十六日目◆絶望
目に飛び込んできた垂れ下がる蔦や食虫植物、耳に飛び込んできた不気味な鳴き声にネイキッドは飛び起きて、何故こんな所に居るのかとパニックを起こした。
そして昨日この密林に来た事を思い出して落ち着きを取り戻したが、全裸な自分に気づいて更に驚く事になった。
「なんでッ!」
顔が真っ赤になって側にあった海パンを慌てて履くと、目覚める直前まで見ていた夢を思い出す。
……スッゲーリアルな夢を見た。聖璃架さんと激しく……
夢の中の蕩けた表情で悶える聖璃架の姿、色っぽく喘ぐ声を反芻して鼻血が出そうになる。
だが横を見た瞬間――鼻血を吹き出した。何故なら聖璃架が生まれたままの姿で眠っていたからだ。
片手で鼻を押さえながら聖璃架に浴衣をかけて、掌を見つめる。
夢じゃない。手に残る聖璃架の柔らかな肌の感触、耳に残る甘い声。それに体の奧から感じた圧倒的な快感。あんなリアルな夢、ある訳ない…………
思って顔から血の気が引く。
――てことはオレは! 聖璃架さんとオーマイゴッド!
頭を抱えてショックを受けて、両手を握り合わせる。
――神よ。オレはとんでもない罪を犯してしまったんでしょうか。
すると起き上がった聖璃架にネイキッドの心臓が跳ねて慌てて背を向ける。
「聖璃架さんっ。浴衣をっ」
「あ……」
全裸である事に動じずもせず聖璃架は浴衣を着た。
「もういいですよ」
「あ、はい……」
ゆっくり振り返るが、ネイキッドは赤い顔を隠すように俯いていた。
「お、おはよーございます……」
「おはようございます」
聖璃架を見られないネイキッドは、額から流れる汗が伝ってぽたぽたと垂れ落ちる。
「あの、ネイクさん。昨夜あたし達……」
切り出した聖璃架にネイキッドはどきんとして赤い顔を上げる。
「いやッ、なんもッ。なんもなかったっすよッ」
「……何も?」
聖璃架にじっと見つめられて、ネイキッドは更に額から脂汗が流れて耐えられなくなって土下座した。
「スイマセンでしたァッ! オレは、オレは聖璃架さんに取り返しのつかねーことをッ。煮るなり焼くなり気の済むよーにしてくださいッ」
「そんな、顔を上げてください。あたし、あの時嫌じゃなかった……」
それを聞いてネイキッドは顔を上げる。
「だから、いいんです」
「聖璃架さん……いやでも一発殴ってください。お願いしますっ」
「そんなのできません」
聖璃架に断られてしまって、正直殴ってもらえたらしてしまった罪は拭えないが少しは気が楽になるとネイキッドは思っていた。
何故こんな事になったのか見当はついている。やはりこの密林の実は軽率に食べるものではないと反省した。
「やあおはよう。ネイク君と……聖璃架ちゃん、だよね?」
研究所を訪れた聖璃架を見るなり、クレスタは瞬きをしながら歩み寄った。
「何か雰囲気変わったね。――もしかして魔女でなくなったとか?」
俯いてしまった聖璃架に、冗談で言ったつもりのクレスタとネイキッドは反応する。
「……まさか図星なのかい?」
「はい……」
「どーしてですかっ!?」
「えっ、君知らなかったのかい?」
聖璃架に尋ねたネイキッドは、クレスタに言われてうっとなる。
「まあ立ち入った事は聞かないよ。それよりこんな朝から来るなんて余程の緊急事態かな?」
「そうなんです。昏睡状態になってしまった方がいて、何かいいお薬がないかと思って」
縋る思いで聖璃架がクレスタに言った。
「昏睡状態ね……それなら気付け薬があるよ。持ってくるから待っていて」
それを聞いて聖璃架とネイキッドの表情が明るくなった。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
気付け薬を受け取って、聖璃架がクレスタに深々とお辞儀した。
「構わないよ。何かあったらすぐにおいで。――それより君達、魅惑の実を食したね?」
クレスタに言われて、聖璃架とネイキッドはきょとんとする。
「体から香りがプンプンするものー。性欲促進、精力絶倫まさに媚薬を作るに相応しい実でね。で、効果は如何ほどだったかな?」
にやにやして言うクレスタに、ネイキッドの顔は真っ赤になった。
「失礼しますっ」
聖璃架の手を引いて一目散に研究所を飛び出していった。
聖璃架とネイキッドが真誠軍の家へ戻ったのは、空が黄色みがかった日暮れ前の頃だった。
一度家に帰ったのであろう、着替えを済ませていたガイアにネイキッドは謝ると「仕方ないよ」と言われて、怒られると思っていたのに拍子抜けした。子供なのに大人びた部分もあって戸惑う時がある。
だが戸惑わされたのは総助の一言だった。
「“人妻”と何もなかったよね」
「いッ?」
思わずぎく、としてしまって由子の目がぎら、と光った気がした。
「あるわけないですよ」
と聖璃架が答えた。
「して、何か薬はあったのかね」
「はい、強力な気つけ薬を頂いてきました。なんでもどんな怪物でも一発で目が覚めるとか」
聖璃架の言葉に勇作は喜ぶ。
「それは素晴らしい。早速トシに」
「はい」
瓶の薬をスプーンに満たして聖璃架は歳朗の僅かに開いた口に流したが、端から零れてしまう。
「あ……」
「そういう場合は口移しで飲ませるのがいいだろう」
勇作に言われて聖璃架は振り向く。
「口移し?」
「間違っても自分が飲むのではないぞ」
「はい」
薬を口に含んで聖璃架は歳朗に唇を重ねた。
ガイアの目を塞いだネイキッドは聖璃架をちら、と見て視線を反らす。
歳朗の喉が動いたのを感じて聖璃架が顔を上げると、歳朗の瞼が僅かに動いてゆっくり開いた。聖璃架の表情が喜びに変わる。
「歳朗さんっ」
聖璃架の目に涙が溜まって歳朗の顔に落ちた。
「……馬鹿、何泣いてんだ」
涙を流す聖璃架を歳朗は抱きしめてやりたかったが、体中痛くて動かせなくて、これ程辛い事はなかった。
外に呼び出された聖璃架は、勇作が深刻な表情で紡いだ言葉に強烈な衝撃を受けた。
信じられなかった。とても辛い事実で、聞いた途端体が震えた。
それでも歳朗の側にいてくれるかと勇作に問われて、そんなの聞かれるまでもない事だった。
自分にはもう歳朗だけだ。歳朗しかいないのだ。何があったって、どんな事があったって一緒にいたい。離れるなんて考えられない。
聖璃架の答えを聞いて、勇作は安心したように微笑むと深くお辞儀した。
「トシを宜しく頼む」
料理を乗せた盆を手にして、聖璃架は歳朗の横に座る。
「歳朗さん、お腹すいてませんか?」
「ああ……」
「お食事、作ったんですけど食べませんか?」
「少し、もらうか」
まだ使い慣れない箸で聖璃架は煮物を歳朗の口に運ぶ。
「どうですか?」
「…………」
歳朗の表情が固まった。
「……おいしくないですか?」
悲しそうに言った聖璃架を見て歳朗はすぐ答える。
「いや、うまい」
「本当ですか? よかったー」
と聖璃架が嬉しそうに言った。
「この煮物、近江さんに教わって作ったんですー。あたし、がんばってもっともっとお料理上手になりますからねっ」
勇作は料理が上手だ。教わったのならどこで味付けを間違ったのだろうと歳朗は思ったが、自分の為に作ってくれた聖璃架が嬉しかった。
「……聖璃架、心配かけたな」
歳朗に言われて聖璃架は首を振る。
「歳朗さん。早くよくなってほしいから、してほしいことあったらなんでも言ってくださいねっ」
「すまねェ、苦労をかけちまって。おまえを世界一幸せにすると誓ったのに」
「あたし幸せです。あっ、こっちのお料理も食べてみてください」
「邪魔するぜ」
歳朗に料理を食べさせていた聖璃架は、上がり込んできたローレルに驚いて器を落としてしまった。
「テメェッ!!」
と歳朗がローレルを睨む。
「いいね〜、愛妻料理はウメェか?」
へらへらと笑いながら言うローレルを聖璃架は睨む。
歳朗をこんな目に遭わせて、笑っているこの男が許せない。こんな奴に怯えていた自分も許せない。
――あたしは負けない。負けるものか。
「帰ってくださいッ」
立ち上がって聖璃架は言い放った。
「お? ど〜したの聖璃架ちゃん怖い顔しちゃって。体の不自由な旦那に代わってお相手してあげる王子サマに言う言葉かな?」
「ふざけないでッ」
急に強気な聖璃架にローレルは驚く。
「……どうしちゃったの聖璃架ちゃ〜ん。人が変わっちゃったみたいよ〜」
「早く帰ってくださいッ」
「聖璃架ちゃんとねっ♪」
「離してッ」
ローレルに掴まれた腕を聖璃架は振り払った。
「あなたなんか、もう怖くないんだからッ」
それを聞いてローレルはかちんとして聖璃架の頬を叩く。
「調子に乗んじゃねぇぞ」
「聖璃架ッ!」
「今度は旦那の前で犯したろうかッ!」
中指を立てて発したローレルの言葉に歳朗が目を見開いた。
ローレルをきっと睨んで聖璃架が叩き返して、歳朗は唖然とする。
「帰って!」
「こんのぉ」
額に青筋を浮かせてローレルは聖璃架を押し倒す。
「ヤア!」
「聖璃架ッ!!」
聖璃架を体で押さえ付けて、ローレルは浴衣の胸元を開いた。
――嫌だ! あたしは負けない。自分の身は自分で護ってみせる。
聖璃架は必死で抵抗した。ローレルが押さえ付けるのが困難なくらいもがいて暴れて叩いて引っかいて。聖璃架の小さな体のどこにそんな力があるのかと思う程で、少し前までは怯えていただけのひ弱な少女が別人になってしまったようで、ローレルは切れるより圧倒されてしまった。
「テメェやめろォーッ!!」
歳朗は叫ぶしかなくて、またどうする事も出来ない無力な自分が屈辱で腹立だしくて仕方なかった。
突然動きが止まって、涙目で体を起こして股間を押さえるローレル。
呼吸を乱して聖璃架はローレルの下から抜け出して離れた。
「て、テメェ、よくも野郎の大事なポジションを……憶えてろよッ」
股間を押さえながらローレルはよたよたと立ち去っていった。
「聖璃架、大丈夫か」
「……はい」
鼓動を静めながら聖璃架は言って、歳朗の横に正座した。
「すまねェ……」
「謝らないでください」
「聖璃架を護れなくて、俺は自分が不甲斐なくてたまらねェ」
歳朗の目の端から涙が流れた。
「おまえを護れず何度も辛い目にあわせて、何もかも俺の責任だ」
唇を震わせながら言う歳朗に、聖璃架はいたたまれなくなって寄り添う。
「歳朗さん、大丈夫です。あたしは平気だから」
「聖璃架……すまねェ……」
冷えた眼差しで聖璃架と歳朗を見ていたのは総助だった。聖璃架に歩み寄ると笑んで声をかける。
「聖璃架、ちょっと話があるんだけどいいかな」
「えっ」
顔を上げて聖璃架は総助を見ると怯えた表情になる。
「なんだ話って」
尋ねた歳朗を無視して総助は聖璃架に言う。
「聖璃架、早く」
「おい、話ならここですればいいだろッ」
「え〜、いいんですか土浦さん。勇気あるなぁ、驚かないでくださいよ」
「? どういう意味だ」
意味深な総助の言葉に歳朗は訳が解らないが、聖璃架は嫌な予感がして立ち上がる。
「ごめんなさい歳朗さん。ちょっと行ってきます」
「おい聖璃架ッ」
聖璃架と総助は家を出ていった。
「話の内容、わかったみたいだね」
日暮れになって薄暗くなった森で、総助がにこ、と笑んで聖璃架に言った。
総助を前にして、聖璃架は額から冷や汗が流れる。
そんなの、あんな風に言われたら解る。それで、この人が考えている事は――
「言わないでください、歳朗さんには」
「どうしようかなぁ」
にこにこと笑んで楽しそうに言う総助。
「総助さんッ」
「だったら、言わせないように僕の口塞いでいればいいだろ」
――思った通りだ。この人は、あたしを脅すつもりだ。
無理矢理あんな事をして、それで脅すなんて、どこまで卑怯なのだろう。
聖璃架は悔しくて怒りで体を震わせて、上目遣いで総助を睨む。
「……最低です。どうしてそんな意地悪言うんですか」
「意地悪? 簡単なことだろ。こうすればいいんだから」
言って総助は聖璃架の後頭部を押さえて唇を重ねた。
寝る事しか出来ない歳朗は、只窓から見える空を眺めていた。
聖璃架と総助が帰らないのに、眠るなんて出来る訳がない。
二人が出て行った時は橙色だった空も今は濃い青色に変わって、時間がやたら長く感じる。
何をしているんだ一体。不安でまたこんな気持ちだ。苛々《いらいら》が治まらない。
物音がして、漸く帰ってきた聖璃架と総助に歳朗はほっとする。
「遅かったな、何してたんだ」
開口一番で歳朗に問われたが、聖璃架は後ろめたさで直視出来なくて答えられなかった。
「僕が答えましょうか」
口を挟んだ総助に聖璃架は心臓がどくんと跳ねた。
口止めの為とはいえ、幾ら体を許しても総助が言わないなんて確信はなくて。歳朗に話したところで総助には一切不都合はないのだから。
「お話してただけですッ」
「何を」
「え、えーとお夕食何にしましょうかって」
額から脂汗を流して答えた聖璃架は明らかに動揺して視線が泳いでいて、歳朗を苛立たせた。
「そんな話ならここでできただろ」
聖璃架はうっとなってしまって、総助はため息をつく。
「聖璃架、土浦さんは鋭いよ。隠し通すのは難しいね」
それを聞いて歳朗は総助に視線を向けた。
「土浦さん、僕と彼女は出来ています」
「――!」
総助の言葉は歳朗の胸に深く突き刺さった。
「総助さんッ」
――酷い言うなんて。だったらさっきのは何だったの。
二度も総助に抱かれてしまって、きっとこれからも脅されては関係を持つんだと聖璃架は思っていたが、酷くショックを受けた。
「いいじゃないかもう、この際ハッキリしとけば」
歳朗は頭の中が真っ黒に塗り潰された。
帰りの遅い二人に不安になって次第に考えがそちらに向かっていたが、まさかそんな訳ないと聖璃架を信じていた。なのに――
「……聖璃架」
辛そうに言った歳朗に聖璃架は土下座する。許してもらえるなんて思っていない。でも今は謝るしか思いつかなくて。
「歳朗さん、ごめんなさい」
「謝るということは認めたってことだぞ」
「だって本当ですから」
「――ッ」
総助にあっさり言われて、歳朗は怒りで呼吸を荒げる。
「テメェ……」
「怒らないでくださいよ。聖璃架がかわいそうだと思わないんですか? 新婚なのに抱いてもらえないなんて。僕気を利かせたんですよ」
「確かに今の俺には聖璃架を抱いてやれねェ。だがだからといってテメェにそんなことを頼むつもりはねェッ」
「じゃあ誰に頼むんです?」
「誰にも頼まねェよッ」
「使い物にならないくせに」
「あッ?」
鋭い眼差しで総助は歳朗を見下して、冷えた声で言う。
「土浦さん、あんたムカつくんだよ。色恋には無関心な風情で散々僕を馬鹿にして、聖璃架を奪い去って」
「なんだと?……へッ、悔しいのか」
歳朗に言われて、総助はかっと目を見開くと刀を歳朗の首に突き付ける。歳朗が少しでも首を動かそうものなら、寸止めされた鋭い刃の餌食になるだろう。
冷えた目で歳朗を見下したまま、総助は口元だけ笑む。
「あんたを殺すなんて簡単だけどそれじゃつまらない。今のあんたは生きていた方がよっぽど辛いでしょうからね」
言って総助は刀を収める。
「せいぜい生きる屍を堪能してください」
侮辱されて歳朗はぎり、と奥歯を噛んで総助を睨む。
「……テメェ、憶えてろ」
「何をです? 土浦さん、全身不随になるって近江さんが言っていましたよ」
軽薄に吐かれた総助の言葉は、歳朗と聖璃架に惨酷な衝撃を与えた。
「総助さん酷い! なんてこと」
人の気持ちを考えず、簡単に傷つける総助が聖璃架は許せなかった。憎しみが込み上げてくる。
「……んだと……」
掠れた声で言うのがやっとだった。闇に覆われて、奈落の底に突き落とされた絶望感に歳朗は見舞われた。
「それじゃ一生聖璃架を抱けないでしょう。安心してください。聖璃架は僕がかわいがりますから」
涼しげに総助が言ったが、歳朗の耳に届く事はなかった。
瞬きも忘れてしまったように、歳朗は放心してしまっていた。
【十六日目◆終】
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