰ることができるか分からない戦いを明日に控えて、燃え上がる男女の愛! 普通こうなるやろ!? なんでクルネちゃんを帰してしもうたんや!?」

「お前、見張ってたのか……」

 ゴシップ好きにも程がある。そう言おうとすると、リカルドが口を挟んだ。

「もちろん、中の様子を窺ったりはしてないさ。ただ、誰もカナメの家を訪れなければ、こうやって乗り込む。そうでなければ、それをネタにして僕たちだけで飲む。そう言う予定だったんだ」

 悪びれずに語るリカルドを見ていると、なんだか怒る気が失せたな。どうせ発案はコルネリオだろうが……。

「けど、カナメ。真面目な話、なんであっさり返したんや? てっきり朝までコースやと思っとったで」

 コルネリオの言葉にリカルドは頷く。

「たしかに。クルネさんは剣匠ソードマスターだ。僕らが潜んでいることくらい気付いていたはずさ。それでも敢えて君の家を訪れたんだから、よっぽどの覚悟があったのだろう」

「コルネリオ君、カナメ君は神官だし、そういうことには慎み深いんじゃないのかい?」

 コルネリオの言葉に、クリストフが口を挟む。だが、コルネリオはそれを一蹴した。

「クリストフはん、カナメはとんでもない奴なんやで? アニスちゃんの兄として、ちゃんと気いつけなあかん」

「うーん……僕はコルネリオ君のほうが怖いくらいだよ」

「なんでや!?」

 そんなやり取りを経て、少し真面目な空気が流れる。どうやら、コルネリオは真剣に訊いているようだった。

 ひょっとしたら、最後になるかもしれないしな。そんな縁起でもない考えとともに、俺は寝室に視線をやった。

「理由は幾つかあるが……まず一つ目は、クルシス神の侵食が激しいことだ。正直なところ、明日の戦いによってはクルシス神の人格が強くなって、俺の自我が消えるかもしれない。それくらいなら、傷は浅いほうがいいかと思った」

 とは言え、もうその段階は越えてしまった。なんとか自我を失わないようにしたいものだが……。

「カナメ君……聞いてはいたけど、そこまで侵食が激しいのかい?」

「今は大したことはないが……明日はクルシス神の力をだいぶ使う予定だからな。さすがに自信はない」

「途方もない話だね……神の降臨を実に迷惑そうに言うあたりは、いかにもカナメらしいが」

「違いないわ」

 その言葉に笑い声が上がる。その笑いが止んだ頃合いで、俺はもう一つの理由を口にする。

「もう一つの理由は……俺はこの世界の人間じゃないということだ。だから、俺との間に子供はできないかもしれないし、下手をすれば彼女の身体に重大な悪影響を及ぼすかもしれない」

「なるほど……それは考え付かなかったな。カナメがその段階まで踏み込んだ場合のことを考えているとは思わなかったが、たしかに……。
 けど、それでもいいから、と彼女は思っていたかもしれないよ?」

「そうかもしれない。……だから、これは俺の意地なんだと思う」

「君は不思議なところで意地を張るからね」

 リカルドは納得したように頷く。だが、他の二人はなぜか不思議なものを見るような目で俺を見ていた。その理由に、俺は一拍遅れて気付いた。

「カナメ君……この世界の人間じゃないって、なんのことだい?」

「しかも、リカルドも当然のように受け入れとったで」

 しまったな、うっかりしていた。……とは言え、この二人ならバレても別にいいか。そう判断すると口を開く。

「そうだな……信じるかどうかは自由だが――」

 そう前置きをして、俺は事の経緯を簡単に説明する。話を聞いている間の二人の表情は見物だったが、どうやら一応信じてくれたようだった。

「まさかすぎる展開やな……けどまあ、それくらいぶっ飛んでるほうが、カナメの生まれとしては納得できるかもしれんわ」

「本当にね……まさか、今日と言う日にそんな真実を明かされるとは思っていなかったよ」

 二人は口々に感想を呟く。

「しかし、なるほどなぁ……それやったら、綺麗どころがようさんおるのに、全然手え出さへん理由が少し分かるかもしれん」

「……当初は向こうの世界に戻るつもりだったからな。下手に感情移入すると別れが辛くなるから、できるだけそう言うことは考えないようにしてたんだ」

 この世界で生きると決めてからはその障壁もなくなったわけだが、どこかで「異世界だから」という意識が小さな溝を作っていた自覚はあった。だが、そんな意識も変わりつつある。

 そんなことを考えていると、コルネリオは朗らかに笑った。

「けどまあ、今後はこっちで暮らしていくんやろ? そんな難しゅう考えることないで。俺らと一緒に歳くって、仲良うじーさんになろうや」

「あはは、身も蓋もないまとめ方だね。……でも、その通りだ」

「ああ、悪くないと思う」

 その言葉に、クリストフとリカルドも同意する。

「……そうだな。それじゃ、みんなで年寄りの茶飲み話をするためにも、明日は頑張るとするか」

 そう笑い合って、俺たちはグラスの中身を飲み干した。


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